第69話 今度は、私たちが
黄緑色の残光が、夜明け前の森へ溶けていく。
ネメシスが消えた後も、誰一人としてすぐには言葉を発せなかった。
砕かれた中央制御装置から白煙が立ち昇り、火花が散っている。
地中を脈打っていた黄緑色の光は完全に消え、《生態誘導杭》の駆動音も聞こえない。
長い時をかけて完成した《獣禍連鎖》は、その起動者自身の手によって破壊されていた。
静寂の中、六つの《セーフティ・バンカー》から一斉に駆動音が響く。
『遠隔拘束解除を受理』
『収容対象の解放を開始します』
白い防護殻を固定していた環状機構が回転すると、幾重にも重なっていた装甲が花弁のように開き、その内側に囚われていた者たちが解放された。
「ルクス!」
最初に飛び出したのは、リネアだった。長時間の拘束の所為で足元がふらつく。
それでも構わず駆け出し、地に伏した黒い四脚機体の傍らへ膝をついた。
砕けた胸部装甲に歪んだ可変盾。火花を散らす右肩、動かなくなった前脚。
背部の《レーザーディスチャージャー》からは、今も薄い白煙が上がっている。
《アルゴス・レプリカ》を通して機体内部を解析すれば、視界を埋め尽くすほどの異常箇所が浮かび上がった。
主機温度、危険域。駆動系統、複数断裂。星紋安定環、損傷。兵装群、応答なし。
「もう動かないで。お願いだから、そのままでいて」
リネアが震える手を、ルクスの単眼を覆う黒い装甲へ添える。機体には、触れていられないほどの熱が残っていた。それでも手は離せない。
『《獣禍連鎖》の停止を確認』
ノイズ混じりの機械音声が返ってくる。
『拘束対象六名……全員の生命反応を確認』
「そんな報告は後でいいよ」
『リネア・ギアライトの命令……遂行完了』
返事をしようとした途端、堪えていたものが溢れた。
「うん……ちゃんと、止めてくれたね」
碧い単眼の光が、弱々しく明滅する。
自分の機体がこれほど壊れているというのに、ルクスは最後までリネアたちの無事と命令の成否を確認していた。
「ありがとう、ルクス」
リネアは単眼の装甲へ額を預ける。
「私の最高の相棒でいてくれて、ありがとう」
『最高の相棒という定義の保持に……当機はリソースを惜しみません』
「分かってる。だから、もう休んでいいよ」
リネアは涙を拭い、機体の緊急停止処理を始めた。
過熱した主機への魔力供給を遮断し、損傷した星紋安定環を予備術式で固定する。今すぐ直すのではなく、これ以上壊れない状態へ移し、必ず連れ帰るための処置だ。
「今度は私が、貴方を連れて帰るから」
『承認……しました』
碧い単眼がゆっくりと光量を落とすが、完全に消えるわけではない。
リネアの声と姿を見失わないように、小さな碧光だけを残していた。
その間に、ほかの《セーフティ・バンカー》からもザラ、シゼ、サレオス、ゼヴァン、ガロムが次々と降り立っている。
サレオスは砕けた中央制御装置へ歩み寄ると、左目の古傷を歪めて内部を覗き込んだ。
「ゼヴァン、これをどう見る?」
呼ばれた狼獣人が、地面へ膝をつく。地中へ伸びる断線した回路へ手を触れ、微かに耳を動かした。
「全系統、沈黙。待機状態ではなく、中央装置との接続そのものが消失している」
「《生態誘導杭》は?」
「全基停止。再起動反応なし」
ガロムも破壊された装置を調べ、重々しく頷いた。
「これでは、二度と動かんだろうな」
そこまで注意深く状況を確認してから、サレオスが大きく息を吐く。
「終わったぞ」
熊獣人の低い声が、森へ染み渡った。
「《獣禍連鎖》は阻止された。森の魔物が、再び人里へ追い立てられることはねえ」
ようやく全員の肩から力が抜ける。ザラが腰へ手を当て、ネメシスの消えた空間を睨む。
「最後の最後で、自分の装置をぶっ壊して逃げたか。どこまでも勝手な奴だよな」
「でも、止めてくれた」
リネアはルクスの傍らから答えた。
「ルクスの闘いを見て、ネメシスは自分で選んだんだと思う」
「だからって、あたしたちを檻に閉じ込めたことまで帳消しにはならねぇだろ」
