第45話 双神刀、最後の稽古
闘神装をまとったベイカーは、泰然と拳を構えたまましばらく動かなかった。
全身を覆う神代のプロテクター。その節々から漏れ出す淡い白光が、燃え上がるヴァレリアの炎とは異なる、不気味な明滅を繰り返している。
ルクスも、アルズも、ユズリハも不用意には踏み込めない。
構造も、能力も、間合いも、攻撃方法も分からないが、闘神装の内側に蓄積されたエネルギー量だけは、ルクスの演算が危険を訴え続けていた。
対するベイカーは、三人と一機の警戒を見渡し、僅かに口角を上げた。
「来ないのか?」
巨大な右拳が、軽く握られる。
「ならば、こちらからいくぞ!」
背部に埋め込まれた複数の噴射口が、一瞬だけ白く輝いたと思った瞬間、ベイカーの巨躯が視界から消える。
『対象、急加速』
ルクスが警告を発した時には、既にベイカーは眼前へ迫っていた。大地を踏み砕くような予備動作はない。
闘神装の背面ブースターが巨体を直接押し出し、間合いを瞬時に消し去っている。
「ルクス、防御を!」
『了解』
ルクスがリネアを庇うように可変盾を展開する。
真正面からは受けようとせず盾面を傾け、衝撃を外側へ流す。
ユズリハとの稽古で何度も叩き込まれた防御法だった。
ベイカーの右拳が、可変盾へ突き刺さる。
轟音が響き、巨大な鉄槌を城壁へ叩きつけたような衝撃に、盾の表面が大きく歪む。
補強された装甲が内側へ陥没し、接続基部から火花が噴き出した。
衝撃を横へ逃がしているにもかかわらず、ルクスの四脚が地面へ深く沈む。黒い機体が数歩分も押し戻されていた。
『可変盾、局所的変形』
『左腕部接続機構へ高負荷』
ルクスは四脚の爪を大地へ食い込ませる。
背後のリネアへ衝撃が届かないよう、全身の関節を使って揺れを吸収していた。
それでも止め切れない圧力に、地面に四本の深い溝が刻まれていく。
ベイカーは拳を盾へ押しつけたまま、呆れたように言った。
「随分と余裕がねぇなぁ」
ガントレットの表面を走る白光が、拳の中心へ集まる。
「まだ、ただ殴っただけだぜ?」
『高出力反応――』
ルクスの警告より早く、拳の前方で空間が歪んだ。極めて狭い範囲へ限定された、強大な斥力の発生。
白い衝撃が爆発し、ルクスの巨体が盾ごと弾き飛ばされた。四脚が地面を離れ、そのまま数度大地へ叩きつけられる。
黒い装甲片が散り、可変盾の外縁が削れるのが見えた。
『姿勢制御』
ルクスは空中へ《フォースフィールド》を展開し、前脚を強引に接地させることで受け身を取る。
衝撃を殺しながら身体を滑らせ、ようやく停止できた。
「ルクス!」
『リネアの損傷を確認』
「私は大丈夫!ルクスの方が――」
『戦闘継続可能』
そこへ、ベイカーが再びブースターを噴かせて突進してくる。
弾き飛ばしたルクスへ追撃するつもりだったようだが、その進路へ一人の女剣士が立つ。
白い刀身が、ベイカーの喉元を狙って走った。ベイカーは首をわずかに傾けることで器用に回避する。
正刀《白雨》の刃が、闘神装の表面を掠めた。
「次は私だ」
ユズリハ・カゲツキが、白雨を片手に立っている。
ベイカーは足を止め、その視線が彼女の構えを上から下まで観察した。
「剣士か」
両腕のガントレットを軽く打ち合わせる。
「その型の人間とは、さんざん戦ってきた」
「ならば、話が早い」
ユズリハが先手を取って踏み込み、白雨が明確な急所である首を狙う。
ベイカーは背面ブースターを小さく噴かせ、半歩だけ右へ滑った。
