第46話 白雨、海へ
爆縮によって生じたクレーターを、第三席次ミリアは遠くから見つめていた。
第五席次ベイカーの姿は、もうどこにもない。
闘神装が放っていた膨大なエネルギー反応も、生命反応も、神代の装甲片すら残されてはいなかった。
あるのは、抉り取られた大地と、その縁に突き刺さった折れた《白雨》だけ。
ミリアの機械化された瞳が、静かに明滅する。
その表情には、普段の余裕も、敵を値踏みする冷たい微笑もない。
「ベイカー……」
彼女は胸の前で片手を握った。
「貴方の勇敢な闘いを、私が必ず礎にしてみせるわ」
それは仲間を失った者の言葉であると同時に、次の戦いを見据える魔導工兵の宣言でもあった。
ミリアが指先を動かすと、命令を受信したデルタバーテックスが、浮遊機構を噴かせて彼女の右側へ戻る。
アトラス・ドレッドノートも無限軌道を反転させ、パルスシールドを展開しながら左側へ後退した。
デルタバーテックスは外装の一部を失い、アトラスもパルスシールド発生器と複数の兵装に損傷を受けていた。
まだ戦える状態ではあるものの、ベイカーを失った今、二機をさらに消耗させる理由はない。
「全軍、第三撤退陣形へ移行」
ミリアの声が、魔導ゴーレム軍全体へ送信される。
「損傷機を中央へ。重装型は外周を形成しなさい。飛行型は上空から追撃部隊を牽制」
一拍置き、彼女は続けた。
「鹵獲されることは許容しないわ。回収不能機は全て処分しなさい」
戦場に残されていた数千体の魔導ゴーレムが、ほぼ同時に動きを変えていく。
それは敗走ではなかった。恐怖に駆られて逃げ出す個体も、指揮官を失って立ち尽くす個体もいない。
巨大な盾を持つ重装型が後方へ回り、王国軍から放たれる矢と魔術を防ぐ。
砲撃型は一定間隔で足を止め、追撃を牽制する射撃を行う。
飛行型は上空へ広がり、撤退する地上部隊を覆った。
損傷した個体さえ、歩ける限りは隊列を乱さず後退していく。
一つの巨大な生物のようだった軍勢は、最後までその不気味な統制を失わなかった。
「敵軍、後退を開始!」
ヴァレリア外壁から、監視兵の声が飛ぶ。
「追撃しますか?」
血と煤に汚れた王国兵が指揮官へ問いかけるが、即座に命令は下されなかった。
アーキテクトは罠と偽装を多用する。撤退に見せかけて王国側を城壁から引き離し、再び包囲する可能性もある。
何より、ヴァレリア側の戦力も限界に近かった。外壁は複数箇所が崩れ、魔術師部隊の多くが負傷している。
中堅冒険者たちも満身創痍で、立っているのがやっとの者さえ少なくない。
「全軍、持ち場を維持!」
防衛指揮官が叫ぶ。
「追撃は許可しない!敵が交戦圏外へ出るまで警戒を続けろ!」
城外では、金級冒険者パーティ《暁の剣》と中堅冒険者たちが、最後の攻城砲型ゴーレムへ攻撃を続けていた。
先ほど一体を沈黙させた《暁の剣》は、そのまま次のシージ・ベヒモスへ迫っている。
「レオン、左から直衛が来る!」
カイルが魔導弓の弦を引き絞った。
形成された雷の矢が放たれ、レオンへ斧を振り下ろそうとしていた重装型ゴーレムの眼部へ突き刺さる。
魔力が内部で炸裂し、重装型の動きが止まった。
「助かった!」
レオンは返事と同時に、シージ・ベヒモスの固定脚へ斬りかかるが、分厚い外装は一撃では断ち切れない。
周囲の中堅冒険者たちも後に続いた。槌が装甲を砕き、土属性魔術が固定脚の周囲を隆起させ、巨体を傾かせる。
王国兵の大型弩砲が放った鉄杭が、既に傷ついていた魔力供給管へ突き刺さった。
「今だ、カイル!」
レオンの叫びに合わせてカイルは深く息を吸い、魔導弓へ残る魔力を注ぎ込むと、矢尻が青白く輝き出す。
「そこだ!」
放たれた轟雷矢が砕けた外装の隙間を通り、露出した魔力管を正確に射抜く。
シージ・ベヒモスの内部から、鈍い爆発音が響いた。長大な砲身が力を失い、巨体が片側へ倒れ込む。
大地を揺らす轟音とともに、さらに一体の攻城砲が沈黙した。
