第60話 白金の祝杯は西を指す
アーキテクト第四席次リリエルと第三席次ミリアによる立て続けの襲撃から、五日が過ぎた。
王都から戦火の匂いは薄れつつあったが、傷痕までは消えていない。
崩落した防壁には仮設の足場が組まれ、朝から晩まで石材を削る音が響いている。焼け落ちた家屋の跡では瓦礫の撤去が進められ、戦死者を悼む花が街路の随所へ供えられていた。
今日も、人々は懸命に働いている。
露店には品物が並び始め、職人たちは槌を振るい、子供たちは修復途中の路地を駆け回っている。
戦禍に見舞われた王都はまだ、立ち止まってはいなかった。
その中心部にある王都冒険者ギルドの三階。
普段は大規模依頼や昇格審査に使われる会議室で、一通の書状が机上に広げられていた。厚手の羊皮紙には、二つの印章が並んでいる。
一つは、太陽と炎を象ったリンドヴァル王家の国印。もう一つは、王都守護を担う金剛騎士団の紋章。
末尾には国王ローデリック・リンドヴァルと、騎士団長アーヴィンの名が連ねられていた。
「王家と金剛騎士団からの、連名による昇格推薦か」
王都冒険者ギルドを預かるギルドマスターが、書状を机へ戻す。
「推薦対象は、金級冒険者リネア・ギアライト。プラチナ級への特例昇格を求める、と」
「異例ではあるな」
審査官の一人が、思案しつつ腕を組んだ。
「それも、これほど強い言葉の並んだ文面は見たことがない」
「だが王命ではなく、あくまで推薦だ。最終的な判断をこちらへ委ねられている」
ギルドマスターは傍らに積まれた報告書へ目を向けた。
王都外縁部における防衛記録。第四席次リリエルという砲撃型魔導工兵との交戦記録。
王都全域で発生した潜入型魔導ゴーレムの一斉蜂起と、第三席次ミリアとの戦闘記録。
そこに記されているリネアとルクスの数々の戦果は、数行でまとめられるような記録ではなかった。
防壁上からの精密狙撃によって敵砲撃機構の一部を破壊し、王都へ降り注ぐはずだった火力を抑制。
味方の攻撃に合わせて第四席次リリエルの防御を崩し、その撃破へ大きく貢献。
王城前広場では、光学迷彩によって姿を消した第三席次ミリアを複数回にわたって発見し、国王暗殺を阻止。
さらに、上空から弱体化魔術を増幅していたデルタバーテックスをルクスが撃墜し、最終的にはリネアの狙撃がミリアの魔導核を破壊している。
そしてミリアの消滅によって、王都全域へ潜伏していた魔導ゴーレム群も機能を停止した。
目覚ましいのは討ち取った敵の数だけではない。
二人の判断によって命を救われた者、破壊を免れた建造物、未然に防がれた被害まで含めれば、その功績は計り知れなかった。
「功績だけを見れば、議論の余地はない」
別の審査官が報告書を閉じる。
「だが、プラチナ級は恩賞として与えるものではない。相応の権限と責任を預ける階級だ」
「そのとおりだ」
ギルドマスターは即座に頷き、集まった面々を見渡す。
「だからこそ、リネア・ギアライトにはその資格があると、私は考えている」
彼の重みある発言に、会議室が静まり返る。
「彼女が優れているのは、敵を倒す力だけではない。混乱の中で戦況を読み、撃つべきものと、撃ってはならないものを的確に見分け続ける胆力。自らの命が脅かされようとも、より多くの人間を救える標的を選び続けたことにある」
ギルドマスターの指先が、一枚の報告書を軽く叩く。
「高位冒険者に求められるのは、単純な強さだけではない。力をどこへ向けるべきかを判断し、その結果に責任を負う能力だ。今回の王都防衛戦以上に、それを証明できる試験があるとは思えん」
反論する者は終始いなかった。やがて、審査官の一人が羽根ペンを手に取る。
「彼女の昇格に賛成だ」
「私も異論はない、新たな伝説の誕生かもしれないな」
「同じく、今後の活躍にも大いに期待できるだろう」
短い議論の末、机上に置かれた昇格認可書へ、その場の全員の署名が連なった。
金級冒険者リネア・ギアライト。その名の隣へ、新たな階級が刻まれる。
プラチナ級。
