第62話 道を塞ぐ者、道を譲る者
【挿絵→金級冒険者《浸透制圧》シゼ・ナイトフォール】
王都南西門を抜けてからの旅は、ひたすら馬車を乗り継ぐことから始まった。
三人は街道を行き来する乗り合い馬車へ便乗し、御者が向かう町や宿場ごとに次の馬車を探す。
さすがにルクスの巨体を載せられる荷台はなかったため、黒鋼の機械獣は馬車の横を自力で走り続けた。
休息も餌も必要とせず、勾配のある街道でも一定の速度を崩さない。疲労した馬を途中で交換するたび、御者たちは平然と待機しているルクスを羨ましそうに眺めていた。
「こいつが馬車を引いた方が早いんじゃねぇか?」
ザラが荷台の縁から身を乗り出してそんなことを言う。
『当機は輸送用機体ではありません』
「でも、引けるんだろ?」
『牽引自体は可能です』
「次から頼もうぜ!」
「道が壊れると思う」
リネアが冷静に答えると、ルクスの足元を見ていた御者も青ざめた顔で何度も頷いた。
王都を離れるにつれ、街道は少しずつ細くなっていく。
石畳は土の道へ変わり、行き交う馬車の数も減っていった。宿場同士の間隔は伸び、集落の周囲を囲む柵はそれまで立ち寄った場所よりも高く、頑丈になっている。
目的地であるイルズ村は、王国南西端に位置する小さな村だ。
そこから先は定期的に往来する馬車もなく、三人と一機は徒歩で国境を越える予定だった。
幾日もの移動を経て、ようやくイルズ村まで半刻ほどの距離へ迫った頃。
御者が手綱を引き、馬車を急停止させた。
「おい……煙だ」
前方に、何本もの黒煙が立ち昇っている。
森を焼く煙ではない。街道の先に並ぶ家々から炎が上がり、その向こうで小さな人影が慌ただしく動き回っていた。
風に乗って、悲鳴が届く。
「盗賊だ。村が襲われてる!」
御者は馬車を引き返させようとするが、ザラはすでに荷台から飛び降りていた。
「ようやく着いたと思ったら、今夜の宿が燃えてやがる!」
「困ったわね。野宿する準備はあるけれど、お湯は使いたいわ」
シゼもおもむろに外套を脱ぎ、荷台へ置く。
その下から現れた黒い魔術師用ナイトドレスは、長旅を経ても不自然なほど汚れていなかった。
リネアも狙撃銃を手に取り、決然とした表情でルクスに話し掛ける。
「火を消しに行こう」
『了解』
ルクスが先行して駆けていくと、黒鋼の四脚が地面を蹴るたび、乾いた街道から土煙が上がった。
あっという間に遠ざかっていく一行を見送りながら、御者は呆然と呟く。
「あれが……高ランク冒険者か」
▲▽▲―――▲▽▲
イルズ村では、既に村人たちと盗賊団の戦闘が始まっていた。
正確には戦闘と呼べるようなものではない。武器を持つ盗賊たちに対し、村人たちは農具や薪割り用の斧で必死に抵抗している。
家から引きずり出された者もいれば、火の回った納屋から家畜を逃がそうとして斬りつけられている者もいた。
『人型熱源、多数。武装反応五十三。非武装、あるいは農具を所持して抵抗中の集団を村民と推定。行動傾向を基に敵味方識別を開始』
ルクスの碧い単眼が村の全域を高速で走査し、その結果がリネアの義眼へ共有された。
黒地に碧い菱形が幾重にも重なる視界の中で、盗賊たちの輪郭が赤く縁取られる。
「ルクス、頭目は?」
『推定指揮官を確認。前方、井戸付近』
盗賊団の中央で、一際大柄な男が怒鳴っている。
上半身には幾重もの革鎧を重ね、肩には巨大な鉄槌を担いでいる。その足元には、抵抗した村人が血を流して倒れていた。
「さっさと金目の物を集めろ!女とガキは――」
その男が最後まで命令を下すことはなかった。
家屋の間から飛び出したルクスが、一息に距離を詰める。
「なんだ、こいつは!」
振り下ろされた鉄槌を、ルクスの機械腕が正面から受け止めた。
金属同士が激突する轟音が響くものの、ルクスの腕は少しも揺らがない。
『敵性行動を確認。排除します』
鉄槌ごと男の腕を捻り上げ、その巨体を地面へ叩きつける。
男が呻きながら起き上がろうとした瞬間、ルクスの前脚が頭部へ振り下ろされた。
熟れたトマトを踏み潰したような音がして、村の中央へ突然の静寂が落ちる。
盗賊団の頭目は、自分たちを襲ったものが何なのか理解する間もなく絶命していた。
「頭領がやられた!」
「囲め!そいつを潰せ!」
