第74話 その名を、勇名へ
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三日後に始まる公開トーナメントの参加受付は、その日の夕刻で締め切られるところだった。
運よく直前の棄権者が出たことで、空いている出場枠は二つ。アールは二人へ向き直り、念を押すように大仰に尋ねる。
「闘技大会へ出場し、《レックレス》の名を背負って戦う。その意思はあるかね?」
『参加を希望します。現状の出力制限下でも、規定内での戦闘は可能』
「私も参加を希望します。この名が、私たちの選択に相応しいものか確かめさせてください」
二人の返答を聞くと、アールは迷う素振りすら見せず、申込書へそれぞれの名を記した。
「私は?」
「リネアくんも出たいのかね?」
「そういうわけじゃないけど、一応聞いただけ」
「修理師兼狙撃手である君の強みを、限られた広さの闘技台で見せる必要はない。君の狙撃を見世物にするには、あの舞台は狭すぎる。それに切り札は安売りしない方がいい」
珍しく筋の通った説明に、リネアは納得しつつ口を閉じた。
「ところでアールが出ないのは?」
「私はコマンダーなのでね」
「急に説明が雑になったね」
ルクスとネメシスの二人へ試合規則の確認を任せたあと、アールはどこかへ姿を消した。
その後闘技大会までの三日間、彼女が何をしていたのか、リネアは詳しく知らない。
リネア自身は、そのほとんどの時間をルクスの再点検へ費やした。大森林で受けた損傷のうち、外装と駆動系の応急修理は終えたが、深部機構には交換できていない部品が残っている。
そのため《フィジカルブースト》と攻撃用内蔵武装は引き続き使用禁止。通常駆動にも厳しい出力上限を設定し、少しでも異常が出れば棄権することを、ルクス本人とアールへ約束させた。
大会当日の朝には、アルヴェナの大通りで配られる対戦表へ《レックレス》の名が妙に目立つ字体で印刷されていた。
そして今、リネアは闘技場の最上層に設けられた来賓席の一角で、眼下を埋め尽くす観客を見下ろしている。
「……どうして私たち、こんな上等な席にいるの?」
「コマンダーには戦場全体を見渡せる場所が必要なのだよ」
隣では、アールが冷やした果実水ルーシャを片手に、実にくつろいだ様子で背もたれへ身を預けていた。
「具体的に何をしたの?」
「少々の広報活動と、二、三通の手紙をしかるべきところにね」
「誰に送ったの?」
「知れば君も共犯になるぞ」
「じゃあ聞かないでおく」
「賢明な判断だ、構成員一号」
リネアが軽く睨んでも、アールは涼しい顔で果実水を飲むばかりだ。
やがて、腹の底まで震わせる軍鼓が鳴り響いた。巨大な円形闘技場を埋めた観客が、一斉に沸き上がる。
石造りの観客席には氏族ごとの旗がひるがえり、出場者の名を叫ぶ声と、勝敗を巡る議論と、飲食物を売り歩く商人の声が幾重にも重なる。
上層の特別席には各地の有力氏族や戦士団の関係者が並び、闘技台へ鋭い視線を注いでいた。
ここでの勝利は、賞金だけを意味しない。
強さを尊ぶ獣盟国では、闘技場で認められた戦士が有力氏族から声を掛けられ、より大きな舞台へ進むことも珍しくない。
娯楽であり、名誉であり、未来を掴むための選別の場。それが、アルヴェナの闘技大会だ。
勝敗は場外、降参、または審判による戦闘続行不能の判定で決まる。故意に相手の命を奪う攻撃と、申告していない武装の使用は即時失格。
闘技台の周囲には、流れ弾や衝撃から観客を守る防護結界も張られていた。
予選と序盤戦では、広大な闘技場の床が四つの闘技台へ分けられる。ルクスがその上へ姿を現した時、観客の声には歓声よりも困惑が勝っていた。
三日間の整備で目立つ損傷痕を補修された黒い重装甲。人型の上半身を支える四本の脚。兜の奥で灯る、碧い単眼。
獣人の国であっても、これほど異質な姿を持つ出場者はいない。
ルクスの初戦の相手は、長柄の戦斧を担いだ虎獣人だった。開始の合図とともに、虎獣人が地面を蹴る。