王国の冒険者の中でも、ごく限られた者だけが到達を許される領域だった。
▲▽▲―――▲▽▲
「私が、プラチナ級に……?」
会議室へ呼び出されたリネアは、珍しく状況を呑み込めずにいた。襲撃についての追加聴取だとばかり思っていたのだ。
ところが目の前には白金色の認識票と、すでに署名を終えた昇格認可書が置かれている。
「本日付で正式認可された」
ギルドマスターがどこか誇らしげに告げる。
「王都防衛への貢献、敵指揮個体の撃破、要人の救命、人的および物的損害の抑制。いずれもプラチナ級への昇格に値する偉大な功績だ」
「でも、あの戦いは私一人で成し遂げたものではありません」
リネアはほぼ反射的に言葉を返していた。
「ルクスがいなければ、私はミリアをまともに捉えられませんでした。デルタバーテックスを倒したのも、ルクスです。それに、騎士団や冒険者のみんなが懸命に戦ってくれたから――」
「安心しろ、リネア・ギアライト」
ギルドマスターは、昇格推薦状をリネアの方へ向けた。
「ここには最初から、二つの名が記されている」
リネアは羊皮紙へ目を落とす。推薦対象として記されている名前は、リネア・ギアライト。
しかし、その功績を列挙した一文はこう始まっていた。
――リネア・ギアライト並びに随伴魔導機ルクスは、身命を賭して王都および王国臣民の防衛に尽力し――
文字を追う義眼の視界が、わずかに揺れる。
「冒険者階級は制度上、お前に付与される。だが、今回の戦果がお前とルクス、二人によるものであることを否定する者はいない」
ギルドマスターは白金色の認識票を持ち上げた。その表面には、リネアの名と新たな階級が刻まれている。
そして裏返された認識票には、もう一つの名があった。
《黒鋼の狩人》
「これは……?」
「お前たちの新しい通り名だ」
「私たちの?」
「ああ。地獄の王都防衛戦を生き残った兵士や冒険者たちが、そう呼び始めたらしい。多くの者たちがお前たちのことを精神的支柱として戦っていたことの証左だろう」
黒鋼の機械獣が戦場を駆け、敵を追い立てる。
逃げ道を選ばされた標的へ、どこからともなく狩人の弾丸が飛来する。
どちらか一方では成り立たない高度な連携による狩猟のごとき狙撃戦術。
黒鋼が狩人であり、狩人もまた黒鋼の一部。二人で一つの戦場を狩る姿から生まれた通り名だった。
「黒鋼の、狩人……」
その言葉を口にしたとき、リネアの脳裏に一人の老狙撃手の姿が浮かんだ。
義足となる前は名の知れた猟師だった、ギルドの倉庫番。狙撃手としての道を教えてくれたバルド・ハーキン。
獲物だけを見るな。獲物が逃げる場所を予見しろ。
何度も繰り返された教えが、今も引き金へかける指に残っている。
『音声を受領』
開け放たれた窓の向こうから、ルクスの声が届いた。
中庭で待機している黒い機体の碧い単眼が、会議室を見上げている。
『新規識別名称《黒鋼の狩人》当機とリネア、双方を示す名称として登録する』
リネアは認識票を両手でしっかり受け取った。
白金色の表面に、自分の顔がぼんやりと映り込む。
その口元がわずかに緩んでいることへ、本人はまだ気づいていなかった。
「昇格を受けるか、リネア・ギアライト」
ギルドマスターの問いに、リネアは今度こそ迷わず頷いた。
「はい。ルクスと一緒に、謹んでお受けします」
▲▽▲―――▲▽▲
その日の夕刻。
リネアは普段よりもわずかに軽い足取りで、王都の酒場を訪れた。
自分から酒場へ向かうこと自体が珍しい。多分祝杯を上げたいと思ったのかもしれない。
あるいは、手に入れたばかりの認識票を眺めながら、一日の出来事を静かに整理したかっただけなのかもしれない。
どちらにせよ、今日は少しくらい浮かれても許される日だった。
扉を開くと、賑やかな話し声と料理の香りが押し寄せてくる。
空席を探そうとしたリネアの義眼が、ふと窓際の卓で止まった。
そこには、すでに酒瓶を二本ほど空にした見覚えのある女が座っている。
頬を薄く赤らめ、片手に杯を持った自称情報屋アールは、意味深な微笑みを浮かべながら指先を曲げた。
