第二十六話 ギアライト修理店、再開
ギアライト修理店の扉に掛けられていた休業札を、リネアは静かに外した。
しばらく休業します。
店主都合により、修理依頼の受付を停止します。
ギアライト修理店。
そう書かれた古い札は、少し日に焼けている。
あの日、この札を掛けた時、リネアはルクスを守るために地下工房へ移った。
店を閉めることは敗北ではない。戻ってくるための休業なのだと、自分に言い聞かせて。
そして今、彼女は戻ってきた。
銀級冒険者として。特殊従魔ルクスの主として。
それでも変わらず、壊れたものを見捨てない修理師として。
リネアは新たな決意を込めて、張り紙を扉に貼る。
営業再開しました。
修理依頼、相談、持ち込み歓迎。
ギアライト修理店。
「……よし」
小さく頷き、リネアは扉を開ける。
店内は以前よりも少し広く見えた。実際に壁が動いたわけではないが、棚は整理され、グロムロードで仕入れた部品箱が並び、作業台には新しい測定器が置かれている。
奥の扉から裏庭へ続く通路は広げられ、ルクスが出入りしやすいように床板も補強した。
裏庭には、黒い四脚の従魔が静かに伏せている。
かつては灰色の遮蔽布を被せ、音を立てないように隠していた。
今も正体のすべてを明かせるわけではないけれど、もう完全に隠れるだけの存在ではない。
ルクスはギルドに登録された特殊従魔であり、銀級冒険者リネア・ギアライトの相棒なのだ。
『営業再開を確認』
「うん。今日からまた、ここが私たちの店だよ」
『修理依頼、受領準備』
「最初からそんなに気合い入れなくても大丈夫。たぶん、初日は様子見の人が多いと思うし」
その予想は、少し外れることとなる。
昼前には、若手冒険者が剣と盾を抱えて訪れた。以前、ギルドでリネアが装備修理を手伝った青年だ。
「リネアさんのところなら、ただ直すだけじゃなくて、次に壊れにくいようにしてくれるって聞いたんです」
その信用溢れる言葉に、リネアは少し照れた。
昼過ぎには、魔道具商人の使いが小型炉の調整依頼を持ってくる。さらに、工房街の職人が測定器の相談をしに来た。
噂を聞いてルクスを一目見ようとする野次馬も混じっていたが、ルクスが無言で単眼を向けると大半はその威容に固唾をのみ、礼をして帰っていく。
「……思ったより忙しい」
『リネアの知名度上昇が要因と推定』
「知名度って、ちょっと怖いね」
『肯定。作業集中妨害要素にもなり得る』
「そこまで言わなくていいよ」
そうして作業台の上に依頼品が並び始めた頃、扉の鈴が鳴った。
「リネアちゃん、開いてるかい」
「マルタさん!」
マルタ婆さんが、布で包んだ籠を抱えて立っていた。中には焼き菓子と温かいスープの入った小瓶が詰められている。
「店の再開祝いだよ。忙しくなるだろうから、ちゃんと食べなきゃねぇ」
「ありがとうございます。すごく助かります」
マルタは店内をゆっくり見回し、目を細めた。
「前より、いい顔をした店になったねぇ」
「店にも顔ってあるんですか?」
「あるよ。店主に似るんだ」
そう言われて、リネアはどう返していいか分からないくらい嬉しくなる。
マルタは楽しそうに笑い、裏庭のルクスにも声をかけた。
「ルクスも、店番を頼んだよ」
『了解。マルタ婆さんの依頼を受領』
「まあ、頼もしいねぇ」
午後は慌ただしく過ぎていく。
修理品を預かり、見積もりを出し、壊れ方を記録する。昔は一人で全部抱え込んでいた作業だったが、今は不思議と苦ではない。
客が来て、壊れたものが持ち込まれ、直してほしいと頼まれる。
それは、リネアにとって一番馴染み深い居場所だった。
夕方、店の前に四つの影が立つ。
扉の鈴が鳴り、入ってきた顔ぶれを見てリネアの手が止まった。
《暁の剣》の四人組。レオン、ミーナ、エリス、カイル。
かつて同じ村を出て、同じ夢を見た仲間たち。リネアを追放し、三年越しに再び向き合うことになった者たちだ。