裂帛の気合とともに振り下ろされた戦斧を、ルクスは回避しなかった。左腕を上げ、可変盾を最小限だけ展開する。
激突音が闘技場へ響き渡ると、振り下ろされた斧刃が二枚の装甲板の間へ噛み込み、ぴたりと止まってしまう。
虎獣人の腕が隆起し、石床を踏み砕かんばかりに力を込める。それでも、戦斧はもう一寸たりとも動かない。
『武器保持を継続した場合、あなたの右肩関節を損傷する可能性があります。手を放すことを推奨します』
「誰が、放すかよっ!」
『了解しました』
ルクスは可変盾ごと戦斧を引き、虎獣人の巨体が軽々と前へ泳ぐ。
その腹部を盾面で受け止め、勢いを殺さぬまま身体を反転。四脚による安定した重心移動だけで相手を持ち上げると、闘技台の外へそっと下ろす。
虎獣人は戦斧を握ったまま、場外の地面へ立っている。そのあまりにも鮮やかな決着に、一瞬だけ会場が静まり返ったが、次の瞬間、爆発したような歓声が上がる。
ルクスは《フィジカルブースト》も、攻撃用内蔵武装も、他の特殊技能も、高出力機動も使用していない。
ただ相手の力を読み、受け止め、最小限の動きで場外へ運んだだけだ。
「ルクス、ずいぶん丁寧に動いたね」
「観客受けまで計算しているのかもしれないな」
「そんな機能、誰が教えたの?」
「リネア君では?」
「いやいや、教えてないよ」
二回戦では、大槌を持つ大柄な猪獣人の懐へ潜り込み、振り下ろされる柄へ肩を当てて体勢を崩した。
三回戦では、素早く動き回る山猫獣人の足運びを数手で見切り、退路を一本ずつ塞いで降参へ追い込んだ。
リネアの膝上では、携帯診断盤がルクスの出力と各関節の温度を映し続けている。数値はいずれも制限範囲内。
ルクスは約束を守ったまま、出力ではなく技量だけで勝ち進んでいた。
力だけではなく、四脚の身体を完全に制御する技量と、無数の戦闘を経て蓄積された経験。そのどちらもが、獣盟国の観客たちを唸らせている。
一方、ネメシスの登場は、最初から大きなどよめきを呼んだ。
白い全身装甲義体に黒いタクティカルマスク。猫耳型聴覚デバイスと、刺突刃を備えた長い機械尻尾。黄緑色の光を双眸と装甲の隙間から零す姿は、美しくも不穏である。
彼女が構えたのは白銀の長棒ただ一振り。
尾の刺突刃へ目を奪われていた初戦の相手は、開始直後に武器を失った。
二戦目、踏み込んできた狼獣人の片手剣を棒で巻き取り、手首へ負担を掛けることなく跳ね上げる。返す一撃で足を払い、倒れる背中を長棒で受け止める。
対戦相手を床へ叩きつけることさえしない。ネメシスは狼獣人を静かに横たえると、その喉元へ棒の先端を添えた。
「戦闘続行は推奨できません」
「……参った」
勝利が宣告され、ネメシスは棒を引くと、倒した相手へ手を差し出した。
狼獣人は呆気に取られながらもその手を取り、起き上がる。しばらくネメシスを見つめたあと、悔しげでありながら晴れやかな笑みを浮かべ、その拳を白い肩部装甲へ軽く当てた。
「強いな、あんた」
「感謝します。あなたの踏み込みも、優れたものでした」
そのやり取りに、観客席から再び歓声が上がる。三回戦も、四回戦も同様に推移していく。
武器を砕かず、骨を折らず、相手の誇りを踏みにじらない。
刺突刃を備えた尾を一度も攻撃へ使わず、非殺傷棒術、《チェリッシュライフ》だけで攻撃を受け流し、武器を奪い、傷一つ残さず勝負を終わらせる。
ネメシスが迅速に勝ち上がるほどに、その戦い方を支持する声が増えていった。
「またあの新人が勝ったぞ!」
「白い方も、黒い四脚も《レックレス》だ!」
「何なんだ、あのパーティは!」
朝には対戦表の片隅にあっただけの名前が、昼を過ぎる頃には闘技場の至る所で語られていた。
上層席では、氏族の斥候たちが二人の戦いを記録している。敗れた選手は控室へ戻る途中、次は稽古をつけてほしいとネメシスへ熱烈に声を掛けていた。
ルクスの機体構造を遠巻きに観察していた鍛冶師たちは、あの四脚を誰が整備しているのかと話し合っていた。
アールの仕込みに過ぎなかった名前が、二人の実力によって着実に本物の評判へ変わり始めている。