「二体目を止めたぞ!」
周囲から歓声が上がる。
しかし、残る二体のシージ・ベヒモスは後退しなかった。
撤退する魔導ゴーレム軍の中で、巨大な機体だけがその場に留まっている。
やがてそれらの砲身が下がり、固定脚が大地へ深く食い込む。そして機体各部に、赤い光が点灯した。
「待て、様子がおかしい!」
リネアたちの近くにいた兵士が声を上げる。
ルクスの単眼も、二体の攻城砲を捉えた。
『敵攻城砲型二機、内部魔力炉の制御を解除』
『自壊反応を確認』
ミリアの命令が、攻城砲型の二体へ届いていた。
撤退するには鈍重すぎて機動力に欠ける。さりとて鹵獲されれば、兵器技術が王国へ渡る。
二体のシージ・ベヒモスは、機密保持のためその場で処分されることを選んだのだ。
「全員、伏せろ!」
内部魔力炉が二機同時に爆発する。
長大な砲身が内側から裂け、巨大な装甲板が空へ舞い上がった。
爆炎と黒煙が平原を覆う中で、もう二度と、その砲口がヴァレリアへ向けられないことだけが確かだった。
都市を焼き続けた四門の攻城砲は、これで全て沈黙した。
それでも、城壁上の誰もすぐには喜ばなかった。
武器を下ろさず、遠ざかっていく敵軍を緊張とともに見張り続ける。
ミリアを守るように、デルタバーテックスとアトラス・ドレッドノートが後退していく。
盾型ゴーレムの隊列も、飛行型の黒い影も、少しずつ小さくなる。
やがて、地平線の向こうへ消えた。
飛行魔術を使った斥候役の魔術士が上空から帰還する。
「敵軍、南東方向へ後退!」
緊張に満ちた声が、外壁上へ響く。
「交戦圏外への離脱を確認しました!」
まだ誰も動かない。斥候は大きく息を吸い、今度こそ叫んだ。
「敵主力の完全撤退を確認!攻城砲、全機沈黙!」
長かった沈黙の中で、一人の兵士が剣を持ち上げた。
「……守った」
隣の兵士が、顔を上げる。
「俺たちが、守ったんだ」
誰かが叫んだ。
「ヴァレリアを守り切ったぞ!」
声は連鎖していき、歓声が爆発した。兵士たちが剣と槍を掲げる。
冒険者が隣の仲間と抱き合い、力を使い果たした魔術師たちが地面へ座り込んだまま笑う。
消火作業を続けていた職人たちも、煤だらけの顔を拭いながら拳を上げた。
生きている。
都市は燃え、外壁も崩れた。
多くの者が傷つき、帰らぬ者もいる。
それでも、ヴァレリアは残っている。
アーキテクトの軍勢を退けたのだ。
歓声は城壁から市街へ伝わり、避難所の人々へも届いていった。
▲▽▲―――▲▽▲
南東城門が開いた。
損傷したルクスが、ゆっくりと都市内部へ戻ってくる。
黒い装甲には無数の傷が走り、可変盾は大きく歪んでいる。
背部搭乗席には、右眼を包帯で覆われたリネアが力なく座っていた。
その横を、アルズが俯いたまま歩いている。
歓声の中で、最初に異変へ気づいたのは、城門近くにいた一人の冒険者だった。
「……剣聖殿は?」
ルクスの背後を見ても誰もいない。ユズリハ・カゲツキの姿がないのだ。
そしてアルズは胸の前に、何かを抱えていた。
折れた刀身に傷ついた柄。変わり果てた正刀《白雨》
人々の声が、少しずつ小さくなっていく。
近くで笑っていた兵士が口を閉ざす。武器を掲げていた冒険者たちが、その腕を下ろした。
「そんな……」
誰かが呟く。
「剣聖殿が……」
「《双神刀》の剣聖が犠牲に……?」
「我ら冒険者の頂、ミスリルの一角が墜とされたのか」
勝利の歓声に包まれていた城門前が、深い沈黙へと変わった。
アルズはそこで歩みを止める。白雨の残骸を胸へ抱いたまま、集まった者たちへ向き直った。
表情こそ沈痛だったが、涙を流さず、声を震わせずに報告する。
「アーキテクト第五席次ベイカーは、師匠が討ちました」
それだけだった。誰も続きを求めたりはしなかった。
焼け焦げて折れた白雨が、全てを物語っているから。
兵士の一人が兜を脱ぐ。
続いて、冒険者が武器を胸の前へ立てた。
