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第二話 眠れる機械兵

新作の初日なので二話連続投稿させて頂きます。


扉は、音もなく開いた。


古代遺跡の入口と聞いて、リネアはもっと荒々しいものを想像していた。

軋む石扉。崩れ落ちる瓦礫。吹き出す砂埃。あるいは侵入者を拒む魔法陣の閃光。


けれど、実際には違った。

黒い鍵を差し込んだ瞬間、扉の表面に刻まれていた歯車と星の紋様が淡く碧く光り、内部で何かが噛み合うような小さな音がした。

かちり、かちり、と何百年も止まっていた機構が順番に目を覚ましていく。

そして、巨大な石扉はまるで眠りから身じろぎするように、静かに左右へ開いた。


リネアは息を呑んだ。

中は暗闇ではなかった。

通路の左右に、青白い光が一本ずつ灯っている。

魔法灯ではない。少なくとも、リネアの知っている魔法灯とはまるで違う。

炎の揺らぎも、魔石の瞬きもない。ただ澄んだ光だけが、まっすぐに床と壁を照らしていた。


「……これ、本当に遺跡なの?」


思わず呟いた声が、通路の奥へ吸い込まれていく。

壁も床も、見たことのない白銀の材質でできていた。

石に似ているが、石ではない。金属に似ているが、叩けば澄んだ音が返ってきそうな冷たい硬さがある。

表面には継ぎ目がほとんどなく、ところどころに細い線が走っていた。


リネアは指先で壁に触れてみた。

冷たい。けれど、死んでいる感じはしない。

まるで体温の低い巨大な生き物に触れているようだった。


通路の奥で、また光が灯る。一本、また一本。

リネアが進むべき道だけを示すように、青白い線が静かに伸びていく。

普通なら、ここで引き返すべきだった。


リネアは戦士ではない。魔導士でもない。神官でも斥候でもない。

ひとりで未知の遺跡に入るなど、冒険者としては無謀というより自殺に近い。

しかし、不思議と足は止まらなかった。


怖くないわけではない。

手の中のランタンは必要ないほど明るいのに、彼女は何度もその持ち手を握り直していた。

腰の短剣も、いざとなればほとんど役に立たないことは分かっている。


それでも、引き返せなかった。

この遺跡は、荒らされるのを待っていたのではない。

暴かれるのを待っていたのでもない。


直されるのを待っていた。

そんな気がする。


通路の途中にはいくつもの扉があったが、そのほとんどは閉ざされたままだった。

リネアが近づいても反応しない。黒い鍵をかざしても、表面の線が一瞬光るだけで、すぐに沈黙する。


まるで、今の彼女にはまだ早いと言われているようだ。

奥へ進むほど、壁の紋様は複雑になっていった。

歯車。星。獣の横顔。翼のない鳥。見たことのない文字列。円環の中に組み込まれた四つの脚。


リネアはその文字を読めない。

けれど、意味は少しだけ分かった気がした。

壊れた時計を分解したとき、歯車の欠け方や軸の歪みから、それがどんなふうに動いていたのか見えてくることがある。

作った人間の癖。使っていた人間の習慣。どこに負荷がかかり、どこが大切にされていたのか。


この遺跡も同じだった。

壁に走る細い線は、魔力の通り道に似ている。

だが、魔力だけではない。もっと緻密で、もっと規則正しい何かが流れていた跡だ。

ところどころで線は途切れ、焦げ、黒く沈んでいる。


「……ここ、壊れてる」


リネアは小さく呟いた。

それは遺跡全体に言及しての発言だった。


綺麗に見える。

静かに動いている。

けれど、本来の力はほとんど失われている。


応急処置だけで、長い時間を耐えてきた場所。

リネアには、そう見える。


やがて通路は広い空間へと出た。

そこは、礼拝堂に似ていた。


高い天井。左右に並ぶ白銀の柱。

床には巨大な円形の紋様が描かれ、天井には星図のような光が無数に散っている。

星々はゆっくりと瞬き、ときおり細い光の線で結ばれては消えた。


リネアは立ち尽くす。

王都の大聖堂にも入ったことはある。

だが、目の前の光景はそこにある荘厳さとは違った。

ここには祈りの熱がない。人々の声も、香の匂いも、神像もない。


あるのは、ただ静かな秩序だった。

祈るためではなく、記録するための神殿。

信じるためではなく、残すための聖域。

そんな言葉が胸に浮かんだ。


円形の紋様の中央に、台座があった。

いや、台座というには大きすぎる。

それは格納架だった。巨大な何かを支え、固定し、眠らせるための寝台。


そして、その上に黒い獣が伏せていた。

リネアは息を忘れる。最初は彫像だと思った。


