第三十四話 金色の識別証
金級昇格試験三日目。
金剛騎士団の訓練場には、初日とも二日目とも違う空気が張り詰めていた。
騎士たちは疲れている。連日の模擬戦で身体には打撲が残り、鎧には傷が増え、武器の多くは修理班の手を借りなければならないほど酷使されている。
それでも、誰一人として目を逸らしてはいなかった。
訓練場の中央には、黒い四脚の従魔ルクスが静かに伏せている。傍らにはリネアが立ち、最終確認を行っていた。
「関節部、異常なし。盾基部、固定良好。クリードディフェンダー、出力制限確認。アンカーショット、訓練用杭に交換済み」
『非殺傷制圧設定、維持。機体状態、良好』
「うん。今日で最後だよ、ルクス」
『了解。金級昇格試験、最終日』
その言葉を聞いて、リネアは少しだけ胸が締めつけられるようだった。
金級。
かつては、自分には縁のない階級だと思っていたし、それは今でも変わらない。
修理師だから役に立たないと追い出され、王都外縁の小さな店で細々と暮らしていた頃には、そんな場所に自分が立つことなど想像すらできなかった。
しかし今、リネアはここにいる。
ルクスと共に、王都最精鋭の騎士たちと向き合っている。
「最終日は、私が相手を務めよう」
静かな声が訓練場に響く。
金剛騎士団長、アーヴィン・グランシルトが前へ出る。
騎士たちの間に、どよめきが走った。
アーヴィンは銀灰色の髪を後ろへ撫でつけ、団長に相応しい魔導鎧を身につけていた。
右手には、刃の背に櫛状の溝を持つソードブレイカー。左手には、細身だが鋭い片手剣。
変則的な二刀流。それが、アーヴィン・グランシルトの名を王都に知らしめた戦い方だ。
「団長自ら……」
リネアが思わず呟く。
アーヴィンは穏やかに頷いた。
「騎士団長が届かぬなら、届かぬことを騎士団全体で知る必要がある。届くなら、その道筋を全員で見る必要がある」
そして彼はルクスを真剣な眼差しで見た。
「ルクス殿。どうか、最後まで付き合っていただきたい」
『訓練戦闘を受諾』
リネアは深く息を吸った。
「ルクス、危険になったら止める。でも、手加減して勝てる相手だと思わないで」
『了解』
開始の合図が鳴った。
先に動いたのはアーヴィンだ。
彼は無闇に突っ込まず、まずは左手の片手剣を軽く振り、足元へ魔力を流す。
次の瞬間、ルクスの進路上に巨大な氷柱が三本、鋭く突き出した。氷属性無詠唱魔術の顕現である。
「ルクス、右から!」
『了解』
ルクスが四脚で横へ跳び、進路を確保する。クリードディフェンダーが鋭く振るわれ、氷柱の壁を砕く。
だが砕けた氷片の向こうから、アーヴィンがすでに踏み込んでいた。
右手のソードブレイカーが、クリードディフェンダーの刃筋に触れる。
受け止めさせたのではない。強引に剣筋をずらしたのだ。
ルクスの重い一撃が、わずかに外側へ逸れる。その次の瞬間、左手の片手剣がルクスの腕部関節へ鋭く滑り込んだ。
『軽微接触』
リネアは目を見開く。
「受け止めてない……滑るように流してる」
アーヴィンは深追いせず、すぐに距離を取ろうとする。
ルクスが可変盾を振るうが、半歩だけ身体をずらして盾の軌道を外し、その直後、片手剣で盾基部を軽く叩き、動きを制止する巧緻な圧をかけてきた。
団長は単身のはずだった。
だが、リネアの目にはルクスが複数人を相手どっているように映る。
氷魔術で進路を塞ぐ者。ソードブレイカーで刃を逸らす者。
片手剣でカウンターを入れる者。距離を取って次の攻撃を組み立てる者。
それらを、アーヴィン一人が全て担っている。
『対象アーヴィン。戦術判断、高。対大型個体経験、豊富』
「本当に強い……」
ルクスは敢えて踏み込む。
クリードディフェンダーの重撃が訓練場の空気を裂いた。
