第80話 古い命令は、今を知らない
出発翌日の夕刻、一行は獣盟国の首都へ到着した。
氏族旗がはためく大通りも、階段状に広がる壮麗な石造建築も、落ち着いて眺める時間はなかった。緊急移送車は中央区画を抜け、首都北側の古い環状建造物へ直行する。
そこだけは、周囲と明らかに造りが違った。灰色の石壁に見える外装には継ぎ目がなく、長い風雨に晒されてなお不自然なほど滑らかだ。入口の上には、地面へ耳を当てる獣の姿が刻まれている。
「あの彫刻は後世のものだね」
車を降りたアールが見上げた。
「この国の者たちは、用途の分からないものに名前と物語を与えるのが上手い」
「《大地の耳》っていう名前も?」
「神代に、そんな詩的な呼び名はなかったよ」
「やっぱり知ってるんじゃない」
「一般教養の範囲さ」
何千年前の一般教養なのか、リネアが尋ねる前に重い扉が開く。警備区画を幾つも抜け、地下へ続く螺旋階段を下りると、首都の大型建築が一つ収まりそうな広い円形空間へ出る。
壁際には十六本の黒い柱が並んでいた。下端は床を貫いて岩盤へ突き立ち、上端から伸びた金属線に似た部品が、天井中央へ集まっている。その真下で、半球状の黒い装置が沈黙していた。
周囲の足場では何十人もの技術者が行き交っている。しかし装置から光は失われ、中央制御台の菱形表示板だけが、弱い赤色を明滅させていた。
「《地脈観測儀――大地の耳》だ」
出迎えた山羊獣人の主任技師は、角の根元に白髪が混じり、目の下に濃い隈を作っていた。
「地震発生時、地脈針が急にすべて起動した。そして神代文字の表示と警告音が三度現れた後、観測が止まった。記録を読み出そうとすると、内部温度が急上昇する」
「供給側の動力は?」
「異常はない。ただ、予備炉へ繋いでも中枢へ上手く流れん」
リネアは、彼らが試した手順を順に聞いた。何も知らずに手をつけるより、失敗の記録を教えてもらう方が早い。というのも、同じ危険をもう一度起こさずに済むからだ。
右眼を解析状態へ切り替え、制御台の周囲を一周する。外装の隙間から見える魔力の流れと、主任技師の説明を照らし合わせるうち、供給経路の先に奇妙な空白が見えてきた。
焦げた匂いも残っている。無傷に見える外側とは違い、内側では何かが焼けているようだ。
「ルクス。この外装、固定を外せば持ち上げられる?」
『可能です。周辺作業者の退避を推奨します』
「ネメシスは柱の音を聞いていて。アールには、この円環が何をする部品か教えてほしい」
「遮断環だよ。地脈針から規定以上の入力が来た時、すべての経路を物理的に切り離して中枢を守る」
「とすると、やっぱり動力が足りないんじゃありません。これ、自分から止まってます」
主任技師が、円環状の部品を改めて見た。
「では、その円環を外せばよいのか?」
「先に、止まる原因を確かめます。外した途端に同じ規模の入力が来たら、今度は中枢を守れないかもしれません」
ルクスが外装を支え、技術者たちが支柱を入れる。露わになった導線へ測定具を当てると、義眼が捉えた異常が一つずつ裏づけられていった。
「少なくとも三本の地脈針で、増幅機構が焼きついています。入力を弱める制御器も、最後の値のまま固まってる。つまり、装置は大きすぎる音を聞いて、これ以上聞けば壊れると判断したんです」
「耳を塞いだ、ということか」
「そうです。そして塞いだこと自体は、故障じゃありません」
技師の顔に浮かんだ歯がゆさを見て、リネアは続ける。
「供給側を確かめてくれた記録がなければ、私ももっと迷っていました。ここから先は、一緒にお願いします」
主任技師は一度だけ目を閉じ、すぐに部下へ向き直った。
