第三十八話 デルタバーテックス
城塞を形作っていた最後の装甲板が、大地へ落ちる。
衝撃で土煙が巻き上がり、周囲に残っていた小型ゴーレムが押し潰される。巨大な外殻を失ったデルタフォートレスの輪郭は、先ほどまでとはまるで別物だった。
大地を踏みしめていた太い脚は消えている。
代わりに、細く絞られた下半身から青紫色の魔力光が噴き出し、機体全体を地上から浮かせていた。
垂れ下がる装甲片は亡霊の衣のように揺れ、頭部から胸部にかけて埋め込まれた無数の眼が、一つずつ不気味に点灯していく。
浮いている。
三メートル近い巨体が、足音一つ立てずに宙へ留まっている。
レグナードの外壁上で、その姿を見つめていた兵士たちが息を呑んだ。
「あれが……さっきの城塞の中身なのか」
「脚がない」
「魔物なのか、あれは……?」
第一形態には、まだ建造物に近い威圧感があった。
だが、目の前に浮かぶものは違う。
無数の眼を持ち、脚もなく、ただ敵を見下ろす巨大な亡霊。
人が本能的に忌避する何かが、その姿にはある。
ルクスは主砲塔の残骸から飛び降り《フォースフィールド》の上へ着地した。碧い単眼が、敵機から発せられる魔力信号を解析する。
『敵機識別信号、更新』
デルタフォートレスの無数の眼が、一斉にルクスへ向く。
『旧識別名、デルタフォートレス』
細身の右腕が持ち上がる。
そこに装着されていたのは、六本の銃身を束ねた機関砲を二基連結した巨大兵装だった。
『現識別名――《デルタバーテックス》』
右腕の十二銃身が回転を始める。
最初は低い唸りだったそれが瞬く間に甲高い駆動音へ変わり、次の瞬間、赤橙色の火線が戦場を埋め尽くした。
それはチェーンガンと呼ばれる兵装に分類されるのだろうか。
魔力によって生成された高密度の弾体群が、猛烈な速度で絶え間なく吐き出される。
一発ごとに大地が弾けた。
小石が砕け、岩が抉れ、外壁の残骸が粉々に吹き飛ぶ。
線ではなく、面を塗り潰すような苛烈な弾幕だ。
ルクスは即座に可変盾を最大展開していた。
数発が盾に直撃すると甲高い衝撃音が連続し、やがて被弾が重なって火花が滝のように散る。
『継続防御時、盾基部損傷率上昇』
防ぎ続けるのは不可能。そう断じたルクスは左腕を地面へ向けた。
『アンカーショット、射出』
杭が遠方の地面へ突き刺さる。
ワイヤーが巻き取られるその張力に身を任せ、ルクスはデルタバーテックスを中心に大きな円を描いて旋回する。
ただ直線的に逃げるのではない。
巻き取りの力と自身の四脚推進を組み合わせ、遠心力によって弾幕の外周を回避しつつ駆け抜ける。
それでもチェーンガンの火線が猛然とルクスを追う。
大地が連続して爆ぜ、その軌跡を巨大な土煙が追いかけた。
ルクスは最後の瞬間、ワイヤーを解除する。
身体が弾かれるように前へ飛び、デルタバーテックスの後背へ、ちょうど回り込んだ。
『レーザーディスチャージャー、照射』
背部の二連装砲が碧い光の束を放つ。
広がった光の奔流が、デルタバーテックス背面に露出した動力結晶へ殺到した。
だが、届かない。
両肩から伸びていた補助マニピュレーターが、背後へ素早く回り込んだのだ。その先端に保持された二枚の大型盾が、動力結晶を庇うように重なる。
レーザーが大型盾へ直撃した瞬間、碧い光は表面で細かく分散し、無数の筋となって空へ逸れていく。
盾はわずかに焦げただけだった。
『盾表面に光学撹乱層を確認』
レーザーディスチャージャーの出力を上げても、効果は薄い。
『レーザー兵器による有効損傷率、大幅低下』
デルタバーテックスが振り返った。フロート機構が青紫色に妖しく輝く。
