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第79話 壊れていない災厄

 

 ガルディア獣盟国の首都、その中央評議府に三通の報告書が揃ったのは、南部闘技場を襲った大地震の当夜だった。


 一通目は、大会出場者シドリグから。決勝へ進出したルクスとネメシスが尋常ならざる戦闘能力を備えていること。それでいて規則を守り、勝敗が決する寸前でも民の命を優先したことが、飾り気のない筆致で記されていた。

 末尾には、強者として敬意を払うに値する戦士である、との一文と、白熊獣人らしい大きな署名がある。


 二通目は、大森林探索隊のサレオスから届いていた報告の再提出だった。修理師リネア・ギアライトと黒い四脚機械兵ルクスが、《獣禍連鎖》の停止へ尽力したこと。

 アーキテクト第二席次であったネメシスが、五百年前の約定よりも現在を生きる命を選び、中枢装置を破壊したこと。探索隊の共同署名が、その行動を証明していた。


 三通目は、技術氏族と遺跡管理部門からの連名である。

 崩落した観客席を受け止めたルクスの可変盾には、現代の技術では再現できない設計が用いられていた。しかし、驚くべきは素材だけではない。

 救護地点で行われた簡易検分では、古い損傷への補修跡と、駆動機構の精密な調整が確認されていた。

 過大な荷重を受けてなお修理可能な状態を保てたのは、設計、機体自身の姿勢制御、整備の三つが揃った結果である。その整備を担うリネアへ、国家管理下の神代遺物の調査を依頼すべきだ、と報告書は結ばれていた。


 差出人も、評価した能力も異なる三通。そのすべてに、同じ名がある。冒険者パーティ《レックレス》


「一日のうちに、三方向から同じ者たちが推挙されるとはな」


 狼獣人の書記官が低く唸ると、対面の遺跡管理官は三通目を引き寄せた。


「異なる場所で積み上げていた行動が、今日になって一つに繋がったのだろう」


「だが、人族の娘に出自不明の機械兵、元アーキテクトの義体使いだぞ。情報屋に至っては素性さえ掴めていない。礼を述べることと、国の中枢へ入れることは別だ」


「無論だ。立会いのもとで調査を依頼する。彼らへの評価も、遺物の状態も、確かめてから評議会へ上げればよい」


 机上には、もう一枚の記録板が置かれていた。獣盟国の広い範囲で観測された異常震動と、その直後に各地から届いた被害の記録。その最上段には、別の異変が記されている。

 建国以前から眠り続けていた神代遺物が、警告を発した。ただ一度だけ。直後には観測機能を停止し、今も沈黙している。


「《大地の耳》が、何を聞いたのか」


 遺跡管理官は目を細め、記録板を閉じた。


「まずは、その娘に確かめてもらおう」



 ▲▽▲―――▲▽▲



 翌朝、リネアは曲がった装甲板の隙間へ細い工具を差し込み、手のひらへ伝わる抵抗を確かめていた。


「ルクス、左腕をもう少しだけ上げられる?」


『駆動角を三度上方へ修正します』


 黒い腕が控えめに持ち上がる。観客席を支えた可変盾は、扇状に展開する装甲板のうち二枚が大きく歪み、接合部の一つも半ば潰れていた。内部の駆動軸にまで荷重が伝わり、動くたびに小さな異音がする。

 それでも、完全には壊れていない。崩落の角度に合わせて盾を傾け、負荷を四脚へ逃がしたルクスの判断が、左腕を残したのだ。

 リネアは変形した留め具を外し、仮の補強具へ取り替えた。無傷に戻すことはできないが、歪んだ部品同士が擦れて、残った機構まで傷めるのは防げる。


「はい、そこで止めて。いま無理に開くと、隣の軸まで曲がっちゃう」


『展開範囲を制限します』


「昨日の受け止め方は、間違ってないよ。ただ、次も同じことができるって考えないでね」


 返事までには短い間があった。


『現在の損傷状態を、次回行動の判断へ反映します』


「うん。それならいい」


 言いながら、リネアは装甲へ置いた手を一度だけ止めた。盾の裏側には、工具で均しただけでは消えない深い痕が残っている。

 瓦礫の下に誰かがいたかもしれないという想像が、昨夜から何度も頭をよぎった。そのたびに、救助した者は全員生きていると、自分へ言い聞かせている。


 今いるのは、半壊した闘技場の南側に設けられた救護天幕の裏だった。負傷者の多くは近隣の治療院へ運ばれ、警備隊や冒険者たちは、なお崩落箇所の確認と片づけを続けている。

 この天災で死者は一人も出なかった。その報せとともに、《レックレス》の名は南部都市アルヴェナへ広がっていた。

 天幕の外には朝から果物や焼き菓子、花束まで届けられている。助けられた観客や、その家族からの品だ。受け取るたび、リネアは嬉しさと落ち着かなさの入り混じった気持ちになった。