刃が空を切るものの、返す斬撃が即座に見舞われる。
それをベイカーは左へ回避するが、淀みなく追撃の袈裟斬りが放たれる。
しかし今度はそれを後方へわずかに退くことで避ける。
巨体に似つかわしくない、細かな足運びとブースター制御だった。
見るからに重い闘神装をまとっているにもかかわらず、まるで軽装の拳闘士のように間合いを外していく。
そしてブースターは大きく加速するためだけのものではない。
一瞬の噴射と一歩にも満たない移動。
それを繰り返すことで、ユズリハの剣先から必要な距離だけを奪い続けていた。
それでも白雨が連続して閃く。肩、脇腹、膝、首。
プロテクターの継ぎ目だけを狙った、流麗ささえ感じさせる斬撃の雨。
だがあと一歩で届かない。剣先が触れる寸前に、ベイカーの身体がいつもわずかにずれる。
「どうした」
ベイカーが余裕を込めて言う。
「剣聖とやらの剣は、その程度か?」
集中を高めているユズリハは答えない。
一歩踏み込み、さらに剣速を上げると、白い斬撃が幾重にも広がった花弁のごとく重なった。
それでもベイカーは有効打を受けない。
ガントレットで弾くこともまじえて、全てを紙一重でかわし続ける。
やがて、怒涛の連撃が途切れてユズリハの腕が下がる。
わずかな呼吸の隙が生じたその瞬間、ベイカーの背部ブースターが強く輝いた。
「終わりだ」
攻守が入れ替わる。ベイカーが愚直なまでに一直線に踏み込んだ右拳が、ユズリハの胸部へ迫る。
だが、そこに白雨はなかった。いつの間にか刀身は鞘へ戻されている。鋭い呼吸とともにユズリハの腰が沈む。
「誰が、終わったと言った」
鞘走りの音が走る。目にも留まらぬ居合斬りが、踏み込んできたベイカーを迎え撃った。
白い一閃が闘神装の胸部を横切ると、硬質な神代装甲に、細い亀裂が刻まれた。
ベイカーの突進が初めて止まる。彼は数歩通り過ぎたところで振り返り、胸部の傷へ指を添えた。
淡い白光が亀裂へ集まり、瞬く間に傷を塞いでいく。
「なるほど」
ベイカーは低く笑う。
「少なくともただの剣士ではないらしい」
ユズリハは白雨を振り、刃についた装甲片を落とす。その視線が、一瞬だけ戦場全体へ向けられた。
ベイカーの右後方にはデルタバーテックス。左後方にはアトラス・ドレッドノート。
二機はベイカーの命令に従って後退しているだけで、損傷は軽微。
さらにその奥では、第三席次ミリアが戦況を見守っている。
三体のシージ・ベヒモスも、ヴァレリアへ向けた次の砲撃準備を続けていた。
この場にいる全員でベイカーへ挑めば、あるいは勝てるかもしれない。
しかし、その勝利のために全ての力を使い果たせば、その後が続かないことは明らか。
デルタバーテックス、アトラス・ドレッドノート、魔導工兵第三席次ミリア。
あれらが無傷で残れば、ヴァレリアは守りきれない。そこまで高速で考えて、ユズリハは決断した。
「アルズ、リネア、ルクス!」
鋭い声が戦場を貫く。
「こいつは私の獲物だ!手を出すな!」
「師匠、何を――」
「戦いの先を見ろ!」
アルズの反論を、ユズリハが怒声で遮った。
「ベイカー一人を倒せば終わる戦場ではない!」
アルズが見据える先で待機する二機の魔導機兵、戦場を俯瞰している無傷のミリア。そして砲身を上げつつある攻城砲。
「後ろの魔導機兵と、もう一人の女に戦力を温存しろ!」
「でも、一人であれを相手にするなんて――」
「私一人で勝てると思っているのではない」
ユズリハは白雨を構えたまま、ベイカーから視線を外さない。
