第三十五話 修理師への緊急指名依頼
金級冒険者になれば、受けられる依頼が増える。
リネアも、そのこと自体は理解していた。
高難度の魔物討伐。危険地域を通過する商隊の護衛。未踏領域の探索。貴族や要人からの指名依頼。
銀級では閲覧すら許されなかった依頼票が、金級の識別証を得たことで手の届く場所へ並ぶようになる。
だが、受けられる依頼が増えるということが、これほど忙しいことだとは思っていなかった。
「リネアさん!またギルドの使いの方が来ました!」
朝から何度目か分からないセアの声が、ギアライト修理店に響いた。
「また?」
修理台に向かっていたリネアは、思わず工具を置いた。
店の受付台には、すでに依頼票の束が積み上がっている。
トマが一枚ずつ内容を確認し、依頼地域、期限、危険度、報酬額、必要装備を記録板へ書き写していた。
しかし、整理しても整理しても減らない。新しい依頼が届くたびに、机の端へ新たな束が積まれていく。
「こちらは西方貴族からの護衛依頼です。期間は十二日。報酬は……」
トマは金額を見て言葉を止めた。
「どうしたの?」
「ギアライト修理店の三か月分の売上より多いです」
「三か月……」
セアが別の依頼票を持ち上げる。
「こっちは神代遺跡の合同調査です!金級以上限定で、発見物の優先購入権つき。あと、こちらは飛竜討伐で、鱗と角の素材分配があります!」
「これ、全部私への指名なの?」
「ルクスさん込みですけど……はい」
セアは嬉しそうでありながら、少し困ったように笑った。
「まだあります。東部街道の大型魔物排除、北方鉱山の救援、王都地下水路の異常調査、あと商会からの長距離輸送護衛が二件です」
リネアは、積み上がった依頼票を見つめた。
少し前まで、仕事が来ないことを恐れていた。
修理師というだけで軽く見られ、持ち込まれる仕事は壊れた鍋や古い時計、廃棄寸前の魔道具ばかり。
それでも、修理店を続けられることが嬉しかった日々。
今は違う。
リネア・ギアライトという名前を指定して、依頼が届く。自分を必要としてくれる人がいる。
それは間違いなく嬉しいことだが、しかし、胸の奥には別の重さも生まれていた。
「これだけあっても、全部は受けられないんだよね……」
「当然です」
トマは現実的に答えた。
「移動日数だけでも重なっています。一件受ければ、他の依頼の期限には間に合いません」
分かっている。身体は一つしかない。ルクスも一機だけだ。
どれほど移動が速くても、同時に別の土地へ行くことはできない。
依頼を一つ選ぶ。それは即ち、残りを断ることでもある。
貴族の護衛を選べば、鉱山の救援には行けない。
魔物討伐を選べば、遺跡調査は別の冒険者に任せるしかない。
どの依頼にも困っている人がいて、待っている人がいる。
銀級の頃には、依頼を受けることばかり考えていた。
金級になった今は、受けない依頼のことまで考えなければならない。
「金級って、もっと嬉しいことばかりだと思ってた」
リネアが小さく漏らすと、裏庭に伏せていたルクスの碧い単眼がこちらを向いた。
『依頼総数、現有能力による同時遂行限界を超過』
「うん。分かってる」
『全依頼への対応は不可能』
「それも確かだね。でも、私が断った依頼で誰かが困るかもしれない。適当には選べないよ」
リネアは手にしていた依頼票を戻した。どれが正解なのか正直分からない。
報酬で選ぶべきなのか。危険度か。被害規模か。期限か。それとも、ルクスの部品や自分の技術向上に繋がるものを求めるべきか。
その時だった。
胸元で、硬い振動が起きる。金色のプレート型識別証が震えているのだ。
冒険者ギルドから支給されたばかりのネックレスに、淡い金色の紋様が浮かんでいる。
「通信……?」
リネアがプレートに触れると、店内に切迫した声が響いた。
『緊急通信。王都所属金級冒険者リネア・ギアライトへ。東部城塞都市レグナード冒険者ギルド支部より、最高優先度の指名依頼を送信する』
店内の空気が変わった。トマとセアも作業を止めて傾聴する。
通信の向こうでは、複数の人間が走り回る足音と、遠くで打ち鳴らされる鐘の音が聞こえていた。
『城塞都市レグナード周辺にて、大規模魔物氾濫の発生を確認。都市防衛の中核を担う広域防壁機関は、現在完全停止中』
「防壁機関が……?」