四つの脚を折り畳み、頭を低く垂れ、胴体を丸めるようにして眠っている。

全身は黒い装甲に覆われていた。光を吸い込むような深い黒。

その縁には鈍い銀の線が走り、関節部には細かな機構が何層にも重なっている。


狼に似ているが、狼ではない。

馬ほどの大きさがある。いや、立ち上がればもっと大きいだろう。

胴体は太く、背には折り畳まれた箱のような構造物がある。

頭部には眼球がなく、代わりに額の中央に丸い硝子のような部品が一つだけ埋め込まれていた。


単眼であろうか。

その光は消えている。


胸部の装甲は大きく割れて、左前脚の外装は剥がれ、内部の銀灰色の骨格が露出している。

背の一部には焼け焦げた跡があり、右後脚の関節は不自然な角度で固まっていた。


この機械も壊れている。

それが、リネアの最初の感想だった。


恐ろしい、ではなく、美しい、強そう、でもない。

ただ、壊れていると思った。

そしてその瞬間、リネアの胸がひどく痛んだ。

どうしてかは分からない。少なくとも、普通の意味では相手は生き物ではない。

血も流れていない。息もしていない。眠っているように見えるだけで、本当はただの石像なのかもしれない。


それでも、その伏せた姿は長い間誰にも起こされず、誰にも直されず、誰にも名前を呼ばれなかったものの姿に見えた。


リネアは一歩近づく。

床の円形紋様が淡く光る。

びくりとして足を止めたが、何も起こらなかった。

攻撃も、警告も、罠の発動もない。ただ光が、彼女の歩みに合わせてゆっくり広がっていく。

まるで、歓迎するかのように。


「あなたが……この遺跡の主なの?」


答えはない。

リネアは格納架のそばまで近づいた。

近くで見ると、黒い機械獣はさらに大きかった。四脚が立ち上がれば高さは2メートル半は越えるだろう。

装甲の隙間には埃が積もり、傷の奥には溶けた金属が固まっている。長い戦いの痕跡が見て取れた。


彼女は工具鞄を床に置いた。

なぜそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。

直せるわけがない。鍋や時計とは違う。ランタンや農具とも違う。

こんなにも精緻な構造体、王都中の鍛冶師や魔道具師を集めても、分解することすらできないだろう。


まして、自分はただの修理師だ。

無能と笑われ、荷物持ちと呼ばれた。

冒険者では戦力外だと言われた。

小さな修理店ひとつ守れず、故郷へ帰ろうとしていた。


そんな自分に、古代の機械獣が直せるはずがない。

そう思いつつも、手は動いていた。

リネアは割れた胸部装甲の前に膝をつき、慎重に内部を覗き込んだ。


「……ひどい」


内部構造は複雑だった。けれど、理解を拒むほどめちゃくちゃではない。

無数の細い管と銀線が、中心部の碧い結晶のようなものへ向かって集まっている。

そのいくつかは焼き切れ、いくつかは外れ、いくつかは途中で千切れていた。


心臓に似ている。リネアはそう直感した。

青い結晶は完全には砕けていない。表面には細かな亀裂が走っているが、奥にほんのわずかな光が残っていた。

まだ生きている。そう感じさせるには十分な輝き。


「少しだけ……本当に少しだけなら」


リネアは工具鞄を開けた。

細工用のピンセット。魔力測定針。銀線。小さな絶縁布。時計の修理に使う極細の留め具。

どれも巨大な機械獣には頼りない道具ばかりだった。

それでも、今この場にあるものはそれだけだ。

リネアは焼き切れた銀線の一本をそっと持ち上げた。

指先が震える。少し力を入れれば崩れてしまいそうだった。


「大丈夫。無理に動かしたりしないから」


相手に聞こえるはずもないのに、彼女はそう声をかけていた。


「痛かったら、ごめんね」


自分で言ってから、少しおかしくなる。

機械に痛みなどあるはずがない。けれど、言わずにはいられなかった。


リネアは古い銀線の焦げた部分を切り落とし、持ってきていた補修用の銀線を継いだ。

時計に使う技術と同じだ。ただ、相手が途方もなく大きいだけ。

次に、外れていた細い管を本来の位置へ戻す。固定具は砕けていたので、工具鞄に残っていた小さな留め具を削り、仮止めに使った。

完璧ではなく、新品には程遠い。これで動く保証などどこにもない。


それは、壊れた懐中時計を直したときと同じだった。

完全に戻せなくてもいい。

もう一度だけ、時を刻めればいい。


最後に、リネアは魔力測定針を青い結晶のそばへ差し込んだ。

針はしばらく沈黙していたが、やがてかすかに震えた。


「……反応、あり」


