第三十三話 不労の模擬標的
金級昇格試験二日目の朝、金剛騎士団の作戦室には、昨日以上の熱気が満ちていた。
大机の上には、訓練場の見取り図が広げられている。そこに木札や駒が置かれ、騎士たちは夜遅くまで書き込まれた戦闘記録を囲んでいた。
「昨日の敗因は、ルクス殿を大型魔物と同じ枠で見たことだ」
金剛騎士団長アーヴィン・グランシルトが静かに言った。
その声に、騎士たちの背筋が伸びる。
「大型魔物なら、誘導し、囲み、足を止めればいい。だが、ルクス殿は違う。彼は戦況を的確に分析して武装を使い分ける。そしてこちらの意図を読み、戦術を学習する」
副団長バルグ・レイノルドが腕を組みながら頷いた。
「剣だけを警戒すれば盾で弾き飛ばされる。盾だけを警戒すればアンカーショットで絡め取られる。脚を狙えば、逆に足場を崩される」
もう一人の副団長、セリカ・ヴェインが訓練場の図へ細い指を置く。
「包囲は無駄です。完全に囲もうとすれば、ルクス殿はもっとも薄い一点を抜ける。ならば、あえて逃げ道を残し、そこへ誘導する半包囲が有効かもしれません」
「罠も使うべきだろうな」
アーヴィンは思慮を巡らせつつ言う。
「実戦では、騎士道精神だけで民は守れない。粘着魔術、拘束具、支援魔術、障壁。使えるものはすべて使う。ただし忘れてはならないのが、ルクス殿を単純に打ち倒すのが今回の目的ではないことだ」
騎士たちは黙って、その真意を測るように団長を見る。
「届かぬ相手を前に、どれだけ時間を稼げるか。その時間でどれだけ民を逃がせるか。それを学ぶための三日間でもある」
その頃、リネアとルクスは訓練場の端で準備をしていた。
ルクスの背部ユニットには安全用の出力制限がかけられている。
クリードディフェンダーも刃の角度と出力を調整し、殺傷能力を落としてある。だが、その威圧感は揺らいでいない。
黒い四脚の従魔は、ただそこに伏せているだけで訓練場の空気を重くした。
「今日は昨日より厳しくなりそうだね」
リネアが小声で言う。
『敵戦術、前日比で改善される可能性、高』
「敵じゃなくて訓練相手ね」
『修正。訓練相手の戦術』
「よろしい」
リネアは苦笑しながら、ルクスの胸部装甲を軽く叩いた。
「無理はさせないし、危ない時は止める。でも、手加減しすぎないで」
『了解。非殺傷制圧設定、維持』
そうして二日目の模擬戦が始まった。
最初に相手取った部隊からして、昨日の反省を活かしていた。
盾役が正面から受け止めようとせず、斜めに流す。槍兵は距離を詰めすぎず、ルクスの前脚の動きを制限する位置に立つ。
後方の魔術騎士が足元へ粘着性の魔力を広げ、支援役が前衛に防御強化をかける。
「昨日より、ずっと考えてる……!」
リネアは思わず呟いた。
ルクスが踏み込もうとした瞬間、地面が粘る。完全に止めるほどではないが、四脚の踏み出しがわずかに鈍った。
その隙を狙い、側面から槍とハルバードが伸びる。
『粘着魔術を確認。機動補正』
ルクスは前脚の角度を変え、力任せに引き抜くのではなく、粘着面を滑らせるように拘束を脱した。
そして可変盾で槍を受け流し、アンカーショットを盾役の背後の杭へ撃ち込む。
巻き取りの勢いで黒い機体が横へ滑り、半包囲の外側へ流麗に抜ける。
「回り込まれた!」
騎士が叫んだ次の瞬間、クリードディフェンダーの柄が盾役の武器を跳ね上げ、可変盾の軽い一撃が槍兵を転がした。
『対象三名、無力化。残存二名』
残った魔術騎士が障壁を張る。だが、ルクスはそれを正面から叩かず、アンカーショットで障壁の支柱になっていた魔導杭を器用に引き抜いた。
見る間に障壁が歪み、その隙に訓練用の低出力レーザー掃射で足元を焼き、魔術騎士を退かせる。
『部隊制圧完了』
一戦目から、騎士団の空気が変わっているのを肌で感じられた。
昨日より明らかに善戦している。だが、それでもルクスの暴威と機械仕掛けの技巧には届かない。
すぐに順番を待っていた次の部隊が出てくる。今度の基本戦術は波状攻撃だった。
第一陣がルクスの正面で足を止め、第二陣が左右から迫る。第三陣は投擲用の拘束鎖を構え、魔術師が視界を遮る煙幕を張る。