『復旧作業は難航。現地の魔道技師では原因を特定できていない。魔物群本隊の到達予測まで、残り約十時間』
十時間。大都市レグナードに残された猶予の短さに、リネアは息を呑んだ。
『グラン・バスティオンが復旧しなければ、レグナード防衛司令部は都市放棄を決定する。しかし、住民の完全避難には最低でも二日を要する。現状、全住民の退避は不可能だ』
通信の向こうで、誰かの怒鳴り声が響いた。
防衛線が押されている。負傷者を運べ。東門を閉じろ。
途切れ途切れの言葉が、状況の深刻さを伝えてくる。
『依頼内容は、広域防壁機関グラン・バスティオンの緊急修復。ならびに修復作業中の防衛戦闘。修理技術と金級相当戦力の双方を持つ者として、リネア・ギアライト及び特殊従魔ルクスを指名する』
そこで通信が途切れた。店内に静寂が落ちる。
セアが青ざめた顔で呟いた。
「住民の避難が……間に合わないんですか」
「十時間じゃ、レグナードの規模を考えれば無理だ」
トマも険しい表情で答える。
リネアは通信を受け取った金色の識別証を握った。
他の依頼票へ視線を向ける。
貴族の護衛。遺跡探索。
飛竜討伐。鉱山救援。
どれも軽視していい依頼ではない。
けれど、レグナード防衛の依頼には、二つの力が求められている。
広域防壁機関を直す修理師としての技術。
魔物氾濫の最前線で敵を退け続けるための戦力。
その両方を持つ人間は、リネアの知る限りほとんどいない。
リネアはルクスを、相棒に意見を求めるように見た。
「ルクス。どう思う?」
『能力の代替が最も困難な依頼を優先すべきと判断』
「代わりがいない仕事……」
『金級冒険者は他にも存在。高位修理師も複数存在。ただし、高危険地域で大型魔導機関の修理を実施し、同時に都市防衛戦力を確保可能な組み合わせは希少』
ルクスは少し間を置いた。
『リネアと当機の当該任務適性、極めて高いと判断』
それは冷静な分析であり、リネアの迷いをまっすぐに断ち切る言葉でもあった。
すべては救えない。だからこそ、自分たちにしかできない仕事を選ぶ。
リネアは確信を込めて顔を上げた。
「この依頼を受ける」
セアとトマが頷く。
「他の指名依頼には、事情を説明して延期か辞退の連絡をお願いします」
「分かりました」
「店のことは任せてください!」
リネアは工具鞄を閉じた。
「私たちにしかできない仕事を選ぶ。金級になったなら、それくらいの責任は背負わないと」
『依頼受諾を支持』
「行こう、ルクス。まずギルドで詳しい状況を聞く」
◇
冒険者ギルドでは、ロイド・バルカスとガレス・オーウェンがすでに待っていた。
いつもなら落ち着いているギルド内部も、今日は騒然としている。
東部へ向かう冒険者が次々に呼び出され、受付では保存食、回復薬、矢、魔石の支給手続きが進められていた。
壁面の大型地図には、城塞都市レグナードと、その周辺へ赤い印が無数に打たれている。
「受けてくれたか」
ロイドはリネアを見るなり言った。
「はい。グラン・バスティオンの資料はありますか?」
「ここだ」
机に分厚い図面が広げられた。
グラン・バスティオン。
城塞都市レグナードの外壁地下に張り巡らされた、大型魔導防壁機関。
都市四方の防壁塔と中央魔力炉を接続し、外壁全体を覆う半球状の障壁を展開する。
完全稼働すれば、飛行型魔物の侵入を防ぎ、大型魔物の突進や魔術攻撃にも耐えられる。
だが現在は、全ての防壁塔が沈黙している。
「故障原因は?」
リネアが図面を追いながら尋ねる。
ガレスは数枚の報告書を差し出した。
「現地技師の初期診断では、中央魔力炉は稼働している。魔力貯蔵量も不足していない。だが、防壁塔へ魔力が送られていない」
「伝達路の故障?」
「その可能性は高い。ただし、問題がある」
ロイドが報告書の一部分を指した。
「保守記録では、異常が発生したのは北側第一伝達路となっている。だが、実際には東西南北、全ての伝達路がほぼ同時に停止した」
「同時に……?」
リネアは眉を寄せた。
大型機関の複数系統が、偶然ほぼ同時に故障することは考えにくい。
一つの故障が他へ波及した可能性はある。だが、その場合は中枢付近に痕跡が残るはずだ。
「さらに、停止直前の点検記録の一部が消されている」
ガレスの表情も険しかった。
