第66話 花束を抱く白き影
【挿絵→未知のアーキテクト上位席次持ち機械兵】
肉料理の宴から一夜が明けた《ビーストフロンティア》には、朝早くから白い煙が立ち上っていた。
広場の一角では、昨夜のうちに解体されたハンマーヘッドライノセラスの肉が燻製にされ、別の場所では分厚い皮や角が用途ごとに切り分けられている。
巨獣の命は余すところなく、集落で生きる者たちの暮らしの糧へと変えられていた。
昨夜の喧騒がまだ身体の奥に残っているのか、ザラは大きく伸びをしながら、名残惜しそうに燻製小屋を見つめていた。
「朝飯、まだかな~」
「昨夜、あれだけ食べたでしょうに」
「昨日の肉は昨日の肉。今日の肉は今日の肉だ」
「朝から立派な暴論ね」
シゼが呆れたように返す。その傍らで、リネアは狙撃銃の遊底を引き、内部に異物が入っていないことを確かめていた。
今日これから向かうのは、昨日までのような浅層ではない。巨獣すら住処を追われて浅層に現れるほどの異変。その原因を探るため、中層よりもさらに奥へ踏み込むことになる。
『接近する複数の足音を確認。敵性反応なし』
傍らに伏せていたルクスが顔を上げた直後、集落の奥からサレオスが歩いてきた。その後ろには、見慣れない二人の獣人を伴っている。
「待たせたな。昨日話した、先行偵察に加わる二人だ」
最初に進み出たのは、狼の特徴を色濃く備えた獣人だった。鋭く立った耳が周囲の音を拾うように動き、細く絞られた眼差しがリネアたちを一人ずつ観察する。
その両腰には二挺の魔導拳銃が収まり、胴回りには予備と思われる魔力弾倉が整然と並べられていた。
「ゼヴァンだ。射撃と索敵を担当する」
簡素な挨拶はそれだけで終わり、ゼヴァンの視線がリネアの抱える長銃へ移る。
「君は長距離射撃手か」
「はい、まだ修行中ですけど」
「撃つべき場所を外さなければ、距離は問題じゃない。それが強みだな」
褒められたのか、それとも単なる事実を告げられただけなのか、リネアには判断できない。
ゼヴァンは続いてルクスへ目を向ける。黒い四脚機体と狼の射手は、しばらく無言で互いを観察していた。
『推定最大交戦距離を申告してください』
「移動目標なら二百。大型なら三百」
『射撃精度は』
「戦場で見れば分かる」
『暫定的に承認します』
「そっちも悪くない」
「……今ので、話が通じてたのかな」
リネアが小声で呟くと、シゼは困ったように笑った。
「当人たちが納得しているなら、よいのだと思うわ」
続いてサレオスに促されたのは、闘牛の頭部と、人間を遥かに上回る巨躯を持つ獣人だ。
背中に担いでいるのは、剣と呼ぶにはあまりにも分厚い武器である。刃のついた細長い直方体にも見える大剣は、並の冒険者なら持ち上げるだけで精一杯だろう。
「ガロムだ。前衛は任せてくれ」
低く重い声をしているのが、頼もしく感じられる。
ガロムはリネア、ザラ、シゼの順に視線を向け、最後にルクスの正面で足を止めた。
黒い装甲、四本の脚部、背部の兵装をじっくりと眺めた後、静かに頷く。
「……良い機体だ」
『肯定的評価として受理します』
ルクスが答えると、ガロムもまた満足した様子で頷く。
その様子を興味深そうに見ていたザラが、ガロムへ右手を差し出す。
「ザラだ。私も前衛として戦う」
「伝え聞く《戦の咆哮》共闘を楽しみにしている」
二人の手が固く握られた。直後、握手をしているだけとは思えないほど両者の腕が張り詰め、足元の土が微かに軋んだ。
「……強いな」
「そっちも」
「朝から物を壊さないでね」
シゼが冷静に釘を刺すと、ザラとガロムはほぼ同時に手を放す。
サレオスはそんな一同を見渡してから、表情を引き締める。
「挨拶はこれくらいにして、本題に入るぞ」
彼が地面へ広げたのは、大森林周辺の地形を描いた簡素な地図。
中央には《ビーストフロンティア》の位置があり、そこから森の奥へ延びるいくつもの経路が記されている。そのうちの一つに、赤い線が引かれていた。
「昨日のハンマーヘッドライノセラスだけなら、縄張り争いに負けて浅層まで出てきた可能性もあった。だが、ここ数日の報告をまとめると、どうにも話が違う」
サレオスの太い指が、赤い線の周辺をなぞる。
