第二十話 炎葬百足
王都へ戻ったその日の夜、リネアはヴィオラから借りている地下工房にこもっていた。
作業台の上には、グロムロードのオーレン工房で託された星紋部品が置かれている。
星紋出力増幅器。黒銀の小さな部品には、歯車と星を組み合わせた紋様が刻まれていた。
中央には結晶を受けるための孔があり、外縁には魔力を押し広げるような細い流路が幾重にも走っている。
リネアはそれを見つめ、慎重に息を吐いた。
これはルクスを強くする部品だ。けれど同時に、壊す部品にもなり得る。
「ただ出力を上げればいいわけじゃない。胸部中枢結晶から来た力を、そのまま増幅したら流路が焼ける。四肢も、クリードディフェンダーも、今のままだと負荷に耐えきれない」
『星紋出力増幅器、適合可能性あり。ただし過負荷危険あり』
整備架の上で伏せているルクスが、静かに答えた。
「うん。だから、星紋同期核と仮設安定環を通した後、出力分配器の手前じゃなくて後ろに置く。中枢結晶の拍動を安定させてから、必要な場所だけ増幅する形にする」
『修復方針、合理的』
「ありがとう。じゃあ、開くよ」
リネアはルクスの胴体部装甲を開き、内部の出力分配器を露出させた。
機械獣の碧い光が、狭い工房の中に漏れる。
以前の彼女なら、この構造を見ただけで圧倒されていただろう。けれど、今は違う。
地下工房で三か月間、ルクスを直し続けた。星紋同期核を接続し、四肢の駆動系を調整し、クリードディフェンダーまで得た。
まだ分からないことは多いが、触れるべき場所は見えるようになっている。
「強くするために、壊したら意味がないからね」
『リネアらしい判断』
「褒めてる?」
『肯定』
リネアは微笑み、作業に戻った。
星紋出力増幅器を分配器付近へ組み込む。固定具はそのままでは合わないため、魔鉱銀の薄板で補助枠を作る。
黒銀合金の接点を挟み、伝導線を三本に分ける。一本は四肢駆動系へ。一本はクリードディフェンダーの星紋接続部へ。もう一本は胸部の安定環へ戻し、出力が跳ねた時に逃がす。
指先と額に汗が滲む。
少しでも角度を誤れば、ルクスの内部に過剰な魔力が流れる。
しかし、集中したリネアの手は止まらなかった。
そうして最後の接点を固定した瞬間、星紋出力増幅器が淡く碧い光を放つ。
『新規機能を認識、登録中』
リネアは顔を上げる。
「何が使えるようになったの?」
『機体出力増幅制御、暫定名称【フィジカルブースト】。星紋兵装熱刃展開、暫定名称【エナジーブレード】』
「フィジカルブーストと、エナジーブレード……」
『フィジカルブーストは短時間、四肢駆動力および膂力を大幅に向上。エナジーブレードはクリードディフェンダーの刃へ高熱エネルギーを展開し、切断能力を向上』
「どっちも強そうだけど、制限は?」
『連続使用は機体負荷を増大。現状、安全運用時間は短い』
「やっぱり。試験は低出力からだね」
『了解』
翌日、リネアはルクスを連れて王都冒険者ギルドの広い訓練場へ向かった。
従魔登録試験の一件以来、ルクスの姿はすっかりギルド内で知られている。黒い四脚の特殊従魔。巨大な両刃剣を持つ規格外の存在。
訓練場へ入るだけで、周囲の冒険者たちの視線が自然と集まる。
リネアはそれらをなるべく気にしないようにして、訓練場の端に立つ。
「まずはフィジカルブースト。出力は二割。短距離移動だけ」
『了解。【フィジカルブースト】低出力試験を開始』
ルクスの胸部結晶が強く光った。
次の瞬間、黒い機体が訓練場の端から端まで目にも留まらぬ初速のまま跳躍する。
四脚が地面を蹴り、砂が爆ぜる。移動というより、空間を引き裂くような踏み込みだった。
ルクスは壁際の手前で急停止し、石床に四本の爪痕を刻んで止まる。
リネアはたった今目撃した余りの駆動にしばらく固まった。
「……二割でそれ?」
『肯定』
「低出力の意味を一回相談しようか」
『出力設定は正常』
「正常が怖いの」
周囲の冒険者たちがざわつく。
リネアは深呼吸し、次の試験へ移った。
「次は、エナジーブレード。訓練柱を軽く斬って。軽くね」
『了解。【エナジーブレード】低出力展開』
ルクスがクリードディフェンダーを構える。
両刃剣の刃に、青白い光が走った。最初は細い線だったそれが、すぐに刃全体へ広がる。空気が熱を帯び、刃の周囲がゆらりと歪んだ。
ルクスは訓練用の鉄柱へ向けて、軽く両刃剣を振る。
音も抵抗もほとんどなかった。
鉄柱の上半分が、斜めにずれて落ちる。切断面は赤く熱を帯び、じゅう、と煙を上げている。
リネアは想像を超える威力に頭を抱えた。
「……依頼で使う前に、絶対に調整しないと駄目」
『有効性を確認』
「有効すぎるの」
その訓練模様を、少し離れた場所から見ている人物がいた。
ギルド討伐担当官、ロイド・バルカスである。
元銀級冒険者だという中年の男で、討伐依頼や危険個体の管理を担当している。彼は訓練が終わるのを待ってから、リネアのもとへ歩いてきた。
「リネア・ギアライトだな」
「はい」
「少し話がある。君と、その特殊従魔に向いた依頼だ」
リネアは嫌な予感がした。
ロイドが差し出した依頼書には、特徴的な赤い印が押されているのだ。
