第十四話 特大の壊れ物
◇
五年後。
竜骸荒野と呼ばれる地で、とある戦いが終わろうとしていた。
地平の向こうまで赤茶けた岩場が続き、ところどころに古い竜種の骨が突き出している。
魔力嵐に削られた空は鈍い紫色に染まり、風は鉄と砂の匂いを運んでいた。
その中心に、黒い四脚の機械獣が立っていた。
かつて王都外縁の小さな修理店の裏庭で、灰色の遮蔽布に覆われながら身を潜めていた機械獣は、今やミスリル級上位冒険者リネア・ギアライトの相棒として、数多の戦場に名を刻む存在となっていた。
けれど、その姿は完全無欠の新品ではない。
黒銀の装甲にはいくつもの継ぎ目があり、左前脚には最初期の補強板の名残がまだ残っている。
胸部には複数の星紋部品が円環のように組み込まれ、碧い中枢結晶の光を静かに整えていた。
背部兵装は幾度も修理され、交換され、今ではリネア以外には構造を読み解けないほど複雑な継ぎはぎになっている。
それは傷であると同時に、歴史だった。
「ルクス、第三流路を閉じて。右後脚の負荷がまだ残ってる」
荒野に立つリネアは、腰の工具帯から細い制御針を抜きながら言う。
その身に纏うのは、かつての粗末な作業着ではない。魔鉱銀の補強が入った外套、星紋制御用の手袋、戦場修理用の工具帯。
袖口には今も油と煤の跡があり、彼女の立ち姿は冒険者というより、やはり修理師のものだった。
『了解、リネア。第三流路、閉鎖。右後脚負荷、許容範囲内へ移行』
ルクスの碧い単眼が静かに瞬く。
その前方では、災害指定を受けた巨大な地竜にも匹敵する岩殻魔獣が崩れ落ちていた。
金級冒険者パーティの合同部隊でも討伐困難とされた巨体は、すでに動かない。
そしてルクスの砲撃だけで倒したわけではなく、これはリネアがその場で駆動系を調整し、敵の魔力流を読み、ルクスの星紋同期を一瞬だけ最大効率へ引き上げた結果だった。
二人で戦い、二人で勝った。常勝不敗の最強タッグの称号は、未だに傷ついていない。
リネアはルクスの前脚に手を触れ、軽く息を吐いた。
「大丈夫。まだ直せる」
『損傷率、軽微』
「軽微でも直すの」
『過剰整備を確認』
「それは褒め言葉として受け取るね」
ルクスは短く沈黙した。
その沈黙が、どこか穏やかに感じられるようになったのは、いつからだっただろう。
リネアはふと、遠い昔日のことを思い出した。
まだ自分がミスリル級などという肩書きとは無縁で、王都外縁の小さな修理店の家賃に怯えていた頃。
ルクスもまた、神代兵器などとは呼べないほど壊れていた。左前脚は軋み、胸部結晶は今にも消えそうに揺れ、背部兵装は沈黙し、記録領域は穴だらけだった。
修理店の裏庭に隠し、灰色の遮蔽布をかぶせ、足りない部品を無理に組み合わせて、継ぎはぎのような修理を重ねていた。
思えば、あの頃が一番危なかった。
冒険が始まる前に、終わってしまうかもしれなかった時期だ。
魔道具師協会は遺跡の痕跡を追っていて、ギルドは北方未開拓遺跡の調査を進めていた。
かつてリネアを追放した《暁の剣》は、その中心へ向かっており、裏市場にはルクスの存在を金に換えようとする者たちがいた。
王都警備隊に見つかっても終わり。協会に押収されても終わり。ルクスの胸の光が消えても、そこで全部終わりの薄氷を踏むような綱渡り。
あの頃、自分たちはずっと崖の縁を歩いていたのだと思う。
しかし同時に、あの危なっかしい日々こそが、自分たちを強くしたのだろう。
足りないから考えた。失えないから必死になった。
隠すために工夫し、直すために学び、守るために手を汚した。
手に入れた星紋部品のひとつひとつに導かれるようにして、生き延びた。
星紋安定器。仮設安定環。黒市で手に入れた星紋同期核。
その後も、いくつもの部品を探し、奪われかけ、取り戻し、直し、組み込み、壊し、また直した。
どの部品も、最初から完全な答えであったわけではない。
どれも不完全で、危険で、時には呪いのようでさえあった。
それでも、リネアは直し続けた。
壊れているから。捨てられたから。誰にも価値を見抜かれなかったから。
「ねえ、ルクス」
『応答可能』
「私、昔から壊れたものを見捨てるのが下手だったんだと思う」
『記録上、一貫した行動傾向を確認』
「そういう言い方をされると、ちょっと恥ずかしいけど」
リネアは朗らかに笑った。
荒野の風が外套を揺らす。
「鍋でも、時計でも、魔道具でも、誰かがもういらないと言ったものでも。壊れてるだけなら、直せるかもしれないって思ってしまう」
彼女は、ルクスの胸部に組み込まれた星紋部品を見上げた。
「決して壊れ物を見捨てない私が、最後に見つけた特大の壊れ物。それがルクスだったね」
碧い単眼が、静かに彼女を映す。
「そのルクスと今、肩を並べて戦えている。それが私の奇跡だと思う」
ルクスは、しばらく何も言わずに佇む。
やがて、その声が低く響いた。
『記録。リネア・ギアライトの奇跡定義を保存』
「保存しなくていいよ、そういうのは」
『重要記録と判断』
リネアは苦笑した。
そのやり取りの向こうで、五年前の夜が静かに蘇る。
