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第二十一話 炎嵐駆ける黒き従魔


グレイブバーナーが咆哮した。


それは獣の声ではなく、虫型魔物の擦過音でもない。

巨大な甲殻の内側で炎が燃え、無数の脚が焼けた地面を削り、口器の奥に灯った赤い魔法陣が森全体を震わせるような、形容しがたい破壊音だった。


リネアは思わず耳を塞ぎかけたが、塞ぐより早く熱風が押し寄せる。焦げた葉が舞い、灰が視界を曇らせる。

森の奥から現れた全長二十メートル級の巨大百足は、赤黒い甲殻の隙間から炎を漏らしながら、ゆっくりと頭をもたげていた。


『敵性個体、戦闘行動開始』


ルクスの単眼が鋭く細まる。


「ルクス、距離を――」


リネアが言い終える前に、グレイブバーナーの巨体が視界から消えた。その巨体からは想像もつかないほどの機敏さで跳躍したのだ。

無数の脚が地面を蹴ると同時に、赤い魔法陣が空中にいくつも展開される。巨体はその魔法陣を足場にするように、焼けた森の上へ浮かび上がっていく。

二十メートル弱の百足が、鈍重さとは無縁の速度で空中をうねった。


「空を……歩いてる?」


『空中歩行術を確認。巨体による機動性低下、確認できず』


次の瞬間、上空から牙が降ってきた。

ルクスがリネアの前へ滑り込む。巨大な顎が地面を抉り、焦げた土が爆ぜる。

辛うじて直撃は避けたが、グレイブバーナーは止まらない。空中で体を捻り、今度は横から無数の爪を叩きつけてくる。

ルクスは四脚で地面を蹴り、低く後退した。爪が直前までいた場所を裂き、焼けた木々をまとめて薙ぎ倒す。


『敵性個体、近接攻撃速度、想定超過』


「こんな大きさで、なんであんなに速いの……!」


グレイブバーナーは空中を悠然と旋回している。牙、爪、体当たり。

その間にも降り注ぐ炎弾はまだ牽制程度だったが、それだけでも十分に危険だ。

巨大な胴体が通っただけで木々が容易く折れ、甲殻の熱で落ち葉が燃え上がる。


『敵性個体を想定以上の脅威と認定。通常機動での優位確保、困難』


「出し惜しみしないで。どうにかして崩そう」


『了解。【フィジカルブースト】起動』


ルクスの胸部結晶が強い光を宿す。

四脚が地面を踏み砕き、次の瞬間、黒い機体は炎の下をくぐり抜け、グレイブバーナーの側面へ高く跳んでいた。

クリードディフェンダーを両手で握り、巨体の中ほどに向けて叩きつける。

勢いの乗った重撃は、その衝撃が森に響くほどだ。


空気が震え、焼けた地面が大きく割れる。リネアの体にも、遅れて振動が伝わってきた。

まともに受ければ岩壁すら砕く一撃に相違ない。

だが、予想に反してグレイブバーナーは少しばかり揺らいだだけだった。

赤黒い甲殻には大きな傷こそ入ったものの、砕けてはいない。衝撃は節から節へ逃がされ、二十メートルの巨体全体へ分散されている。


「今のを受けて……それだけ?」


リネアの声が掠れた。

ルクスの剣撃が弱いのではない。相手の甲殻が、受け止めるために完成されすぎている。

硬いだけではない。巨体そのものが衝撃を殺す構造になっているのだ。


攻防一体。

その言葉がリネアの頭をよぎった。


グレイブバーナーが空中で器用に身をよじり、巨大な爪が再びルクスへ迫りくる。


『通常打撃、有効性低。【エナジーブレード】起動』


「もう使うの?」


『温存は非合理』


クリードディフェンダーの刃に、青白い光が走る。

高熱を帯びたエネルギーの刃が、両刃剣全体を覆う。

空気が歪み、刃の周囲に白い霧のような熱の揺らぎが生まれた。

襲い来る爪に、ルクスは真正面から両刃剣を合わせるように振り抜く。


鋭い斬撃の後、赤黒い爪が宙を舞った。

グレイブバーナーの巨体が、初めて明確に怯んだ。

切断面は滑らかで、赤く熱を帯びている。エナジーブレードは、あの強靭な甲殻を破っていた。


しかし、それは同時に相手を本気にさせる一撃でもあったようだ。

グレイブバーナーの全身が赤く脈打ち、甲殻の節ごとに炎の紋様が浮かび上がる。

隙間から漏れていた火が、一気に全身を包み込み、頭頂部には輪のような炎が形成された。

まるで冠。いや、炎で作られたヘイローだった。


「なに、あれ……」


『魔術出力、急上昇』


グレイブバーナーが空中へ高く昇る。

赤い魔法陣を足場に、巨体が焼けた森の上を旋回した。

口器の奥に炎が集まった次の瞬間、無数の火炎弾が雨のように降り注ぐ。


爆発と轟音、耐えがたい熱波が空間を席巻していく。

木々が砕け、地面が燃え、空気が熱で膨張する。しかも単なる炎魔術ではない。

その狙いは正確であり、ルクスの退路、リネアの位置、森の地形。そのすべてを焼き潰すように火炎弾が落ちてくる。


リネアの喉から、思わず弱音が零れた。


「これ、金級フルパーティでも全滅するやつじゃ……」


その言葉は、偽らざる本心だった。この魔物は強すぎる。

依頼書に書かれていた危険度では到底足りない。訓練場で見たルクスの強化でも打倒には決して届かない。

目の前の巨大な怪物は、見掛け倒しでもはったりでもなく、森を焼き、空を歩き、冒険者を絶望の最中で殺すために進化した災害だった。


炎が逃げ場を奪いつつ迫りくる。リネアの足は動かす先を失いつつある。

その時、ルクスが振り返った。


『リネア』


いつもの機械的な声ではない。

低く、明瞭で、どこか人間に近い響き。