その動きは波のように広がり、やがて城門前にいた全員が《双神刀》ユズリハ・カゲツキへ長い黙祷を捧げた。
勝利した都市に、弔いの鐘が鳴り始めた。
▲▽▲―――▲▽▲
ヴァレリア教会でのユズリハの葬儀は、戦闘の翌日に執り行われた。
再襲撃への備えを解くことはできないので、城壁の修復も、火災の鎮火も、負傷者の治療も続いている。
そのため盛大な国葬ではなかったが、それでもユズリハを送りたいと願う者は後を絶たなかった。
冒険者の間には、遺体を回収できなかった者を、その者が最後まで手にしていた武器とともに送る習わしがある。
教会の中央には、白木で作られた棺が置かれていて、その中には折れた正刀《白雨》の柄と刀身。
ユズリハが身につけていたミスリル級識別証。爆縮の外へ飛ばされていた、白い外套の小さな切れ端が納められている。
呪刀《黒喰》は残らなかったようで、ユズリハの左腕とその命を喰らい尽くした後、主とともに消滅したものと考えられた。
棺の周囲には、無数の花が置かれていく。白い花。赤い花。名も知らぬ野の花。
兵士や冒険者が、戦場から戻る途中で摘んできたものもある。
花々の間には、小型の光魔導具が並べられ、橙色や金色の柔らかな光を放っていた。
《暁の剣》のレオンが剣を置いて祈りを捧げる。
それに続いてカイルが、魔導弓のために作った一本の矢を捧げる。
ミーナとエリスも真摯な黙祷を捧げていく。
《鋼の絆》のガンドは、不器用な手つきで一輪の花を棺へ添えた。
戦場でユズリハと直接言葉を交わしていない者もいる。
それでも、彼女が第五席次ベイカーという極めて強大な魔導工兵を止めなければ、この都市がどうなっていたかは誰もが理解していた。
「ありがとう、剣聖殿」
「あなたが守ってくれた街を、今度は我々が守ります」
「どうか、安らかに」
一人ずつ、短い言葉を残していく。
やがてルクスも棺の前へ進んだ。損傷した四脚を折り、深く頭部を下げる。
『ユズリハ・カゲツキ』
碧い単眼が静かに明滅する。
『指導記録および戦闘記録を、アーカイブに永久保存します』
それは、ルクスなりの弔辞だった。
右眼を包帯で覆ったリネアも、棺の前へ立つ。
片眼になったことで距離を見誤り、わずかに足がもつれた。
アルズが反射的に手を差し出そうとするが、リネアは自分で立ち直った。
棺の中にある白雨を見る。森の旧街道で、初めて出会った日。
名も名乗らずルクスへ斬りかかってきた剣聖。それから昼夜を問わず稽古をつけられた短くも濃密な日々。
怒鳴られ、倒され、何度も立ち上がった。
最後には、その命まで使って、自分たちへ勝機を残した。
「ありがとうございました」
リネアは深く頭を下げる。
「教えてもらったこと、絶対に忘れません」
最後に、アルズが棺の前へ立った。
手にしていた小さな白い花を《白雨》の柄のそばへ置く。
彼女に言葉はなかった。
長い沈黙の後、アルズは静かに棺の蓋を閉じた。
▲▽▲―――▲▽▲
葬列はヴァレリアの東門から、都市の東を流れる大河へ向かった。
夕暮れの空は、淡い茜色に染まっている。
川岸には兵士、冒険者、市民たちが並び、それぞれ小さな光魔導具を手にしていた。
棺は小さな葬送船へ載せられる。
白い布に包まれ、その周囲には教会へ寄せられた花が敷き詰められていた。
船の縁に取りつけられた光魔導具が、夕闇の中で静かに輝く。
リネアはアルズの隣に立っていた。
右側に立つアルズの姿は見えないので、首を動かし、残された左眼で確かめる。
アルズは穏やかな顔で川を見ていた。
「師匠は、ひとつところに留まるのを好まれない御方でしたから」
彼女は、ゆっくりと懐かしむように言う。
「立派なお墓を作っても、きっと窮屈だと文句を言います」
リネアは黙って耳を傾ける。
「水葬なら海を越えて、魂がまだ見ぬ大地にまで行けると思ったんです」
アルズの口元に、小さな笑みが浮かぶ。