「中層にいるはずの魔獣が、浅層で続けて目撃されている。外側へ向かう足跡も、ここ数日で急に増えた。本来なら殺し合うはずの連中が、同じ方向へ仲良く移動している痕跡まで見つかってる」
「それに、森が妙に静かな場所がある」
ゼヴァンが補足した。
「狩猟班が二組、そこで引き返した。魔物と遭遇したからじゃない。何とも遭遇しなかったからだ」
大森林において、何もいないことは安全を意味しない。
そこが、本来いるはずの生命すら留まれない場所である可能性を示しているのだ。
「いきなり集落の戦力を大きく動かすわけにはいかねぇ。だから俺たち選抜メンバーが先行し、中層を越えて異変の規模と原因を確かめる」
そこでサレオスは、リネアたち三人へ向き直った。
「あんたらは客だ。森の厄介事まで背負う義理はねぇ。本来の用事とは何の関係もない話だから、断ってくれても構わん」
そう前置きしてから、彼はルクスを見る。
「だが、昨日の巨獣を実際に見た目と、ルクスの索敵能力を借りられれば、生きて帰れる奴が増える。だから頼む、俺たちと一緒に来てくれないか」
リネアはザラとシゼを振り返った。
ザラは既に大斧を背負い直している。シゼも、いつでも出発できるよう荷物をまとめていた。
「どうする、リネア」
「聞くまでもないでしょう。もっとも《サバイバリスト女子会》の一員が断るとは思えないけど」
二人の明朗な答えに、リネアは小さく笑った。
「行きます。原因を知らないままじゃ、昨日みたいなことが、また起きるかもしれませんから」
『同意。浅層への大型魔獣侵入が継続した場合、集落および周辺生態系に甚大な被害が予測されます』
「決まりだな」
サレオスが地図を畳む。
こうしてサバイバリスト女子会の三人と一機は、三人の獣人族冒険者と共に、大森林異変調査のための臨時パーティを組むことになった。
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一行は、太陽が昇り切る前に《ビーストフロンティア》を出発した。
先頭を進むのは、森の地形と魔物の習性を熟知したサレオス。そのすぐ後ろをガロムとザラが固め、中央にシゼとリネア、最後尾をゼヴァンとルクスが警戒する。
浅層を進んでいる間は、森に異常らしい異常は見られなかった。
鳥の鳴き声が樹上を渡り、遠くでは小型魔獣が下草を揺らす。木漏れ日の下には色鮮やかな虫が飛び交い、湿った土から生える苔が、踏み込んだ足を柔らかく受け止める。
一見異常がなくても、サレオスは何度も足を止めた。
「ここを見ろ」
彼が示したのは、太い木の幹に残された擦過痕だった。
「昨日の朝まではなかった。かなりでかい奴だな。外側へ向かってる」
少し離れた場所には、掘り返された土と折れた枝がある。
ルクスが単眼の光を細め、周囲の痕跡を走査した。
『推定体高三・四メートル。四足歩行。当地点通過から二十時間以内。歩幅および接地圧に不規則性を確認』
「怪我をしていた?」
『負傷、または正常な歩行を妨げるほどの疲労状態であった可能性があります』
「何かに追われ続けてたってことか」
ザラが痕跡の続く方角を見た。森の外へ向かっている。
それは、昨日出会った巨獣が逃げてきていた方向と同じだ。
中層へ差しかかる頃には、サレオスたちの経験が一層際立ち始めた。
彼らは折れた小枝の向きだけで群れの移動方向を見抜き、ゼヴァンはリネアたちには聞こえない遠方の物音まで正確に拾った。
進路を塞ぐ倒木があれば、ガロムが無言のまま片端を持ち上げ、その下を全員が通れるだけの隙間を作る。
シゼは時折地面へ手を触れ、森を流れる魔力を確かめていた。
「地脈が乱れているわ」
「魔術の痕跡か?」
サレオスの問いに、シゼはすぐには答えなかった。
「まだそこまでは分からないけど、ただ……乱れているというより、奥から何かに押し流されているような感覚ね」
進めば進むほど、森の様子は変わっていく。
鳥の鳴き声が減り、虫の羽音も遠ざかる。獣道は増えているのに、そこを歩くものの姿はない。
地面に残っているのは、いずれも森の外側へ向かう足跡ばかりだった。
小さな蹄の跡。鋭い爪を持つ捕食者の足跡。腹を引きずる蛇型魔獣の痕跡。普段なら決して同じ場所には残らないはずのそれらが、何重にも重なり合っている。
途中には、食べかけの獲物まで放置されていた。