「私一人を失うだけで済ませると言っているのだ」
アルズの表情が歪んだ。
「そんな言い方を……!」
「ベイカーに回せる戦力は一人だ。そして、こいつを止められる一人は、私しかいない」
その判断には、恐怖も虚勢もなかった。ミスリル級冒険者として、戦場全体を見渡した末の戦略的結論。
単独でベイカーを討つ。残る敵をアルズ、リネア、ルクスが抑える。それ以外に、ヴァレリアを守る勝ち筋はない。
リネアにも、即座にその正しさが分かってしまった。
認めたくないが、否定するための別の作戦を思いつけない。
ユズリハは、自分を犠牲にしようとしているのではない。生き残るべき戦力を選んだのだ。
「リネア」
ユズリハが穏やかな声で呼ぶ。
「戦場全体を見ろ。目の前の一人に、全てを使うな」
彼女にとってはこれも稽古なのだ。痛いほど、そう伝わってきた。
ベイカーが両拳を構える。
「話は終わったか?」
背部ブースターが白く明滅した。
「なら、死ね」
そこから猛攻が始まった。
右拳、左拳と続けて迫った剛撃の軌道を白雨の腹でわずかに逸らす。
続く肘打ちを身を沈めて潜り抜け、脇腹へ斬撃を返す。
ベイカーは肩部ブースターを噴かし、身体を横へずらした。
白雨の刃が装甲を浅く削るうちに拳が、蹴りが、肩打ちが迫る。
その全てが規格外に速く、重く、致命的だった。
ユズリハは一撃もまともに受けない。
迅速かつ滑らかに足を運び、間合いを半歩だけ外し続ける。
前進に使うはずの縮地を、瞬間的な回避へ転用したりもしていた。
拳の外側へ出ることと懐へ潜り込むことが攻防一体の妙技で同時に果たされる。
ベイカーの力が乗り切らない位置へ、常に身体を運び続けていた。
だが、いよいよ避けるだけで精一杯になりつつある。
先ほどまで入れられていた反撃が、次第に減っていく。
白雨を振るう余裕がない。呼吸も荒くなる。
そしてベイカーはその変化を見逃さなかった。
右拳を大きく引き、正面からの剛撃を放つ態勢。
ユズリハは反射的に左側へ抜けようとするが、そこで拳は振るわれなかった。フェイントである。
背面ブースターが左右で異なる噴射を行い、ベイカーの巨体がその場で反転した。
死角へ回るはずだったユズリハの正面へ、左拳が現れる。
「――っ!」
拳の軌道上に白雨を割り込ませるが間に合わない。
左ストレートが、刀ごとユズリハの腹部へ突き刺さった。
鈍い音が響き、ユズリハの身体が宙へ浮いた。
血を吐きながら吹き飛ばされ、何度も地面を跳ねる。
白雨が手から離れ、土の上を滑った。
「師匠!」
アルズが踏み出す。しかし、ベイカーは倒れたユズリハを見ていなかった。
巨大なガントレットが、後方へ向けられる。闘神装の手首付近で、複数の装甲板が開いた。
その内側には、細い針のような暗器が並んでいる。
「機械獣だけではないな」
ベイカーの視線が、リネアを正面から捉える。
「そいつを動かしている小娘も、戦場の目だ」
白光がほとばしり《穿甲針》と呼ばれる三本の針が、音を置き去りにして放たれた。
「リネア!」
アルズとルクスが咄嗟に射線上に割り込む。二人が瞬時に連携して一発目を可変盾で弾き、二発目は長槍の柄で逸らす。
だが、三発目はわずかに軌道が違っていた。
最初の二本が作った死角を通り、アルズとルクスの盾の外側を抜ける。
ルクスがリネアに迫る致命的な危機に呼応し、悲鳴のような機械音声を響かせる。
『リネア!』
避けられない。リネアはそう悟りつつも咄嗟に顔を逸らした。