「ルクス、煙の中に入らないで。風の流れを見て!」
『了解。煙幕外縁を迂回』
ルクスは煙幕に飛び込まず、その外周を高速で回り込んだ。騎士たちは予想外の軌道に対応が一瞬遅れる。
『同一戦術、前日記録に類似例あり。対応済み』
「対応済みって言われると、かなり嫌なものですね!」
若い騎士が悲鳴に近い声を上げ、騎士団の誇りにかけて諦めない。
ローテーションが進むにつれ、波状攻撃、半包囲、魔術攻撃、支援魔術、拘束具、誘導罠が次々に投入された。
ルクスはそれらを受け、避け、弾き、時にはあえて踏み込んだ。
可変盾で鎖を受け流し、アンカーショットで盾役を引き寄せ、クリードディフェンダーで武器だけを叩き落とす。
四脚機動で包囲の薄い場所を抜け、時には足元に展開したフォースフィールドで短く跳び、罠そのものを踏まない。
一方で、騎士たちは確実に疲弊していった。
息が上がり、汗が流れる。
腕が震え、鎧の内側で熱がこもる。
だが、ルクスは違った。
適切に冷却し、出力を管理している限り、疲労という概念が薄い。
むしろ戦闘を重ねるほど、相手の戦術を記録し、対応を最適化していく。
「……不公平だな」
誰かが苦笑まじりに言った。
「こっちは疲れていくのに、あの従魔はまるで疲れない。しかも、だんだん強くなっているように思える」
その言葉を、リネアは感慨深く聞いていた。
強くなっているというより、深く学んでいるのだ。
そして、それは確かに恐ろしいことだった。
午前の終盤、ついに騎士団側が一つの成果を上げた。
それは五人編成の部隊だった。
盾役二名があえて正面を空け、左右に半包囲を作る。槍兵がルクスの脚の進路だけを狙い、魔術騎士が地面に薄い粘着魔術を張る。
支援役は前衛ではなく、地面そのものに滑りやすくなる魔術を重ねた。
リネアはその布陣を見て、眉を上げる。
「誘導してる……ルクス、真正面は罠」
『確認。迂回を選択』
ルクスが右へ抜けようとした瞬間、盾役が半歩だけ引く。
そこが、考え抜かれた誘導路だった。
ルクスの前脚が粘着面を避けるために着地位置を変える。
その先に、滑りやすく処理された砂地が密かに仕掛けられてあった。
ほんの一瞬、黒い四脚の機体が、バランスを崩す。
訓練場が息を呑む先で、迅速なシールドバッシュが叩き込まれる。
ルクスの巨体が遂に横へ倒れた。
「倒した!」
若手騎士たちの歓声が上がる。
だが次の瞬間、ルクスの機械腕が地面を掴み、後脚が跳ねた。
倒れた姿勢から一転して、まるで最初からそう動く予定だったかのように回転し、アンカーショットを射出する。
追撃に来ていた盾役の一人がワイヤーに絡め取られ、対処に苦慮する。
『転倒状態、復帰完了』
「早すぎる!」
槍兵が瞠目しつつも詰める。ルクスは倒れた姿勢からクリードディフェンダーの柄を振り、槍の穂先を弾いた。
さらに可変盾で地面を押し、起き上がると同時に残る二人の足元へ低出力の衝撃波を走らせる。
数呼吸後、その部隊も制圧されていた。
しかし、訓練場の空気は暗くならない。
むしろ、熱を帯びて高揚していた。
アーヴィン団長が称賛を込めて手を叩く。
「見事だった。転倒までは届いた」
五人の騎士たちは肩で息をしながらも、顔を上げる。
「ありがとうございます!」
「だが、次の課題は明確だ」
アーヴィンは倒れたルクスがいた地点を指す。
「転倒させた後の十秒だ。その十秒で何をするか。拘束するのか、民を逃がすのか、追撃を捨てて距離を取るのか。そこまで考えて初めて、実戦の策になる」
騎士たちは真剣に頷き、反省を通じて改善策を構築していく。
やがて、あっという間に昼休憩の時間となった。
騎士たちが食事と休憩に向かう中、リネアは早々に黒パンとスープを済ませ、工具箱を開く。
ルクスは訓練場の端で大人しく伏せてメンテナンスを受ける。
「左前脚、粘着魔術の残り。盾基部に打撃痕。アンカーショットのワイヤーに少し摩耗。冷却管は……大丈夫そう」
『損傷軽微』
「軽微でも見るの」
リネアはそう言って、布で装甲を拭き、接続部に油を差した。
