第76話 白き影は、黎明を追い越す
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東側で黒き盾が猛攻を受け切っていた頃。
西側の闘技台では、白銀の長棒が巨大な盾を打ち続けていた。
ネメシスの非殺傷棒術、《チェリッシュライフ》が、白い残像を描く。
上段、下段、中央。
一呼吸のうちに放たれた三連撃を、シドリグは大盾の角度を変えるだけで受け止めている。
金属音が一つに重なり、火花が盾の表面を駆ける。
ネメシスは優位に立てる間合いを外さない。
棒の中ほどを滑らせるように持ち替え、盾の縁へ連続して突きを放つ。右から回り込むと見せかけ、低く身を沈めて左脚を狙う。
その切り替えにも、シドリグは遅れなかった。
「そこだ!」
踏み込むより先に大盾が動き、ネメシスの進路を塞ぐ。
長棒の先端は、狙っていた場所ではなく分厚い鋼板へ吸い込まれた。
「攻撃軌道を予測されましたね」
「盾持ちは、ただ後ろで縮こまっているわけじゃない」
シドリグは盾の向こうで笑う。
「肩が先に沈めば下段。握りが半寸内へ入れば突き。お前さんの棒は速いが、身体の運びは嘘をつかん」
ネメシスが返答するより早く、大盾が横へずれた。その陰から、巨大なバトルメイスが振り抜かれる。
ネメシスは白銀の長棒を両手で横たえ、打撃を受けた。轟音とともに、白い義体が石床を滑る。
長い機械尻尾が背後へ伸び、先端を床へ噛ませる。十歩近く押し戻されたところで、ネメシスはようやく停止した。
棒を握る両腕の装甲が、細かく震えている。
「いまの防御にも癖が出たな」
シドリグは追撃せず、大盾とバトルメイスを構え直した。
「相手の骨を折らんよう、受け流せるぎりぎりまで待つ。ずいぶん優しい戦い方だが、その一拍は戦場じゃ命取りだ」
「有益な指摘を受領しました」
ネメシスの黄緑色の双眸が細くなる。
「戦闘様式を更新します」
再び白い影が踏み込んだが、速度を上げても結果は変わらない。
シドリグは肩の傾き、腰の回転、踏み込みの深さから、長棒が届く位置を見抜いている。大盾の中心で受ける必要さえない。縁へ当て、表面を滑らせ、ネメシスの攻撃をことごとく外側へ導いていく。
そしてそのたびに、盾の陰からバトルメイスが迫った。
脇腹を狙う横薙ぎを棒で流す。頭上へ落ちる打撃を、横へ跳んで避ける。石床が砕け、舞い上がった破片が白い装甲を打った。
攻防を重ねるほど、シドリグの反撃は鋭くなっていく。
ネメシスが相手を傷つけないために避ける急所。連撃の終わりに生じる、わずかな静止。
ほんの短い時間で、彼はそのすべてを読み取りつつあった。
「……強い」
リネアが思わずといった様子で呟く。
「あれだけ大きな盾なのに、ネメシスの方が動かされてる」
「シドリグにとって、盾は壁ではなくもう一つの目なのだよ」
アールは愉快そうに目を細める。
「相手がどこを叩き、どこを避けるか。受けながら見て、覚え、次の手を潰す。優勝候補筆頭は伊達ではないさ」
また一つ、長棒が大盾に弾かれる。しかしその直後、ネメシスの長い機械尻尾が、床すれすれを走った。
これまで一度も対戦相手へ向けられなかった尻尾先端の刺突刃が、大盾の外側を大きく素早く迂回する。
狙いはシドリグの身体ではなく、盾の裏側。
左腕を固定している保持具へ、刺突刃の先端が正確に叩き込まれ、甲高い破砕音が響く。
「何っ?」
シドリグの左腕から、巨大な盾が外れた。
片方の保持具を失った重量物が傾き、石床へ落下する。地響きとともに砂埃が舞い上がり、闘技台の一角へ深い亀裂が走った。
一拍遅れて観客席がどよめく。
ネメシスは尾を引き戻し、刺突刃を再び自らの背後へ下げた。
その刃は人体には触れていない。破壊したのは、盾の持ち手一つだけだ。
登録試験で使用する意思はないと告げた刺突刃を、ネメシスは誰かを傷つけるためではなく、戦いを終わらせる選択肢を増やすために用いた。
刃を寝かせ、機構だけを正確に破壊する。それもまた、命を奪わないという彼女の戦闘様式の体現だった。
「姑息な真似をするものだな」
盾を失ったシドリグが、低く唸る。その顔に焦りはない。
「まあいい。これで動きやすくなった」
長大なバトルメイスを、今度は両手で握る。