鋭い衝撃が、右眼へ突き刺さる。一瞬、視界が真っ赤に染まった。
それから。
右側の世界だけが、唐突に消えた。
「――あ、ぁ……!」
熱い、痛い。
何が起きたのか理解するより先に、身体が地面へ崩れ落ちる。
右眼を押さえた指の隙間から、温かなものが流れた。
「リネア!」
アルズがリネアの発汗した身体を支える。
ルクスが咆哮にも似た駆動音を響かせ、ベイカーへ向かおうとした。
『最優先護衛対象への重大損傷を確認』
「行かないで、ルクス!」
痛みに震えながら、リネアが叫ぶ。
「今、前に出たら……師匠の作った配置が崩れる!」
ルクスの動きが止まる。演算と、リネアの命令が衝突しているのだ。
助けたい。攻撃者を排除したい。しかしルクスがベイカーへ向かえば、デルタバーテックスとアトラス・ドレッドノートへの備えが消える。
ユズリハが命を懸けて残そうとしている勝ち筋を、自ら壊すことになる。
『……了解』
絞り出すような返答だった。
それを耳にしていたのか、倒れていたユズリハが、わずかに動く。
血に濡れた口元から、苦しげな呼吸が漏れる。肋骨は折れていて、内臓にも損傷がある。
それでも、右腕で地面を押して立ち上がった。白雨を拾い、震える右手で構え直した。
左手は、腰の二本目の太刀へ伸びる。
呪刀《黒喰》
黒い鞘に刻まれた幾重もの封印紋が、ユズリハの手へ触れた瞬間に蠢いたように見えた。
それを目にしたアルズの顔から血の気が引く。
「師匠、駄目だ!」
ユズリハは黒喰の柄を力強く、決意を込めて握った。
「それを抜いたら、師匠の身体が――!」
「知っている」
静かな返答だった。
鞘から黒い刀身が抜き放たれた瞬間、周囲の空間から光が消えた。
黒喰の周囲だけ、夕暮れよりも深い闇が生まれる。
それと同時に刀身を覆う魔術紋が、獲物を求める生き物のようにユズリハの左手へ這い上がった。
指先が、手の甲が、手首が、前腕が順に黒く染まりゆき、黒い浸食は瞬く間に肘まで到達した。
皮膚だけではない。血肉も、魔力も、生命力そのものが漆黒の刀身に喰らわれている。
ユズリハから左腕の感覚が失われる。
それでも黒く染まった腕は、刀と一体化したように強く黒喰を握っていた。
ユズリハは白雨と黒喰を左右へ構える。
これまで見せることのなかった、本来の二刀流。
《双神刀》のユズリハ。
その通り名の由来となった姿だった。
「黒喰よ」
黒い刀身へ、さらに闇が集まる。
「我が命くれてやる」
ユズリハの左腕から、生命の色が失われていく。
「この化け物を葬る力をよこせ!」
黒喰が獰猛に応えた。空気を引き裂くような音とともに、刀身が黒い光をまとう。
ベイカーはそこで初めて、心底楽しそうな笑みを浮かべた。
「そうこなくては面白くない、人間よ」
ユズリハが縮地によってまるで空間を歪めたかのように間合いを消す。
先ほどまでとは比較にならない速度で、ベイカーの懐へ入る。
右の白雨がガントレットの拳を受け流し、左の黒喰がその内側へ滑り込んだ。
黒い刃が神代装甲へ触れると、硬質なプロテクターが、斬られるより先に崩れた。
表面の魔術紋が乱れ、装甲を結びつけていた術式そのものが喰い裂かれていく。
「ぬっ!」
ベイカーが拳を引くその動きを、白雨が止める。
正確な斬撃が肘関節を走り、黒喰が続けて同じ箇所へ入った。
ガントレットの一部が割れ落ちると、闘神装の自動修復機構が起動した。
淡い白光が損傷箇所へ集まり、装甲を再生しようとする。だが、黒喰がつけた傷は塞がらない。