死骸にはまだ肉が残っている。それなのに、血の匂いを嗅ぎつけるはずの肉食獣も、腐肉を漁る小型魔物も寄ってこない。
ゼヴァンの耳が、周囲の音を求めるように動いた。
「静かすぎる」
彼は二挺の拳銃へ手を添え、暗い木々の間を睨む。
「獣がいないんじゃない。どうやら全部、ここから逃げた後のようだな」
ここに至って、誰もその言葉を否定できない。
やがて一行は、中層とその先を隔てる巨大な谷を越えた。
ここから先は《ビーストフロンティア》の熟練した狩人でさえ、十分な準備なしには踏み込まない領域だ。
にもかかわらず、魔物の気配はさらに薄れていく。
生命に満ちているはずの大森林が、自ら息を止めているかのようだった。
どれほど歩いただろう。
厚く重なる枝葉の向こうに、不意に柔らかな光が見えた。
「開けた場所があるみたいです」
義眼の焦点を絞ったリネアが、小声で仲間たちへ知らせる。
サレオスは片手を上げて一行を止め、足音を殺して前へ進んだ。全員が武器へ手を添え、一定の間隔を保ちながらその後に続く。
木々の隙間を抜けた先には、陽光に満たされた小さな花畑が広がっていた。
周囲だけ天蓋が開け、木漏れ日よりも明るく、温かな光が地上へ降り注いでいる。その光を受けて、無数の白い小花が風に揺れていた。
そして花畑の中央に、ひとりの女性が佇んでいた。
腰まで流れる銀灰色の長い髪。細身でありながら均整の取れた、女性らしい輪郭。
胸の前には、摘み集めたばかりと思われる白い花束を両腕で大切そうに抱いている。
最初は、白い服をまとった旅人のように見えた。
けれども義眼の望遠機能がその姿を捉えた瞬間、リネアは思わず息を呑んだ。
「人じゃない……」
陽光を反射する白い肌は、皮膚ではなかった。
継ぎ目がほとんど見えないほど滑らかな装甲が、肩や胸元、細い腰、長い脚に至るまで、精巧な女性の姿を形作っている。
白い衣服に見えた部分さえ、全て機体と一体化した外装だ。
その身体の各所には、黄緑色の光のラインが走っている。
幾何学的でありながら植物の葉脈にも似た光は、まるで機械の身体に血が流れているかのように、ゆっくりと明滅を繰り返していた。
銀灰色の髪から突き出しているのは、猫の耳を思わせる一対の聴覚デバイス。
腰の後ろからは、細く長い機械の尻尾が伸びている。その先端には鋭利な刺突刃が備わっていたが、尻尾は足元の花を傷つけぬよう、地面からわずかに浮かされている。
鼻から両頬、口元までは、黒いタクティカルマスクに覆われている。そのため、表情はほとんど読み取れない。
それでも、黄緑色に淡く輝く大きな瞳だけは、腕の中に抱いた花束を愛おしそうに見つめていた。
白い機械の指先が、折れかけた花の茎をそっと支える。
武器を手にするために造られたはずの身体で、壊れやすいものを守るように。
そこには殺気も、敵意もなかった。
静かで、穏やかで、どこかひどく寂しい光景でもある。
『警告』
ルクスの声が、最低限の音量で響く。
『対象から高密度魔導機構反応を検出。現時点では刺激を推奨しません』
白い機械兵の片耳が、微かに動いた。全員が息を止める。
ゆっくりと持ち上げられた顔が、真っ直ぐにリネアたちの方角へ向けられる。
黄緑色の双眸と、リネアの視線が重なる。
驚きも、警戒も、その目には浮かばなかった。
むしろ長い間待っていた誰かに、ようやく見つけてもらえたような、微かな安堵さえ感じられて。
サレオスがいつでも飛び出せるよう身を低くし、ザラとガロムがそれぞれの武器へ手をかける。ゼヴァンも既に二挺の拳銃をホルスターから抜いていた。
それでも、白い機械兵は戦おうとはしなかった。
腕の中の花束を胸元へ抱き直し、ほんの少し首を傾ける。
それは挨拶とも、別れともつかない仕草だった。
次の瞬間、白い足元へ黄緑色の魔導陣が広がる。
「待て!」
サレオスが叫ぶ。しかし、幾重もの幾何学模様が光を放ったときには、その姿は花畑から完全に消えていた。
後には、風に揺れる白い花と、微かな魔力の残滓だけが残されている。
「どうする、追うか?」
ザラが問うと、サレオスは即座に首を横へ振った。
「いや、俺たちの目的は偵察だ。それに――」
彼の眼差しが険しくなる。
「あれを相手にして、無事で済む保証はねぇ」
ルクスが単眼から淡い碧光を放ち、白い機械兵が立っていた場所を走査する。