「生きている時も、知らない土地や、強い相手を求めて歩き回っていましたから」
葬送船を固定していた縄が解かれた。
川の流れが、ゆっくりと棺を運び始める。
岸辺に集まった人々が、手にした光魔導具を一つずつ水面へ浮かべた。
橙、金、白。
無数の光が川面を流れ、白い棺の後を追う。
「この街は、ユズリハ・カゲツキの名を決して忘れないそうですよ」
アルズが続ける。
「中央広場に、師匠の大きな銅像まで建てるそうです」
少しだけ、声が明るくなる。
「おいしいところ、全部師匠に持っていかれちゃいましたね」
屈託なく笑っている。けれど、その頬を涙が伝っていた。
アルズは涙を拭おうとしないので、リネアも慰めの言葉を探さなかった。
何を言っても、今は足りない。
せめてただ隣に立ち、同じ光を見送った。
棺は少しずつ遠ざかる。
やがて光の群れに混ざり、白い輪郭さえ見えなくなった。
大河は王国を抜け、いつか海へ至る。
その先には、ユズリハが生前に見ることのなかった国も、大地もあるのだろう。
彼女の最後の旅は、まだ始まったばかりだった。
▲▽▲―――▲▽▲
葬送を終えた後も、リネアは川岸に残っていた。
顔の右側を覆う包帯の奥では、鈍い痛みが続いている。
治療師の診断は明確だった。
傷は塞げるし命にも別状はない。だが、失われた右眼の視力は戻らない。
治癒魔術にも限界があり、一度失われた眼球の機能を、完全に再生することはできなかった。
右側に人が立っていても気づけない。
物へ手を伸ばせば、僅かに位置を外す。
歩くだけでも距離感が狂い、地面の段差へ足を取られそうになる。
そして戦場では、その一瞬が命取りになる。
ベイカーは自分を狙った。
ルクスを指揮し、敵の動きを読み、部隊全体を動かしていた自分を。
あの判断は正しかったのだろう。
リネアを倒せば、ルクスは守ることを優先し、攻撃の手を止める。
フォーメーションの中で、自分は重要な存在であると同時に、明確な弱点にもなっていた。
「このままじゃ駄目だね」
リネアが呟くと、傍らに立つルクスの単眼が、彼女へ向けられる。
『リネアは、当機の弱点ではありません』
「ううん」
リネアは首を振った。
「ルクスにとっては、そうかもしれない。でも敵から見れば、私は狙いやすい標的だった」
『当機の防護能力不足が原因です』
「違うよ」
今度は、はっきりと言った。
「ルクスだけの責任じゃない」
リネアは包帯の上から右眼へ触れる。
「今まで、私は後ろから指示を出してた。ルクスが戦って、私は守ってもらってた」
『リネアの戦況分析および指揮は、当機の戦闘能力向上に不可欠です』
「分かってる。何もしてなかったとは思ってない」
リネアはルクスを見上げる。
「でも、守られるだけの形は変えたい」
ルクスは答えない。
「守られなくていいって言ってるんじゃないよ。私だってルクスを守れるようになりたいんだ」
風が川面を渡る。ユズリハを乗せた棺は、もう見えない。
それでも、最後に告げられた言葉は耳の奥へ残っている。
戦場全体を見ろ。目の前の一人に、全てを使うな。目を逸らすな。
リネアは拳を握った。
「もっと強くなる」
その声に迷いはなかった。
「ルクスの隣で、同じ戦場に立てる方法を探す」
『リネアの直接戦闘参加は、危険増加を伴います』
「危険を増やすためじゃないよ」
リネアは小さく笑う。
「二人とも生きて帰れる可能性を増やすためにこそ、強くなるんだ」
ルクスの単眼が、長く明滅する。
『提案内容を理解』
そして、静かに答えた。
『当機も、新たな連携方法を検討します』
その時、後方から足音が聞こえた。
アルズが長槍を肩へ担ぎ、こちらへ歩いてくる。
目元は赤いが、その足取りはいつものようにまっすぐだった。
「リネアさん」
「アルズさん」
アルズはリネアの前で立ち止まる。
一度だけ、ユズリハを流した大河へ目を向けた。
「私、決めました」
槍を握る手に力がこもる。