「リネアっち、こっちこっち~」
どうしてここにいるのか。なぜ自分が酒場へ来ると知っていた?のか。
それ以前に、今日の昇格のことをすでに知っているのか。聞きたいことはいくつでも湧いてくる。
しかし、問い質したところでまともな答えが返ってくるとは思えない。リネアは短く息を吐き、結局同じ卓の向かいへ腰を下ろした。
「昇格おめでとう! ついにリネアっちもプラチナ級だね!」
アールがまるで自分のことのように喜んで杯を掲げる。
「まだ正式発表されていないはずだけど」
「情報はお酒と違って、寝かせすぎると価値が落ちるのだよ」
「会議室に盗聴器でも仕掛けた?」
「いきなり物騒な推理をしないでくれるかにゃ?」
どうやら否定はしないようだ。訝しみつつもリネアは店員へ果実酒を注文する。
やがて運ばれてきた杯を持ち上げると、アールは待ちきれない様子で自分の杯を触れさせた。
グラス同士の軽くぶつかる澄んだ音が鳴る。
「それでは改めて《黒鋼の狩人》の門出に!」
「その通り名までもう知ってるんだ」
「もちろん。情報屋アールちゃんを甘く見てもらっては困りますぞ」
アールは一息に酒杯をあおり、空になった杯を卓へ置いた。
「さぁて、リネアっち! これからガンガン稼いで、じゃんじゃん情報を買ってね! プラチナ級ともなれば報酬も依頼の機密度も桁違い。今後ともご贔屓に!」
「昇格祝いじゃなくて、営業だったの?」
「お祝いと営業は両立するのです。商売上手と呼んでほしいにゃ」
悪びれもせず、アールは胸を張る。
「それとも、そろそろ優良物件でもお探しかにゃ?」
「工房なら間に合ってるよ。灰貨商会の地下を使わせてもらってるから」
「そっちの物件じゃなーい!」
アールは卓へ勢いよく身を乗り出した。
「将来有望な殿方の話! 今のリネアっちに釣り合う男なんて、そうはいないけど、ご用命とあらば世界の果てからでも探し出してみせましょうぞ」
「新しい銃身を作れる職人の方が探してほしいかな、あと、ルクスの新装備を安く融通してくれるとことか」
「情報屋を武器商人と結婚相談所の間で反復横跳びさせないでくれる?」
思わず言葉に詰まったアールを見て、リネアは小さく笑う。
それは王城前広場で見せていたものとは違う、年相応の穏やかな笑みだった。
アールは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに嬉しそうな表情へ戻る。
「恋愛相談とか占いとかもしてるから、いつでも声かけてね♪」
「アールは恋愛とかしたことあるの?」
「質問に質問で返すのは減点ですぞ」
「占いの的中率は?」
「恋する乙女の未来は無限大だから、数字では表せないかな!」
「それは、当たらなくても責任を取らないという意味?」
「狙撃手の目で占いの逃げ道を塞がないで!」
軽妙で気さくなアールの抗議に、リネアはもう一度笑う。
五日前、ミリアによってこの王都には数え切れないほどの刃が降り注いだ。
友軍も敵も分からず、誰もが互いを疑っていた。しかし今は同じ街の酒場で、くだらない話をしながら杯を傾けている。
失われた命は戻らないし、崩れた建物もすぐには元通りにならない。
それでも、こうして笑える時間が戻ってきたことだけは、確かな勝利なのだと思えた。
果実酒を半分ほど飲んだところで、リネアは杯を置く。
「アール、聞きたいことがある」
「おや、早速お買い上げ?」
「必要なら払う」
声音の変化を鋭敏に感じ取ったのか、アールも杯を傾ける手を止めた。
「ミリアが最期に言ってた。私たちなら、あの領域へ届くかもしれないって」
酒場の喧騒は変わらず続いている。隣の卓では冒険者たちが依頼の成果を自慢し、奥では酔客が調子の外れた歌を口ずさんでいた。
しかし、二人の間にだけ、異なる時間が流れ始める。
「アーキテクトの魔導工兵たちは、何度も主神や約定という言葉を使っていた。あの領域とは何を指しているの? 魔導工兵たちに約定を課した主神とは、何者なの?」