アーヴィンは正面からは徹底して受けない。ソードブレイカーの溝で刃の角度をずらし、片手剣でルクスの装甲の隙を突く。
ルクスが距離を取れば、すかさず氷柱が飛ぶ。近づけば、剣とソードブレイカーの間合いに入ってしまう。
アンカーショットを撃とうとすれば、アーヴィンは射線から外れ、氷壁を立てて杭の軌道を遮る。
可変盾で押し込もうとすれば、半身を翻す回避によって力を逃がし、片手剣の連撃で盾の戻りを狙われる。
観覧席の騎士たちは団長の激烈な戦いぶりに息を呑んでいた。
二日間、彼らはルクスに挑み続けた。だが今、団長はたった一人で、その黒き従魔を見事に足止めしている。
「団長……!」
若い騎士が拳を握る。
アーヴィンの呼吸は乱れていない。ルクスの凶刃と長く打ち合いながらも、消耗を表に出さない。
踏み込み、受け流し、適切に下がって間合いを支配し、氷を放ち、また踏み込む。
堅実で、隙がない戦術。
だが、それでもルクスは本質的に機械だった。
機械兵には疲労も、恐怖も、焦りもない。
そして、戦いの最中に高速で学習演算していく。
『ソードブレイカーによる受け流し角度、記録。片手剣カウンター軌道、記録。氷魔術発動前兆、魔力反応を検出』
リネアはそこで気づいた。
「ルクス、戦い方を変えてる……」
次の一撃で、ルクスはクリードディフェンダーの軌道をわずかに低く短くした。
それは重撃ではなく、ソードブレイカーに絡め取られる前に、途中で引く誘いの一撃。
アーヴィンの片手剣がカウンターに出る。そこへ可変盾が今までより数瞬速く入った。
鋭い金属音が響き、片手剣の軌道が止まる。
アーヴィンの目がわずかに細められる。
「……速いな。学習が」
ルクスはアンカーショットを、今度はアーヴィンに向けて撃たなかった。
訓練場の端に立てられた対大型魔物用の鉄杭へ射出し、巻き取りの勢いで高速移動する機体の角度を急変させる。
アーヴィンの氷柱がそれに追従しきれず空を切った。
ルクスは新たに側面から迫る。
アーヴィンは氷壁を展開して機械兵の進路を塞ぐが、ルクスは氷壁を砕こうとはせず、前脚で強かに地面を叩いた。
広範囲に衝撃が走る。
氷壁の根元にあった魔力紋が乱れ、壁がわずかに崩れていく。
その隙間を、黒い四脚が疾駆して抜けた。
アーヴィンはソードブレイカーを低く構える。ルクスの剣を初撃で逸らす構えだ。
だが、クリードディフェンダーの本命軌道は途中で器用に変わった。
刃ではなく、柄と腕部の圧でソードブレイカーの角度をずらし、同時に可変盾が片手剣のカウンターを封じる。
瞬時に両手の剣を封じられたアーヴィンが、最後の氷柱魔術を発動しようとした。
その足元の魔力紋へ、ルクスの前脚が再び大槌のごとく落とされる。
氷の形成が乱れた、次の瞬間。クリードディフェンダーの切先がアーヴィンの喉元で止まっていた。
訓練場が、完全に静まり返る。
アーヴィンは数呼吸の後、ゆっくりと息を吐いた。
「参った」
その言葉を合図にして、訓練場に拍手が広がる。
守護の意志を貫徹させた団長と、飽くなき演算で鉄壁の守りを崩したルクス、両者を讃えるようにいつの間にか全員が手を叩いていた。
ルクスは両刃剣を引く。
『非殺傷制圧完了』
アーヴィンはソードブレイカーを収め、深く礼をした。
「素晴らしい。ルクス殿、そしてリネア殿。あなた方は、我々に多くを教えてくれた」
リネアは慌てて頭を下げる。
「そんな、私たちは訓練相手をしただけで……」
「その訓練相手が、どれほど得難いものか。騎士団長としてよく分かっている」
アーヴィンは騎士たちへ向き直った。
「見たな。あれが、疲労も恐怖もなく、戦いの中でこちらの技を学び続ける相手だ」
騎士たちは真剣な表情で聞いている。