裏庭でルクスの単眼が静かに灯る。リネアは一度息を吸い、作業台の前に立った。
「……いらっしゃい」
レオンが緊張している様子で一歩前へ出る。
「リネア。今日は、依頼の前に謝りに来た」
その言葉に店内の空気が少しだけ張りつめたが、レオンは構わず深く頭を下げて謝意を示した。
「三年前のことだ。俺たちは、お前の価値を見ようとしなかった。修理師だから戦えない、役に立たないと決めつけた。あれは大きな間違いだった」
エリスも頭を下げる。
「あの時、もっと止めればよかった。ごめんなさい、リネア」
ミーナは唇を結んでいたが、やがて静かに言った。
「ライトブレーダーの時、あなたがいなければ私たちは全滅していたかもしれない。私たちは本当に、何も分かっていなかった」
最後にカイルが、気まずそうに視線を逸らしながらも口を開いた。
「……悪かった。あの時の俺は、かなり嫌なことを言った」
リネアは黙って四人を見ている。
胸が痛まないわけではないし、辛い体験を思い出さないわけでもなかった。
追放された日のこと。ギルドへ戻るのが怖かったこと。修理店で一人、諦めそうになった数多の夜のこと。
けれど、その痛みはもうリネアを縛る鎖ではない。
「謝ってくれて、ありがとう」
リネアは静かに言った。その声音は柔らかく、四人が顔を上げる。
「でも、私はもう《暁の剣》に戻りたいとは思っていない。今の私は、ルクスの修理師で、ギアライト修理店の店主で、銀級冒険者だから」
レオンは少し苦しそうに、それでも頷く。
「分かってる。戻ってほしいと言える立場じゃない」
「だから今日は、別の形で頼みに来た」
レオンは、腰の剣を鞘ごと差し出した。ライトブレーダー戦で刃筋を崩された剣だ。
「修理を頼めるか。仲間としてではなく、一流の修理師として」
ミーナも魔杖を、エリスは護符を、カイルは傷ついた弓を差し出す。
リネアはそれらを順番に見た。それぞれ壊れているものの、修理は可能そうだ。
「修理代は、ちゃんともらうよ」
カイルが少し微笑む。
「そりゃそうだ」
リネアは依頼票を取り出し、追加項目を手慣れた様子で記載しつつ言う。
「納期は状態を見てから。追加素材が必要なら別料金。あと、次からはもっと早く持ってきて。ここまで傷む前に見せてくれた方が、安く済むから」
「……本当に修理師なんだな」
レオンの声に、リネアは微笑んだ。
「うん、私は根っからの修理師だよ」
《暁の剣》が帰った後、店の中は少しだけ静かになる。
やがて閉店間際にまた鈴が鳴り、入ってきたのは、二人の若者だった。
一人は背の高い青年。硬そうな茶髪に、工具鞄を肩から提げている。
もう一人は明るい栗色の髪を結んだ少女で、緊張した面持ちながらも目だけは真っ直ぐだ。
「リネア・ギアライトさんですか!」
少女が勢いよく言った。
「はい、そうですが……」
「私、セア・ベルケットといいます!王都外縁で魔道具修理見習いをしていました!」
青年も慌てて頭を下げる。
「トマ・リンドルです。グロムロードの部品工房で見習いをしていました」
リネアは首を傾げる。
「修理依頼ですか?」
「違います!」
セアは決然と一歩前に出た。
「弟子にしてください!」
想定外の言葉を真摯にぶつけられて、リネアは固まる。
「……弟子?」
トマが真剣な顔で続ける。
「オーレン工房が立ち直った時、俺、少しだけ手伝いで出入りしていたんです。リネアさんが加工台を直して、魔力炉の出力を整えて、不良品の山を納品部品に戻していくのを見ました。あれはただの修理じゃなかった。工房そのものが息を吹き返したみたいだったんです」
セアも勢い込んで言う。
「ルクスさんを修理して、一緒に冒険して、ネームドまで討伐して。それでもリネアさんは修理師だって言うんですよね。私、そういう修理師になりたいんです!」
「え、ええと……」