「……ルクス?」


「リネア、私の背に。決して手を離さないで」


リネアは目を見開いた。

今、ルクスが初めて自分のことを、確かに私と言った。

そう思う暇もなく、ルクスの機械の手が彼女を引き上げる。

リネアの体がふわりと浮き、次の瞬間には黒い機械獣の背に跨っていた。


「ちょ、待って、ルクス――!」


「姿勢を低く。装甲突起を掴んで」


「喋り方!」


「説明は後。生存を優先して」


火炎弾が降る地獄のような光景の中で、ルクスの胸部結晶が強く輝いた。


「エナジー流路形成、フォースフィールド展開」


何もない空中に、青い光の面が生まれていく。

一瞬だけ広がる六角形の足場。ルクスの前脚がそれを踏むと、光の面は砕けて、同時に次の足場が空中に形成されていった。

ルクスが空を自在に駆けているのだと、認識するのに戸惑うほど当たり前のように、黒い機械獣は空中機動を使いこなしている。

リネアは息を呑む余裕もなかった。炎弾が背後で炸裂し、熱風が頬を打つ。ルクスの四脚が何もない空間を踏むたび、青い光が咲いて砕ける。

黒い機械獣は、炎の嵐の中をリネアを背に乗せたまま増速しつつ駆け上がっていった。


「落ちる、落ちる!」


「手を離さないで」


「離せるわけない!」


グレイブバーナーが空中で高度を上げつつ旋回する。炎のヘイローを冠した巨大百足は、まるで竜のような威圧をまとっていた。

火炎弾が横殴りに飛び、赤黒い胴体がうねりながら突進してくる。

ルクスはフォースフィールドを蹴って俊敏に軌道を変えた。

クリードディフェンダーの青白い刃が、炎の中で流麗に光の線を描く。


一撃、続いて二撃。


何を斬ったのか、リネアには分からなかった。

彼女にできることは、ルクスの背にしがみつくことだけだ。

装甲の突起を握る手が痛い。熱で目が滲む。視界の端で、赤い炎と青い光が何度も交差する。


グレイブバーナーの牙が迫ればルクスが空を蹴る。

火炎弾が炸裂するのを尻目にクリードディフェンダーが振るわれる。

フォースフィールドが砕ければ、また次の足場が生まれる。


どれだけ時間が経ったのか、ついぞ分からなかった。

数十秒かもしれないし、数分かもしれない。

リネアの世界は、ルクスの背中と、恐ろしい炎の色と、冷徹な青白い刃の残光だけになっていた。


その時ふいに、衝撃が止まる。

熱風だけが、遅れて吹き抜ける。


目を開ければ、ルクスは焼けた地面へ静かに降り立っていた。

四脚が深く沈み、胸部結晶が激しく明滅している。クリードディフェンダーの刃は赤く熱を持ち、青白いエネルギーがまだ薄く揺れていた。


リネアは勝手に震える手を叱咤しつつ顔を上げる。

目の前に、巨大なものが落ちていた。

それは、グレイブバーナーの頭部だった。


赤黒い甲殻の頭部が、焼けた地面に転がっている。

口器の奥の魔法陣はすでに消えかけ、炎のヘイローは崩れて火の粉となって散っていた。


切断面は、恐ろしく滑らかだ。

高熱の刃で断ち切られたそこは赤く赤熱し、じゅうじゅうと未だに音を立てている。

胴体の方はしばらく痙攣するようにうねっていたが、やがて力を失い、森の灰の上へ崩れ落ちた。


リネアは理解がまるで追いつかず、目を疑うばかりだ。


「……倒した、の?」


ルクスの声が、先ほどよりもわずかに機械的な響きへ戻る。


『指名手配個体《火葬百足》グレイブバーナー、討伐完了』


その言葉を聞いても、まだ現実感がない。

リネアはルクスの背から降りようとして、膝から力が抜けた。ルクスの機械の手が、すぐに彼女を支える。


『リネア、身体反応不安定。休息を推奨』


「休む前に……あなたの方が先」


リネアは震える手でルクスの胴体に触れた。熱い。

星紋出力増幅器の周辺が過熱しているし、フィジカルブーストの連続使用で四肢関節にも負荷が多大に残っている。

クリードディフェンダーの刃は冷却が追いつかず、表面の星紋が不安定に瞬いていた。


勝ったけれど、無傷ではない。


「すぐに冷却する。出力を落として、安定環に戻して。ルクス、聞こえる?」


『聴覚良好』


「よかった」


リネアは工具鞄を開き、慣れた手つきで工具類を広げる。

焼けた森の中で、巨大なネームドモンスターの頭部が赤熱したまま転がっているが、討伐完了の事実よりも、今はルクスが壊れていないかの方がずっと重要だった。


炎の匂いと、熱い鉄の匂い。

その中で、リネアはいつものように壊れかけた相棒を直すために手を動かしていた。



守るために空を駆ける従魔は、主を背に乗せて戦場を越える。その本質は簒奪者でも傍観者でもなく、激戦の渦中にも静謐を湛える守護者であった。グレイブバーナーはお察しの通り、脅威度判定を冒険者ギルド側が大きく誤ったイレギュラーなネームドモンスターです。それをほぼ単独で討伐したルクスとリネア、この結果がどのような波紋を広げるのか、次回に続きます!

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― 新着の感想 ―
グレイブバーナーとの空中戦、クルスの隠れた能力が発揮されてカッコよかった。 リネア、クルスに乗らないのかな?と思っていたのですが乗れましたね。 途中で音声が変化したのは…次回以降のお楽しですね。 お…
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