「だが、我々は無力ではない。二日目、君たちはルクス殿を転倒させ、進路を限定し、武装の全てを使わせた。私は今日、わずかながら時間を稼いだ。ならば実戦で民を護る道は必ずある」
その声には、敗北の悔しさよりも、確かな学びが満ちていた。
「己の力量では凌駕できぬ相手を前に、どう守るか。それを忘れるな」
騎士たちは一斉に返事をした。
その後、リネアとルクスのもとへ騎士たちが次々に訪れる。
「ありがとうございました。ルクス殿のおかげで、自分の盾の使い方を見直せました」
「リネア殿、整備の様子も勉強になりました。武器を壊さず使い続けることの重みを知りました」
「次は、転倒後の十秒を無駄にしません」
「いつかもう一度、挑ませてください」
リネアは少し戸惑いながらも、一人一人に頭を下げていく。
「こちらこそ、ありがとうございました」
ルクスも静かに応じる。
『金剛騎士団、訓練成果あり。脅威度および防衛能力、上方修正』
騎士たちは、それを褒め言葉として受け取ったらしく、少し誇らしげに笑った。
◇
その日の午後。
リネアとルクスは冒険者ギルドへ戻った。
ロイド・バルカスとガレス・オーウェンが待っており、二人の前には、金剛騎士団から届いた正式な評価書が置かれている。
ロイドは書類を読み終えると、口元をわずかに緩めた。
「三日間にわたる金剛騎士団実戦訓練協力依頼。非殺傷制御を維持しつつ、複数戦、罠、魔術、精鋭騎士、副団長、団長戦に対応。金剛騎士団からの評価は、極めて高い」
ガレスが軽快に笑う。
「団長アーヴィン直筆で、『王都防衛に大きく寄与する訓練成果を得た』とある。これは文句なしだね」
リネアは緊張で喉を鳴らしていたが、ロイドが顔を上げる。
「銀級冒険者リネア・ギアライト。お前を本日付で、金級冒険者へ昇格する」
言葉が、静かに胸へ落ちる。
金級。本当に、その領域へ届いたのだ。
リネアは一瞬、何も言えなかった。思い出したのは、三年前のことだった。
役に立たないと言われ、置いていかれた日。王都外縁の小さな店で、壊れた道具を直しながら暮らしていた日々。
そして、未開拓遺跡で黒い四脚の機械獣と出会った日。
あの日から、全てが変わった。
「……ありがとうございます」
ようやく、それだけ言えた。
ガレスは小さな箱を開く。
中には、金色の薄いプレート型ネックレスが収められていた。
表面には冒険者ギルドの紋章。裏面には、リネア・ギアライトの名と、特殊従魔ルクスの登録識別が刻まれている。
「金級以上の冒険者に支給される識別証だ。長距離通信機能と、緊急時のビーコン機能を備えている。高難度依頼の参加資格証にもなるし、ギルド支部での身分証明にも使える」
ロイドが補足する。
「扱いには気をつけろ。金級以上の依頼は、報酬も責任も重い」
「承知致しました」
リネアは金色の識別証を受け取り、胸にかけた。重い。
金属としての重さではない。この等級に伴う責任の重さだろう。
ルクスが静かに単眼を光らせる。
『金級識別証を確認。リネアの社会的地位、上昇』
リネアは微笑んだ。
「ルクスの社会的地位もね」
ガレスが頷く。
「もちろんだ。君たちは二人で金級になったようなものだからね」
ルクスは少しだけ間を置き、言った。
『リネアの金級昇格を祝福』
「ありがとう、ルクス」
リネアは識別証を胸に押さえ、相棒のルクスを見上げる。
修理師として。従魔使いとして。そして、金級冒険者として。
進む道は、きっとこれまでよりも険しくなる。
それでも、隣にはいつも相棒がいる。
「行こう、ルクス。まだまだ、直すものも、探すものもたくさんあるから」
『了解。相棒としての同行を確約』
金級冒険者リネア・ギアライトと、黒き特殊従魔ルクス。
二人の新たな一歩は、金色の識別証の輝きと共に始まった。