「確かに、それは分かってる」
古の約定とは何だったのか。ネメシスが口にした《神の庭》とは、どこに存在するのか。何一つとして疑問は解決していない。
それでも、彼女が自ら《獣禍連鎖》を止めたという事実まで否定することはできないだろう。
サレオスがルクスの前へ改めて立つ。地に伏した黒い機体をしばらく見つめ、深々と頭を下げた。
「森の命を救ってくれたこと、獣人族を代表して感謝する」
そして隣に立ったガロムと目を合わせ、二人はそれぞれルクスの機体前部と後部へ手を差し入れた。
「えっ、ちょっと待って。その重量を二人で運ぶつもり?」
「ここへ来るまで、こいつを散々働かせちまったからな」
サレオスが牙を見せて笑う。
「帰り道くらいは、俺たちが働く番だ」
ガロムも無言のまま頷き、二人の足が大地を踏み締める。
筋肉が盛り上がり、倒れていたルクスの巨体がゆっくりと持ち上がった。
ゼヴァンは地面に転がっていた《クリードディフェンダー》を回収し、自らの肩へ担ぐ。
「運搬準備、完了」
「無理しないでね。本当に重いから」
「問題ない」
ガロムが短く答える。
「仲間一人を運べぬほど、軟弱ではない」
夜明けの薄明かりが差し込む森の中を、一行は《ビーストフロンティア》へ向かって歩き始めた。
リネアはルクスのすぐ横を離れない。歩きながら機体の熱を逃がし、断線した回路を仮留めし、主機の状態を何度も確認する。
黄緑色の異常光に染まっていた森が、朝日に照らされて本来の色を取り戻していく。
もうどこからも、魔物たちの狂った咆哮は聞こえなかった。
▲▽▲―――▲▽▲
一行が《ビーストフロンティア》へ帰還した時、野営地には多くの獣人たちが集まっていた。
「サレオスさんたちだ!」
「戻ってきたぞ!」
歓声が上がりかけるが、サレオスとガロムに担がれたルクスの惨状を目にした途端、誰もが息を呑んだ。
「リネアさん!」
リリベルが真っ先に駆けてくる。
勢いよく立っていた長い兎耳が、傷だらけのルクスを見て力なく垂れ下がった。
「ルクスさんが……」
「大丈夫。絶対に直すから」
リネアはそう言い切った。自分自身へ言い聞かせるためであったかもしれない。
少し遅れてやって来たナージャは、心配そうに細めていた目を一行へ巡らせる。
「全員、戻ってきたのね」
「ああ、なんとかな」
サレオスは野営地の中央へ向き直り、大声で告げる。
「《獣禍連鎖》は止まった!《生態誘導杭》も、中央制御装置も完全に沈黙した!もう森から魔物が追い立てられることはねえ!」
一瞬の静寂。それに次いで、野営地を揺るがすほどの歓声が巻き起こった。
抱き合う者。天へ向かって拳を突き上げる者。安堵のあまり、その場に座り込む者。
失われるはずだった無数の命が救われたことを、誰もが理解していた。それでもリネアには、その歓声に浸る余裕がない。
「ごめん。作業場所と、使えそうな工具を貸して」
「もちろんです!」
リリベルの耳が勢いよく持ち上がる。
「使えそうな部品も、みんなで集めます!」
「私が種類ごとに整理するわ。リリベルだけに任せると、後でどこに何があるか分からなくなるから」
「そ、そんなことないよぅ!」
「前回、違う大きさのネジを全部一つの箱に入れたでしょう」
「あれは使いやすいと思って……」
そんな二人のやり取りに、リネアの口元がわずかに緩んだ。
「ありがとう。二人とも、お願いするね」
それから数日、リネアはルクスの修理に没頭した。
焼きついた装甲を取り外し、内部に溜まった熱を逃がす。
断裂した駆動索を繋ぎ直し、修復魔術、《リペア》を併用しつつ、ひび割れた機構を一つずつ修復していく。
《フィジカルブースト》の最大出力に耐え続けた主機には深刻な負荷が残り、星紋安定環にも細かな損傷が生じていた。
その完全な修復には、王都の地下工房と専用設備が必要になる。それでも、この場所にある資材と工具で可能な限りの処置を施した。
リリベルとナージャは、野営地中から使えそうな素材を集めてくれた。