その様子を、副団長であるバルグとセリカが少し離れた場所から見ていた。
バルグが感慨深そうに言う。
「ルクス殿の修理やメンテナンスは、すべてリネア殿が担われているのですね」
「はい。全部というと大げさですけど、基本的には私が見ています」
セリカがルクスの装甲へ視線を向けた。
「間近でよく見れば、細かい修理痕が多いですね。脚部の継ぎ、胸部装甲の補修、盾基部の再固定。どれも丁寧です」
リネアは少し照れた。
「綺麗な修理ばかりじゃないです。応急処置の積み重ねも多いので」
「だからこそ、です」
セリカは静かに断じる。
「戦場で壊れ、戻り、直され、また立つ。その痕跡でしょう。無傷の装甲より、私は信用できます」
バルグも頷く。
「我々の鎧も同じです。無傷の鎧より、正しく直された鎧の方が信用できる。ルクス殿の強さは、機体性能だけではないのですな」
リネアは手を止め、ルクスを見上げた。
「ルクスは疲れないように見えるかもしれません。でも、部品は摩耗します。熱も溜まり、傷も増えます。だから、ちゃんと見て、直さないと」
『リネアの整備により、継戦能力は大幅に向上』
「自分で言うと、ちょっと恥ずかしいよ」
バルグは納得して朗らかに笑った。
「いえ、よく分かりました。黒き従魔の後ろには、必ず修理師の手があると」
午後の訓練は、さらに苛烈になった。
午前中の結果を受け、騎士たちは転倒後の追撃、拘束、撤退時間の確保を意識し始めた。完全に勝つのではなく、目的を細かく分けて臨んでくる。
一部隊はルクスにレーザーディスチャージャーの低出力掃射を使わせるところまで追い込んだ。別の部隊は、アンカーショットを事前に警戒し、射線上へ盾を投げ込んで妨害した。
さらに別の部隊は、可変盾のシールドバッシュを誘発させ、その硬直を狙って支援魔術で強化された槍を打ち込んできた。
それでも、ルクスの堅守は完全には崩れない。
『前回比、連携精度向上。脅威度、上方修正』
その言葉を聞いた若い騎士が、倒れながらも妙に嬉しそうな顔をした。
「褒められた……のか?」
「たぶん、褒められたぞ」
「よし、次はもっと脅威度を上げるぞ」
リネアは思わず胸が熱くなった。
勝てなくても、決して折れていない。
どの部隊も、最後までルクスに「参った」と言わせることはできなかった。
転倒させても、武装を使わせても、進路を限定しても、その先で必ず待ち構える別の策に切り返される。
夕刻。二日目の訓練が終了した。
騎士たちは疲れ切っている。地面に座り込み、肩で息をし、鎧を外しながら水を飲んでいる。
それでも、議論は止まらなかった。
「転倒後の十秒、やはり拘束優先か?」
「いや、あれは拘束を切ってくる。可能な限り遅滞させて民の避難時間を稼ぐ方が現実的だ」
「アンカーショットの射線管理をもっと徹底しろ」
「可変盾は攻撃として数えろ。盾役の配置を変えるべきだ」
「ルクス殿は魔物ではない。経験に立脚して判断する相手だ。そこを忘れると全部読まれる」
完封に至れなかった悔しさはあれど、それ以上に向上心がある。
アーヴィンは訓練場の中央で、誇りある騎士たちを見回した。
「今日、我らはルクス殿を倒せなかった」
誰も目を逸らさない。
「だが、転倒させ、進路を限定した。更に武装を使わせた。昨日より一歩、先へ届いた」
騎士たちの表情が引き締まる。
「明日は最終日だ。問うべきは勝敗だけではない。金剛騎士団として、倒せないかもしれない相手を前に、守るべき民を逃がす時間を稼げるか。それを試す」
リネアはルクスの隣で、その言葉を聞いていた。
ルクスは疲れないし眠らない。一方で、騎士たちは疲れながらも学ぶし、倒れながらも考える。
届かないかもしれない相手を前に、それでも守る方法を探している。
それは、リネアにとっても学ぶべき勇姿だった。
金級昇格試験二日目。
不労の模擬標的は、今日も一度も「参った」とは言わなかった。
けれど、その黒い従魔に挑み続けた騎士たちの目には、昨日よりも確かな光が宿っていた。
使命を抱いて、何度でも立ち上がり、立ち向かう覚悟の騎士たち、金剛騎士団。国と民を護るのは、俺たちだ!