「外部から侵入された痕跡も確認されている。断定はできないが、単なる故障ではなく、人為的な破壊工作である可能性がある」
リネアは図面を見下ろした。
都市の外には魔物の大群。内部には防壁を壊した何者かがいるかもしれない。
直すだけでは終わらない。修理中にも、再び壊される可能性があるということだ。
「破壊工作犯の捜索は?」
「レグナード守備隊と現地ギルドが進めている。だが、人手の大半は外壁防衛と避難誘導へ回されている」
「つまり、私たちは修理に集中しながら、内部にも警戒が必要なんですね」
「そういうことだ」
ロイドはリネアを正面から見た。
「厳しい依頼だ。通常なら複数の金級冒険者と、高位魔道技師団を派遣する。だが十時間では間に合わない」
「ルクスなら、普通の馬車よりずっと速く移動できます」
『星紋動力環搭載後の最大巡航速度を使用した場合、到着予測時間を大幅短縮可能』
「ただし無理をさせるな」
ガレスが経験から生じる重みをもって言う。
「到着した時点で動けなければ意味がない」
「分かっています。巡航速度は私が調整します」
リネアは図面と記録書類を工具鞄に収めた。
ロイドが最後に告げる。
「現地からの最新報告だ。氾濫本隊とは別に、先行個体群がすでにレグナード外壁へ到達している」
「先行個体……」
「報告では数百。大型個体と飛行個体も混ざっている」
リネアは目を見開いた。数百。
それは斥候と呼ぶには、あまりにも多い。
「急ごう、ルクス」
『了解。城塞都市レグナードへ緊急移動』
◇
ルクスは東街道を疾駆した。
四脚が大地を打つたび、身体を固定する金具が軋む。星紋動力環によってエネルギー伝達効率が上がった今、以前よりも高速を長く維持できる。
それでもリネアは、無理な出力を許さなかった。
「フィジカル・ブーストは短く区切って。関節温度が上がったら通常巡航へ戻す」
『了解。機体負荷を管理しつつ移動』
金級識別証には、レグナードからの続報が断続的に届いていた。
南外壁で大型魔物を確認。飛行個体による投石攻撃。
東門前防衛線が後退。避難誘導中に負傷者多数。
氾濫本隊到着までの残り時間が減るほど、声の余裕がなくなっていく。
街道を進む商人や旅人の姿はない。
代わりに、西へ逃げる避難民の列と何度もすれ違う。
荷車に家財を載せた家族。泣く子どもを抱える母親。
杖をついて歩く老人。東の空を何度も振り返る人々。
リネアはその一人一人を見ながら、唇を結んだ。
あの人たちが、戻れるようにしなければならない。
都市を守るというのは、壁を残すことだけを意味しない。
そこで暮らしてきた人々の帰る場所を残すことなのだ。
やがて前方の空が、黒く染まり始めた。
それは煙ではない。飛行する魔物の群れだった。
その下に、巨大な城塞都市が見える。
厚い外壁と複数の防壁塔を持つ、東の要衝レグナード。
だが、本来なら淡い障壁に包まれているはずの都市は、剥き出しのまま魔物の攻撃を受けていた。
翼を持つ獣が城壁上空を旋回し、巨石を投げ落とす。外壁の下では、鎧のような皮膚を持つ大型の猪型魔物が門へ突進していた。
人の背丈を越えるゴブリンの上位種が梯子をかけ、狼型魔物の群れが防衛兵の隙を狙って走り回る。
これが先触れであり、本隊ですらないという事実に悪寒がはしる。
「こんなの……斥候の数じゃない」
『敵性個体、多数。大型個体、飛行個体を確認。都市外壁、一部損壊』
遠くで角笛が鳴った。
東門付近の守備隊が、猪型魔物の突進を止めきれずに後退している。
リネアはルクスの兵装を素早く確認した。
クリードディフェンダー。可変盾。
アンカーショット。レーザーディスチャージャー。
全て正常に稼働。
「防壁機関の修理に入る前に、入口を作る」
『戦闘行動を開始』
「レーザーディスチャージャー、低出力拡散。城壁には当てないで、門前の魔物群だけを薙いで!」
『照準補正完了』
二連装の砲口が持ち上がる。
レグナードの外壁に迫る魔物たちが、こちらへ振り返った。
碧い閃光が、東の空を照らす。
金級冒険者リネア・ギアライトの最初の緊急指名依頼は、壊れた防壁機関へ触れるより早く、魔物の大群との戦闘から始まった。
初夏の猛暑にやられて三日ほど体調不良に苛まれておりました。老骨に鞭打って投稿再開して参ります。