「予備部品と加工台を下ろせ。必要な規格は、この娘に確認しろ」
リネアは愛用の工具鞄を開く。
「記録を消さずに、この子をもう一度起こします」
▲▽▲―――▲▽▲
修復作業は夜を越えていた。開いた中枢の内側は、人一人がようやく通れるほど狭い。
リネアはそこに身体を滑り込ませ、壁一面を覆う導線から今使える経路を探した。焼けた制御器は外せても、代替部品の規格が合わない。そのまま繋げば信号の強さも、応答の速さもずれてしまう。
技術氏族の職人が外装を削り、リネアが星紋を刻み直す。主任技師は古い配線図を広げ、外した部品の順序と、変更した経路を記録していた。
「第七地脈針、入力低下。基準値の十二パーセントです」
長棒を床へ触れさせたネメシスが、外から告げる。
「ルクス、七番へ校正信号を送って」
『微弱信号を送信します』
胸部から伸びた接続線を通じ、弱い魔力波が流れる。途切れていた回路が青く灯り、リネアはようやく詰めていた息を吐いた。
「戻ったみたい。次は十二番」
「そちらは増幅器の位相が反転しているね」
外装の上から覗き込んだアールが言う。
「右から二番目の導線を切り、第五経路へ繋ぎ直したまえ」
「それだと、記録領域へ電流が流れない?」
「およそ一万分の三秒だけね。通常なら問題にはならない」
リネアは、表示板から消えかけた赤い光を見た。
「でも、この状態で通常どおりとは限らない。別のやり方を探したい」
「時間をかけ過ぎれば、次の震動が来るぞ」
言葉が終わる前に、ネメシスの猫耳型デバイスが立ち上がった。
「全員、姿勢を低くしてください。震動が到達します」
床の下で何かが軋み、円形空間が大きく揺れた。足場の工具が滑り落ち、天井から石片が降る。ルクスは展開を制限した可変盾を狭く広げ、開いた中枢とリネアの上を覆った。
ネメシスも長棒を床へ突き立て、空間干渉で地脈針の上部を支える。技術者たちが補強索へ取りつく中、リネアは外しかけた導線を握っていた。もし離せば、まだ生きている経路へ触れてしまう。
長い揺れが収まると、赤い表示は一段と弱くなっていた。
「保護系統の残存魔力が低下。同規模の入力が重なれば、記録領域の保全は困難です」
ネメシスの報告に、誰もが中央を見る。近道には危険がある。だが、時間をかけることも安全ではなくなった。
リネアは唇を噛み、義眼へ映る分岐を一つずつ辿る。全部を作り直す必要はない。危険な電流が通る、その瞬間だけ記録を切り離せればいい。
「アール。橙色の雷を、どのくらい細く制御できる?」
「髪の毛一本を縦に割り、その片側だけを焦がす程度には」
「どうしてそんな技術を……ううん、それは後でいい。第五経路と記録領域の間にある接点を、三つとも開いたままにできる?」
「接点を動かす電流だけを制御すればよいのだね」
「私が反転した位相を戻す。その後、合図したところから一つずつ繋いで」
アールの口角が上がった。心地よい妙案を耳にして、今度は急かさない。
「いつでもどうぞ、修理師殿」
二振りのダガーが抜かれ、淡い橙光を宿す刃先が隙間へ入る。微かな放電音とともに、三つの接点が同時に開いた。細い電流は、見事に指定した駆動部以外へ触れていない。
「ルクス、位相を確認。主任技師さん、冷却をお願いします」
『同期誤差、〇・〇〇二以内』
「送液を始める。温度を見ていてくれ」
仮設した細管へ冷却液が巡る。ネメシスが次の大きな震動はまだ近づいていないと告げ、リネアは刻み直した星紋へ工具を当てた。
一つ目、続いて二つ目。接続のたび、魔力の流れを確かめる。三つ目へ移る直前、古い導線が高熱を帯び、白い蒸気が頬を掠めた。
「温度上昇!」
「送液を増やす!」
