第十八話 銅級護衛と黒い従魔
冒険者ギルドの依頼板の前で、リネアはしばらく腕を組んでいた。
復旧された冒険者証は、腰の小さな革袋に入れてある。職業欄には修理師。
活動形態には、従魔使い兼修理師。登録従魔には、特殊従魔ルクスと記載されている。
三年前、この場所はリネアにとって、夢を折られた場所だった。
けれど今、彼女は依頼板を前にしてただ怯えているルーキーではない。
「資金がいる。部品もいる。ヴィオラさんから情報を買うにも、ずっと出資に頼るわけにはいかない」
小さく呟きながら、リネアは銅級依頼の札を一枚ずつ確認していく。
薬草採取。倉庫整理。街道沿いの害獣駆除。荷運び。小型魔物の巣の調査。
どれも悪くはない。だが、今必要なのはただの小銭稼ぎではなかった。
ルクスの修理を進めるための資金。星紋部品や星紋兵装の情報。
そして、冒険者としての正式な実績。
それらを同時に得られる依頼でなければならない。
依頼を吟味していたリネアの目が、一枚の依頼札で止まった。
王都発、衛星都市グロムロード行き商隊護衛。
依頼主、魔道具商人ダリオ・メルカット。
護衛対象、人員及び荷馬車三台。内容物、魔道具部品および加工素材。
依頼等級、銅級以上。
備考、従魔または荷運び能力を有する冒険者歓迎。
「グロムロード……」
王都の衛星都市であり、工業と魔道具加工で知られる街。
魔力炉、軸受け、伝導線、工具、加工工房。ルクスの修理に必要なものが見つかる可能性は高い。
そして商人と縁を作る意味でも悪くない。
「これにしよう」
リネアは依頼札を外し、受付へ向かった。
依頼主のダリオ・メルカットは、王都南門近くの荷馬車置き場にいた。
丸みのある体格に、整えられた髭。上等だが実用的な外套を着た中年商人で、荷馬車に積まれた木箱の確認をしていた。
箱には魔道具商会の印があり、中身は工業都市へ運ぶ部品らしい。
「あなたが今回の護衛ですかな?」
「はい、リネア・ギアライトです。こちらが登録従魔のルクスです」
リネアが一歩横へずれると、黒い四脚の機械獣が姿を現す。
ダリオは、目に見えて固まった。
「……従魔、ですかな?」
「はい。特殊従魔として登録済みです」
「特殊、なるほど。いや、実に特殊ですな」
ダリオの視線は、ルクスの碧い単眼と、布で覆われた巨大な両刃剣の間を何度も行き来している。
だが、商人らしい計算はすぐに戻ってきたらしい。彼は表情を整え、にこやかに手を叩いた。
「いやあ、これは心強い。銅級依頼料でこれほど頼もしそうな護衛がつくとは、商売の神に感謝しなければなりませんな」
「……依頼料は規定通りで構いません」
「もちろん、もちろん。こちらとしても、正式なギルド依頼ですからな」
言葉は丁寧だが、打算は透けている。
銅級料金で、強そうな従魔持ちが来た。
それはダリオにとって、明らかに得な取引だ。
リネアは少し複雑な気持ちになったが、依頼としては悪くない。むしろ、最初はそれでいいと思う。
評価は、仕事ぶりで変えればいい。
商隊はその日の昼前に王都を出発した。
荷馬車は三台。御者が三人。商人ダリオとその助手が一人。護衛はリネアとルクスだけだ。
街道は整備されているが、王都を離れれば魔物も野盗も出る。
ルクスには馬車の左側を歩いてもらう。巨体ではあるが、三か月の修理で歩行音はかなり抑えられている。
それでも、道行く旅人たちはすれ違うたびに目を丸くしていた。
「ルクス、商隊から離れすぎないで。前に出過ぎると、後ろが空く」
『了解。護衛対象、荷馬車三台。商人二名。御者三名』
「うん。優先順位は人命、次に荷。馬車を止めずに進ませるのが基本」
『護衛方針、記録』
最初の襲撃には、王都を出て半日ほど経った頃に遭遇することとなった。
街道脇の草むらから、灰色の小型魔狼が四体飛び出してきたのだ。
魔狼群はまず馬を狙っており、それに反応して馬が本能的に悲鳴を上げ、先頭の馬車の進路が乱れかける。
「馬車を止めないで!」
リネアは即座に叫んだ。
「ルクス、左側の二体を抑えて。右側は私が音で逸らす」
『了解』
ルクスが低く前へ出るが、飽くまでも敵を追いすぎない。
荷馬車の側面を守る位置を保ったまま、前脚の一撃で一体を弾き飛ばし、もう一体の進路を体で塞ぐ。
一方でリネアは魔力測定針に弱い魔力を込め、右側へ投げた。甲高い音と光が生じ、魔狼の注意が逸れる。
その一瞬でルクスが戻り、二体をまとめて地面へ叩き伏せた。
そうして、戦闘はすぐに終わりを告げる。
ダリオは御者台で青ざめていたが、結果として明らかに馬車も荷も無傷である。
「お、お見事ですな……」
「先へ進みましょう。血の匂いで別の魔物が寄るかもしれません」
「は、はい」
その声には、最初の軽い打算とは違う緊張が混じっていた。
夜の帳が静かに降りる。
商隊は街道沿いの野営地で休むことになった。
小さな林に囲まれた広場で、旅人用の石組みの炉が残っている。
御者たちは馬を休ませ、ダリオの助手が簡単な食事を用意した。
ルクスは馬車の外側、街道から少し離れた位置で警戒しつつ伏せている。