その瞬間だった。

機械獣の胸の奥で、青い光が一度だけ脈打った。

リネアは思わず息を止める。


二度目の光。続いて三度目。

細い銀線を通って、青い光がゆっくりと広がっていく。

胸部から首へ。首から頭部へ。折り畳まれた四肢へ。背の構造物へ。

黒い装甲の隙間に、星屑のような光がひとつずつ灯った。


遺跡全体が、連動して低く震えた。


轟音ではなく、咆哮でもない。

深い眠りから、誰かが初めて息を吸ったような震えだった。


リネアは後ずさろうとして、すくんで足が動かないことに気づいた。

黒い機械獣の額。その消えていた単眼に、碧い光が灯った。


それは獣の眼というより、夜明け前の星に似ていた。

冷たく、静かで、けれど確かにこちらを見ている。


リネアは声を出せなかった。

逃げなければとも思ったが、同時に逃げたくなかった。


単眼の光が細く揺れる。焦点を合わせるように、何度か明滅した。

機械獣の内部で、小さな音が連続する。止まっていた歯車が、もう一度順番に噛み合っていく。


そして、頭部の奥から、ひどく掠れた声が聞こえた。


『……再起動、失敗』


リネアは目を見開いた。

機械獣が喋ったのだ。


『主機関、損傷。駆動系、断絶。記録領域、欠損。戦術系、応答不能』


言葉の意味は半分も分からない。

けれど、それが自分の状態を告げているのだということは分かった。

碧い単眼が、リネアを見る。


『外部修復者を確認』


不意を突かれてリネアの喉が鳴った。


「わ、私……?」


『確認。修復適性、適合。鍵保持者、適合。生命反応、単独』


単眼の光が、ほんの少しだけ弱まった。


『長期待機命令、継続時間……測定不能』


リネアは胸を締めつけられるような気がした。

測定不能。それほど長く、この機械獣はここで眠っていたのだろう。


誰にも見つけられず。

誰にも直されず。

誰にも声をかけられず。

ただ、壊れたまま。


リネアは震える手を伸ばした。

黒い装甲に触れる。冷たいが、さっきまでとは違う。

奥でかすかな振動がある。とても弱いが、確かに動いている。


「……ごめん。ちゃんとは、直せてない」

「私、そんなにすごい修理師じゃないから。今は、少し繋いだだけ。あなたを全部直すには、もっと道具も、部品も、知識もいると思う」


機械獣は黙っていた。

リネアは続ける。


「でも、放っておけなかったの」


その言葉だけは、自然に出た。


「壊れているものを見ると、どうしても」


碧い単眼が静かに瞬く。長い沈黙があった。

遺跡の天井で、星図の光がゆっくりと巡っている。

遠い時代の星々が、二人だけを見下ろしているようだった。

やがて、機械獣が言う。


『質問』


「な、なに?」


『あなたは、なぜ私を修復した』


リネアは答えに詰まった。

強そうだったから。

価値がありそうだったから。

これを持ち帰れば、店を畳まずに済むかもしれないから。


そういう理由も、心のどこかにはあったのかもしれない。

けれど、一番最初にあった気持ちは違う。


「壊れていたから」


リネアは小さく答えた。


「それだけ」


機械獣の単眼が、また一度瞬いた。

その光は、先ほどよりも少しだけ柔らかく見えた。


『記録』


「え?」


『外部修復者は、損傷個体を破棄せず。利用価値不明の段階で、修復を実行』


リネアには、やはり半分も意味が分からない。

けれど、機械獣は確かに彼女を見ていた。


『該当行動を、保護優先事由として登録』


「保護……?」


機械獣の右前脚が、わずかに動いた。

金属の軋む音がする。ひどく痛々しい音だった。リネアは思わず身を乗り出す。


「駄目、まだ動いちゃ――」


言い終える前に、機械獣はゆっくりと頭を下げた。

それは、礼のようにも見えた。

あるいは、長い眠りから覚めた獣が、初めて目の前の相手を認めた仕草のようにも。

そして、掠れた声で告げた。


『長い夜が、終わりました』


リネアは何も言えなかった。


『おはようございます、修理師』


青い単眼が、静かに彼女を映している。

その瞬間、リネアは初めて思った。

自分はもしかすると、この遺跡に宝を探しに来たのではないのかもしれない。

誰にも必要とされなかった修理師と、誰にも直されなかった機械獣。

壊れたもの同士が、ここで出会うために来たのかもしれない、と。



薄幸少女、リネアの道行きに幸多からんことを~

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