初手で頭目を失っても、残る盗賊は五十人以上。
副頭目らしき男の命令を受け、弓や槍を持った者たちがルクスを包囲していく。
略奪のために集まっただけの烏合の衆ではなく、集団戦闘にもある程度慣れているようだ。
だが、その陣形が完成するより先に――
「――オオオオオオオァッ!!」
人間の喉から発せられたとは思えない特大の咆哮が、村全体を震わせた。
窓が鳴り、燃え盛る炎さえ一瞬だけ押し退けられる。
《戦の咆哮》
その名の由来となったザラの雄叫びを正面から浴び、盗賊たちの身体が竦む。武器を握る手に震えが走り、何人かは堪らず後退した。
反対に、絶望しかけていた村人たちは顔を上げる。味方の恐怖を払いのけ、闘志を奮い立たせ、敵の心を折る。
それは肉体強化魔術だけでは得られない、戦場そのものを掌握するザラの咆哮の力だった。
「おらおら! 野盗の畜生ども! 改心しようがしまいが殺してやるから、かかってこいや!」
「改心しても死ぬってことじゃねぇか!」
早くも劣勢を悟った盗賊の一人が思わず叫ぶ。
「野盗になった時点で手遅れだ!」
ザラが巨大な戦斧を迷いなく振り抜いた。刃ではなく、分厚い斧頭の側面が三人の盗賊をまとめて捉える。
鎧と骨が砕ける音が重なり、男たちは互いに絡み合いながら家屋の壁まで吹き飛ばされた。
その小柄な身体のどこに、これほどの膂力が秘められているのか。
戦斧を振り切ったザラは勢いを殺さず、その場で一回転する。反対側から斬りかかろうとしていた二人が柄に薙ぎ払われ、地面を勢いよく転がった。
「弓だ! 先にあの小さいのを狙え!」
屋根の上へ登った盗賊が弓を引き絞る。放つより先に、その胸部へ風穴が開いた。
遅れて届いた銃声に押されるように、男の身体が屋根から滑り落ちる。
村の外縁。街道脇のわずかに高くなった斜面で、リネアは片膝をついて狙撃銃を構えていた。
義眼の視界には、ルクスが捉えた全ての敵がリアルタイムで表示されている。次の標的は、火のついた松明を持って家屋へ向かっている男だ。
引き金を絞ると、弾丸は側頭部から入り、男を真横へ倒した。手を離れた松明が地面へ落ち、何も燃やさないまま土の上で燻る。
三射目は、ザラの死角へ回り込み、短剣を突き出そうとした男の喉。
四射目は、村の子供を盾にしようと手を伸ばした男の胸部。
五射目は、仲間を呼びに行くため、村の裏手から逃走しようとした男の後頭部。
その間にもルクスが敵を追い立て、ザラがその動きを乱す。
二人が生み出した野盗たちの隙へ、リネアは確実に弾丸を通していく。
六人目の標的とした野盗の射手が倒れ、七人目の標的である指揮役が眉間を撃ち抜かれた頃には、盗賊団の組織的な抵抗は目に見えて崩れ始めていた。
その一方で、シゼの周囲にだけは異質な光景が広がっていた。
「女一人だ! 先に捕まえろ!」
十数人の盗賊がシゼへ向けて殺到する。
シゼは静かに二冊ある《スペルバイブル》の片方へ指を添えた。
「数が多いのね。ちょうどいいわ」
黒い装丁が開き、記された術式が淡い光を帯びる。
次の瞬間、盗賊たちの上下左右へ、黒い逆十字架が出現した。
地面から突き出すもの。宙を滑るもの。屋根や壁をすり抜け、死角から迫るもの。
自在に立体機動する逆十字架は盗賊たちの手足を次々と捉え、黒い拘束帯を伸ばして、はりつけにしていく。
「なんだこれ……動けねぇ!」
「離せ! 離しやがれ!」
十数人の盗賊が、地面から数メートルの高さへ並べて吊り上げられた。
シゼは抵抗する彼らを冷たく眺めながら、スペルバイブルのページをめくる。
逆十字架が次々と軋み、拘束された男たちの腕が、関節の可動域を越えて捻じ曲げられた。生々しい悲鳴が響く。
野盗たちの肉体から黒い霧のような闇属性魔力が滲み出し、細い流れとなってシゼのスペルバイブルへ吸い込まれていった。
「おい! お前、急に何始めてんだ!」
戦斧を振り回しながら、ザラが叫ぶ。
「どうせだから、この盗賊たちには私の未来の大技の糧になってもらおうと思ったのよ」
「戦闘中に拷問を始める奴があるか!」
「効率的でしょう?」
「脈絡がなさすぎて怖ぇんだよ!」
シゼは小さく首を傾げた。十分な量の魔力が蓄積されたのか、開かれていたページに新たな術式の輪郭が浮かび上がる。
