第二十八話 アルカ・フォモスの番人
村長オズマから受け取った古い地図を頼りに、リネアとルクスは東方山岳地帯の斜面を進んでいた。
ミルド村を出てから、すでに半日近くが経っている。山道は細く、岩肌は湿り、足元には苔が張り付いていた。
普通の馬ならとっくに進めなくなっているだろう。だが、ルクスの四脚は岩場を確かに捉え、沢沿いの険しい道を迷いなく進んでいく。
「三つ目の滝を越えた先、青黒い岩壁……」
リネアは地図と周囲を見比べる。
水音が近い。白い飛沫を上げる滝の奥に、奇妙に滑らかな岩壁が見える。他の岩肌は風雨に削られて荒れているのに、そこだけ刃物で切り出したように平らだった。
ルクスの単眼が景観の違和感に気付いて碧く光る。
『星紋反応を検出。対象、人工構造物』
「ここだね」
リネアは岩壁に手を当てた。冷たいが、その奥にかすかな魔力の流れがある。
機能は完全に死んではいない。長い年月で弱っているが、まだ施設の血管のように流路が残っている。
「ルクス、弱い星紋信号を送れる?」
『可能。ただし、施設側の認証規格は不明』
「強く叩くんじゃなくて、起こす感じで。壊れてる扉を無理にこじ開けると、もっと壊れるから」
『了解』
ルクスの胸部から淡い碧光が走る。岩壁の表面に、埋もれていた紋様が浮かび上がった。星と歯車を重ねたような古い紋章。
やがて岩壁の一部が鈍い音を立てて沈み、横へずれていく。その先に暗い通路が現れる。
空気は乾いており、古い金属と焦げた石の匂いがしている。
『統合兵装試験場アルカ・フォモス、外縁下層通路と推定』
「……本当にあった」
リネアは思わず喉を鳴らした。
ライトブレーダーが残した名。ルクスが思い出した場所。フォモスに繋がるかもしれない遺跡。
その入口が、今目の前に開いている。
「行こう、ルクス」
『リネアの安全を最優先。進入開始』
通路の中は、眠っているようで眠っていない。
壁には碧い線がかすかに残り、ところどころで照明が点滅している。
床には古い戦闘痕があり、砕けた小型機械の残骸が積もっていた。遠くからは低い機械音が響いてくる。
ここは廃墟ではない。
壊れながら、まだ動いている。
リネアはそれを肌で感じていた。
最初の罠は、何の変哲もない床に仕掛けられていた。
ルクスが一歩踏み出そうとした瞬間、リネアが叫んで制止する。
「待って!」
ルクスの前脚が空中で止まる。床の石板に、うっすらと星紋の流路が見えた。
埃に隠れているが、規則的すぎる。自然な構造ではない。
「地雷……たぶん踏圧だけじゃなくて、重量と魔力反応を見てる」
『床面防衛機構を確認。起爆箇所、複数』
「右の二枚は流路が焼けてる。反応が遅いから、左の細い縁を踏んで、次はあの黒い石まで跳んで」
『了解』
ルクスはリネアを背に乗せたまま、指示通りに足場を選び進んで行く。
重い機体が床を踏むたび、リネアの心臓は強く跳ねる。だが、爆発は起きない。
地雷区画を抜けた先で、今度は天井の影から球状の機械が浮かび上がった。
『浮遊機雷。接近中』
「近づいたら爆発するやつだよね!」
『肯定』
浮遊機雷が青白い光を帯び、こちらへ突進してくる。ルクスは左腕の可変盾を展開し、正面ではなく斜めに構えた。
機雷が盾に触れる直前、ルクスは盾の角度を変えて弾いた。機雷は壁へ逸れ、そこで爆発する。爆風が通路を揺らし、細かな破片が降った。
「危な……!」
『次弾、三つ接近』
「アンカーショットで天井の梁を狙って、横に滑って避けて!」
ルクスはアンカーショットを射出し、梁へ杭を打ち込んだ。巻き取りの力で機体が横へ滑る。浮遊機雷は目標を見失い、互いに接触して爆ぜていた。
さらに奥へ進むと、壁の隙間から複数の細い赤い光が走った。何らかの照準光に似ている。
「ルクス、止まらないで!捕捉されてから撃つまで半拍はあるはず!」
『自律狙撃砲、複数確認』
赤い線がルクスの胸部をなぞる。リネアが息を詰めた直後、レーザー光線が走った。ルクスは四脚を沈めて横へ跳び、レーザーは背後の壁を焼き抜く。
「防衛機構が全部新品だったら詰んでた……」
『経年劣化により照準補正に遅延あり』
「つまり、壊れかけだから隙がある。そこを読むしかないね」
罠を越えるたび、リネアは痛感する。
この施設は、敵意を持っているわけではない。
ただ、まだ古の命令を守っているのだろう。
朽ちた防衛機構が、侵入者を排除し続けているのだ。
