第73話 向こう見ずどもの名乗り
翌朝、アルヴェナの冒険者ギルドで、もっとも場違いな格好をしていたのはネメシスだった。
白いロングドレスに、リボンの付いたつば広帽子。窓から射し込む陽光を受けて佇む姿は、どう見ても依頼を探しに来た冒険者ではなく、都市観光を楽しむどこかの令嬢だ。
そして、その隣で突拍子もないことを言い出したのはアールだった。
「では、まずネメシスの冒険者登録を済ませよう」
「まず、って……そんな予定、昨日までなかったよね?」
「昨日までは必要なかったからね。だが、事情が変わった。今後の我々には、誰に見られても困らない表向きの身分が必要だ」
アールは何でもないことのように言う。
昨夜、彼女の口から語られたあまりにも巨大な真実は、まだリネアの胸の底へ重く沈んでいた。
情報屋アール。星紋創始者フォモス。アーキテクト第一席次ジェネシス。
無数の名を持つ彼女が、ただ一つ、《神の庭》へ至れる者を探し続けているということ。
到底、一晩で飲み込める話ではない。
そもそも《神の庭》とは何なのか。なぜそこまでして誰かを送り届けようとするのか。肝心な部分には、まだ答えを得られていない。
それでも朝は来て、アルヴェナの街路には観光客の声があふれ、アールは昨日と変わらない調子で次の計画を進めている。
「表向きの身分なら、私とルクスには冒険者としての実績があるけど」
「だからこそ、ネメシスにも同じ肩書があった方が都合がいい。身元の知れない白い機械兵が一人混ざっているより、新人冒険者が一人いる方が世間は安心するものさ」
「その説明で安心できる人、たぶんそんなに多くないよ」
リネアは言い返してから、ネメシスを見た。
ネメシスは帽子のつばへ指先を添え、行儀よく静かに二人の会話を聞いている。
「ネメシスは、どうしたい?」
「登録が必要であるならば、私は命令に従います」
「そうじゃなくて」
リネアは首を横に振った。
「必要だからでも、アールが言ったからでもなくて。あなたが冒険者になりたいかどうか、自分で決めていいんだよ」
わずかな沈黙が落ちる。
周囲では、朝一番の依頼を奪い合う冒険者たちが掲示板の前で声を張り上げている。受付係が書類を束ね、酒場からは焼いた肉と香草の匂いが流れてきた。
その賑やかな喧騒の中で、ネメシスだけが切り離されたように静かに動かないでいる。
「……かつての私にとって、所属とは上位命令によって定められるものでした」
やがて、彼女はゆっくりと口を開く。
「ですが、現在の私に選択権があるのであれば――私は、冒険者となることを希望します。あなた方と同じ名簿に、私自身の名を残したいと考えます」
リネアはどこか嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、登録しようか」
「はい、宜しくお願いします」
ネメシスの声調はいつもどおり平坦だったが、つば広帽子の下で細められた双眸は、どこか穏やかに見える。
「話はまとまったな」
アールが満足げに両手を打ち合わせる。
「善は急げだ。受付、登録試験、それからパーティ結成。昼までに全部終わらせるぞ、諸君」
「最後に聞き慣れない予定が混ざってたんだけど?」
「気のせいだよ、構成員一号」
「誰が構成員一号なの?」
アールは答えず、さっさと受付へ歩いていった。
▲▽▲―――▲▽▲
ネメシスの登録試験を担当することになったギルド職員は、彼女の服装を見て二度、申請書へ記された戦闘職の欄を見て一度、合計三度眉をひそめた。
「実技試験もありますが……その服装で受けるおつもりですか?」
「いいえ。これは都市観光を目的とした衣装です。能力審査に際しては、戦闘形態へ移行します」
「せ、戦闘形態?」
「更衣用の区画をお借りしてもよろしいでしょうか」
そうして案内されたネメシスが、白いドレスの裾を揺らして試験場脇の控室へ消える。
しばらくして扉が開いた時、場の空気は目に見えて変わった。現れたのは白い全身装甲義体に身を包んだ、まごうことなき戦士だったからだ。
頭部には周囲の音を拾う猫耳型聴覚デバイス。腰部から伸びた長い機械尻尾が、意思を持つ生物の尾のようにしなやかな曲線を描いている。その先端に備わるのは、装飾ではあり得ない鋭い刺突刃。
鼻から下の顔半分を覆う黒いタクティカルマスクが、白い装甲との鮮烈なコントラストを作る。装甲の継ぎ目と双眸からは黄緑色の燐光が細く零れ、歩みに合わせて明滅していた。
同じ白をまとっているにもかかわらず、先ほどまでの令嬢然とした面影はどこにもない。
