第二十二話 銀級昇格と帰る場所
王都冒険者ギルドの受付に、赤黒い大牙が置かれた。
それは人の腕ほどもある巨大な牙だ。表面には炎のような紋様が刻まれ、まだわずかに熱を残している。
グレイブバーナーの口器から切り落とされた、討伐証明部位である。
リネアはそれを両手で置いた後、少しだけ溜息を吐いた。生きた心地のしない戦場から、日常への回帰にはまだ時間がかかりそうだ。
「指名手配個体《火葬百足》グレイブバーナーの討伐証明です」
受付嬢は一瞬、言葉を失った。
周囲にいた冒険者たちも、何事かと視線を向ける。やがて大牙の炎紋に気づいた何人かが、低い声を漏らした。
「まさか……」
「グレイブバーナーの牙か?」
「本物なのか、あれ」
受付嬢は慌てて奥へ走っていく。
しばらくして、討伐担当官ロイド・バルカスと、従魔試験官ガレス・オーウェンが姿を現した。
二人の表情には、驚きと緊張が同居している。
ロイドは大牙を見下ろし、慎重に炎紋を確認した。
「……間違いない。グレイブバーナーの炎紋大牙だ」
ガレスがリネアと、その背後に控えるルクスを改めて見る。
「試験場で見た時点で規格外だとは思っていたが、本当にネームドを落としてくるとはな」
「私だけの力ではありません。ルクスがいたからです」
リネアがそう答えると、ルクスの碧い単眼が静かに瞬いた。
『リネアの指揮、および戦闘後修復処置も討伐成功要因』
「なんか照れくさいな」
ガレスは低く笑ったが、ロイドの表情はまだ硬かった。
「ギルド偵察員からの報告も届いている。遠距離からの観測だが、戦闘の大部分は確認済みだ」
ロイドは書類をめくる。
「グレイブバーナーは炎のヘイローを頭頂部に形成し、空中歩行術を行使。地上戦だけでなく、空中からの火炎弾による広範囲攻撃も確認された。これは依頼書に記載されていた銀級上位相当の脅威ではない」
彼はリネアに向き直り、深く頭を下げた。
「こちらの脅威度認定が甘かった。あれは本来、金級冒険者パーティを複数合同でぶつけるべき相手だった。君に過度な危険を負わせたことを、ギルド討伐担当官として謝罪する」
ギルド内が静まり返る。
リネアは吃驚し、少し慌てた。
「頭を上げてください。私は、条件付きで受けると決めたので……」
「それでも、こちらの判断ミスは事実だ」
ロイドは顔を上げ、驚愕すべき報告を続ける。
「その補償と、討伐実績の評価を兼ねて、ギルドは君の銀級昇格試験を免除する。リネア・ギアライト。君を本日付で銀級冒険者へ昇格させる」
リネアは今度こそ言葉を失った。
「……銀級?」
「異例ではあるが、前例がないわけではない。災害指定個体の討伐、都市防衛への重大貢献、あるいはギルドの危険度誤認を覆す実績がある場合、昇格試験免除は認められる」
ガレスが腕を組んで頷く。
「文句を言う奴はいねえだろ。少なくとも、俺は言わせねえ。火葬百足を落として銅級のままなんざ、それこそギルドの恥だ」
その言葉をきっかけに、周囲の冒険者たちからも声が上がった。
「銀級か。そりゃそうだろ」
「火葬百足を倒したなら当然だ」
「あれ、俺たちなら近づく前に焼かれて終わりだぜ」
「黒い従魔使いの嬢ちゃん、やるじゃねえか!」
ついには称賛の拍手が起こった。
最初はまばらだったそれが、だんだんギルド中に広がっていく。リネアは戸惑いながら、胸の前で両手を握る。
三年前、この場所で夢を折られた。
修理師だから戦えない。役に立たない。冒険者には向いていない。
そう思い知らされた場所で、今、彼女は祝福されている。
そうして、受付嬢が新しい冒険者証を持ってきた。
「リネア・ギアライトさん。等級、銀級。職業、修理師。活動形態、従魔使い兼修理師。登録従魔、特殊従魔ルクス。こちらが更新後の冒険者証です」
リネアはそれを慎重に確かめるように受け取る。
小さな金属板が、ひどく重く感じられた。
そのとき、奥の倉庫へ続く扉から、杖をついた老人が出てきた。
「ずいぶん騒がしいと思ったら、そういうことか」
「バルドさん……」
ギルド倉庫番、バルド・ハーキンだ。
彼はリネアの手元の銀級証を見て、口元を緩めた。
「廃棄倉庫で壊れ物を拾ってた嬢ちゃんが、銀級か」
「まだ、実感がありません」
「いいじゃねえか。捨てられたもんの価値を拾う奴は、いつか自分の価値も拾える」
その言葉に、リネアは少しだけ泣きそうになった。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ。お前さんみたいなのが上へ行くなら、まだこのギルドも捨てたもんじゃねえ」
その後、成功報酬と懸賞金の受け渡しが行われた。
袋の重さに、リネアはまた固まる。
「これ、桁……合ってますか?」
受付嬢は真面目な顔で頷く。
「合っています。指名手配個体の懸賞金と、ギルド側の補償金が上乗せされています」
新しい服を買おうとか、美味しいものを食べようとか、そういう考えはほとんど浮かばない。
リネアの頭に最初に浮かんだのは、過熱した星紋出力増幅器、負荷のかかった四肢関節、冷却が追いつかなかったクリードディフェンダーの刃、そしてルクスの胴体内部の補強案だった。
「ルクス、帰ろう」
『帰還先、灰貨商会地下工房』