右脚を半歩引き、腰を落とす。打撃部をわずかに前へ出した中段の構えには、重い武器を持つ者にありがちな無駄な力みが一切ない。
盾を失ったはずのシドリグから、先ほどまで以上の圧力が放たれた。
一瞬の静寂。
それを破ったのは、観客たちの歓声だ。
「出たぞ!」
「シドリグの必勝の構えだ!」
「《黎明の剛撃》! 叩き潰せ!」
白熊氏族の旗が激しく振られ、足踏みが闘技場全体を揺らす。
「盾を落としたのに、喜んでる……?」
「むしろ、ここからが本領だからね」
アールは空になった器を脇へ置き、初めてわずかに身を乗り出した。
「大盾を持ったシドリグは、負けないための戦士だ。だが、あの構えを取った彼は――勝つための戦士になる」
シドリグが踏み込む。先ほどまで大盾へ預けていた力のすべてが、前進へ変わった。
横薙ぎのバトルメイスを、ネメシスは後方へ跳んでかわす。打撃部は届かなかった。それでも、振り抜かれた圧力だけで白い義体の外装が軋んだ。返しの一撃が下段から跳ね上がる。
《チェリッシュライフ》を掲げる白銀の長棒とバトルメイスの柄が衝突した。
今度はネメシスも押し切られない。尾を床へ立て、三点で身体を支えながら、長棒の表面で打撃を滑らせる。
メイスが頭上を抜けた瞬間、黄緑色の瞳が鋭く輝いた。
「反撃に移行します」
白銀の長棒が、構えとともに視界から消えたように錯覚する。
そこから放たれたのは一撃ではない。突き、引き、持ち替え、もう一度突く。
目で追えないほどの連続突きが、シドリグの全身へ降り注ぐ。
彼はバトルメイスの柄と打撃部を使い、長棒を迎え撃った。甲高い金属音が絶え間なく続き、二人の間で火花が嵐のように散る。
三撃を弾き、四撃目を肩鎧で受け、五撃目を柄で逸らした直後、その死角から六撃目が胸甲へ届いた。
凄まじい衝撃とともに、分厚い胸甲へ亀裂が走る。
さらに籠手、肩部の鎧、脇腹を覆う装甲板へと攻撃が殺到する。
ネメシスは肉体を狙わない。鎧の留め具と、魔力補強がもっとも薄くなる箇所だけを正確に穿っていく。
その結果、一打ごとに鋼が砕け、破片が石床へ散った。
「ぬうっ!」
シドリグが雄叫びとともにメイスを振るう。ネメシスは紙一重で身を退き、反対側の肩当てを打ち抜いた。
大型獣人用の重鎧が、一枚ずつ剥がされていく。シドリグの肉体に深い傷はない。それでも防具を失った状態で、岩をも穿つ棒術を受け続けることはできない。
このままでは、次に胸元へ長棒が届いた時点で勝敗が決まる。
それを誰より理解していたのは、シドリグ自身だった。
「見事だ!」
彼は後退するのではなく、前へ出た。
籠手の残骸を弾き飛ばし、ネメシスの一突きをバトルメイスの柄で受け止める。軋む長棒を力任せに押し返し、強引に間合いを作った。
炎のように赤い魔力が、メイスの片側へ灯る。同時に、反対側を白青の冷気が覆った。
相反する二つの魔力が鋼鉄の打撃部で渦を巻き、触れ合う境界から稲妻に似た光が弾ける。
それが何を意味するのか知る観客たちが、一斉に立ち上がった。
「我、戦場に黎明をもたらす者なり!」
シドリグの雄々しい咆哮が、あらゆる歓声を呑み込む。長大なバトルメイスが、両腕で大上段へ掲げられた。
「【氷結爆炎撃】!」
巨躯の全身の力を乗せた一撃が、闘技台へ振り下ろされる。赤と白青の魔力が同時に炸裂し、爆炎が視界を焼く。
直後、吹き荒れた氷雪が熱を閉じ込め、砕けた石片ごと周囲を凍りつかせる。再び炎が氷を内側から破裂させ、熱風と冷気が幾重にも闘技台を蹂躙した。
来賓席まで衝撃風が届き、リネアは思わず腕で顔を庇う。
「ネメシス!」
やがて炎と氷雪が収まると、打撃の中心は深く陥没して半分が凍結し、もう半分が赤熱していた。
だが、そこに白い装甲義体の姿はなく、闘技台のどこにも見当たらなかった。
「消えた……?」
観客たちが息を呑む。シドリグもまた、メイスを振り下ろした姿勢のまま、正面にいるはずの相手を探している。
「違うね。転移したわけでもない」
アールが冷静に告げる。ネメシスの猫耳型デバイスは、二属性の魔力が収束を始めた瞬間から、わずかな発動のずれを拾っていた。
シドリグが技名を叫び、誰もが掲げられたメイスへ目を奪われた一拍。彼女はすでに、振り下ろされる軌道の内側へ踏み込んでいたのだ。