リネアは手を離さず、流れの偏りが収まるのを辛抱強く待った。早くと叫びたくなるほど焦るが、この一拍を惜しめば、記録も装置も失うだろう。
「……今、繋いで!」
最後の接点が閉じた。十六本の経路が結ばれ、床下から鐘のような低い音が響く。
リネアはすかさず新しい制御器の入力上限を絞った。最初から最大感度へ戻しては、また同じことになる。
弱い信号から受け入れ、記録への負荷を確かめて範囲を広げる。その設定をルクスと照合してから、中央へ手を伸ばした。
「遮断環を戻します!」
制御具を押し込むと、円環が回転し始める。壁際の地脈針が一本ずつ青白く輝き、集まった光が黒い半球へ降り注ぐ。赤い表示板は一度だけ強く瞬き、色を変えた。
「起動……したのか?」
主任技師の声が震える。リネアは工具を抜いてから、ようやく狭い中枢の中で肩を落とした。
▲▽▲―――▲▽▲
頭上へ浮かんだ半透明の地形図には、町も道もなかった。河川の幾つかは現在と異なる場所を流れ、森は人の手が入る以前の広さを残している。
「最後に正常稼働していた時代の記録だね。現在の測量結果で更新されるまでは、これが基準になる」
アールの言葉とともに、地図の北東部で橙色の光が脈打った。少しの間を置き、もう一度。そうして光が生じるたびに、微かな震動が空間を通り抜ける。
それは小さな点ではなく、一つの街が収まりそうな、巨大な反応だった。
「大型構造物を検出、地表付近を移動中。先ほどの震動と波形が一致します」
ネメシスの報告に続き、表示板へ神代文字が流れる。
「古い防衛網の識別信号も受信している。対象は――戦略級広域防衛移動要塞。《大地の審判》」
アールが読み上げると、記録領域から外形情報が呼び出された。
大地へ腹を伏せた巨大な四足獣。前方へ伸びる頭部と顎は、獲物を待つワニを思わせる形状だ。
その背には幾層もの装甲と建造物が連なり、城塔ほどもある砲身が格納されている。
それは生き物の形を借りた巨大要塞だった。ルクスの巨体さえ、あの足元では小さな獣にしか見えないだろう。
「これが……《大地の審判》」
自分たちが直していたのは、この存在を捉えるための耳だった。直せば状況は良くなると思っていたが、ようやく見えるようになったものの大きさと脅威に、リネアは言葉を失う。
「現在の行動目的は分かるのか?」
主任技師の問いに応じ、アールが受信情報を探る。地図には同心円と、中心を囲む巡回経路が描かれた。橙色の反応は、その線を正確になぞっている。
「警戒領域の巡回。中枢施設へ接近する敵性存在の排除。指定区域内の未登録構造物の撤去。最終命令の更新記録は――ないね」
「未登録って……現代の集落は、この地図にないよね」
リネアは明らかになりだした危険性を察知し、技師へ向き直った。
「現在の測量図を重ねられますか?」
「記録形式が違う。この装置へ現代の地図を入力する方法はない」
「ルクスを通せば、形式を変えられるかもしれません。私の義眼で測量図を読み取って、共通する地形を照合してもらいます」
『変換処理は可能です。照合に利用できる地形情報を要求します』
その声を皮切りに、技術者たちが走り出した。運び込まれた獣盟国の地図を一枚ずつ読み、変わらず残る山頂や岩盤層を照合していく。
河道の変わった場所は位置を補い、確かめられない箇所には誤差を残す。別々の時代の地理情報を、同じ世界の上へ繋ぐ作業だった。
街道が現れ、町や村、開拓された農地が浮かぶ。人々が何代にもわたって築いてきた暮らしの上を、移動要塞の巡回経路が無情にも横切っていた。重なった地点へ、赤い印が灯る。
「この印は?」