やがて通路は広い空間へ繋がる。そこは巨大な格納区画だった。
天井は高く、床には円形の試験ラインが刻まれている。壁際には壊れた兵器の残骸が並び、中央には低く幅広い機体が鎮座している。
戦車に似ているが、履帯はない。下部には浮遊推進機構らしき円形装置が複数並び、左右には重厚な装甲のスカート。肩部には多連装のミサイルポッドがあり、中央上部には大きな砲身が伏せられている。
前方左右には腕のような機構が折り畳まれ、片側には盾状の投擲器らしき兵装が接続されていた。
リネアが一歩踏み入れた瞬間、壁面の古い表示板が明滅する。
『侵入者、防衛対象へ接近。深部防衛機構、起動』
文字が崩れながらも浮かぶ。
SA13-Vortex。
次の瞬間、ホバータンク型機動兵器がその重量に反して瞬時に浮き上がった。
重量級の機体が床から数十センチ浮き、低い唸りを上げる。肩部ミサイルポッドが開き、中央のチャージレーザーキャノンに光が集まった。
『大型機動兵器。火力、防御力、ともに当機現行装備を上回る可能性』
「……つまり、正面からは厳しいってことだね」
『肯定』
大型ホバータンク、ヴォルテクスが動く。
肩部のミサイルポッドから小型ミサイルが一斉に放たれ、白煙を引きながら弧を描き、ルクスへ殺到した。
「誘導を切るように避けて、遮蔽も利用して、破片は盾で凌ぐ!」
『了解』
ルクスは四脚で床を蹴り回避機動をとるものの、ミサイルが次々と着弾し、爆風が連続して広がる。
可変盾が破片を受け流すが、衝撃で機体がわずかに傾いた。
そこへ、チャージレーザーキャノンが光を増して照準を絞る。
「ルクス、右!」
光の奔流が激烈に走った。
レーザーはルクスのいた場所を貫き、背後の壁を一直線に焼き抜いていく。石と金属が赤熱し、溶け落ちる。
その威力はリネアの背筋を冷やしていった。
もし当たれば、ルクスでもただでは済まない。
ルクスは果敢に接近を試みる。クリードディフェンダーを構え、低い姿勢から一気に距離を詰めた。
だがヴォルテクスの左右腕部が待ち構えていたように展開する。
青白い刃が強い輝きとともに伸びた。腕部にレーザーブレード生成器が仕込まれていたのだ。
ルクスの両刃剣とレーザーブレードが衝突し、火花と光が弾ける。力で押し込もうとした瞬間、ヴォルテクス左腕部の盾状ユニットが開き、小型爆雷を床へばら撒く。
「離れて!」
爆雷が連鎖して爆発する。
ルクスは後退したが、爆風で左前脚の装甲が削れた。背部ニードルキャノンにも破片が当たり、三番砲口の外枠が歪む。
『損傷軽微。ただし継戦時、蓄積損傷に注意』
「軽微って言い方、今は信じておくね……!」
ヴォルテクスは止まらない。離れればミサイルとレーザー。近づけばレーザーブレードと爆雷。
横へ逃げれば滑るようなホバー移動で正面に向き直る。
火力も、防御力も、戦場制御も、今のルクスを上回っている相手だ。
「ニードルキャノン、一番砲口。正面装甲へ!」
『発射』
轟音とともに巨大杭が射出される。
杭は狙い違わずヴォルテクスの正面装甲に命中した。だが、深くは刺さらない。表面を抉り、火花を散らしただけで弾かれる。
『有効打に至らず』
「正面装甲が厚すぎる……!」
ルクスが押されている。リネアはその事実を認めざるを得ない。
それでも目を逸らさず、戦闘の中でリネアはヴォルテクスを観察し続けた。
装甲の傷。熱の逃げ方。ミサイル発射後の振動。チャージレーザーを撃った直後の光の流れ。ホバー推進のたびに、背部右側で青白い線が揺れる。
「……背中」
ヴォルテクスが旋回した瞬間、リネアは遂に見た。
背部外装の一部が剥がれている。そこから、太い供給管のようなものが露出していた。
チャージレーザーを撃つたび、ミサイルを連射するたび、その供給管が強く発光し、火花を散らしている。
経年劣化で外装が剥がれ、エネルギー供給装置が剥き出しになっているのだ。
「ルクス、背部右側!供給装置が見えてる!」
『確認困難。敵正面火力、高』
「正面からは無理。誘導して背後を取って!」
ヴォルテクスのチャージレーザーが再び充填を始める。
リネアは息を吸い、指示を飛ばす。
「ニードルキャノンを構えて。撃つふりでいい。防御反応を誘う」
『了解』
ルクスがニードルキャノンを持ち上げる。ヴォルテクスは正面装甲をわずかに傾け、同時にチャージレーザーの照準を固定した。
「今!左壁にアンカー!」
『アンカーショット、射出』