陽光の下を歩くための白から、戦場を生き抜くための白へ変貌している。
見物に集まっていた冒険者たちのざわめきが、潮が引くように静まった。
「うむ。やはり《レックレス》の宣伝塔には、その姿が一番映えるな」
アールだけが、謎のパーティ名らしき単語を呟きつつ、満足げに腕を組んでいる。
「まだ登録試験も始まってないのに、宣伝の話をしないでよ」
「何事も先を見据えて動くのがコマンダーというものだ」
「そのコマンダーも初耳だからね」
最初に行われたのは、冒険者としての判断力を確かめる口頭試問だった。
魔物の追跡中に負傷した仲間を発見した場合。依頼対象が集落へ逃走した場合。限られた物資で複数の負傷者を救助する場合。
試験官が状況を読み上げるたび、ネメシスはわずかな間も置かず、必要な人員、退路、救命の優先順位、起こり得る二次被害まで答えていく。
「依頼対象の討伐は?」
「住民の避難と負傷者の生命維持を確立した後、追跡を再開します」
「その間に逃げられる可能性がある」
「討伐依頼の未達成は、後日挽回できます。失われた生命は、同じ存在として回復させることができません」
気負ってもいない即答を聞いた試験官が、手元の評価票へ無言で印を付ける。
次の筋力測定では、さらに奇妙なことが起きた。獣人の冒険者が多いアルヴェナでは、測定器具も他国のものより頑丈に作られている。
床へ固定された二本の保持具を引き上げ、加えられた力を魔導計が数値化する仕組みだった。
ネメシスが保持具を握る。直後、計器の針が跳ね上がった。半周、一周、二周。
最後には測定上限を示す赤い線へ、針先が寸分違わず重なって止まる。
「……もう一度、全力でやってくれ」
「現在の出力で、測定可能領域の上限へ到達しています」
「器具が耐えるようには作ってある」
「全力を出した場合、基部の破断および床面の損壊が予測されます」
そこで試験官は器具を見下ろし、ネメシスを見上げ、もう一度器具を見下ろした。
「……上限到達でいいものとする」
「賢明な判断だ」
「なぜあなたが誇らしげなんです?」
横から出てきたアールへ向けられた問いを、彼女は聞こえなかったふりで受け流した。
試験の最後は模擬戦だった。
ネメシスが申告した武装は、非殺傷棒術、《チェリッシュライフ》用の兵装である白銀の長棒一振りだけである。
機械尻尾の刺突刃も義体内蔵武装として申告したが、使用する意思はないと告げた。
「三人を相手にしてもらう。一本を取られるか、戦闘不能と判断された時点で終了だ」
向かいに並んだ三人の試験官はいずれも、引退後にギルドへ雇われた元冒険者だった。剣と盾、長槍、二本の短剣。それぞれが異なる間合いを持ち、実戦を知る者らしい隙のない構えを取る。
ネメシスは白銀の長棒の中ほどを握り、静かに正眼へ置いた。
「開始!」
その合図で対面の三人が同時に動く。最初に届いた長槍の穂先を、ネメシスは棒の表面で器用に滑らせた。
甲高い金属音が鳴り、軌道をわずかに逸らされた槍が彼女の脇を通り過ぎる。
踏み込んできた剣士の盾には棒の端を添え、押すのではなく、勢いの向きを変える。剣士の身体が槍使いの進路へ流れ、ぶつかって二人の足がもつれた。
その背後から三人目の短剣使いが迫るが、ネメシスは振り返らなかった。
猫耳型デバイスが鋭く角度を変え、長い機械尻尾が床すれすれを薙ぐ。先端の刃は使わず、尾の側面だけが短剣使いの足首へ触れる。
それだけで短剣使いの踏み込みが半歩ずれる。
ネメシスは半身になり、差し込まれた二本の短剣の間へ長棒を通し、手首を返す。最小の動きで短剣が二本とも宙を舞った。
棒の先端が胸当てへ触れた時には、短剣使いの身体は仰向けに倒されていく。
続いて槍使いが体勢を立て直すより早く、その膝裏を一打。崩れた肩を棒で受け止め、倒れて床へ激突する寸前に減速させる。
最後に残る剣士が吠え、盾ごと突進してくるのに対し、ネメシスは真正面から一歩だけ踏み込んだ。
盾の縁へ棒を掛け、腰を落とす。それだけで巨躯が浮いた。
剣士は盾を手放す暇もなく宙で一回転し、気づけば床へ座り込む形となる。
兜も、剣も、盾も無事なまま。その喉元には、長棒の先端が静かに突きつけられている。
「戦闘続行の意思を確認します」
「……ない。降参だ」
試験開始から、長くとも二十秒程度しか経っていなかった。
三人の試験官に怪我はない。強いて言えば、何をされたのか理解できないまま敗北した自尊心だけが、少し傷ついているようだ。
「これは満点と考えてよろしいかな?」
アールがニコニコしながら尋ねる。