「受信した警戒区域と現代地図を照合した結果だ。あの町や村が領域内に存在してよいという登録は、《大地の審判》へ与えられていない」
それからアールが読んだ文言は、短かった。
《後世建造・登録情報なし》
《警戒領域内不正構造物》
《防衛行動による撤去対象》
「あの要塞は我々の町を、敵と見なしているのか?」
「敵ですらないだろうね。そこに存在してはならない障害物だ」
主任技師が思わず拳を握った。
「制御機構が狂っているのではないのか。数千年も眠っていたのだぞ」
リネアは、識別信号へ添えられた稼働状態を追う。動力機関、正常。巡回機構、正常。領域照合、正常。最終命令、継続中。
対象から送られた自己診断情報でしかないが、それでも、古い記録と現在の移動に食い違いはなかった。町が生まれる以前の地図に照らせば、あの移動は正確なのだ。
「少なくとも、動作が狂っているから町へ向かっているわけじゃありません」
その一言を言い終えるのが、ひどく難しく感じられた。
「命令されたとおりに、動いているんです」
ネメシスの黄緑色の瞳が向けられる。
「故障していなくても、現在の住民を殺傷する結果になるのですね」
白銀の長棒を握る手に、力がこもっている。五百年の約定を守り続け、ようやく目の前の命を選んだ彼女にとって、地図を進む存在は遠く異なる機械の話ではなかった。
「あれが命令を受けた時、この国はまだなかったんだと思う。守る場所に町ができて、人が暮らすようになったことを、知らないままなんだよ」
「命令内容と現在の世界が、整合しなくなったということですね」
「うん。でも、命令どおりだからって、誰かを傷つけていい理由にはならない。必ず止めなきゃいけない」
ネメシスはしばらく黙り、やがて指の力を緩めた。
「同意します」
「世界の方が、あいつへ与えられた命令より先へ進んでしまった結果か」
アールの声は怜悧で静かだ。
「壊れた部品を替えて、設計どおりに戻しても止まらない。あいつは、いまもその設計を守っている。《大地の審判》は、修理では止められないのさ」
故障を探す癖で、リネアはまた診断表示へ目を向けかけた。だが、異常を示す箇所を見つけて埋めれば済む話ではないのだろう。
「なら、何を守るのかっていう、命令の方から考え直させないと……」
「そのとおり。あるいは、命令を実行し続けられない状態へ持ち込む必要がある。どちらにせよ、今ここから干渉できることではない」
直すべき箇所があるのなら、手を動かせばよかった。直すところが見つからない機械の前で、それでも手と思考を止めてはならない。リネアは、その難しさを初めて知った。
リネアが直した《大地の耳》は、壊れていない災厄の足音を拾い続けている。
「巡回経路の中心には、何があるんですか?」
リネアが指した北方の一点は、現在の地図では空白だ。険しい山脈と断層に閉ざされ、向かった探索隊の多くが帰らなかった場所だと言う。古い地図には、そこから天へ伸びる一本の構造物がある。
「これは、塔なのか?」
「地上と、この惑星を巡る衛星軌道とを繋ぐ昇降施設だよ。軌道エレベーター。君たちが《到達不能点》と呼ぶ場所に残された、空へ至る道だ」
アールの瞳が、古い地図の中心を見据えた。
「《大地の審判》は、その入口を守っている。数千年前から、誰も通さぬようにね」
主任技師は数秒だけ沈黙し、背後を振り返った。
「危険のある地点をすべて洗い出せ! 移動要塞の到達時刻は誤差も含めて算出! 評議府へ緊急伝達、巡回経路上の全居住地へ緊急避難命令発令を要請する!」
夜を越えて疲れきった技術者たちが、凶報を知って再び走り出す。地図の中で、最も近い赤い印へ向けて、橙色の波紋が静かに広がっていた。