修復のために流れ込んだエネルギーまで、黒い斬痕に吸い込まれていく。
亀裂が逆に広がったほどの規格外の呪力である。
ユズリハの猛攻は止まらない。白雨で攻撃をいなし、黒喰で鎧を壊す。
白雨がブースターの向きを逸らし、黒喰が噴射口の魔術構造を断ち切る。
ベイカーが短い溜めの直後に局所斥力波を放つ。
ユズリハは白雨を斜めに振り下ろし、発生の中心からわずかに外へ滑り出ることで最小限の回避行動とする。
爆発した斥力が外套を裂き、頬を切る。それでもベイカーの懐へ喰らい付く。
黒喰が胸部装甲を斬り上げた。黒い亀裂が、今度は闘神装の中心まで走る。
「ははっ!」
ベイカーが豪胆に笑う。片方のガントレットを失いながらも、残った拳を力の限り振り下ろす。
ユズリハは白雨で受けるが、いよいよ刀身に亀裂が入った。それでも、魔力で補強された刃は折れない。
カウンターで振るわれた黒喰がベイカーの脇腹を深く裂く。赤い血と白い魔力光が同時に噴き出した。
闘神装の自動修復が黒喰の呪力に妨げられて追いつかない。神代の鎧が、少しずつ瓦解していく。
一方で、ユズリハもまた崩れていた。
黒く染まった左腕は、肩へ向けて浸食を広げている。
皮膚がひび割れて黒い粒子となってはがれ落ち、呼吸のたびに血を吐く。
一歩踏み込むごとに、命が削られていく。
それでも剣速は落ちず、むしろ速くなる。
残された生命力の全てを、次の一刀へ変えているかのようだった。
ベイカーが拳を振るい、白雨が防ぎ、黒喰が斬る。
拳撃、斬撃、斥力波、縮地。
白と黒の斬撃が、闘神装の淡い光と何度も激突する。
やがてベイカーの右膝装甲が砕けた。おのずと巨躯の片足が沈む。
ユズリハは鋭い呼吸とともに両刀を引く。
白雨を右肩の上へ。黒喰を左脇へ。
異なる方向へ向けられた二つの刃が、一つの敵を正中に捉える。
「黒白流奥義――」
ベイカーの背部ブースターが最大出力で輝く。最後の打ち合いになると読んでの捨て身の突進だ。
ユズリハも一気に踏み込んだ。
「――《二色屍》!」
白雨が右肩から左脇腹へ振り下ろされる。
正確無比な白い斬撃が、闘神装の出力経路と姿勢制御機構を同時に断った。
その直後。
黒喰が右脇腹から左肩へ、逆方向に斬り上げられる。
黒い刃が、自動修復術式と装甲結合を内側から喰い破る。
白と黒。
二つの斬痕が、ベイカーの胸部で交差した瞬間、闘神装が崩壊する。
胸部プロテクターが四散し、片方のガントレットが根元から落ちた。背部ブースターが爆発する。
ベイカー自身の身体にも、交差する深い傷が刻まれた。
巨躯が揺れ、片膝が地面へつく。
「やった……?」
アルズが息を呑む。
ユズリハもまた限界で、白雨を支えに幽鬼のようになりながらも辛うじて立っている。
黒喰に喰われた左腕は、肩口まで黒く染まっていた。もう一歩も動けないだろうことは明白だ。
ベイカーは俯いたまま、低く笑った。血が口元から流れ落ちる。
「見事だ、双神刀」
ユズリハは答えない。答える力も残っていない。
その時、ベイカーの闘神装内部で赤い警告光が灯った。
『高密度エネルギー集束を検出』
『自壊機構の可能性。全員、直ちに離脱を!』
ルクスの珍しく焦るような叫びに、危機感が否応なく高まる中、ベイカーが顔を上げる。
「最後まで」
半壊した闘神装の腕が、ユズリハを掴んだ。
「俺の約定に付き合ってもらう」
『盟装終端機構、起動を確認』
ルクスの演算領域に、未知の術式が展開される。
今から起ころうとしているのは通常の爆発ではない。
