第十五話 地下工房の三か月
ギアライト修理店の扉に、リネアは一枚の張り紙を貼った。
しばらく休業します。
店主都合により、修理依頼の受付を停止します。
ギアライト修理店。
何度も書き直したせいで、紙の端には薄く消した跡が残っている。
リネアはしばらく、その文字を見つめていた。
この店を閉めることが、以前の彼女にとっては敗北を意味した。
冒険者として失敗し、パーティから追放され、王都外縁の小さな修理店すら守れず、故郷へ帰る。その未来が、ずっと怖かった。
けれど今は違う。
これは逃げるための休業ではない。
在るべき場所に戻ってくるための休業だ。
「行こう、ルクス」
店の裏庭で待つ黒い機械獣が、静かに単眼を灯した。
『了解、リネア』
灰貨商会の荷運びたちは、夜明け前にやって来た。
ヴィオラ・レイスの手配した馬車は表通りを避け、旧水路へ続く裏道を進む。
ルクスは大型の荷物に見せかけるため、黒い遮蔽幕と木枠で覆われている。
リネアはその横に座り、揺れる馬車の中で工具鞄を抱えていた。
向かった先は、王都の地下に広がる古い倉庫街だった。
かつて大商会の保管庫として使われていた場所らしい。
分厚い石壁に囲まれ、外からの魔力探査を遮る鉛糸と黒曜石の層が埋め込まれている。
天井は高く、奥には地下水路へ通じる搬入口があり、重量物用の吊り滑車や可動式の整備架まで備えられていた。
リネアは予想を上回る整備環境に言葉を失った。
「ここを……使っていいんですか」
ヴィオラは黒い手袋を直しながら微笑んだ。
「貸すだけよ。私の投資物件だから、大事に使ってちょうだい」
工房の中央には、大型魔道具用の整備架が据えられている。
周囲の棚には、高純度魔鉱銀、黒銀合金の薄板、大型魔導炉用の伝導線束、高級絶縁布、結晶研磨用の細工工具、各種軸受け、魔力測定台が揃っている。
リネアがこれまで欲しくても手が届かなかったものばかりだった。
腕があっても、素材がなければ直せない。
見抜けても、工具がなければ触れない。
考えがあっても、場所がなければ試せない。
その全部が、今ここにある。
思わず胸の奥が熱くなった。
「ルクス、まずは整備架に上がって。胸部結晶と左前脚から始める」
『了解』
それから修理に集中する日々が始まった。
最初の一週間、リネアは星紋同期核と仮設安定環の調整に没頭する。
競売で手に入れた星紋同期核は、ルクスの中枢結晶に直接合う部品ではなかった。
けれど、仮設安定環を介せば、胸部から四肢へ流れる魔力拍動を整える補助核として使える。
リネアは記録紙を壁に貼り、流路の角度を書き込み、何度も接続を試みた。
何度も失敗した。
出力が跳ね、碧い光が乱れ、ルクスの左前脚が一瞬だけ硬直したこともあった。
そのたびにリネアは慌てて接続を切り、額に汗を浮かべながら原因を探っていく。
「違う。ここじゃない。二番流路じゃなくて、胸部の拍動が先にずれてる。星紋同期核を主にしちゃ駄目なんだ。ルクスの中枢結晶を支える補助として使わないと」
『修復方針、更新』
「うん。もう一回」
寝る時間は少なかった。
食事も、ヴィオラが差し入れたパンとスープを作業台の端で口にするだけになっている。
眠気で工具を落としそうになり、ルクスから休息を求められることもあった。
『リネア、疲労反応過多。休息を推奨』
「あと少しだけ」
『三時間前にも同一発言を確認』
「……あと本当に少しだけ」
『信用判定、低下』
「そこは信じて」
二週目には、左前脚の本格修復に入った。
グレーハウンドとの戦闘で大きく損傷していた外装を外し、歪んだ駆動軸を抜く。
内部骨格はひどい状態だった。応急処置で無理に動かしてきた分、細かな負荷があちこちに蓄積している。
普通の魔道具師なら、壊れた箇所だけを見るかもしれない。
鍛冶師なら、素材の強度を見るかもしれない。
けれどリネアは、壊れ方を見た。
どこに負荷がかかり、どこが最後まで持ちこたえ、どこがルクス自身の動きに合わせて変形したのか。
壊れた痕跡が、彼女に設計図を見せてくれる。
「ここ、守ろうとしてる」
リネアは左前脚の基部に触れながら呟いた。
「駆動軸は曲がってるけど、衝撃は胸部に逃げないように外へ流してる。だから完全に硬い素材で固めちゃ駄目なんだ。少し逃がす余地がいる」
魔鉱銀の補助骨格を削り、黒銀合金の薄板を重ねる。
大型伝導線を短く切り、関節部の動きに合わせて余裕を持たせる。高級絶縁布を巻き、魔力の漏れを抑える。
リネアの手は、日に日に速くなった。
ようやく、彼女の思考に道具が追いつき始めたのだ。
一か月が過ぎる頃、ルクスは地下工房の中を自力で歩けるようになった。
まだゆっくりだったが、以前のように一歩ごとに軋むことはない。右後脚の制御も調整され、重心移動が安定した。
二か月目には、短距離の加速と急停止を試した。
整備架の周囲に置かれた測定杭の間を、ルクスが低い姿勢で駆ける。黒い装甲が碧い光を引き、四脚が石床を蹴った。
『加速試験、開始』
「三歩目で出力を落として。四歩目で左前脚に負荷を逃がす」
『了解』
ルクスの巨体が滑るように旋回する。石床に爪が食い込み、低い金属音が響く。
