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第78話 勝敗より先に、命をつなぐ

 

 ▲▽▲―――▲▽▲



 拡声魔術の中枢では、術式を刻んだ水晶が台座から外れかけていた。

 そんな中アールは落石に倒れた進行役の横へ、いつの間にか移動して指先を水晶へ触れさせた。


 淡い橙色の雷がコンパクトに走り、砕けた術式の間を縫うように光が巡って、沈黙していた水晶へ再び輝きが戻る。

 甲高い雑音が闘技場全体へ響いた直後、アールの声がすべての区画へ届いた。


「諸君、出口へ殺到するのはやめたまえ! この闘技場は魔獣の口ではない。押し合っても出口が広がるわけではないぞ!」


 混乱の最中に似つかわしくない言い回しだったが、それゆえによく通る声は悲鳴の中へ一本の道を作った。


「警備隊は各通路を一方通行にしろ! 治癒術師は闘技台南側へ集結! 動ける冒険者は近くの負傷者を運び、腕力に自信のある者は崩れた出口を広げたまえ!」


 アールの橙色の瞳が、闘技場全体を見渡す。


「シドリグ! 東側の門が潰れる。支柱を頼む!」


「言われるまでもない!」


 屈強な白熊獣人が、倒れかけた石柱へ肩を入れる。巨大なバトルメイスを横に渡し、閉じかけた門を力任せに押し上げた。


「動ける者は通れ! ここは俺が持たせる!」


「バラック! 西通路の誘導だ。剣も魔導戦技も要らない、声を出せ!」


 治療区画で横になっていた闘牛獣人が、ふらつきながらも起き上がる。


「まだ、俺を働かせるのかよ……!」


「将来に悪影響が出ない範囲で頼むとも!」


「それ、あの黒い奴の言葉と同じじゃねえか!」


 やや悪態をつきながら、バラックは西側へ向かった。倒れている者を一人背負い、声を張り上げる。


「走るな! 押すな! 歩ける奴は左、怪我人を運ぶ奴は右だ!」


 大会に参戦していた者たちが、次々と動き始める。対戦相手の得意分野や戦い方を見てきた彼らには、誰がどの作業に向いているかを見定める材料があった。

 競技のために積み重ねた観察が、いまは救助の手順を組み立てる助けとなっていく。


 虎獣人が落石を受け止める。猪獣人が大槌で瓦礫を砕く。

 山猫獣人が混雑した通路を駆け抜け、閉じ込められた者の位置を知らせる。


 先ほどまで勝敗を争っていた戦士たちが、今は完全に同じ方向を向いていた。

 それはアールの指示だけで生まれた連携ではない。互いの戦い方を見て、強さを知り、認めたからこそ、誰が何を担えるのか理解している。


 闘技大会で重ねられたすべての戦いが、いま人命を救うための情報と手段へ変わっていた。



 ▲▽▲―――▲▽▲



 リネアが来賓たちを下層の安全区画へ導いた時、右眼へ新たな警告が走った。先ほどネメシスが転移させた一団とは別の区画で、さらなる観客が取り残されている。


 闘技場北東部。ルクスが支えている観客席の、さらに上。

 そこで外周壁と座席を繋ぐ三本の梁が、次々と限界へ近づいている。一本目が推定耐久限界を迎え、義眼の視界の中で赤く染まる。崩落まで、長くないということだ。


「アール! 北東の上層が全部落ちる!」


 リネアの声が、再起動した拡声魔術へ拾われる。


「残っている人数は?」


『上層区画に四十七名。自力歩行困難者、九名』


 観客席を支えたまま、ルクスが答えた。その声には雑音が混じり始めている。


『現行形状での支持可能時間、推定三十六秒』


 盾の接合部から、火花が散った。上層では、ネメシスが再び黄緑色の転移光を展開している。九人の負傷者が安全区画へ転移される。

 彼女だけが元の場所へ戻った時、装甲の隙間から零れる光が一度大きく揺らいだ。


「空間転移機構の連続稼働限界に到達。残る全員の即時転移は不可能です」


「歩ける人たちを通せる道を探す!」


 リネアは右眼の解析範囲を広げた。瞬く間に無数の赤い亀裂が視界を埋める。

 安全に見える階段も、その下の基礎が折れている。外周通路は途中で崩れ、行き止まりになっている。

 青白い安全を示す線が、どこにも繋がらない。


「ない……」


 焦りで呼吸が浅くなる。いや、見落としているはずだ。必ず、まだ使える場所がある。

 壊れた機械を修理する時と同じで、すべてを元どおりにする必要はない。いま必要な機能だけを残し、そこへ繋がる経路を見つければいい。


 リネアは崩落する部分ではなく、最後まで残る部分を探した。北側のアーチ。装飾用に見えた石造りの大梁が、外周壁の補強骨格と一体化している。