爆炎と氷雪が姿を隠したのではない。それらが荒れ狂うより先に、見る者すべての意識から抜け落ちていた。
白き影は、黎明の一撃が戦場を照らすよりも早くその光の外へ抜けて、シドリグの背後へ。
巨躯から長く伸びる影の中に、白い人影が同居している。黄緑色の双眸が、静かに輝く。
「後ろだ――!」
とある観客の声に、シドリグが振り返ろうとしたその時、非殺傷棒術、《チェリッシュライフ》が、その左膝の裏へ叩き込まれた。
巨体が片膝を突き、バトルメイスを持ち上げるより早く、白銀の長棒が鎧を失った喉元へ差し込まれた。長棒は急所に触れる寸前で、止まる。
「戦闘続行の意思を確認します」
シドリグは暫し動かなかった。背後に立つネメシスと、喉元へ添えられた長棒を順に見つめる。
そうしてやがて、太い息を吐いた。
「……参った。今回は俺の負けだ」
闘技場が、静まり返る。不敗の大盾を破られた時よりも。必勝の構えから鎧を剥がされた時よりも。
優勝候補筆頭が、自ら敗北を認めたその瞬間こそ、誰もが声を失っていた。
ネメシスが《チェリッシュライフ》を解いて引く。
「降参を受領しました」
その次の瞬間、静寂が破裂した。
地響きのような歓声が、西側の闘技台へ押し寄せる。
「勝者――《レックレス》、ネメシス!」
シドリグは差し出された白い手を取り、立ち上がった。
「最後に背後へ回ったのは、いつだ?」
「あなたがバトルメイスを大上段へ移行させた時点です」
「俺が振り下ろす前から動いていた、か」
「はい、魔導戦技の発動後の回避は不可能であると判断しました」
「まったく、とんでもない新人だ」
シドリグは豪快に笑い、ネメシスの肩を大きな手で一度叩いた。
「だが、次は同じ手を食わん。決勝が終わったら、再戦を申し込ませてもらうぞ」
「再戦要請を受領しました」
ネメシスの猫耳型デバイスが、どこか誇らしげに立つ。
「次回は、より有効な戦闘様式を構築します」
「そこは少しくらい手加減すると言っておけ!」
二人のやり取りに笑いが起こり、それはすぐに新たな拍手へ変わった。
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二つの準決勝の闘技台で、《レックレス》の名が続けて読み上げられた。
朝には誰も知らなかった名前を、今や数千人の観客が声を揃えて叫んでいる。
「レックレス!」
「レックレス!」
「黒い方も白い方も、決勝進出だ!」
最後の一言を叫んだ観客が、途中で何かに気づいたように声を止める。その周囲にも、同じ理解が波紋のように広がっていく。
決勝へ進んだのは、黒い四脚の機械兵。そして、白い全身装甲義体。二人とも、同じ冒険者パーティの構成員だった。
東西を分けていた仮設障壁が、魔術師たちの手で取り払われていく。二つだった闘技台が、決勝のための一つの大舞台へ戻っていった。
退場口の前で、ルクスが足を止める。反対側では、ネメシスが白銀の長棒を携えたまま振り返った。
距離を隔てて、碧い単眼と黄緑色の瞳が交わる。先ほどまで別々の強敵へ向けられていた視線が、今度は互いを捉えていた。
「……この二人、本当に戦わせるの?」
リネアが心配そうに尋ねる。
「無論だとも」
アールは満足げに背もたれへ身を預けた。
「ルクスは、攻撃を受けるほど相手を学び、盤石になっていく。ネメシスは、相手が築いた盤石の守りを観察し、その前提から解体する」
「どっちが勝つと思う?」
「それを知るための決勝戦だろう?」
アールの橙色の瞳が、愉悦に細められる。
「それに、同じパーティの二人が大会を勝ち上がり、決勝の舞台を独占する。宣伝の仕上げとして、これ以上の筋書きはないじゃないか」
「やっぱり最後まで宣伝なんだ……」
リネアの呆れ声を、決勝戦の組み合わせを告げる軍鼓が呑み込んだ。
進行役が闘技場の中央へ立ち、拡声魔術を通した声を張り上げる。
「本大会、決勝戦東サイドは――冒険者パーティ《レックレス》から、ルクス!」
東側から大きな歓声が上がる。
「対する西サイドは――同じく《レックレス》から、ネメシス!」
西側の惜しみない声援が、それへ正面からぶつかった。
黒き盾と、白き影。
次に彼らが越えるべき相手は、同じ名を背負う仲間だった。