ゼヴァンは指示された部品を一切の間違いなく揃え、ガロムはリネア一人では動かせない装甲を黙々と持ち上げて作業を補助してくれた。
ザラは食事を忘れるたびにリネアの頭を小突き、シゼは何も言わず温かい飲み物を傍らへ置いていく。
獣人族の職人たちも代わる代わる作業へ加わった。
ルクスが守った者たちが、今度はルクスを立ち上がらせようとしているのだ。
やがて、静まり返っていた黒い機体の内部から低い駆動音が響いてくる。
『主機、再起動』
碧い単眼へ頼もしい光が戻る。
「ルクス!」
『リネア、お待たせしました』
いつもと同じ機械音声の返答を聞いた瞬間、リネアの肩から力が抜けた。
「脚は動かせそう?」
『歩行機能を確認します』
四脚の関節が順番に動く。まだ幾つもの補助機構が露出し、右肩にも応急処置の跡が残っている。
それでもルクスはゆっくりと身を起こし、自らの四脚で大地へ立った。周囲で見守っていた獣人たちから小さくない歓声が上がる。
その声を聞いて、リネアはようやく気づいた。ルクスの帰還を待っていたのは、自分だけではない。助けられた一人一人が、今度は彼を支え、立ち上がったことを心から喜んでくれている。
『通常移動に支障なし。戦闘機能については――』
「戦闘については、まだ気にしないで」
リネアが単眼の前で人差し指を立てた。
「しばらく最大出力は禁止。《フィジカルブースト》も《エナジーブレード》も使っちゃ駄目。無理をしたら、今度こそ本当に動けなくなるんだからね」
『前回の出力制限解除は、リネアの正式な命令に基づいています』
「あれはあれ。これはこれ」
『論理的整合性に疑義があります』
「修理師の判断です」
しばしの沈黙の後、ルクスの単眼が明滅した。
『命令を承認しました』
「よろしい」
リネアが小さく胸を張る。
その様子を見ていた獣人たちから、今度は笑い声が広がった。
▲▽▲―――▲▽▲
旅立ちの前日。サレオスはリネアを野営地の外れへ呼び出した。
「お前に渡しておきたいものがある」
そう言って差し出された大きな掌の上に、一つの魔導具が置かれていた。金属製の小さな印章。
中央から不規則に割られたような形をしており、その表面には複数の獣を組み合わせた紋様が刻まれている。
「これは?」
「ガルディア獣盟国伝統の《魔導割り印》だ」
サレオスが少しばかり魔力を流すと、印章の紋様が淡い琥珀色の光を放つ。
「こいつは無条件で国境を通れる許可証じゃねえ。獣盟国は外から来た人族を簡単には信用しないからな。だが、これを検問所で示せば、正式な入国審査を受けられる」
「つまり《ビーストフロンティア》からの身元保証……?」
「ああ。俺たちが信を置いた客人だと証明するものだ」
サレオスは左目の古傷を細め、穏やかに笑った。
「獣人族からの、信頼と友好の証でもある」
「そんな大切なものを、私が貰っていいの?」
「お前たちは命懸けで俺たちの森を守った。これでも足りねえくらいだ」
それは迷いのない信義の言葉だった。リネアは魔導割り印を両手で受け取る。
手の中に収まるほど小さな印章が、不思議なほど重く感じられた。
「ありがとう。絶対に失くさないようにするね」
「獣盟国へ入ったら、俺たちの仲間にもよろしく伝えてくれ」
「うん、任せておいて」
「それと、この地図も持っていけ」
続いて渡されたのは、何度も折り畳まれた手書きの地図だった。
大森林から獣盟国国境までの道筋だけでなく、水場や安全に野営できる場所、崩れやすい斜面まで細かく記されている。
「すごい……ここまで書いてくれたの?」
「森で迷う奴を笑うのは、案内を怠った側の恥だからな」
サレオスはリネアの肩を力強く叩いた。
「気をつけて行ってこい、リネア・ギアライト。獣盟国は、お前たちを歓迎するはずだ」
リネアは《魔導割り印》を胸元のポーチへ収め、野営地に立つルクスを振り返った。
森を守ったのは、自分たちだけではない。倒れた相棒を運び、直し、再び旅立てるよう背中を押してくれた者たちがいる。
今度は、その信頼を自分たちが次の場所へ繋ぐ番だった。