 その下まで辿り着ければ、崩落の直撃を避けられる。進路を塞ぐように傾いた床板が一枚あるが、ルクスが支える荷重をわずかにずらせば、通れるだけの隙間ができる。


「ルクス、盾の右側を少し下げて! 左前脚を半歩だけ内側へ!」


『指示を受領』


 可変盾が軋みながら傾くと、支えていた石床の片側が沈み、反対側に人一人が通れる隙間が開いた。


「ネメシス、北のアーチまで誘導して! そこから中央通路へ下りられる!」


「了解しました、直ちに」


 ネメシスが白棒を高く掲げる。


「私の後方から離れないでください。走行速度を、最も遅い者へ合わせます」


 白い義体が先頭に立ち、棒で落ちかけた石材を弾き、機械尻尾で傾いた足場を支える。観客たちが一列になり、その背中を追った。

 二本目の梁が折れると、ルクスの巨体が微かに沈んだ。


『支持可能時間、残り二十秒』


「急いで! でも押さないで!」


 リネアは慌ただしく観客の人数を数える。最後尾には、脚を負傷した老いた獣人が残っていた。

 並び立つ若い戦士が肩を貸しているが、速度が上がらない。それを見たネメシスが引き返そうとする。


「私が移送します」


「駄目、次の転移は戻れなくなるかもしれない!」


「救命を優先します」


「だったら二人だけじゃなくて、最後に全員で戻れる方法を模索して!」


 ネメシスの黄緑色の双眸が、遠くにいるリネアへ向いた。一瞬の演算。


「提案を受諾します」


 彼女は老いた獣人を抱き上げ、若い戦士とともに最後の隙間を越えた。それと同時に三本目の梁へ、亀裂が走る。


『残り五秒』


 ネメシスを中心に黄緑色の輪が広がり、アーチの下へ残っていた全員を包み込む。


「転移します」


 白い光が淡く弾け、人影が消える。次の瞬間、四十人近い観客とネメシスが、中央の安全区画へ現れた。

 装甲の発光が弱まり、彼女は片膝をついた。猫耳型デバイスが低く伏せる。


『上層区画、生体反応なし』


 ルクスが最終確認の後に告げる。


「もう誰もいない! ルクス、離れて!」


『了解』


 可変盾を支えていた左腕が勢いよく畳まれ、ルクスは四脚で石床を蹴った。

 巨体が崩落範囲から飛び出した直後、三本目の梁が折れた。上層観客席が、ルクスのいた場所へ崩れ落ちる。

 石材と土煙が闘技場の半分を呑み込み、腹の底まで揺さぶる轟音が響いた。


 リネアは反射的に両腕で顔を庇う。そして崩落が収まりかけた土煙の向こうへ、義眼を凝らす。


「ルクス!」


 返事より先に、碧い光が見えた。黒い四脚が煙を突き破り、中央区画へ駆けてくる。

 可変盾の装甲板は大きく歪み、接合部からは白煙が上がっていた。それでも四本の脚は、すべて動いている。


『救命対象の全員救出を確認』


 ルクスはリネアの前で、じっと停止した。


『当機は継戦可能です』


「もう試合は終わってるよ!」


 思わず怒鳴るようになりながら、リネアは黒い腕へしがみついた。


「……無事でよかった」


 少し離れた場所では、転移を終えたネメシスが立ち上がっている。救助された老獣人が、その白い手を両手で握っていた。


「ありがとう。本当に、ありがとう……」


「謝意を受領します」


 いつもどおりの感情に乏しい平坦な返事。しかしながら、伏せていた猫耳型デバイスがゆっくりと起き上がる。


「あなた方の生命が維持されたことを、好ましく感じます」



 ▲▽▲―――▲▽▲



 地震の始まりから、どれほどの時間が経ったのか。

 長かったようにも、ほんの短時間だったようにも思えた。

 やがて大地の揺れは収まり、闘技場には負傷者の治療を行う声と、行方の分からない者を呼ぶ声だけが残った。


 アールの指示で、ルクスとネメシスは崩落区画を再走査している。

 瓦礫の下に残された生体反応は今のところはない。


 重傷者が複数おり、軽傷者に関してはその数さえすぐには把握できない。

 それでも、この闘技場で地震によって失われた命は一つもなかった。


 その報告が拡声魔術を通じて告げられた時、誰もすぐには声を上げなかった。

 安堵する力さえ残っていないような、深い静寂が広がる。その中で、一人の観客が呟いた。


「……レックレス」


 決して大声ではないが、静まり返った闘技場では、その声が遠くまで届く。


「《レックレス》が、助けてくれた」


 別の声が続く。


「黒い機体が、観客席を支えてた」


「白い人が、うちの子を運んでくれたんだ」


「あの人族の娘が、崩れない道を見つけた」


「小さい銀髪の指示がなけりゃ、出口で潰し合ってたぞ」