地面を蹴る予備動作はなかった。浮遊したままの巨体が、空間に引かれたように滑る。
一瞬で間合いが消え、左腕に高出力レーザーブレードが展開される。その白熱した光刃は、対峙するルクスのクリードディフェンダーよりも長い。
デルタバーテックスは滑空の慣性を殺さず、そのまま機体全体を回転させた。
一回転目。
低い軌道のレーザーブレードの横薙ぎが、ルクスの四脚を刈り取ろうと迫る。
ルクスは《フォースフィールド》を足元へ展開し、上方へ跳んだ。
二回転目。
デルタバーテックスは浮上しながら斜めに切り上げる。
ルクスは可変盾を傾け、光刃の軌道をわずかに外へ逸らした。盾表面が赤熱し、装甲の一部が溶け落ちる。
三回転目。
二枚の盾を左右へ広げ、逃げ道を塞いだうえでの大振りな横薙ぎ。
ルクスは空中へもう一枚の《フォースフィールド》を展開し、四脚で素早く蹴る。
身体がさらに上へ持ち上がり、光刃が腹部装甲のすぐ下を通り過ぎた。高熱が黒い外装を灼く。
『腹部外装、熱損傷。機能への影響、軽微』
辛うじて連撃を避けきった。
だが、デルタバーテックスは回転を終えた勢いのまま、地面すれすれを滑って一時離脱していく。
ルクスはその背を追い、クリードディフェンダーを振り下ろした。
二枚の盾が即座に背面で交差する。そこに碧い両刃剣が激突し、重い衝撃音が響いた。
盾は砕けない。
デルタバーテックスのフロート機構が出力を上げ、剣圧を受け流しながら横へ滑る。
直後、チェーンガンが至近距離で火を噴いた。
ルクスは可変盾を割り込ませる。
弾体が盾へ連続して突き刺さり、黒い機体ごと後方へ押し戻した。
戦闘は泥沼の様相を呈しつつある。
ルクスが距離を取れば、チェーンガンの弾幕が追う。
接近すれば、レーザーブレードの広範囲斬撃が待っている。
レーザーディスチャージャーは二枚の盾で分散防御され、クリードディフェンダーの一撃も柔軟に動くマニピュレーターの盾が受け止める。
一方、デルタバーテックスもルクスを捉え切れない。
《アンカーショット》による強制旋回。
《フォースフィールド》を用いた立体機動。
そして《ミラージュ》による照準撹乱。
チェーンガンの弾幕が、再び碧い残影を蜂の巣にする。
その間に、実体は別の方向へ抜けている。
ルクスがクリードディフェンダーを振るう。
デルタバーテックスはフロート機構で急制動し、刃先から僅かに離れた位置へ後退する。
決定打になり得る威力の攻撃ばかりが飛び交っている。
一度でもまともに受ければ、どちらにとっても致命傷になり得る。
それでも、あと一押しがお互いに届かない。
『星紋動力環、出力維持』
『機体各部温度、上昇中』
複数の高負荷機能を同時運用することで、ルクスにも確実に熱と消耗が蓄積していた。
敵にも消耗はあるが、その程度を正確には測れない。
さらに周囲では、残存する魔導ゴーレムたちがレグナードへの攻撃を続けている。
デルタバーテックスとの戦いだけに全出力を使い切ることはできない。
『戦闘継続時、都市防衛余力の低下が予測される』
ルクスは弾幕の間を抜けながら、デルタバーテックスの動作を詳細に記録し続けた。
チェーンガンの回転開始。反動制御。盾の配置。フロート機構の出力変化。
やがて何度目かのチェーンガン斉射で、一つの規則を発見する。
高密度の弾幕を形成する際、デルタバーテックスは右腕を完全に固定する。
射撃反動を抑えるため、右肩側の補助マニピュレーターが機体姿勢の制御へ回る。
その瞬間だけ、右側の盾は移動が遅れるのだ。
ごく僅かな遅延ではある。人間なら見逃す程度の隙。
それをルクスは冷徹に記録した。
◇