杭が壁へ刺さり、急速な巻き取りでルクスの機体が横へ弾かれるように滑った。レーザーが宙を通過し、直前までルクスがいた空間を焼き払う。
同時にミサイルが追尾してくるが、ルクスは可変盾を展開し、爆風を受け流しながら床にばら撒かれた爆雷地帯を四脚で跳び越えた。
一連の攻撃を凌がれたヴォルテクスが回頭する。その動きは速いが、わずかに遅れた。
ホバー推進がうなり、背部右側の供給装置が露出する。
「二番砲口、供給管へ!」
『発射』
巨大杭が再び放たれ、剥き出しになった背部供給装置へ、杭が深々と突き刺さる。
瞬間、青白い光が暴れる。ヴォルテクスのホバー音が乱れ、機体が大きく傾いた。
肩部ミサイルポッドが開きかけ、火花を散らして停止する。チャージレーザーキャノンの光も不規則に明滅した。
『敵機出力低下』
「決めるよ、ルクス!」
『クリードディフェンダー、エナジーブレード高出力展開』
ルクスが大きく跳躍する。
ヴォルテクスは右腕部レーザーブレードで迎撃しようとする。だが、出力が落ちた刃は軽い上に遅い。
ルクスはその内側へ潜り込み、クリードディフェンダーを背部中枢へ勢いよく振り下ろした。
青白い両刃剣の斬撃が、供給装置ごと背部装甲を切り裂く。
ヴォルテクスの巨体が震えた。
『深部防衛機構、重大損傷。機能維持、不能』
ホバー音が徐々に消えていく。大型機動兵器は床へ重く沈み、肩部ミサイルポッドを半開きにしたまま停止した。
チャージレーザーの光も、最後に一度だけ瞬いて消える。リネアはすぐに叫んだ。
「離れて!供給装置が暴発するかもしれない!」
ルクスは即座に後退する。幸い、大爆発は起きなかった。ヴォルテクスは低い煙を上げながら沈黙している。
リネアはルクスの背から降り、相棒の機体を見上げた。
左腕の可変盾には深い傷。左前脚の装甲は削れ、背部ニードルキャノンの三番砲口は外枠が歪んでいる。
クリードディフェンダーの冷却管も限界近くまで熱を持っていた。
「勝ったけど……無傷じゃない」
『損傷、修理可能範囲』
「それでも、危なかった。今までの相手とは違う。これが神代施設の番人なんだ」
リネアはヴォルテクスの残骸を振り返った。
もし背部の劣化がなかったら。
もし供給装置が剥き出しでなかったら。
もし施設が完全な状態だったら。
勝てたかどうか分からない。
その事実が、リネアの胸を重くした。
ヴォルテクスが停止した後、格納区画の奥で重い扉が開いた。
『兵装保管庫、開放を確認』
「兵装保管庫……?」
リネアはルクスを応急点検してから、慎重に奥へ進んだ。
そこは小さな保管庫だった。壁には崩れた棚が並び、いくつもの兵装は朽ちている。だが、中央の保持架に一つだけ、保存状態の良い装備が固定されていた。
二本の砲身を持つ背部装着型兵装。
黒銀の基部に碧いライン。砲身の内部には、光を拡散させるための細かな結晶板が並んでいる。
「これ……星紋兵装だよね?」
ルクスの単眼が明滅する。
『星紋兵装照合。二連装拡散レーザーキャノン。名称、レーザーディスチャージャー』
「二連装拡散レーザーキャノン……」
『背部兵装規格、適合可能性高。星紋追加兵装統御器による制御、可能と推定』
リネアはそっと砲身に手を触れた。
ニードルキャノンとは違う。あれは馬車用の自衛兵器を改造したものだった。重く、頑丈で、原始的で、それでも役に立つ武装。
しかしこれは最初から、ルクスのような機体に背負わせることを前提にした本格的な星紋背部兵装だ。
「ルクス……これがあれば、戦い方がまた変わる」
『肯定。ただし、消費出力および冷却負荷は高いと推定』
「うん。だから、ちゃんと直して、しっかり組み込む」
リネアは振り返る。
停止したSA13-Vortex。傷ついたルクス。
開かれた兵装保管庫。そして、新たな背部兵装レーザーディスチャージャー。
アルカ・フォモスは、ただ宝をくれる場所ではない。
力を得る前に、その力を扱うだけの覚悟と技量を試してくる場所だった。
「まだ奥がある。きっと、フォモスの記録も」
『探索続行可能。ただし、当機の損傷修理を推奨』
「もちろん。まずは応急修理。相棒を壊したまま進むなんて、絶対にしない」
リネアは工具鞄を開いた。神代施設の深部で、黒い従魔の傷を直す。
その背に、新たな星紋兵装を載せる未来を思い描きながら。
統合兵装試験場アルカ・フォモスの番人を越えた先で、リネアとルクスは次なる力への扉を見つけていた。