「無論、王国法において盗賊行為を働いた者は死罪。だから最後は楽に殺してあげるわ」
桃色の瞳が細められ、黒い逆十字架が一斉に回転する。
野盗たちの首があり得ない方向へ折れ曲がり、十数人分の悲鳴が同時に途絶えた。
残された盗賊たちは、完全に戦意を失っている。
村から逃げようとする者はルクスに追いつかれ、武器を手放さない者はザラに薙ぎ倒される。
追い詰められて命乞いを始めた者もいたが、その手が血塗れの剣を握ったままだったため、村人たちは誰一人として耳を貸さなかった。
やがて、武器を持って立つ盗賊はいなくなった。
「まったく、盗賊団なんざ害虫みてぇに、どこにでも、どこからでも湧いてきやがる」
ザラが戦斧に付着した血と肉片を振り落とす。
「情け容赦は無用。それが辺境の常識だぜ」
シゼも空中の逆十字架を消し、スペルバイブルを閉じた。
「良い魔力源になってくれたわ。これで手札が数枚増えた、とだけ言っておきましょう」
リネアは空になった弾倉を見下ろす。今回自分が殺したのは七人で、その全員の顔を義眼が鮮明に記録している。それでも、指先は震えていなかった。
シゼは少し怖いし、ザラも別の意味で怖い。だが、ほとんど無感動に淡々と七人を撃ち殺した自分も、似たようなものなのかもしれない。
『村内の敵性反応消失。火災の拡大を確認』
「二人とも、先に火を消そう」
リネアの言葉で、三人はすぐに動き出した。
ザラは井戸から水桶を何個もまとめて運び、シゼは逆十字架を使ってそれらを空中へ持ち上げる。ルクスは燃えた家屋の梁を機械腕で退かし、取り残されていた村人を救助した。
井戸の滑車が途中で壊れたが、リネアが工具を取り出してその場で修理する。
全ての火が消し止められた頃には、既に日は傾き始めていた。
村長を名乗る白髪の男が、煤で汚れた顔のまま何度も頭を下げる。
「本当に、本当にありがとうございました。皆様が来てくださらなければ、この村は……」
「私たちも、今夜の宿にする村がなくなると困るから」
「宿でございますか? もちろんです! 村長宅の二階に三部屋あります。狭い部屋ではありますが、どうかお使いください!」
リネアはザラとシゼを見る。二人とも異論はなさそうだった。
「それじゃあ、今夜の宿を恵んでもらおうか」
その夜、三人は村長宅で温かな食事と寝床を与えられる。
ルクスは庭で警戒を続け、村人たちは盗賊の再襲撃を恐れることなく眠りにつくことができた。
▲▽▲―――▲▽▲
翌朝。イルズ村を出ると、街道から馬車のわだちが消えていく。ここから先に定期便はないのだ。
荷物の大半はルクスへ積載できるとはいえ、自分の足で歩く距離が短くなるわけではない。
「さて、いよいよ楽しい女子会の始まりだな!」
ザラが先頭で楽しそうに声を張り上げる。
「王都を出てから、もう始まっていたのではなくて?」
「馬車に乗ってるだけじゃサバイバルとは言わねぇ!」
「じゃあ、今からが本番?」
「そういうことだ!」
『大森林到着まで、長距離の徒歩移動が必要。各員の疲労状態を随時確認』
「私も?」
『リネアは当機への搭乗が可能』
「大丈夫、歩くよ」
『了解』
最初の一日は、緩やかな丘陵が続いた。
二日目には雨が降り、土の道が泥濘へ変わる。
三日目からは街道と呼べるものさえ途切れ始め、ザラの記憶とルクスの地形走査だけを頼りに南西へ進む。
朝から夕方まで歩き、野営地を探し、天幕を張る。その繰り返しにも慣れてきた。
水場の安全をザラが確認し、シゼが周囲の植物や毒虫を調べる。ルクスは物資の運搬と夜間警戒を行い、リネアは毎晩、ルクスの可動部と全員の装備を点検した。
シゼは宣言どおり、森での生存に慣れていた。
食べられる野草を見分け、濡れた薪からでも火を起こす。貴族の夜会へ向かうような魔術師用ナイトドレス姿のまま、泥や虫に動じる様子は一切ない。
ザラは道なき道を迷わず進んだ。
地図に記されていない獣道や、雨が降れば崩れる斜面まで頭に入っているようだ。大雑把に見える言動とは裏腹に、休憩や水分補給の間隔も慎重に管理している。
そうして数日間の強歩を経た末、一行は苔に覆われた石柱へ辿り着いた。
風化した石柱には、かつて王国が刻んだ紋章がわずかに残っている。それが国境標だった。
「ここから先は、王国兵も巡回しねぇ領域だ」
