第十話 もう、認めてもらうためじゃない
「北方未開拓遺跡先行調査隊《暁の剣》到着しました!」
その声が響いた瞬間、リネアの足は動かなくなった。
部品箱を胸に抱えたまま、倉庫裏の通路で立ち尽くす。
夜通し作業した体は重く、目の奥は熱を持っていた。
それでも、その名前だけははっきりと耳に届いた。
《暁の剣》
レオン。ミーナ。エリス。カイル。
かつて同じ村を出て、同じ夢を見て、最後には自分を置いていった幼馴染たち。
ギルドの表側には、朝の光が差し込んでいる。
依頼板の前にいた冒険者たちがざわめき、受付の職員たちが慌ただしく動き出す。その中心に、四人の姿があった。
レオンは以前よりも立派な剣を腰に帯びている。鞘には銀細工が施され、肩には上等な外套がかかっている。
ミーナの杖には赤い魔石が嵌め込まれ、エリスの白い神官服には金糸の刺繍が増えていた。
カイルは軽鎧を新調したらしく、背中には短弓といくつもの投げナイフを下げている。
三年前とは違う。
彼らは明らかに前へ進んでいた。
冒険者として、正しく評価され、期待される側に立っているのだろう。
「北方未開拓遺跡だってさ。ようやく本格調査か」
「魔道具師協会まで出てくるなんて、かなり大きな案件ね」
「今回成果を出せば、金級昇格も見えてくる。気を抜くなよ」
レオンの声だった。
リネアは部品箱を抱く腕に知らず力を込めた。
中には、徹夜で得た廃材と記録紙が入っている。
星紋安定器そのものではない。けれど、ルクスの胸に届くかもしれない小さな希望だ。
そのとき、ふとカイルがこちらを見た。
「あれ、リネア?」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がぎゅっと縮む。
四人の視線が、一斉にこちらへ向いた。
「リネア……久しぶりだな」
レオンが少し驚いたように言った。明らかに気まずそうな顔だ。
ミーナはリネアの抱えている部品箱を見て、首を傾げる。
「まだ王都にいたんだ。修理屋、続けてたの?」
「……うん。続けてる」
自分でも意外なほど、声は静かで乱れなかった。
エリスがほっとしたように微笑む。
「元気そうでよかった。あの後、心配していたの」
心配。
その言葉に、少しだけ喉が詰まった。
本当に心配していたのなら、どうして一度も店に来なかったのだろう。
王都外縁に小さな修理店を出してから、彼らが訪ねてきたことは一度もない。噂くらいは聞いていたはずなのに。
けれど、リネアは何も言わなかった。
言ってもたぶん届かない気がしたから。
カイルは軽く笑った。
「ま、リネアにはそっちの方が合ってるよな。俺たちはこれから未開拓遺跡の調査だ。開かずの扉が反応したとかで、ギルドも協会も大騒ぎしてる」
「開かずの扉……」
「ああ。まあ、修理師には関係ない話だけどな」
その一言は、昔と同じ形で胸に刺さる。
関係ない。
お前には必要ない。
お前はそこに来なくていい。
三年前、何度も言われた言葉と同じ響きだ。
しかし今、リネアの足は後ろへ下がらなかった。
関係ない。そう言われれば、昔の自分なら俯いていた。
自分は役に立たないのだと、また信じてしまっていた。
でも今は違う。彼らが向かう遺跡で眠っていたものを、リネアは知っている。
彼らが価値を見抜けずに捨てた黒銀の部品が、ルクスの胸を支える鍵になるかもしれないことも知っている。
この部品箱の中には、彼らの知らない理由があるのだ。
「そうだね」
リネアは静かに言った。
「私は、私の仕事をするよ」
カイルは少し拍子抜けしたように眉を上げた。
レオンが何か言いかけたが、ギルド職員に呼ばれて振り返る。
「《暁の剣》の皆さん、こちらへ。先行調査の説明があります」
四人は職員に案内され、奥の会議室へ向かっていった。
エリスだけが一度振り返り、小さく手を振る。
リネアはそれに会釈だけ返した。
胸は痛む。過去が消えたわけではないのだから。
あの日の言葉も、置いていかれた朝も、まだ自分の中に残っている。
それでも、もう彼らに認めてもらうためにここへ来たわけではない。
「……帰ろう」
リネアは部品箱を抱え直し、冒険者ギルドを出た。
王都外縁の職人街へ戻る頃には、朝日は少し高くなっていた。
徹夜明けの体に石畳の反射がまぶしい。眠気で足取りは重かったが、心だけは妙に急いでいる。
ギアライト修理店の裏庭に入ると、ルクスは雨除け布の下で変わらず伏せていた。
「ただいま」
碧い単眼が、ゆっくりと灯る。
『帰還を確認。修理師リネア・ギアライト、疲労反応あり』