「見張りは交代で――」
ダリオがそう言いかけた時、ルクスの単眼が細くなった。
『接近する人型反応複数。数、十四』
リネアは即座に気を引き締めて立ち上がる。
「野盗?」
『可能性、高。包囲行動を確認』
リネアは小さく息を吸い、思考を鋭敏に巡らせる。
「火を消して。馬車の間に隠れてください。戦闘が終わるまで外へ出ないで」
ダリオは一瞬戸惑ったが、すぐに従った。商人として旅の危険には慣れているのだろう。御者たちも慌てながら馬車の陰へ移動した。
やがて闇の中から、下卑た声が聞こえてくる。
「荷を置いていけば命は取らねえ。銅級護衛一人で何ができる」
リネアは安い威嚇には答えない。
代わりに、ルクスへ短く告げる。
「殺さずに武器破壊と制圧をお願い。そして馬車には決して近づけさせないで」
『了解。非殺傷制圧を開始』
その宣言と同時に、黒い影が夜を裂いた。
野盗たちは、最初に馬を狙うつもりだったらしい。火矢を構えた男が二人、林の陰から出てくる。
だが、その弓が放たれる前に、地を這うように駆けたルクスが間合いへ入っていた。
機械獣の前脚が一閃する。
弓が砕け、男の体が地面へ転がった。
続いて、側面から斬りかかろうとした野盗の剣を、ルクスの機械腕が掴み、そのまま尋常ならざる握力でへし折る。
「なんだこいつ――!」
野盗が窮したように叫ぶのを気にも留めず、碧い単眼が闇の中で光り、四脚が地面を蹴る。
布を外されたクリードディフェンダーが、低く構えられた。ただし刃では斬らない。柄側と刃の腹を使い、野盗たちの武器を叩き落とし、脚を払う。
重く、速く、淀みない攻勢には逃げ場がない。
野盗の一人が馬車の後背へ回り込もうとした瞬間、リネアが叫んだ。
「右後方!」
『捕捉済み』
ルクスは振り向きもせず、後脚を軸に体を回転させた。
クリードディフェンダーの腹が野盗の盾を強かに叩き、男は砕け散る盾ごと吹き飛んで地面を派手に転がる。
それでも、数人の野盗が最後の抵抗としてリネアへ向かった。
「従魔の主を殺せ!」
ルクスの単眼が、鋭く光る。
『最優先護衛対象への接近を確認』
「ルクス、殺さないで!」
『了解』
次の瞬間には、野盗たちの武器が綺麗に砕かれていた。
剣が折れ、短槍が曲がり、手斧が弾き飛ばされる。野盗たちは何が起きたのか理解する前に、ルクスの前脚で地面へ押さえつけられる。
そのようにして夜襲は完封され、襲撃者の人数の割にはあっけなく終わった。
野営地に静寂が戻った頃、ダリオは馬車の陰から出てきて、呆然と周囲を見回す。
野盗たちは全員、一目で判るほど鎮圧されており。荷馬車などに一切被害はない。
「……リネアさん」
彼の声色は、昼間とは明確に違っていた。
「正直に言いましょう。私は最初、銅級料金で大きな従魔持ちを雇えたと、得をしたつもりでいました」
「……でしょうね」
リネアは苦笑し、その前でダリオは深く頭を下げる。
「ですが、今は違います。あなたとルクス殿がいなければ、私は荷も命も失っていた。これは銅級の護衛ではありません。命を預けるに足る護衛です」
ルクス殿。
その呼び方に、リネアは少し驚いた。
ルクスもまた、わずかに単眼を瞬かせる。
『敬称を確認』
「うん。よかったね」
『判断不能』
「照れてる?」
『否定』
リネアは小さく微笑んだ。
翌朝、商隊は再出発する。
捕らえた野盗は街道詰所へ引き渡し、簡単な調書も作成された。これもギルドへの実績にもなるだろう。
リネアはそう考えながらも、それ以上にダリオとの縁ができたことを大きく感じていた。
衛星都市グロムロードが見えたのは、昼過ぎのこと。王都とは雰囲気からして違う街だ。
遠くからでも煙突がいくつも見える。魔力炉の青白い光が工房街の隙間から漏れ、金属を叩く音が風に乗って届く。
門の周囲には荷馬車が列を作り、油と鉄と焼けた魔石の匂いが漂っていた。
リネアは思わず足を止める。
「ここが、グロムロード……」
そこには、王都の洗練とは違う実用の熱があった。
歯車。軸受け。伝導線。工具。魔力炉。加工工房。
きっとここには、ルクスをさらに直すための何かがある。
ダリオが御者台から振り返って言う。
「リネアさん、グロムロードで部品を探すなら、私の名を使ってください。少なくとも、門前払いはされないはずです」
「いいんですか?」
「もちろんです。あなたとルクス殿には、命を預けるに足る働きをしていただきましたから」
リネアは少しだけ目を見開き、それから静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
銅級護衛として受けた依頼は、ただの資金稼ぎでは終わらなかった。
新しい街に辿り着き、新しい縁に恵まれた。
そして、ルクスをさらに直すための新しい扉が開かれたようにも感じられる。
黒い従魔を連れた修理師は、工業都市グロムロードへ足を踏み入れた。
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