アールの口元に残っていた笑みが完全に消えた。
酔いで緩んでいたはずの瞳が、わずかに細められる。杯を持つ指は揺れていない。
先ほどまで半酔いに見えていた女が、一瞬にして正体の分からない何かへ戻っている。
「それを知る資格が、今の貴女にはまだない」
リネアっちではなく、貴女呼び。冗談めかした語尾も、軽薄な笑みもない。
ただ純然たる事実を告げるような、冷たいほど静かで硬質な声音だった。
リネアの指先が、首から提げたばかりの認識票へ触れる。
今日、自分は冒険者としての資格を認められた。
備わった力を振るい、より大きな責任を背負うための資格を。
だがその先には、プラチナ級という階級でさえ到底届かないような領域が存在している。
「どうすれば、その資格を得られるの?」
アールはついぞ答えなかった。わずかな沈黙のあと、細めていた目を開く。
そして先ほどまでと同じ、底抜けに明るい笑顔を浮かべておどけて見せる。
「そんなリネアっちにお勧め! 外国への旅行なんかいかが?」
「国外旅行ってこと?」
「そうそう。広い世界を見て、珍しいものを食べて、異文化交流に心を躍らせる! 若者の成長には旅が一番だからねぇ」
「観光をすれば、資格が得られるの?」
「さあ、どうでしょう?」
アールは人差し指を立て、楽しげに左右へ振る。
「でも、王国の中から王国の外は見えないでしょ?」
それだけ告げると、残っていた酒を一気に飲み干した。
「西のガルディア獣盟国なんか、手始めにいいんじゃないかって、カワイイアールちゃんは思うんだ~」
「ガルディア獣盟国……」
リネアは窓の外へ目を向けた。夕日が王都の歴史ある建造物を赤く染めている。
ガルディア獣盟国について、知識がないわけではない。しかし、なぜアールがその国を選んだのかは分からなかった。
ミリアの言った未知の領域。魔導工兵たちが崇める主神。
それらと西の国に、どのような繋がりがあるのか。数瞬だけ思考へ沈み、再び向かいの席へ視線を戻す。
「アール、それは――」
視線の先の椅子にはもう誰も座っていなかった。
ほんのわずかに景色が揺らぎ、光学迷彩の残滓が窓際の光へ溶けていく。
卓上にはいつの間にか二人分の代金と、店員への心付けまで過不足なく積まれていた。
姿を消す直前まで酔っていたはずなのに、硬貨の勘定は一枚も間違っていない。
「また、勝手に……」
リネアは呆れながらも、その声に不快感はない。
残された果実酒を飲み干すと、わずかな酸味のあとに、穏やかな甘さが舌へ残った。
▲▽▲―――▲▽▲
酒場を出ると、ルクスが大通りの端で律儀に待っていた。
夕日を受けた黒い重装甲の輪郭が、淡い赤色に縁取られている。
『会談の終了を確認』
「うん。代金まで奢られた」
『対象アールの行動としては、比較的良心的であると評価する』
「そうかもしれないね」
リネアはルクスの傍らまで歩き、その前脚装甲へ手を触れた。
「ルクス。ガルディア獣盟国について、どう思う?」
『西方に位置する複数獣人種族による連合国家。現時点において、当機およびリネアとの直接的接点は確認できない』
「アールは、そこへ行くことを勧めてきた」
『単純な観光を目的とする提案である確率は低い』
「私もそう思う」
リネアは西の空を見つめ、遥か遠い異国に思いを馳せた。何が待っているのかは分からないし、先行きも不透明なまま。
アールは結局答えを教えなかったが、知る資格がないと言いながらも、その資格へ至る道をいつものふざけた調子で指し示してくれた。
「まずは調べよう。ガルディア獣盟国のことを」
『肯定。情報収集を開始する』
「それから、二人で決めよう。きっとそうする意味が、この世界にとって大きいと思うから」
『了解』
首元で、白金色の認識票が夕日を反射する。
そこから細く伸びた光は一瞬だけ矢のような形を作り、王都の街並みを越えて西を指した。
昇格を祝うために掲げられた杯は、戦いの終わりを告げるものではなかった。
その祝杯は、まだ見ぬ世界と、新たな謎が待つ方角を示していたのだ。