すべては、まだ危うく、まだ幼く、まだ何も整っていなかった頃。
黒市の地下競売から持ち帰った、小さな星紋部品を前にした夜のことだった。
◇
現在。
ギアライト修理店の裏庭には、まだ夜の気配が残っている。
黒い馬車が去った後、リネアはしばらくその場に立ち尽くしていた。
地下競売の薄汚れた空気。オルギスの嫌な笑み。ヴィオラが出来レースを崩した瞬間の静かな迫力。それらがまだ頭の中に残っている。
けれど、今はそれどころではない。
作業台の上には、黒い箱が置かれていた。
中に収められているのは、競売で手に入れた星紋同期核。
黒銀の円筒部品であり、表面には歯車と星の紋様。
内側には、淡い碧い光が細い脈のように走っている。
星紋安定器とは違う。仮設安定環とも違う。これは、何かと何かの拍動を合わせるための部品のようだった。
「ルクス、見える?」
灰色の遮蔽布の下で、ルクスの単眼が碧く灯った。
『星紋部品を確認』
「これ、あなたに使えると思う?」
『照合中』
ルクスの胸部で、仮設安定環がかすかに震えた。
碧い中枢結晶の光が、いつもと違う間隔で脈打つ。
『適合反応あり』
「本当に?」
『完全適合ではなく、中枢結晶および駆動系同期補助部品として使用可能性あり』
リネアの胸に、熱いものが広がった。
「よかった……」
『ただし、注意を推奨』
「何か危ない?」
『当該部品に残留記録反応あり』
「記録?」
ルクスは星紋同期核をじっと見つめている。
単眼の光が細くなり、胸部の奥で小さな音が鳴った。
かちり、かちり、と歯車が遠くで噛み合うような音。
リネアは作業台に手際よく工具を並べる。
「取り付ける前に外観調査をする。分解はせずに、まず接点と流路だけ確認するよ」
『了解』
リネアは黒い箱から星紋同期核を取り出し、白い布の上に置いた。地下競売で見た時よりも、ずっと重く感じる。
金額のせいではなく、これがルクスの次の修理に密接に関わるものだと分かっているからだ。
中央の結晶受けは、ルクスの胸部結晶とは直接組み合わない。
けれど、仮設安定環を介せば同期補助に使えるかもしれない。
外縁の細い溝は四方向ではなく六方向へ伸びている。つまり、接続対象はルクスの四肢だけではない。
胸部、背部、頭部、あるいは記録領域にも関わる可能性がある。
「これ、単なる駆動補助じゃない」
リネアは呟いた。
「もっと深いところに繋がる部品だと思う」
『記録領域への接続可能性を検出』
その瞬間、ルクスの単眼が大きく明滅した。
碧い光の中に、一瞬だけ白い光が混じる。
『警告。記録領域、断片反応』
「ルクス?」
『同期対象……未検出。補助核、残留情報を保持』
ルクスの声がわずかに乱れ、裏庭の空気が変わる。
リネアの目の前で、ルクスの胸部から淡い光が漏れた。
仮設安定環、星紋同期核、そしてルクス自身の中枢結晶が、互いに呼び合うように小さく震える。
次の瞬間、リネアの脳裏に、知らない光景が流れ込んだ。
白銀の格納庫。並んで眠る、複数の四脚機影。ルクスに似た機体群。
一機は白い装甲を持ち、単眼は金色だった。
一機は赤い三連眼を備え、背部に長い砲身を折り畳んでいた。
一機は装甲のほとんどが剥がれ、胸部の星紋だけが青白く光っていた。
遠くで、誰かの声がする。
『同期失敗』
『個体識別、欠損』
『第三格納列、応答途絶』
『保護対象を……』
『まだ、終わっていない』
「今の……何?」
リネアは作業台に手をついた。心臓が激しく鳴っている。
今のは幻覚ではない。ルクスの記録領域と、星紋同期核に残った情報が一瞬だけ重なったのだ。
ルクスもまた沈黙していたが、やがて低く告げる。
『記録断片を復元』
「ルクス以外にも、仲間がいたの?」
リネアは星紋同期核を見つめた。
ヴィオラの言葉が蘇る。星紋を持つものが、ルクスだけとは限らない。
『同型、または関連個体の存在可能性あり』
「関連個体……」
リネアは唇を引き結んだ。
ルクスは、ただ一機だけ眠っていたわけではないのかもしれない。
あの遺跡の奥には、まだリネアの知らない記録がある。
そして、この星紋同期核はその扉を開く鍵なのかもしれない。
碧い単眼が、静かに彼女を見る。
『リネア』
「うん」
『修復継続を希望』
リネアは小さく笑う。
ルクスとの旅路が何をもたらすのか、考えるほどに恐ろしくもある。
だが、もう引き返す気はなかった。
「もちろん。私は壊れたものを見捨てないから」
作業台の上で、星紋同期核がかすかに碧く光る。
それはルクスを直すための部品であり、同時に、彼が何者だったのかを知るための最初の手がかりでもあった。
因みに、この王国での共通冒険者ランク区分は、下から順に鉄級→銅級→銀級→金級→プラチナ級→ミスリル級→オリハルコン級となっております。冒険者全体で金級以下が90%以上を占める感じです。プラチナ級に踏み入るだけでも英雄の領域、ミスリル級と言ったらほぼ最強の称号になります。オリハルコン級は規格外の伝説の領域で、過去数名しか到達者は記録されていません。