「徹夜したからね。でも、部品は持って帰ってきたよ」
リネアは作業台に部品箱を置いた。
その瞬間、ルクスの胸部から不規則な音がした。かち、かち、と何かが空回りするような音。
割れた装甲の奥で、碧い結晶の光が大きく揺れている。
リネアの表情が変わった。
「ルクス、胸を見せて」
『中枢結晶、拍動不安定。昨夜より誤差増大』
「やっぱり……」
応急処置の銀線は、もう限界に近いようだ。
グレーハウンドとの戦闘、遺跡からの移動、店までの帰還。そのすべてが、壊れた体には負担だったのだ。
リネアは眠気を振り払うように頬を叩いた。
「今から仮設安定環を作る。本物の星紋安定器は持って帰れなかった。でも、寸法は写したし流路も記録した。黒銀の微細片もある。完全じゃないけど、少しは揺れを抑えられるはず」
『成功確率は不明』
「不明なら、ゼロじゃない」
リネアは気合を入れ直しつつ、まずは工具を並べた。
小型軸受け。魔力伝導線。焦げた杖から抜いた絶縁芯材。
破損した結晶台座。星紋安定器の清掃中に剥がれた黒銀の微細片。記録紙に写した外縁溝の角度。
それはおよそ完全な模倣ではなかった。
壊れた楽器に仮の弦を張るようなものだ。
本来の音は出せない。けれど、沈黙させないことはできる。
リネアは伝導線を細く曲げ、結晶台座の欠片を削り、黒銀の微細片を流路の接点に埋め込んだ。
手元が何度もぶれた。眠気で視界が滲む。それでも、指先だけは止まらなかった。
ルクスは黙ってその様子を観測していた。
ただ、碧い単眼だけが彼女の作業を見守っている。
「少しだけ、痛いかもしれない」
『修復行為を許可』
「痛み、分かるの?」
『該当感覚、未定義。ただし、損傷拡大は検知可能』
「じゃあ、損傷を広げないようにする」
リネアは仮設安定環を、ルクスの胸部へ差し込んだ。
一瞬、碧い光が大きく跳ねる。
「っ……!」
『中枢結晶、拍動増加。流路一番、不安定。流路二番、接続。三番、同期。四番、遅延』
「四番の角度がずれてる……待って、今合わせる」
リネアは額に汗を浮かべながら、極細の工具で安定環の角度をわずかに変えた。
黒銀の微細片が青い光を受け、かすかに光る。乱れていた拍動が、一つ、また一つと整っていく。
『仮設安定環、接続』
「出力は?」
『中枢結晶拍動、安定範囲内に移行。右後脚駆動軸への負荷、六パーセント低下。胸部流路、暫定復旧』
リネアは息を止めた。碧い光の揺れが、収まっている。
無論完全ではない。傷はまだ深く、左前脚も、背部の兵装も、記録領域も戻っていない。
それでも、ルクスの胸の光は、昨日よりも確かに静かだった。
「……できた」
思わず膝から力が抜けそうになった。
ルクスの単眼が、少しだけ明るくなる。
『修理師リネア・ギアライト。疲労反応、増大。休息を推奨』
「あなたを直してからって言ったでしょ」
『修復対象より、修理者の維持を優先すべきと判断』
「そういうことも言うんだ」
リネアは空元気であろうとも笑った。
その笑いは、少しだけ泣きそうな声になる。
ルクスはしばらく沈黙した。そして、いつもより短く告げる。
『リネア』
「……え?」
『呼称短縮。応答に支障なし』
リネアは目を瞬かせた。ルクスが初めて自分の名を呼んでくれた気がしたからだ。
それから、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
「うん。支障ないよ」
『リネア。休息を推奨』
「はいはい。分かった、少しだけ休む」
そのとき、ルクスの単眼が細くなった。
胸部の奥で、仮設安定環がかすかに震える。先ほどまでとは違う、もっと遠い場所から引っ張られるような揺れだった。
『警告』
リネアの笑みが消える。
「どうしたの?」
『旧格納施設より照合信号を受信』
「旧格納施設って……あの遺跡?」
『肯定』
ルクスの単眼が、静かに碧く光る。
『当機の所在確認を目的とする探索信号と推定』
リネアの背筋に冷たいものが走った。
「それって、ルクスを探してるってこと?」
『肯定』
ギルドで聞いた声が蘇る。
北方未開拓遺跡先行調査隊《暁の剣》。
魔道具師協会。星紋安定器。開かずの扉。旧格納施設。
そのすべてが、ひとつの場所へ向かって動き出している。
ルクスは低く告げた。
『当機の不在が、検知されました』
リネアは、まだ油で汚れている手を握りしめる。
認めてもらうためではない。見返すためでもない。
ただ、この傷だらけの機械獣を守るために。
彼女はもう一度、前を向かなければならなかった。