以前ならそこで関節が悲鳴を上げていたが、今は違う。補強された左前脚が衝撃を受け、胸部結晶の拍動が星紋同期核によって整えられる。
リネアは測定台の数値を見て、思わず拳を握った。
「できた……!」
『機動安定率、向上』
「まだ上がるよ。もっと良くできる」
『肯定』
修理が進むにつれて、ルクスの中でも何かが変わっていく。
ある夜、リネアが作業台に突っ伏して眠りかけていた時のことだった。
ルクスが静かに彼女を見つめるうちに、内部記録が更新される。
外部修復者。保護対象。
名称登録者。継続修復者。帰還先。
分類は何度も揺れた。
かつての命令系統は欠損している。旧識別名も、製造目的も、上位指揮権限も失われたままだ。
それでも、ルクスの中に残った判断機構は、一つの結論へ近づいていた。
リネア・ギアライトは、当機を破棄しなかった。
当機に名称を与えた。継続稼働を望んだ。修復を今も継続している。
そして何より、今となってはリネア・ギアライトの損傷は、当機の稼働目的を確実に阻害する。
『優先項目、更新』
ルクスの単眼が静かに瞬いた。
『リネア・ギアライトを最優先護衛対象に設定』
翌朝、その記録を聞いたリネアは、手にしていた工具を落としかける。
「最優先護衛対象って、何?」
『当機が自発的に設定した優先項目』
「誰かに命令されたわけじゃなくて?」
『肯定。命令には依拠しない』
リネアはしばらく感慨に浸ったように黙っていた。
胸の奥がくすぐったいような、熱いような、不思議な感覚に満たされる。
「……そっか。ありがとう、ルクス」
『謝意は不要。リネアは当機の修復者であり、帰還先』
「帰還先……」
リネアは小さく笑った。
「それ、すごく大事な言葉だよ」
『重要記録として保存済み』
「やっぱり保存するんだ」
三か月後。
地下水路の奥にある廃棄区画で、実戦試験が行われた。
そこは灰貨商会が管理する古い通路で、時折、地下から這い出した低位魔物が巣を作る場所だった。
今回の相手は、石のように硬い鱗を持つストーンリザードが数体。
駆け出し冒険者でも複数人で当たれば倒せるが、油断すれば足を噛み砕かれる程度には危険な魔物だった。
リネアは少し離れた足場に立ち、制御針を構える。
ヴィオラも護衛を連れて見物に来ていた。
「兵装は使わないのね」
「まだ背部兵装は完全じゃありません。今日は四脚機動だけです」
「十分よ。見せてもらうわ」
リネアはルクスを見る。
「行ける?」
『試行ではなく、実行可能』
「じゃあ、お願い」
ストーンリザードが一斉に動いた。
その瞬間、ルクスの姿勢が低く沈む。四脚が石床を蹴った。
黒い機体が一気に前へ出る。先頭の一体が反応するより早く、ルクスの前脚が横から叩き込まれた。
鈍い音とともに、ストーンリザードの体が壁まで吹き飛ぶ。
二体目が背後から飛びかかるが、ルクスは振り返らない。
後脚を軸に胴体を捻り、尾部と装甲の側面で相手を弾く。
そのまま低い姿勢から突進し、三体目の進路を塞ぎ、前脚で地面へ押し潰した。
砲撃ではなく、刃でもない。
ただ、四脚機体としての重量、速度、制動、重心移動。
それだけで、低位の魔物たちは圧倒された。
『敵性生体、沈黙』
リネアは一瞬忘れていた息を吐いた。
かつてグレーハウンドから彼女を守った時、ルクスは壊れた体で無理やり戦っていた。
今は全く違う。動きに余裕があり、衝撃を受けても、胸部の光は乱れない。左前脚も軋まない。
「……立てるだけじゃない。戦える」
リネアの声は震えていた。
ヴィオラが静かに拍手をした。
「上出来ね。三か月でここまで戻すとは思わなかったわ」
「まだ途中です」
「ええ。だから次がいる」
ヴィオラは黒い封筒を差し出す。
中には古い遺跡図の写しと、星紋の印が描かれた資料が入っていた。
「星紋兵装」
リネアはその文字を読んだ。
「通常の武器ではなく、星紋機体と同期して初めて起動する専用兵装よ。あなたのルクスの背部構造は、おそらくそれを受け入れるための接続基部」
「つまり、背中を無理に直すだけじゃなくて、対応する兵装を見つければ……」
「戦闘力は跳ね上がるでしょうね」
リネアは資料に目を落とした。
場所は、西方砂丘遺跡セラ・ヴォルト。
王都から離れた砂の地に眠る、神代の格納施設跡。灰貨商会の古い帳簿には、星紋兵装らしき出土品の記録があるという。
ルクスの単眼が、資料の星紋に反応して碧く光った。
『星紋関連記録、微弱反応』
「行こう、ルクス」
リネアはもう迷わない。ただ一途に、まだ見ぬルクスの完成形を追求している。
『了解、リネア。最優先護衛対象の移動に随伴』
「……それ、まだ言うの?」
『重要登録』
リネアは少しだけ朗らかに笑った。
三か月前、ルクスは修理店の裏庭で伏せているだけの壊れた機械獣だった。
しかし今となっては違う。まだ完全ではないが共に歩けるし、共に戦える。
そして次に目指すのは、ルクスの星紋兵装が眠るかもしれない場所。
西方砂丘遺跡セラ・ヴォルト。
修理師と機械獣の、初めての本格的な旅が始まろうとしていた。
冒険がぁぁ!始まるぅぅ!心躍るリスクとリターンが、機械獣とその修理師の間で躍動していく~♪