「必ずミスリル級へ上がります」
アルズは迷わず断言した。
「師匠と同じ場所に立って、いつか師匠を越えられるくらい強くなります」
胸の前で拳を握る。
「師匠の名に誓って」
リネアも、左手を拳にする。
「私は、もうルクスに守られるだけでは終わりません」
アルズの碧い瞳をまっすぐ見つめる。
「ルクスの隣で戦える力を身につけます」
失われた右眼。ベイカーの暗器を避けられなかった自分。
師に守られ、生かされた自分。
その全てを受け止めたうえで、宣言する。
「絶対に、今の自分を越えてみせます」
二人はしばらく見つめ合った。
やがて、アルズが拳を差し出す。リネアも拳を前へ出した。
軽い音を立てて、二つの拳がぶつかる。
それ以上の約束は交わさなかった。
次にどこで会うのか。いつ再会できるのか。互いにどれほど強くなっているのか。
何も分からないし告げない。
それが冒険者という者の流儀だ。
アルズは長槍を担ぎ直し、踵を返す。
数歩進んだところで、振り返らずに片手を上げた。
「また、どこかの戦場で」
リネアも手を上げる。
「はい。お元気で」
アルズは振り返らず歩いていった。そっけないほど短い別れ。
けれど、二人にはそれで十分だった。
▲▽▲―――▲▽▲
その日の夕刻。
冒険者ギルドと王国軍から、正式な発表が行われた。
最高優先緊急依頼《交易都市ヴァレリア防衛》――達成。
戦死者と負傷者の確認。市街地の復旧。残存魔導ゴーレムの捜索。外壁と防御障壁の再建。
やるべきことは、まだ山ほど残っている。
ヴァレリアが完全に日常を取り戻すには、長い時間が必要だろう。
それでも、大切な都市は守られた。アーキテクトの宣戦布告に対し、王国は退かなかった。
兵士、冒険者、魔術師、職人、商人。
多くの人々が役割を果たし、強大な軍勢を押し返したのだ。
そして、その勝利の中心には、第五席次ベイカーと相打ちになったミスリル級冒険者《双神刀》ユズリハ・カゲツキの名が刻まれた。
数日後。
リネアとルクスは、王都へ戻る馬車列に加わっていた。
ルクスの損傷は深い。
可変盾の交換、左腕部基部の修復、装甲の再形成が必要だし、星紋動力環にも、長時間の高出力稼働による負荷が蓄積している。
リネア自身も、右眼の傷について本格的な治療と検査を受けなければならない。
片眼になった視界で、リネアは遠ざかるヴァレリアを振り返った。
修復中の外壁に立ち上る煙。
その上に、王国旗と冒険者ギルドの旗が並んで掲げられている。
「ヴィオラさんに相談してみようと思う」
『右眼の治療についてですか、リネア』
「それもあるけど、これからのことも」
灰貨商会長ヴィオラ・レイス。
人、物、情報と、王都の表と裏に広い伝手を持つ彼女なら、失われた眼を補う方法について何か知っているかもしれない。
そして、新しい戦い方を見つけるための手掛かりも。
「片眼になったからって、終わりじゃない」
リネアは自分へ言い聞かせるように呟く。
「失ったものは戻らなくても、今までできなかったことをできるようにはなれる」
『肯定』
ルクスが答える。
『リネアの可能性は、現時点の身体機能のみでは定義できません』
リネアは少し驚き、それから笑った。
「随分、人を励ますのが上手になったね」
『リネアの言動記録より、表現を調整』
「そっか」
大河の流れは、ユズリハを乗せた白い棺を海へ運んでいる。
その先には、彼女がまだ見たことのない大地が待っているのだろう。
リネアの光を失くした右目には、何も見えなかった。
それでも、進むべき道まで失われたわけではない。
「帰ろう、ルクス」
『王都への帰還経路を設定します』
守り抜いた果てに折れた剣を海へ送り、残された者たちはそれぞれの誓いを胸に歩き始める。
交易都市ヴァレリア防衛緊急依頼――達成。
そしてリネア・ギアライトは、失った右眼の代わりに新たな力と戦い方を求め、王都へ帰還するのだった。