「また増えています」


 ネメシスが、新たな籠を抱えて戻ってくる。白い義体の猫耳型デバイスには、子供が結んだらしい黄色い飾り紐がつけられていた。


「今度は何?」


「堅焼きパン、干し肉、柑橘類。それから、私宛てと思われる手紙が三通です。一通には、将来結婚してくださいと記載されています」


 リネアの工具を持つ手がピタリと止まった。


「……誰から?」


「昨日、上層席から転移させた八歳の少年です」


「それなら、お礼を言って大切に取っておけばいいと思うよ」


「婚姻の受諾は不要でしょうか」


「うん。嬉しい気持ちを伝えてくれた手紙として、受け取ってあげて」


 ネメシスは文面へもう一度目を落とした。少し傾いた文字と、白い棒人間らしい絵を指先でなぞり、紙を折り直す。その丁寧さは、重要な記録を保管する時と変わらない。


「理解しました。謝意の表現として保存します」


 腰の収納部へ収める姿を見て、リネアは微笑む。籠には、彼女一人へ贈るには多すぎるほどの食料が詰まっている。

 ネメシスは、受け取った品を一つ残らず、届けてくれた者の名前と結びつけて覚えていた。

 少し離れた木箱の上では、アールが届け物の柑橘を一つ剥いている。


「いやあ、善行の後に食べる果物は格別だねぇ」


「それ、アール宛てじゃないと思うんだけど」


「《レックレス》御一同様と書かれていたぞ。コマンダーにも正当な分配権がある」


「昨日の指示は助かったけど、せめてみんなに聞いてから食べてよ」


「では、食べてもよいかね?」


「もう半分食べてるよね」


 呆れながら接合部を締め直していると、天幕の向こうから揃った足音が近づいた。現れたのは濃紺の官服を着た狐獣人と、護衛らしい二人の兵士だった。


「冒険者パーティ《レックレス》とお見受けする。リネア・ギアライト殿は、貴女で間違いないか」


「は、はい」


 反射的に背筋を伸ばしたせいで、工具が装甲へ当たり、甲高い音を立てる。


「私に、何か……?」


「遺跡管理部門より、至急の調査依頼をお持ちした」


 差し出された書状には、獣盟国の紋章と複数の封印がある。リネアは油に汚れた手を慌てて拭い、まだ受け取らないまま相手の顔を見た。


「国から、私にですか?」


「正確には、貴殿を修復責任者とする《レックレス》への技術協力要請だ。救命活動に加え、シドリグ殿、大森林探索隊のサレオス殿、そして技術氏族から推挙があった」


「サレオスさんまで……」


「《獣禍連鎖》に関する報告も、すでに中央へ届いている。今回の一件を受け、緊急案件として再審査された」


 狐獣人は修理途中の可変盾へ目を向ける。


「技術氏族の者たちは、そちらの機械兵が崩落を受け止める姿を見ていた。過大な負荷を受けてなお修理可能であるのは、設計だけの功績ではないそうだな」


「ルクス自身が、壊れない受け方をしてくれたんです。私は普段の整備をしていただけで……」


『日常的な整備がなければ、左腕の機能を喪失していた確率は八十一パーセントです』


「ルクス?」


『事実を報告しました』


「ムフフ。身内からの推薦も一つ増えたようだね」


 アールが柑橘の最後の一房を口へ放り込む。


「それで、国家殿は何を直してほしいのかな?」


「《地脈観測儀――大地の耳》。建国以前から首都地下に存在する、国家管理下の神代遺物だ」


 その名を聞いたアールの瞳が、微かに細められる。


「地震と同時に警告を発し、直後に観測機能が停止した。我々の技術者では原因を特定できていない。大地の振動や地殻の変化、巨大構造物の移動を観測するものと伝えられているが、近年は休眠状態にあり、起動記録さえ残っていなかった」


 地の底から響いた異様な震動が脳裏に蘇る。巨大な何かが、遠い場所で最初の一歩を踏み出したような揺れ。アールは、それを《大地の審判》の足音と呼んだ。


「警告の内容は?」


「解析できていない。表示は神代文字で、記録を読み出そうとすると中枢が過熱する。強制的な再起動は、残された情報を焼き払う危険がある」


「だから、まず壊さずに調べられる人が必要なんですね」


「そういうことだ」


 狐獣人は頭を下げた。ただし、差し出した書状をそのまま押しつけることはしない。


「これは国家首脳陣からの正式な召喚ではない。遺跡管理部門が出す技術協力要請となる。調査には我が国の技師が立ち会い、記録と装置は現地へ残してもらう。その条件で、引き受けていただけるか」


 信頼されたから、すべてを任されるわけではない。それでも、門を閉ざされてはいなかった。見知らぬ者の技術を国のために借りようとする、その最初の一歩が目の前にある。

 リネアは書状を見つめた。国家管理下の神代遺物。王都へ来たばかりの頃の自分が名乗っても、近づくことさえ許されなかっただろう。今も、自分の力で直せるという確信はない。