 一つずつだった声が、重なっていく。


「レックレス!」

「レックレス!」


 それは決勝戦で上がっていた熱狂とは違った。勝者を讃えるためでも、強者へ憧れるためでもない。

 自分たちの命を守った者へ、その名を知っていると伝えるための声だ。


 ルクスの碧い単眼が、観客席を巡る。

 ネメシスの黄緑色の双眸も、一人一人の顔を記録するように動いた。

 リネアは二人の間に立ち、その声を聞いていた。


 今日の朝には、誰も知らなかった名前。アールが偽装のために与えた、向こう見ずどもの名。

 決勝戦に勝者は生まれなかったが、勝敗より先に選んだものによって、その名は一時の喝采では終わらない勇名へ変わっていた。



 ▲▽▲―――▲▽▲



 応急救護と人数確認が警備隊へ引き継がれた頃、リネアは崩れた来賓席の近くでアールを見つけた。

 銀色のツインテールを風に揺らし、北の空を見つめている。その足元には、落として砕けた果実水の器があった。


「アール」


 呼びかけても、すぐには振り返らない。


「さっき、最高のタイミングって言ったよね」


「確かに言った覚えがあるな」


「これが起きることを、知ってたの?」


 ようやく、橙色の機械眼がリネアへ向く。


「地震の正確な発生時刻も場所も特定できなかった。いくつかの起動徴候から、今日を含む数日以内に起こり得ると推定していただけさ」


「起動……?」


「念のため明言しておこう。これは私が引き起こしたものではない。私にできたのは、起こり得る時期を読むことだけだ」


「だったら、どうして先に教えてくれなかったの?」


「確証のない予測で、大会を中止させられるほど、現在の私には公的な信用がないのでね」


 それは悪びれない答えだったが、その声からいつもの軽さは消えている。


「大会は私たちが参加しなくとも開かれていた。ならば、救助に適した戦力を一か所へ集め、互いの力量を把握させておく方が生存率は高くなる」


 リネアはそこで言葉を失った。結果だけを見れば、アールの判断は正しかったことになる。

 ルクスとネメシスがいなければ、あの観客席の崩落は間違いなく大勢の命を呑み込んでいた。

 自分たちが大会へ参加したことさえ、彼女の目的へ至るための手順だったのかもしれない。

 大会の開催が救助戦力を集め、《レックレス》の名を広める機会になることも、アールは最初から計算に入れていたのだろう。


「……《レックレス》の宣伝にもなるから?」


「否定はしないよ」


 アールは薄く笑った。


「一つの出来事から複数の成果を得る。それが優れた計画というものだ」


「でも、そこにいた人たちは計画の部品じゃない」


「そうだね」


 あっさり認めた答えに、リネアはかえって眉を寄せた。


「もし、誰かが助からなかったら?」


「結果を理由に、私の判断を正当化するつもりはない。予測を伏せ、君たちを危険の只中へ置いた。その責任は私にある」


 橙色の瞳は、リネアから逸らされなかった。


「ただし、私は確証のない情報を確定事項のように告げて、人々を混乱へ追い込むことも選ばなかった。どちらを選んでも危険はあった。最善だったと言い張る気はないが、あの時点で生存率を上げるために私が選べた手は、あ

 れだっただけだ」


 リネアには、すぐに返す言葉が見つからなかった。


「本当に、そういうところだよ」


「褒め言葉として受け取っておこう」


「褒めてないって」


 言い返してから、リネアも北の空を見た。雲一つない空。

 目に見える範囲には、地震を起こしたものなど何もない。


「それで、今のは結局何だったの?」


 アールの笑みが消え、珍しく真顔になる。


「ただの地震ではないと、もう分かっているようだね」


 橙色の菱形紋様が、遥か遠くを見通すように細められる。


「あれは足音だよ」


 リネアの隣へ、ルクスとネメシスが並ぶ。黒と白の機体もまた、アールが見据える方角へ視線を向けた。


「何の足音なの?」


 アールはもったいぶらずに真実を答えた。


「《到達不能点》を守り続けてきた、古い古い番人さ」


 崩れた闘技場の足元で、ごく微かな振動が再び生まれる。今度は誰も気づかないほど小さい。

 それでも四人には、確かに感じ取ることができた。


「戦略級巨大移動要塞――《大地の審判》」


 無数の名前を持つ少女は、長い眠りから目覚めた存在の名を告げる。


「あの唐変木が、ようやく最初の一歩を踏み出したのさ」



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