第41話 名もなき剣聖
王都北西の小村からの依頼は、想定よりも穏やかに終わった。
内容は、村外れの水車小屋に組み込まれた古い魔導駆動軸の修理と、周辺に出没していた小型魔物の排除だった。
金級冒険者への依頼としては危険度が低い部類だが、村にとっては死活問題である。
リネアは半日かけて駆動軸を分解し、摩耗した魔力受けの部品を交換した。ルクスはその間、森から近づいてきた牙鼠や小鬼を追い払っていた。
水車が再び回り始めた時、村人たちは心底ほっとした顔で礼を言ってくれた。
「こういう依頼も、やっぱり大事だね」
帰り道、ルクスの背に乗ったリネアは、胸元の金級識別証に手を添えながら呟く。
『肯定。生活基盤の修復は、地域維持に寄与します』
「ルクス、そういう言い方もできるんだ」
『リネアの言動記録より、表現を調整』
「それ、ちょっと嬉しいかも」
夕暮れ前の旧街道は静かだった。
道の左右には深い森が広がり、王都へ向かう石畳はところどころ苔に覆われている。
かつては商隊も通ったらしいが、今では新しい街道が整備され、この道を使う者は少ない。
だからこそ、リネアはその人影に気づくのが遅れた。
街道の真ん中に、一人の女が立っていた。
旅装束をまとい、腰に二本の刀を差している。年齢は三十代半ばにも、四十を越えているようにも見えた。長い黒髪を高く結び、背筋はまっすぐ伸びている。
ただ立っているだけなのに、道そのものが塞がれているかのようだ。
ルクスが足を止める。
『前方に人影。敵性反応、不明』
リネアは手綱代わりの固定具を握り直した。
「すみません、通ります」
女は答えず、ルクスを見上げた。その視線は人が従魔を見るものではなかった。
武器を見定める目。あるいは、剣士が強敵の間合いを測る時の鋭い目だった。
「噂の黒い従魔か」
低く、よく通る声が瞬時に場を支配し、リネアの背筋に緊張が走る。
「あなたは……?」
「名乗るほどの者ではない」
そう言いながら、女の右手が腰の刀へ伸びた。
鞘から抜かれたのは、まっすぐで美しい太刀だった。
華美ではない。禍々しくもない。刀身には余計な揺らぎが一切なく、鍛え抜かれた実用品としての凄みが宿っている。
正刀《白雨》
女はそれを片手で構えた。
「少し、試す」
次の瞬間、女の姿が掻き消える。
「ルクス!」
『リネア、防護』
ルクスが即座に可変盾を展開する。
金属音がほとばしり、白い刃が盾の縁を滑り、火花を散らした。
受け止めきれていない。
盾に当たったはずなのに、力が別方向から加わり変わらず圧をかけられている。
ルクスはクリードディフェンダーを抜き、女へ向けて振るった。
女は一切退かなかった。代わりにただ一歩だけ、踏み込む。
それだけで、クリードディフェンダーの最も力が乗る軌道からその身が外れた。白雨の切先がルクスの腕部関節へ触れ、斬るというより、動きを止めるように叩く。
『腕部動作、一瞬の遅延』
ルクスが後退する。リネアはその背から飛び降り、街道脇へ下がった。
「この人、何者……?」
ルクスが強い一撃を出せば、女は常にその間合いの外側にいる。
可変盾を広げれば、盾が開き切る前に死角へ移動する。
アンカーショットを構えれば、射線上から消える。全ての動作が異常に速い。
いや、違う。リネアはすぐに違和感に気づいた。
女は、ルクスより圧倒的に速いわけではない。ただ、ルクスが動こうとする場所に、常に先んじている。
攻撃が始まる前に、もう勝ち筋のある位置へ足を置いている。驚異的な先読み技能とその制御。
『敵近接技量、極めて高』
「ルクス、正面から押さないで!あの人、受けるんじゃなくて踏み込みをずらしてる!」
『了解』