「うん。直すところが山ほどあるから」
灰貨商会の地下工房へ戻ると、ヴィオラ・レイスがいつもの黒いドレス姿で待っていた。
「おかえりなさい、銀級冒険者さん」
リネアは足を止める。
「もう知ってるんですか?」
「情報は鮮度が命よ。火葬百足を落とした黒い従魔と修理師の話なら、王都の裏側でももう値がつき始めているわ」
ヴィオラは楽しげに微笑んだ。
その横に、見慣れた小柄な老女が座っている。
「……マルタさん!?」
マルタ婆さんは、いつものように穏やかな顔で手を振った。
「おかえり、リネアちゃん」
「どうしてここに……」
「ヴィオラとは、もう十数年来の付き合いでねぇ」
その言葉に、リネアがヴィオラを見ると、彼女は肩をすくめた。
「マルタには昔から借りがあるの。彼女の旦那様が遺跡絡みの仕事をしていた頃からの縁よ」
「じゃあ、私が灰貨商会に繋がったのは……」
「全部が偶然ではないわ」
ヴィオラはあっさりと言う。
「もちろん、あなたに投資すると決めたのは私の判断。でも、気にかけてやってほしい子がいる、と最初に持ちかけてきたのはマルタよ」
リネアはマルタの方へ向き直る。
するとマルタは椅子から立ち上がり、ゆっくり近づいてきた。
「あたしはねぇ、あんたのことになると、もう何も他人事とは思えないようになっていたよ」
その声は、いつもより少し震えている。
「夫の時計を直してもらった時から、あんたは壊れたものを本当に大事に見る子だと思ってた。ひとりで頑張って、店を守って、それでも自分のことは後回しでねぇ」
マルタはリネアを優しく抱き締めた。
小さな腕だったが、その温かさに、リネアの中で何かがほどける。
「よく帰ってきたね。ルクスを直して、あんな恐ろしい魔物まで倒して。よく頑張ったねぇ」
リネアは感極まるものがあり、何も上手く言葉にできない。
ギルドでは称賛され、銀級証も受け取った。現役の冒険者たちから拍手ももらった。
けれど、ここではただ、生きて帰ったことを喜んでもらっている。
それが、思っていた以上に胸に染みたようだ。
「……ただいま、マルタさん」
「おかえり」
ルクスは少し離れた場所で、静かにその様子を見守っている。
『マルタ婆さん。友好判定、最高値へ更新』
「うん、その通りだよ」
リネアは涙を拭いながら笑う。
ヴィオラはその様子を微笑ましそうに見届けてから、手袋の指を鳴らした。
「さて。感動の再会の後で悪いけれど、あなたの目はもう部品棚を見ているわね」
「……すみません」
「いいのよ。祝杯より部品。あなたらしいもの」
ヴィオラが用意していた素材リストを広げる。
高純度冷却管。黒銀合金の追加装甲。高級絶縁布。四肢関節補強材。星紋出力増幅器の過負荷逃がしに使える制御弁。クリードディフェンダーの熱分散用の細工部品。
そして呼応するようにリネアは懸賞金の袋を置いた。
「買います。必要なものを、できるだけ」
「本当に豪快な銀級冒険者さんね」
「ルクスを直すためのお金ですから」
そこから、地下工房は一気に熱を帯びることとなる。
リネアはまず、グレイブバーナー戦で負荷がかかった部分の冷却と補強を行った。星紋出力増幅器の周囲に過負荷逃がしの流路を増設し、クリードディフェンダーには熱分散用の冷却管を通す。
四肢関節の焼けた接点を磨き、黒銀合金で補強を重ねる。
そして、新装備の製作にも取り掛かる。
ひとつは、腕部側面に装着する可変装甲盾。
通常時は折り畳んでルクスの腕部側面に収まり、必要に応じて展開する。
サイズ調節機構を備え、リネアを庇う遮蔽板としても使える。
星紋兵装ほどの特別な力はないが、実用的で、堅牢で、護衛には欠かせない装備だった。
もうひとつは、アンカーショット。
ワイヤー付きの杭を射出し、壁や地面、敵の甲殻に打ち込むことで急接近、急制動、方向転換を可能にする。
フォースフィールドほど消耗せず、探索にも戦闘にも使える移動補助装備だ。
「星紋兵装には届かない。でも、これはこれで絶対に役に立つ」
『装備意図を確認。防御力、機動力の底上げを目的とする追加武装』
「そう、ルクスをもっと壊れにくくするための装備」
『リネアの生存率向上にも寄与』
「それも大事」
リネアはルクスの腕部側面に盾の基部を合わせた。反対側にはアンカーショットの射出機構を仮留めする。
銀級昇格の証に多額の懸賞金。
ギルドでの称賛とマルタの腕の温かさ。
そしてヴィオラの微笑み。
そのすべてが、リネアの手を軽くしていた。
「もっと直すよ、ルクス」
『了解、リネア。銀級冒険者としての活動継続を支援』
「そこは、相棒としてって言ってほしいかな」
ルクスの単眼が、静かに瞬く。
『相棒として、支援』
リネアは少しだけ笑い、工具を握り直した。
勝利は終わりではない。
それは帰る場所で形を変え、次の修理に繋がっていく。
地下工房の碧い灯りの下で、リネアとルクスはまた、新しい姿へ近づいていった。
勝利は、帰る場所で形になる。というように、リネアとルクスの冒険者としての名声、人としての評判、そしてそれらをバネにしてさらにルクスの修理強化へと打ち込んでいくブレない姿勢を描いて参りました。次回では、銀級冒険者としての新たな試練が訪れます。是非お楽しみに!