リネアは完全に戸惑っていた。自分が誰かに憧れられる側になるなど、考えたこともなかったからだ。
まして弟子を取るなど、遠い話だと思っていた。
『リネア、困惑反応』
「分かってるよ」
『助手候補二名を確認。作業精度、未知数』
「最初から厳しい評価はしないで」
『安全管理上、必要』
「それはそうだけど」
セアはルクスを見上げ、背筋を伸ばした。
「ルクスさんにも、失礼のないようにします!」
『敬意を確認』
トマは深く頭を下げた。
「給金はいりません。雑用でも掃除でも部品整理でもやります。教えてもらえる範囲でいいんです。どうか、ここで働かせてください」
リネアは少し思案を巡らせる。
店が忙しくなっているのは事実で、助手は欲しいが、無償で働かせるわけにはいかないだろう。
そして何より、壊れたものを直したいという二人の真剣な眼差しを、無視することができなかった。
「弟子というより、まずは助手兼見習いです」
二人の顔が上がる。
「給金は少しだけになります。その代わり、昼食と工具の使用、基本技術の指導はします。危険な星紋部品やルクスの中枢には、私の許可なく絶対に触らないこと。分からないものを分からないまま触らないこと。壊れたものを馬鹿にしないこと」
リネアは二人を正面から見た。
「これが守れるなら、来てもらってもいいです」
「守ります!」
二人の声が重なり、強い意志を示す。
その瞬間、ギアライト修理店が少しだけ明るくなった気がした。
閉店後、トマは部品棚の整理を手伝い、セアは依頼票を書き写した。
二人とも手際はまだ荒いが、熱意は本物だ。ルクスは裏庭から二人を観察している。
『助手候補二名、初日評価。熱意、高。熟練度、低。成長余地あり』
「厳しいけど、悪くない評価だね」
『肯定』
夜になり、トマとセアが帰った後、店には静けさが戻る。
リネアは裏庭でルクスの背部ユニットを点検していた。ニードルキャノンの基部、星紋追加兵装統御器、アンカーショット、可変盾。
今日一日、店の仕事で使ったわけではないが、日常点検は欠かせない。
「今日は賑やかだったね」
『ギアライト修理店、稼働状態の変化を確認』
「うん。前より、少し店らしくなった気がする」
『以前も店舗として機能』
「そうなんだけど、そうじゃなくて」
リネアが笑いかけた、その時だ。
ルクスの単眼が不意に強く光った。
『記録断片、復元』
「ルクス?」
ルクスの胸部から背部ユニットへ、碧い光が細く走る。星紋追加兵装統御器が反応し、ニードルキャノンの基部まで淡い光が巡った。
『フォモス関連施設……位置情報、部分復元』
リネアは工具を置いた。
「フォモス……ライトブレーダーが言っていた、主君の名前だよね」
『名称、統合兵装試験場アルカ・フォモス』
夜風が止まったように感じる。
『所在地、東方山岳地帯。旧天蓋観測線付近。登録管理者、フォモス』
「統合兵装試験場……」
『当機の背部兵装規格、および星紋兵装統合制御に関する記録が残存している可能性あり』
リネアはルクスの背部に手を当てる。
今日、修理店は再開した。過去の仲間と向き合い、新しい助手が増えた。
ようやく、帰ってきたと思った。
けれど、帰ってきた場所は終着点ではなかったようで、むしろ新しい始まりでもある。
「そこへ行けば、ルクスのことがもっと分かるかもしれないんだね」
『肯定』
「分かった。準備しよう。店も、弟子のことも、依頼のこともある。でも、必ず行く」
『了解。相棒として同行を確約』
リネアは夜空を見上げる。
ギアライト修理店の灯りは、もう消えていない。
その灯りの下で、リネアの物語はまた新しい扉を見つけているのだ。
統合兵装試験場アルカ・フォモス。
フォモスの名へ続く道が、静かに開かれようとしていた。
新たな冒険の香りがするうぅ!本物の古代遺跡探索へ、いざ踏み出そう!ハイリスクハイリターンこそ冒険者なる者の信条よね。