ルクスはクリードディフェンダーの振りを短くした。大振りではなく、小さな連撃で女剣士の退路を潰す。
それでも女剣士は白雨一本で攻撃を捌いた。刃と刃が触れるたび、クリードディフェンダーの重さが横へ逃がされる。女剣士は足を止めず、斬撃の外側を滑るように移動している。
ルクスがアンカーショットを放ち、杭が女剣士の背後の木へ向かって飛ぶ。
女剣士はやはりそこへは行かない。むしろ、アンカーショットを撃った瞬間に空いた左側の隙へ入った。
気が付けば白雨の峰がルクスの胴部装甲を叩く。殺傷の一撃ではないが、そこが本気の刃なら、装甲の継ぎ目を斬られていた。
「……殺す気じゃない」
リネアは息を呑んだ。女剣士の攻撃には、明確な殺意がない。
ルクスのどこを斬れば壊せるか分かっている。けれど、まだ斬っていない。
止め、崩し、測るに留めている。
「ルクス、剣だけを見ないで!足元をよく見て!あの人、踏み込む位置で次の攻撃を決めてる!」
『了解。脚部運動を重点観測』
女の目が、わずかに細くなった。
「ほう」
白雨が高速で閃く。ルクスは盾で正面から受けず、半歩下がって角度を変えた。そして女剣士の踏み込み先へクリードディフェンダーの柄を置く。
そこで初めて、女剣士の足が止まった。一瞬だけ、しかしその一瞬があれば十分だ。
ルクスは前脚を踏み込み、可変盾で退路を塞ぐ。クリードディフェンダーの切先が、女剣士の肩へ向かって伸びた。
両刃剣が遂に届く。そう思った瞬間、女剣士は不敵に笑う。
「黒い機械獣だけではないな」
白雨が小さく回り、ルクスの剣先が、女剣士の肩からわずかに逸らされた。
「後ろの娘も、ちゃんと見えている」
その左手が、腰の二本目の太刀へ伸びた。その刀は、鞘に収まっている段階で異様な存在感を放っている。
黒い鞘の表面に、幾重にも魔術紋が巻きついており、封印のようにも、呪いを閉じ込めているようにも見えた。
空気が緊迫感に満ち、ルクスの単眼が鋭く光った。
『第二武装より異常魔力反応』
女剣士の指が、柄にかかる。
『当機武装への構造破壊リスク、極めて高』
「構造破壊……?」
リネアの声が震える。
『リネア、後退を推奨』
二本目の太刀が抜かれようとした、その瞬間。
森の奥からよく通る声が飛んだ。
「そこまで!」
銀白色の影が、木々の間から飛び出してくる。
長槍を携えた女性が、リネアと女剣士の間へ割って入った。
アルズ・カスケード。
プラチナ級上位冒険者であり、少し前にリネアとルクスを救った先達だ。
アルズは槍は構えず、女剣士を睨んだ。
「師匠!いきなり斬りかかることがありますか!」
女剣士は二本目の柄から手を離す。
「あるだろう。今ここに」
「そういう意味ではありません!」
リネアは吃驚とともに瞬きをした。師匠。今、アルズは確かにそう呼んだ。
女剣士は白雨を鞘へ戻し、ようやくリネアへ向き直った。
「ユズリハ・カゲツキだ」
アルズが小さくため息をつく。
「現役ミスリル級冒険者《双神刀》ユズリハ・カゲツキ。私の師匠です」
「ミスリル級……」
リネアは思わず声を失った。
金級の上にプラチナ級があり、そのさらに上にミスリル級がある。
目の前の女剣士は、その頂に近い場所で今も剣を振るう冒険者だった。
ルクスがクリードディフェンダーを下げる。
『敵性反応を再評価。アルズ・カスケードの関係者と確認』
「敵ではないよ」
アルズはリネアに申し訳なさそうな顔を向けた。
「ただし、やり方は苛烈だけど」
「名乗ってから来る敵ばかりではない」
ユズリハは平然と言った。
「アーキテクトとやらは、依頼も身分も偽るのだろう?ならば、名乗らぬ相手にどこまで対応できるかを見る必要があった」