ザラが周囲を見回す。
「魔物も盗賊も傭兵崩れも、見つけた奴が自分で対処する。それができねぇ奴は、足を踏み入れない方がいい場所ってことだ」
「今までと、あまり変わらない気がするんだけど」
「確かにな!」
国境を越えてからも、一行は速度を落とさなかった。
数時間ほど歩いた頃、前方の丘に数人の男たちの姿が現れる。
統一されていない防具に、使い込まれた剣や槍。盗賊ほど薄汚れてはいないが、正規兵のような規律もない。どこかの戦場へ向かう途中の傭兵団らしかった。
その男たちも、既にこちらへ気づいている。
「若い女が三人と、荷運びの従魔だ。やっちまうか?」
若い子分が隣に立つ頭目へ尋ねたが、頭目は答えず、ただ目を細める。
先頭を歩いているのは、自分の身長とほとんど変わらないほど巨大な戦斧を背負った褐色肌の少女。
それほどの重量物を担いで何日も歩いてきたはずなのに、肩は落ちていない。足取りにも疲労の影がなく、見知らぬ武装集団を前にして速度すら緩めていなかった。
その後ろにいる小柄な女の右眼は、黒地に碧い菱形が幾重にも重なった機械義眼へ置き換えられている。瞬きもしない異形の眼に、肩には長大な狙撃銃。
傍らを歩く巨大な四脚の機械獣は荷運び用などではないだろう。機械腕と全身の重装甲を見れば、少し戦場を知る者なら一目で現役の戦闘用だと分かる。
最後尾の女は、さらに異様だった。黒い魔術師用ナイトドレス。全身を飾る逆十字架のアクセサリー群。
腰の左右に吊られた二冊の分厚い魔導書。何より、遠目からでも肌を圧迫するような濃密な闇属性魔力。
生まれながらに卓越した魔力量を持つ者は、ごく稀に存在する。そのような人間は例外なく、畏敬と警戒の対象となった。
「いや、絶対にやめておこう」
頭目は即座に判断した。
「全員、武器を地面に置け。両手を頭の後ろへ回して跪け。絶対に敵意を見せるなよ」
「はあ? なんで俺たちが――」
「今すぐやれ。死にたいなら一人で立ってろ」
低い声で命じられ、子分たちは渋々武器を置いた。全員が道の脇へ退き、両手を頭の後ろへ回して跪く。
やがて三人と一機が近づいてきた。間近で見る戦斧は、想像していた以上に巨大だ。
そして四脚の機械獣が歩くたび、地面から重い振動が伝わってくる。
義眼の女が一度こちらを見ただけで、黒い瞳に浮かぶ碧い模様が複雑に収縮した。
『武装集団を確認。敵対行動なし』
「変な連中だな」
ザラは足を止めることさえしなかった。
「最初から道を空けてくれているのだから、礼儀正しい方々なのでしょう」
シゼが穏やかに影を湛えて微笑む。その桃色の瞳が向けられた瞬間、子分たちは揃って顔を伏せた。
「行こう。大森林まではまだ遠いみたい」
リネアも彼らに関心を示さず、ルクスと共に通り過ぎていく。
三人と一機の姿が完全に遠ざかってから、ようやく頭目は両手を下ろした。
「もう立っていいぞ」
「な、なんなんだよ、あいつら……」
先ほど襲撃を提案した子分の顔は、完全に青ざめていた。
頭目は地面に置いた剣を拾い、腰へ戻す。
「いいか。冒険者には、装備だけ立派で何もかもずさんな間抜けも多い。だが、今の連中は違う」
「あれも冒険者なのか?」
「恐らく全員が金級以上。しかも二つ名持ちだろうよ」
頭目のもっともな推測に、男たちが息を呑む。
「先頭の小さい女は、あのデカい戦斧を背負ったまま俺たちを警戒すらしなかった。狙撃手の女は、機械獣と同じ目で全員の武器と立ち位置を見てやがった。黒い女に至っては、下手な魔物より余程おっかねぇ」
「もし襲ってたら……?」
「最初に声を上げたお前から死んでたな。その後は俺たちが一人ずつ順番に殺されて終わりだ」
頭目は、遠ざかっていく黒い四脚獣を見送った。
「盗賊に間違われてぶっ殺される前に、敵意がないと示すのが上策なのさ」
道を塞いだ盗賊たちは死に、道を譲った傭兵たちは生き残った。
「覚えておけ。勝てない相手を見抜いて道を譲るのも、傭兵が生き残るための立派な技術だ」
その言葉を背に受けることなく、三人と一機は歩き続ける。
ミリアが残した謎に繋がる情報を得られるかもしれない、獣人たちの国へ至るため。
地図にも記されていない道の先で、エルディア大森林の巨大な緑の影が、少しずつ地平を覆い始めていた。