「……これが狙いだったんだね」
「戦って勝つだけでは足りない。どんな勝ち方をしたか、誰の記憶へ残ったか。勇名とは、その積み重ねで形になるものだよ」
「珍しくコマンダーらしいことを言ったような」
「珍しくは余計だぞ、構成員一号」
午後、闘技台は二つ区切りへ絞られ、フィールドが広がる。
次の試合を告げるドラが打ち鳴らされ、ルクスが東側の闘技台へ進む。
向かいの入場門から現れた巨体を見て、観客席の一角が大きく沸いた。
闘牛獣人。
湾曲した二本の角と、分厚い胸板。だが、その装備は種族特性から連想される重装備とはまるで違う。
身体の動きを妨げない軽装鎧。左右の手に握られているのは、ほぼ同じ長さの片手剣が二振り。
それは巨体と膂力で正面から押し潰すのではなく、速度と手数で敵を追い詰めるための装備だった。
闘牛獣人は二本の剣を軽く打ち合わせ、よく通る声で名乗りを上げる。
「《猛撃の大剣》ガロムが弟、戦士バラック! 兄の勇名に恥じない戦いを誓おう!」
「ガロムさんの弟……」
リネアは思わず身を乗り出した。
《ビーストフロンティア》で戦う、寡黙なプラチナ級冒険者。その弟でありながら、兄とは正反対の戦い方を選んだ男。
バラックは名乗りを終えた直後、二本の剣を軽快に回してみせる。
刃が風を切り、銀色の輪を描いていく様は流麗で、大柄な身体からは想像できないほど速い。
『名乗りを受領しました』
ルクスの碧い単眼が、細く輝く。
『冒険者パーティ《レックレス》のルクス。戦士の誓いに相応する応戦を行います』
東の闘技台で歓声が高まるのと、ほぼ同時。
西側では、地響きのような声援が湧き起こり、先ほどまでとは明らかに熱量が違う。
氏族の旗が一斉に振られ、観客たちが一人の戦士の名を繰り返し叫んでいる。その中心を、ある白熊獣人が進んでいた。
ネメシスの白い装甲義体さえ小さく見えるほどの巨躯。左腕には全身を覆い隠せる大盾を構え、右手には鋼鉄を惜しみなく使った巨大なバトルメイスを提げている。
盾であらゆる攻撃を受け止め、ひとたび間合いへ捉えれば、あの棍棒で防具ごと打ち砕く。防御と打撃力を、極限まで突き詰めた重戦士。
「……あの人だけ、歓声が全然違う」
「当然だとも」
アールは、今になって咳払いしつつ説明を始めた。
「彼は国内でもっとも古い歴史を持つ獣王戦士団の一員、《黎明の剛撃》シドリグ。サレオスが不在の今、戦士団の留守を任されている実力者だ。そして、今大会の優勝候補筆頭でもある。あの盾で動きが鈍いと思わない方がいい。必要とあれば大盾を捨て、バトルメイス一本で機動力と攻撃力を引き上げる戦術もとる」
「どうしてそれを先に言わなかったの?」
「今言ったじゃないか」
「もう遅いよ!」
リネアの声は、さらなる歓声に呑まれた。シドリグが大盾を石床へ突き立てる。
轟音とともに細かな亀裂が走り、観客たちが熱狂した。彼はバトルメイスを肩へ担ぎ、盾の向こうからネメシスを見据える。
「獣王戦士団、《黎明の剛撃》シドリグ! サレオスの留守は俺に任されている。優勝したければ越えて見せろ」
その名乗りを、ネメシスは微動だにせず受け止めた。
黄緑色の瞳が瞬き、猫耳型聴覚デバイスがシドリグへ向く。長い機械尻尾は低く伸び、先端の刺突刃を使わないまま、姿勢を支えるように床の上で静止する。
すっ、と静かに白銀の長棒が正眼へ上がる。
「冒険者パーティ《レックレス》のネメシス。承知しました。全力をもって、あなたを越えさせていただきます」
バラックの二本の剣が、鋭い金属音とともに交差し、シドリグのバトルメイスが、大盾の表面を打ち鳴らした。
黒い四脚の碧眼と、白い装甲義体の黄緑眼が、それぞれの強敵を捉える。
「さあ、ここからが本当の宣伝だよ、レックレス構成員の諸君!」
アールの声には、隠しようのない愉悦が滲んでいる。
偽装のために与えられた、向こう見ずどもの名。
それが一時の喝采で終わるのか、本物の勇名へ変わるのか。
試される戦いは、ここから始まる。