ベイカーを中心として空間を閉じ、範囲内の物質と魔力を一点へ圧縮する神代機構。
《盟装終端機構――零界爆縮》
「師匠!」
アルズが走り出す。
ユズリハが顔を上げて泣き叫ぶような声音で告げる。
「来るな!」
それは師匠としての最後の怒声であり、最後の強がりだった。
ユズリハは残された力で白雨を地面へ突き立てる。
同時に、黒喰の刀身がベイカーの脚部装甲の隙間を貫き、その巨体ごと大地へ縫いつけた。
決して逃がさないと言わんばかりに。
ベイカーがアルズたちへ接近し、自爆範囲へ巻き込む可能性を完全に消すために。
「ルクス!」
リネアが、出血する右眼を押さえながら叫ぶ。
「アルズさんを連れて離れて!」
『しかし、ユズリハ・カゲツキが――』
「師匠の判断を無駄にしないで!」
黒き機械獣の沈黙は一瞬だった。
『……了解』
ルクスはリネアの身体を片腕で抱き上げ、もう一方の腕で、なおもユズリハへ走ろうとするアルズを掴む。
「放せ!師匠が!」
「アルズさん!」
リネアは痛みに声を震わせながら、それでも叫んだ。
「師匠は、私たちを生かすために残ったんです!」
ルクスが《フィジカル・ブースト》を最大出力で起動して地面を蹴る。
《フォースフィールド》を連続展開し、爆縮範囲の外へ向かって一目散に駆けた。
背後で、零界爆縮の術式が完成していく。
音が遠ざかる。色が薄れる。
リネアの目には、全てがゆっくりと動いているように見えた。
黒喰が、ユズリハの左腕を完全に喰らい尽くす。
黒く染まった腕が指先から崩れ、黒い灰となって散っていく。
呪刀も、主人の腕とともに輪郭を失い始めた。
その先で、ユズリハがこちらを振り返る。
顔は血に濡れていて、身体は傷だらけだった。
それなのに、表情はこれまでにないほど穏やかだった。
稽古中に一度も見せなかった、優しい顔。
その口が、何事かを告げる。声は届かない。
爆縮機構の唸りと、遠ざかる風に消されてしまう。
ただ、唇の動きだけが見えた。
――目を逸らすな。これが、最後の稽古だ――
そう言ったように、リネアには見えた。
次の瞬間、強烈な閃光が走った。光は外へ広がらない。
ベイカーを中心として、球状の領域が内側へ急速に収縮する。
土、空気、炎、魔力、闘神装、ベイカー、ユズリハ。
範囲内に存在する全てが一点へ引きずり込まれた。
音すら圧縮され、戦場から消える。
一瞬の静寂に次いで、圧縮された空間そのものが消失した。
解き放たれた衝撃が外側へ走る。ルクスは背を向け、可変盾の残骸と自身の装甲でリネアとアルズを守る。
大地が揺れ、土煙が空高く巻き上がった。やがて、風が煙を運び去る。
そこに二人の姿はなかった。
残されていたのは、小規模な円形のクレーター。
ベイカーも、ユズリハも、呪刀《黒喰》も。
全てが、球状の破壊領域の中から消えていた。
しかしクレーターの縁で、爆縮範囲の境界へ弾き出されたのか、折れた正刀《白雨》の柄だけが地面へ突き刺さっている。
アルズは膝から崩れ落ちた。声も出せずに涙を流している。
リネアも、残った左眼で白雨の柄を見つめる。
視界の右側には、もう何も映らない。
ルクスの碧い単眼が、クレーターを静かに走査した。いつもなら、即座に解析結果を伝えてくれる。
けれど、今回ばかりは何も言わなかった。
生存反応が残されていないことを、告げる必要などなかったのだ。
燃え上がるヴァレリアを背に、折れた白雨だけが、主の帰らぬ戦場へ残されていた。