 だが、警告の意味を確かめずにいたら、次の揺れの先で誰かが命を落とすかもしれない。


「分かりました。私たちでよければ、調べさせてください。ただ、見てからでないと、修復できるかは約束できません」


「承知している。まず状態を知りたいのだ」


 その答えに、ようやく書状を受け取れた。


『決定を支持』


「私も同行します」


 ルクスとネメシスが続き、アールも木箱から飛び降りる。


「当然、私も古代技術顧問として同行しよう」


「自分から大仰な役職を増やさないで」


「適任ではあるだろう?」


「それは、たぶん誰よりも」


 星紋技術の創始者フォモスであり、アーキテクト第一席次ジェネシスでもある少女だ。神代の機構について、彼女以上の知識を持つ者はほとんどいないはず。


「ただし、勝手に直さないでね」


「ほう?」


「修復責任者は私なんでしょう。まず私が調べて、必要な時にアールへ聞く。何をするかは、現地の技師の人にも説明する。それでいいですか?」


 最後の問いは狐獣人へ向けたものだ。彼は少し驚いたあと、頷いた。


「無論だ。そうしていただきたい」


「ずいぶん頼もしくなったものだねぇ、ご友人」


「誰かさんに振り回され続けたからだよ」


「ならば私の教育方針は正しかったわけだ」


「そういうことにしないで!?」


 軽口を返していると、こわばっていた肩が少しだけ緩んだ。自分一人にできることを問われたのではない。四人で引き受けてほしいという依頼なのだ。



 ▲▽▲―――▲▽▲



 出発前、リネアは盾の補強を終え、失われていない機能を一つずつ確かめた。開閉は制限したまま。荷重を受ける二つの軸は休ませ、細かな動作は残る駆動部へ振り分ける。


「完全修復は、ちゃんとした作業場でやるから。それまでは、この範囲を守ってね」


『制限値を記録しました』


 天幕へ戻ると、猫耳型デバイスに黄色い飾り紐をつけたネメシスが、贈り物の行き先を救護係へ確認していた。

 旅に持てない食料は、治療中の者たちへ分けてもらうことになったという。手紙だけは、自分で持っていくつもりらしい。

 籠を運ぶ白い手を眺めていると、前日まで同じ闘技台で戦っていた姿が、ずいぶん遠いものに思えた。


「リネアさん。修復責任者とは、どこまでを引き受ける役割でしょうか」


 不意の問いに、リネアは考え込んだ。


「うまくいくって保証する人、ではないと思う。分からないことを分からないままにしないで、できることと危ないことを、みんなに伝える人かな」


「失敗の可能性も、伝えるのですね」


「うん。隠して後で取り返せなくなる方が怖いから」


 ネメシスは小さく頷いた。何を考えたのかまでは、黄緑色の瞳から読み取れない。それでも、自分が答えた言葉を、リネアも忘れないでおこうと思った。


 評議府の緊急移送車には、主要街道で最優先の通行権が与えられていた。屈強な走獣を中継地で交代させながら、車は夜もほとんど止まることなく北上した。

 道中、遠くから伝わる震動は三度あった。一度目は短く、二度目は遠雷のように長かった。三度目には、街道脇の森から鳥が一斉に飛び立ち、進行方向とは逆へ逃げていく。

 そのたびに、ネメシスの猫耳型デバイスが地面へ向いた。


「震源は一定していません。到達した震動の方向は、北東から北西へ移っています」


「やっぱり、《大地の審判》が歩いてるの?」


「可能性は高いと判断します。ただし、ここからでは距離を正確に測れません」


 向かい側では、アールが窓枠へ頬杖をついていた。


「目覚めたことは、分かっていたんだよね」


「起動徴候からね。だが、現在位置も巡回経路も分からない。私が知る地形は、あいつが眠りについた時代のものだ」


「それを調べるための《大地の耳》なんだ」


「うむ。あれは大地そのものを巨大な受信器として使う。多数の地点で拾った震動を比べれば、遠くを動くものの大きさと位置を絞れるのさ」


「前にも見たことがあるの?」


「さて、どうだったかな」


「そこは教えてよ」


「修復責任者の自由な診断を尊重しているのだよ」


「都合のいい時だけ責任者扱いしないで?」


 いつもの返事だった。けれどアールの視線は、会話の合間にも窓の外を流れる大地へ戻っていく。三度目の震動の後は、果物を取り出そうとさえしなかった。

 リネアは鞄の留め具を確かめた。新しい依頼へ向かう時の高揚はある。その下に、修復できたとして、何が分かるのだろうという不安もあった。

 沈黙した機械を直せば、遠い足音の主が見つかる。けれど、その主が止まるとは限らない。


「アール。もし本当にあれが動いているなら、私たちにできることはあるの?」


 車輪が石を踏み、床が大きく揺れた。アールはその揺れが収まるのを待つように、わずかに間を置いた。


「まず、知らなければならない。どこを、何のために歩いているのかをね」


 その橙色の機械眼には、もう軽薄な笑みがなかった。


「知ってからでなければ、止め方さえ選べないのだから」



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