それは指名手配個体討伐依頼に他ならない。
「標的は、ローヴァン森林地帯に出没するジャイアントセンチピード変異種。通称、《火葬百足》グレイブバーナー」
その名を聞いた周囲の冒険者たちが、露骨に顔を強張らせた。
リネアは依頼書へ目を落とす。
全長推定十数メートル以上。
炎属性魔術を行使し、耐熱甲殻を全身に有する。地中潜行能力も確認されており、強力な毒牙には対策を要する。
過去に複数の討伐隊を返り討ちにしてきた為、その危険度は銀級上位相当。状況次第で金級案件にも迫るという。
「無理です」
リネアは冷静に即答した。
「私は銅級です。ルクスも登録されたばかりで、この新機能も試験段階です。そんな危険なネームド個体の討伐なんて」
「もちろん、普通なら銅級に出す依頼じゃない」
ロイドは落ち着いた声で言う。
「だが、グレイブバーナーは森を焼きながら縄張りを広げている。金級冒険者は別件で出払っている。銀級の討伐隊は、すでに二度失敗した。君の従魔の機動力と、今見せた熱刃なら、勝機がある」
「勝機がある、で受けられる依頼じゃありません」
リネアは一歩引こうとするが、その時、ルクスが静かに告げた。
『討伐成功時の利益を算出』
「ルクス?」
『報酬、高。活動実績、大。リネアの昇級評価に有効。指名手配個体素材の売却価値も高く、新機能実戦試験対象としても適切』
「なんでそんなに前向きなの!?」
『合理的判断』
「相手は冒険者を朝飯替わりに焼いてる百足だよ」
『エナジーブレードが有効な対象と推定』
「そういう問題じゃないから」
ロイドは少しだけ口元を緩める。
「従魔の方が乗り気らしいな」
「乗り気というか、妙に楽観的というか……」
リネアは依頼書を改めて見つめた。怖い上に危険すぎる。
それでも、報酬と実績が大きいのも事実だった。星紋部品を探し、ルクスをさらに直すためには資金も評価も必要だ。
いつまでも銅級のままでは、受けられる依頼にも、進出できる遺跡にも限界がある。
「条件があります」
そこで、リネアは思案して慎重に言った。
「単独で無理に討伐はしません。危険だと判断したら撤退します。それと事前情報を全部ください。最初は偵察扱いで、討伐できた場合に討伐報酬という形でお願いします。ルクスの損傷が大きい場合は即撤退。それでよければ、受けます」
ロイドは深く頷く。
「妥当だな。ギルドとしても、無駄死にされては困る」
こうして、リネアとルクスの初めてのネームド討伐依頼が始まったのだった。
ローヴァン森林地帯は、王都から北西へ半日ほど進んだ場所にある。
本来なら、木々の濃い静かな森だったという。だが、今リネアの前に広がっているのは、黒く焼けた幹と、灰を被った地面だけだ。
木の根元からはまだ煙が上がっている。
葉は赤黒く焦げ、ところどころの土が熱で固まっていた。
風が吹くたび、灰が舞う。燃え尽きた森の中には、鳥の声も獣の気配もほとんどない。
「これを、あの百足が……」
『熱源反応、複数。主反応、森林深部』
ルクスは低く歩を進める。リネアは恐怖を堪える為に、知らず工具鞄の紐を握った。
指先が少し冷たい。森は熱気に覆われているが、自分の体の内側は極度の緊張で冷えていくばかりだ。
依頼書の文字で読む危険と、目の前にある焼けた森は違う。
紙の上では、銀級上位相当。実際には、森そのものが死にかけている。
「ルクス、無理はしないで。撤退経路を常に確保。フィジカルブーストは短時間。エナジーブレードも最大出力は禁止」
『了解。リネアの安全を最優先』
森の奥部に到達すると、地面が地震のように震えた。リネアはいよいよかと足を止める。
灰をかぶった土が、ゆっくりと盛り上がっていく。熱気が吹き出し、焦げた根が弾けた。次の瞬間、地面を破って巨大な節足が現れる。
一本、二本、三本。
赤黒い甲殻に包まれ、節の隙間から漏れる炎。長い胴体が地中から這い上がるたび、周囲の枯れ葉が自然に燃え始める。
そして、頭部が現れた。巨大な顎。毒を滴らせる牙。口器の奥に、炎の魔法陣のような赤い光。背中の節ごとに、焼けた紋様が脈打っている。
指名手配個体。《火葬百足》グレイブバーナー。
リネアは、思わず呼吸を忘れた。
大きく、速そうで、熱く、怖い。
そういった断片的な単語で脳内が埋め尽くされ、本能が警鐘を鳴らす。
これは、依頼書に書かれていた魔物とは似つかない。
紙の上の危険度では、到底表現が足りていない。
グレイブバーナーが泰然と頭をもたげる。
森の空気が、炎に呑まれたように揺らいだ。
『敵性個体、確認』
ルクスがリネアを庇うように前に出る。
『指名手配個体《火葬百足》グレイブバーナーと照合』
「……ルクス」
『フィジカルブースト、起動準備』
赤黒い百足が、焼けた森の中で顎を開いた。その奥に、激しい炎が灯る。
リネアは工具鞄を握りしめたまま、呑まれかけた心を必死に繋ぎ止めた。
戦いは、まだ始まってすらいない。
リネアの生涯において、ネームドモンスターとの初の本格的戦闘開始!数多の冒険者たちの血肉を喰らいつつ肥大化してきた、魔物としての傲慢さと強大さ。その圧倒的な威容に捕捉されれば、生き残る為には勝つしか道はない。