「ルクス。あの人は、まさかアーキテクトなの?」
『技術体系に複数の共通点を確認しました。ただし、過去に交戦、または観測した登録個体のいずれにも該当しません』
「じゃあ、今まで会ったことのない機械兵……」
『対象の潜在戦闘能力は、測定可能範囲を超過していました。現アーキテクトに属する個体である場合、上位席次である可能性を否定できません』
花束を抱いた静かな姿と、その分析結果が、どうしても結びつかない。
あの優しげな瞳を持つ者が、本当にミリアやリリエルと同じアーキテクトの一員なのだろうか。
リネアが白い機械兵の消えた森の奥を見つめた、そのときだった。足元の土が、微かに震えた。
最初は風で木々が揺れたのかと思ったが、振動は途切れず、徐々に大きくなっていく。そして遠雷にも似た低い音が、森の奥から幾重にも重なって響いてくる。
ゼヴァンの両耳が大きく立った。
「何か来るぞ」
彼は目を閉じ、音へ意識を集中させる。直後、その顔色が変わった。
「群れだ。多いなんてもんじゃない。正面――左右にもいる!」
『多数の生体反応が急速接近。現位置への到達予測、二十五秒後』
「迎え撃つか?」
戦斧を構えたザラへ、サレオスが怒鳴る。
「駄目だ! 数が分からねぇ! まずはあの大樹の根元へ退避する!」
一行は花畑の端にそびえる巨大樹へ駆けた。
ガロムが地面へ大剣を突き立て、ザラがその隣で足を踏みしめる。ルクスは二人の前へ滑り込み、可変盾を展開した。
『シゼ。地盤の固定を要請します』
「分かったわ!」
シゼの闇属性魔術が巨大樹の根と周囲の土を覆い、即席の防壁を補強する。
リネアとサレオスがその内側へ入り、ゼヴァンは最後まで迫る音の方向へ拳銃を向け続けていた。
直後、まるで森が爆発したかのようだった。
木々の間から、魔物と魔獣の群れが激しく雪崩れ込んでくる。
牙を剥き出しにした獣。全身を甲殻に覆われた大型種。枝から枝へ飛び移る猿型魔物。地面を這う長大な蛇型魔獣。
本来なら互いを捕食し、縄張りを争うはずの生物たちが、同じ方向へ向かって狂ったように走っていた。
前方の個体が転倒しても、後続は止まらない。
踏みつけ、乗り越え、互いの身体を傷つけながら、ただ一目散に森の外を目指している。
ルクスの盾に衝突しかけた魔獣さえ、直前で身を捩り、自ら木の幹へ身体を打ちつけて進路を変えた。
リネアたちに襲いかかろうとする個体は、一体もいない。彼らの目にあるのは、怒りでも飢えでもない。
純然たる恐怖だった。
全身から血を流す魔獣も、脚を引きずる小さな獣も、何度も背後を振り返りながら走り続けている。
それほどまでに、彼らは必死に森の奥から遠ざかろうとしていた。
白い花畑へ、無数の脚と蹄が押し寄せる。
先ほどまで陽光の下で美しく揺れていた花々が踏み潰され、柔らかな土へ沈んでいく。白い花弁は泥と獣の血にまみれ、巨大な身体が通り過ぎるたび、原形を失っていった。
あの白い機械兵が抱えていった花束だけが、この場所から救い出された形となる。
一行は、防壁の内側で狂騒が通り過ぎるのを待つことしかできなかった。
どれだけの時間が経ったのか分からない。
やがて地響きが遠ざかり、最後尾の小型魔物が木々の向こうへ消えると、森には再び静寂が戻った。
それは先ほどまでとは違う類の静寂である。
花畑は泥濘へと変わり、木々の幹には幾つもの傷が刻まれている。折れた枝や抜け落ちた体毛、甲殻の破片が、群れの勢いの凄まじさを物語っていた。
リネアは防壁の外へ出ると、泥の中にしゃがみ込んだ。
足元には、辛うじて原形を留めた白い花が一輪だけ残っていた。
それをそっと摘み上げると、細い茎はリネアの指先で力なく折れ曲がる。
「あの人は……」
リネアは、白い機械兵が消えた森の奥を見つめた。
「これが起きることを、知っていたのかな」
誰もその答えを知るはずもなく。
ルクスだけが、周囲に残された足跡と、魔獣たちが走り去った方角を淡々と照合していた。
『逃走経路の解析を完了』
その碧い単眼が、白い機械兵の消えた深い森へ向けられる。
『先ほどの機械個体が移動した方角と、群れの進行方向は正反対です』
花を慈しんでいた白い機械兵。その移動先に深まる森奥から、あらゆる生命が逃げ出そうとしていた。