地下の伝達路では、リネアが膝をついたまま魔力導管へ工具を差し込んでいた。
切断された導管内部は、想像以上に酷い状態だ。
単に断ち切られただけではなく、接続端子が焼かれ、信号線が意図的に入れ替えられている。
修復しようとした技師が誤った接続をすれば、魔力が逆流するよう仕組まれていた。
「これを壊した人、直し方まで知ってる……」
額の汗を袖で拭う間にも、遠くから振動が伝わってくる。
地上の戦闘音。この音の中心でルクスが戦っているのだろう。
識別証には、ルクスの機体の負荷情報が断続的に送られていた。
外装損傷。盾基部への負荷。機体温度上昇。
それでもルクスは、異常なしに近い報告しか送ってこない。
「それを無事とは言わないんだけど……」
リネアは導管の接続部を固定した。
「東側主伝達路、仮接続完了。補助線、繋ぎます!」
主任技師たちが一斉に制御盤へ向かう。
「魔力を流します!」
「待って。最初は三割で」
リネアは耳を澄ませた。魔力が導管を通り始める。
低い振動と金属の軋みだけで、異常な逆流音はない。
「五割まで上げてください」
青白い光が導管の内部を走り出し、停止していた東側伝達路が、ゆっくりと息を吹き返していく。
「完全じゃなくていい」
リネアは地上を見上げるように顔を上げた。
「今は、ルクスが背中を気にしなくて済むだけの壁を築く」
◇
デルタバーテックスがチェーンガンを持ち上げた。十二本の銃身が高速回転を始める。
ルクスは迷いなくその正面へ踏み込んだ。デルタバーテックスの無数の眼が、その進路を正確に捉える。
チェーンガンが轟音とともに火を噴く。
赤橙色の弾幕が、一直線にルクスへ殺到する。
『《ミラージュ》起動』
碧い光がルクスの機体を包み、生じたルクスの残影は、そのまま正面へ進み続けた。
無数の弾丸が残影を貫くのと同時に、本体は低い姿勢で右側面へ滑り込んでいる。
デルタバーテックスの右肩マニピュレーターは、今回も射撃反動を抑えるため一時固定されていた。
右側の盾の移動が、ルクスの予想通りに遅れる。
その瞬間、ルクスの胸部で星紋動力環が強く脈打った。
『《フィジカル・ブースト》出力上昇』
クリードディフェンダーの刃へ、碧いエネルギー刃が重なる。
『《エナジーブレード》展開』
デルタバーテックスがルクスの実体を捉え、右側の盾が動き始めるが、すでに遅い。
ルクスは四脚機動で深く踏み込み、クリードディフェンダーを振り抜いた。
碧い斬撃が、チェーンガンと右腕を繋ぐ連結基部へ食い込む。
硬い装甲を切り裂き、内部の動力管まで断つ。
十二銃身の巨大兵装が切断され、チェーンガンが地面へ落下する。
回転を続けていた銃身が土を削り、次の瞬間、内部の魔力統御機構が爆発した。
激しい火柱が足元で上がり、誘爆を回避しようとしたデルタバーテックスの全身が大きく跳ね上がった。
『敵主力射撃兵装の破壊を確認』
ルクスは追撃へ移ろうとする。だが、その直前。
デルタバーテックスの全身に埋め込まれた眼が、一斉に明滅した。背部の動力結晶が強く輝く。
細い魔力波が、南西方向の空へ伸びた。
ルクスの受信機構も、未知の信号を捉える。
『外部通信を検出』
高度に暗号化されていて、内容は解析できない。
だが、その信号には明確な優先順位が設定されていた。
デルタバーテックスがルクスへの攻撃を止め、両肩の盾が機体後方を覆うように閉じられた。
『敵機、高優先度指令を受信した可能性』
直後、フロート機構が唸りを上げ、青紫色の光が爆発的に強まる。
デルタバーテックスは一度だけレグナードへ無数の眼を向けると、南西方向へ急加速した。
「逃げるぞ!」
外壁上の兵士が叫ぶ。
「追うんだ!今なら――」