審査責任者は評価票を見つめ、深く息を吐いた。
「まるで規格外だ。評価としてはな」
「では、特別にミスリル級から始めるというのは?」
「制度上、新規登録者は銅級からだ」
「お堅いねえ」
こうしてネメシスは、登録試験史上でも類を見ない評価とともに、規定どおり銅級冒険者になった。
差し出された真新しい識別証を、白い装甲の指が受け取る。そこへ刻まれた名前は、ただ一つ。
ネメシス。
それも元は、ジェネシスから与えられた大切な名だ。
今、この識別証へその名を刻むことを選んだのは、ほかの誰でもない彼女自身である。
かつて与えられた席次も、所属も、上位権限者の名も併記されていない。
彼女はしばらく無言でその文字を見つめ、やがて識別証を胸部装甲の内側へ大切そうに収めた。
▲▽▲―――▲▽▲
「さて、次はパーティ登録だ」
試験を終えたばかりの受付で、アールが新たな申請書を取り出した。
「本当にやるんだ……」
「当然だとも。個人が四人連れ立って歩くより、正式な冒険者パーティが移動している方が自然だ。それに、冒険者という肩書は国境を越え、遺跡へ入り、有力者と接触するのに実に便利でね」
「ずいぶん詳しいね」
「経験者だからさ」
アールは懐から、一枚の識別証を取り出した。
受付台へ置かれた金属板を見た瞬間、受付係の耳が思わずぴんと立つ。
深い銀色の地金。その表面に刻まれた、ミスリル級を示す紋章。
偽造防止用の魔導具へ通すと、澄んだ認証音が鳴った。
「……あなた、まだ肩書を隠してたの?」
「昨日、私の肩書を数えるのを諦めたばかりじゃないか」
「諦めたけど、増やしていいとは言ってないよ」
「遺跡の調査に他国への移動、情報収集に人脈作り。冒険者資格ほど便利なものはそうない。長く生きていれば、ミスリル級になることくらいあるさ」
「普通はないって」
アールはリネアの抗議を適当に流し、慣れた手つきで申請書を埋めていく。
代表者、アール。構成員、リネア、ルクス、ネメシス。
ルクスについて受付係が従魔登録用の欄を示した時だけ、アールはペンを止めた。
「彼は従魔ではない。独立した意思を持つ正式な構成員だ。そちらへ記載してくれ」
『アールの見解を肯定します。当機はリネアを最優先護衛対象と定めていますが、所有関係にはありません』
「……承知しました」
受付係は困惑しながらも、ルクスの名を構成員欄へ移す。
決めるべき事項で最後に残ったのは、パーティ名だった。
しかし、アールは一瞬も迷わず、空欄へ文字を書き込む。
「《レックレス》って、そこまで向こう見ずなつもりはないんだけど……」
リネアが少し尻込みすると、アールは逆に胸を張った。
「ネーミングで大切なのはノリと勢いだぞ、構成員一号!」
『構成員二号という呼称の戦術的意義を確認できません』
「構成員三号を拝命いたします」
「ネメシスまで乗らないでよ!」
「因みに私は構成員ではない。コマンダーだからね」
「申請書にはパーティリーダーと書かれていますが」
「公的な役職と、実際の指揮系統は別物なのだよ」
「同じだと思うけど、それもノリと勢いなの?」
リネアは助けを求めるようにルクスとネメシスを振り返った。
「二人は、《レックレス》でいいの?」
『異議はありません。《レックレス》を当機の所属するパーティとして登録します』
「私も受諾します。自ら選んだ同行者と共有する最初の名として、好ましく感じます」
二人にそこまで言われてしまえば、リネアだけが反対し続ける理由もない。
受付係が笑いを堪えながら登録印を押し、乾いた音が一つ鳴る。
その瞬間、成り行きと偽装から始まった四人組の冒険者パーティ《レックレス》は、正式に結成された。
ギルドを出たところで、リネアは改めてアールへ尋ねた。
「それで、この表向きのパーティをどうするつもりなの?」
「もちろん、名を売る」
「昨日の今日で?」
「昨日の今日だからだ。上等な偽装というものは、嘘で塗り固めるのではない。人前へ出しても困らない本物を一つ作り上げるものさ」
アールは往来の先を指さした。
石造りの建物が連なる街並みの向こう。都市のどこからでも見えるほど巨大な楕円形の外壁が、夏の陽射しを浴びてそびえている。
獣盟国南部闘技場。
アルヴェナの盛んな観光業を支える、最大の目玉だった。
「獣人族の社会では、肩書を並べるより、一度戦いを見せた方が話が早い。有力な氏族、戦士団、各地の冒険者。彼らとの繋がりを作るには、あそこが最短だ」
「まさか」
「そのまさかだとも」
アールは高らかに宣言した。
「《レックレス》は、闘技大会へ出場する!