「それでも限度があります!」
アルズの声が少し大きくなる。
「黒喰に手をかける必要はありませんでしたよね!」
ユズリハは腰の二本目の太刀へ視線を落とした。
魔剣《黒喰》
敵の武器や装甲へ食い込み、その構造を内側から壊すことに特化していると言われる、いわくつきの刃。
「抜いてはいない」
「抜こうとしたでしょう!」
「抜く寸前で止めるつもりだった」
「それを信じてもらえると思いますか!」
二人のやり取りを聞きながら、リネアはようやく呼吸を整えられる。
怖かった。本当に怖かった。デルタバーテックスやアトラス・ドレッドノートとは違う恐怖だった。
巨大な火力でも、圧倒的な機体性能でもない。一本の刀と足運びだけで、ルクスの動きがほぼ完全に封じられた。
自分の指示がなければ、もっと早く崩されていたかもしれないし、二人合わせてもまるで届かなかった。
リネアは悔しさで反射的に拳を握る。
ユズリハはそんなリネアを見て、わずかに頷いた。
「悪くない」
「え?」
「恐れている。悔しがっている。それでもなお逃げず、見ていた。修理師としても、従魔使いとしても、その目は使える」
褒められているのか、試されているのか分からない。
ユズリハは今度はルクスを見上げる。
「黒い従魔も強い。だが、強いだけだ」
ルクスの単眼が静かに光る。
『評価内容の詳細を要求』
「速いし硬い。火力があって判断もできる。だが、間合いの作り方がまだ絶望的に粗い。しかも守る動きと攻める動きが分かれすぎていて単調だ。強い兵器を、さらに強い兵器で潰しに来る相手には、そのままでは到底足りん」
アーキテクト。ミリア。ベイカー。デルタバーテックス。アトラス・ドレッドノート。
リネアの脳裏に、先日の罠が蘇る。自分たちは、アルズが来なければ負けていた。
ルクスの演算でも、勝利確率は低いと出ていた。そして、その敵は必ずまた来る。
より入念に準備をして、もっとこちらに悪い条件で仕掛けてくるはずだ。今度こそ逃げ場を奪うように。
「……どうすればいいんですか」
リネアは尋ねた。
ユズリハは即答した。
「稽古をつける」
「稽古……?」
「格上を相手にした時の間合い。武器を壊さずとも使えなくする位置取り。守りながら攻める動き。お前たちはそれを死ぬ気で覚えろ」
アルズがリネアの横へ来て、小さく囁いた。
「師匠の稽古は厳しいよ。私は何度も泣かされた」
「泣いたか?」
「泣きましたよ!覚えていないんですか!」
「覚えている。言ってみただけだ」
リネアは師弟の軽妙な掛け合いに、少しだけ笑いそうになった。
けれど、胸の中にある悔しさは消えない。ルクスを守りたい。
ルクスに守られるだけではなく、ルクスが壊されないように戦い方を選びたい。
そのためには、自分も変わらなければならない。
「お願いします」
リネアは深く頭を下げた。
「私たちに、稽古をつけてください」
ルクスも静かに頭部を下げる。
『戦闘技術の向上は、リネアの安全確保に寄与します。訓練申請』
ユズリハは満足げに頷く。
「よし」
アルズがほっとしたように息を吐く。
「では、日程は王都に戻ってから――」
「明日からではない」
ユズリハが遮り、アルズの表情が気まずそうに固まる。
「師匠?」
ユズリハは白雨の柄に手を置き、当然のように言った。
「今からだ」
森の旧街道に、再び緊迫感が満ちる。リネアは思わずルクスを見上げた。
ルクスの碧い単眼が、静かに明滅する。
『訓練戦闘、再開準備』
金級冒険者リネア・ギアライトと、黒き特殊従魔ルクス。
アーキテクトに狙われる二人の前に現れた名もなき剣聖は、味方であると同時に、これまで出会った誰よりも厳しく高い壁になろうとしている。