ルクスは動かず、冷徹に追撃という選択を戦術的に演算する。
敵機の損傷率。自身の残存出力。周囲の残存魔導ゴーレム。都市の状態。リネアの位置。
『追撃成功率、不確定』
デルタバーテックスは主力兵装を失っているものの、レーザーブレードと二枚のレーザー撹乱盾は健在。
撤退先に増援や罠が存在する可能性もあり、何より、都市周辺にはまだ多数の敵性ゴーレムが残っている。
『城塞都市およびリネアの防衛を優先』
ルクスはエナジーブレードを解除し、追撃を断念した。
デルタバーテックスが離脱すると、残存ゴーレム群の動きも一変していた。
一切の乱れなく、退却陣形へ移行したのだ。
小型個体が前へ出て守備隊を牽制し、中型個体が損傷した仲間を引きずる。
飛行型は低空を旋回し、追撃しようとする兵士たちへ魔術弾を放った。
破壊された仲間の中からコアだけを抜き取り、運び去る個体までいる。
その整然とした後退は末端まで精緻に統率されていた。
「追うな!」
防衛線の指揮官が叫ぶ。
「戦線を維持しろ!門前の敵だけを排除するんだ!」
その判断を後押しするように、レグナード東側の防壁塔が光を取り戻した。
地下から送られた魔力が、外壁に沿って走る。
淡い青白い光が広がり、東側外壁の一帯を半透明の障壁が覆った。
残存する飛行型ゴーレムが、最後の魔術弾を放つ。
火球と風刃が障壁へ激突し、光の表面が大きく波打つ。しかし、全く破られる気配はない。
それを目の当たりにして、城壁上で歓声が上がった。
「防壁が戻った!」
「グラン・バスティオンが動いたぞ!」
完全な防壁ではなく、東側だけを覆う仮復旧の部分障壁。
それでも今のレグナードには、何よりも必要な光だった。
ルクスは後退する魔導ゴーレム群を見届け、都市へ向き直った。
金級識別証を介して、リネアの声が届く。
『ルクス、聞こえる?』
『通信状態、良好』
『無事?』
ルクスは自らの損傷を走査した。
腹部装甲の熱損傷。可変盾の表面融解。アンカーショットのワイヤー摩耗。各関節部の温度上昇。
『損傷あり。戦闘継続可能』
少しの沈黙。
『それは可能って言わない。すぐ戻ってきて』
『了解』
ルクスはアンカーショットを城壁へ撃ち込んだ。ワイヤーを巻き取り、外壁上へ帰還する。
兵士たちは道を空けながら、傷だらけの黒い機体を見上げた。
歓声を上げる者。安堵から座り込む者。無言で敬礼する者。
ルクスはそれらには反応せず、都市地下にいるリネアの位置を確認した。
最優先護衛対象、生存。城塞都市、陥落回避。防衛目的、達成。
しかし、まだ戦いは終わっていない。
ルクスの記録領域には、デルタバーテックスが受信した正体不明の信号が残されている。
地下では、リネアが人為的に切断された防壁機関を見つけていた。
魔物氾濫の発生。グラン・バスティオンへの破壊工作。魔導ゴーレム軍の進撃。
そして、外部からの指令によって撤退したデルタバーテックス。
偶然が、あまりにも重なりすぎている。
城塞都市を襲った災害は、自然に起きたものではない。
誰かが筋書きを用意し、その通りに魔物と兵器を動かした。
その可能性を、ルクスの冷徹な演算は否定できなかった。
戦略的判断として、敵を倒すことではなく、守るべき場所から退かせることを覚えたルクス。
ルクスは今回、災害級モンスターを最終的には討ち取れなかった。しかし、難敵の主力兵装を壊し、軍勢を撤退させ、リネアが防壁を直すまで都市を守り切った。その追撃による名誉や完全勝利ではなく、リネアと都市の安全を優先する判断によって、ルクスは単なる強大な兵器ではなく、信頼できる守護者としてさらに成長していくのでしょう。




