第十二話 黒市の投資家
隠すだけでは、守れない。
リネアはその事実を、裏庭の作業場で思い知らされていた。
灰色の魔力遮蔽布は、ルクスの反応を確かに弱めている。
仮設安定環も、中枢結晶の拍動をどうにか抑えていた。けれど、それはあくまで一時しのぎにすぎない。
左前脚はまだ不安定。
胸部結晶は完全には落ち着かない。
背部兵装は沈黙したままで、記録領域の欠損も大きい。
このままでは逃げることも、戦うことも、隠れ続けることもできない。
「直さなきゃ……」
リネアは作業台の上に並んだ部品を見下ろした。
廃棄倉庫から得た部品は貴重だった。けれど足りない。
高純度の魔鉱銀も、大型魔道具用の伝導線も、結晶炉を支える安定器も、ルクスの脚部を本格修復できる軸受けもない。
腕だけでは届かない場所がある。
どれだけ直したくても、素材がなければ直せない。
どれだけ見抜けても、道具がなければ触れない領域だってあるのだ。
その夜、ギアライト修理店の前に黒い馬車が停まった。
音はほとんどしなかった。車輪には厚い革が巻かれ、馬の蹄にも防音具がつけられている。
王都外縁の職人街には似合わない、あまりにも静かで上等な馬車だった。
扉の鈴が鳴る。
「夜分に失礼するわ」
店先に立っていたのは、黒いドレスをまとった女性だった。
年齢は二十代後半ほど。艶のある黒髪を肩で揃え、紫がかった瞳には薄い笑みが浮かんでいる。
手袋をした指には、細い銀の指輪がいくつも光っていた。
「ここがギアライト修理店ね。壊れたものを、捨てずに直す店」
リネアは警戒しながら答える。
「……修理のご依頼ですか」
「ええ。まずは、そういうことにしておきましょう」
女性は小さな箱を差し出した。
中に入っていたのは懐中時計だ。
黒銀の蓋に、歯車と星を組み合わせたような細い紋様が刻まれている。
リネアはそれを見た瞬間、息を止めた。
普通の時計ではない。外装は貴族向けの高級品に見える。
けれど、内部から感じる魔力の流れが異様だった。
魔石時計に似ているが、もっと細かい。歯車の噛み合わせよりも、魔力の拍動そのものを刻む構造に近い。
「これ、どこで……」
「やっぱり分かるのね」
女性は満足げに笑った。
「ただの時計ではないと」
リネアは時計を慎重に作業台へ置いた。
「外側は後から作られたものです。中身だけ古い。魔道具というより、神代部品の欠片を無理に時計へ組み込んでいます。動かない理由は歯車じゃなくて、中央の小さな結晶受けが合っていないからです」
女性の笑みが深くなった。
「合格」
「……試したんですか」
「もちろん」
彼女は手袋の指先で懐中時計を撫でた。
「私はヴィオラ・レイス。灰貨商会の代表をしているわ。表向きは古物商。裏では、少しばかり表に出しづらい遺物や魔道具部品を扱っている」
灰貨商会。
リネアでも名前は聞いたことがある、王都の裏市場に通じる商会。
出所不明の品、ギルドにも協会にも流せない曰く付きの魔道具、盗掘品まがいの遺物を扱うと噂されている。
リネアは一歩下がった。
「うちに、何の用ですか」
「投資の相談よ」
「投資……?」
ヴィオラは店内を見回した。
傾いた棚。古い工具。山積みの修理品。
裏庭に続く扉。その奥に隠された碧い光。
「星紋安定器。北方未開拓遺跡。格納区画に残された四脚型の遺物の痕跡。そして王都外縁で、碧い光を隠している修理師」
リネアの顔から血の気が引いた。
「どうして、それを」
「情報には値段がつくの。高いものもあれば、安いものもある。あなたの噂は、まだ安かったわ」
ヴィオラは微笑んだままだった。
「安心して。売るつもりなら、私はここに来る前に魔道具師協会へ流している」
「脅しですか」
「いいえ。これは商談よ」
リネアは裏庭への扉を庇うように立った。
「ルクスは売り物じゃありません」
その名を聞いた瞬間、ヴィオラの目がわずかに細くなった。
「名前をつけたのね」
「……はい」
「なら、なおさら買いには来ていないわ。名前のあるものは、持ち主の手を離れると厄介だから」
ヴィオラは静かに告げた。
「私は慈善家ではない。価値があるものに値をつける商人よ。あなたと、その機械獣には投資する価値がある」
リネアは迷った。
信じられる相手ではない。
だが、必要なものを持っている相手でもあった。
やがて彼女は、裏庭の扉を開けた。
灰色の遮蔽布の下で、ルクスの単眼が碧く灯る。傷だらけの黒い四脚兵器が、静かに頭を上げた。
『未登録対象。脅威判定、保留。信用判定、不能』
ヴィオラは楽しそうに笑った。
「正直な機械獣ね。私も、自分を信用しろとは言わないわ」
「条件を聞かせてください」
リネアは毅然と言う。
「ルクスを売らない。解体させない。協会にもギルドにも引き渡さない。それが守られないなら、取引はしません」
「いいわ」
あまりにも簡単な返答だった。
「私が出すものは、資金、素材、工具、整備架、地下工房の一時使用権。それから、協会とギルドの動向情報。あなたの店の滞納家賃もこちらで処理しましょう」
「そんなに……」
「その代わり、灰貨商会の遺物修理を請けてもらうし、ルクスの修復工程の記録も一部提出してもらう。もちろん核心部は伏せて構わない。そして将来、彼がまともに動けるようになった時、一度だけ私の護衛依頼を受ける」
ルクスの単眼が細くなる。
『条件、危険性あり』
「分かってる」
リネアは小さく答えた。
一歩間違えば危険な取引だ
さりとて、このままではもっと危険なことに違いはない。
隠しているだけでは、いずれ奪われる。
逃げるにも、守るにも、まず直さなければならない。
「……分かりました。ただし、ルクスを壊すような依頼は受けません」
「交渉成立ね」
ヴィオラが指を鳴らすと、店の外で馬車の扉が開いた。
そこから運び込まれてきたのは、リネアがこれまで触れたこともないような品々だった。
高純度魔鉱銀の延べ棒。大型魔導炉用の伝導線束。
黒銀合金の薄板。高級絶縁布。
結晶研磨用の細工工具。中古だが高性能な魔力測定台。
可動式の整備架。大型機構用の軸受け。
魔力遮蔽用の鉛糸幕。
狭い裏庭は、あっという間に即席の工房へ変わっていく。
リネアは言葉を失った。
これまで足りなかったのは、腕ではなかったのだ。
道具であり、素材であり、時間だった。
そして、なにより自分の仕事に値段をつける者だ。
「ルクス、左前脚からやるよ」
『了解』
リネアの手が待ちきれず機敏に動き始めた。
剥がれた外装を外し、歪んだ駆動軸を支え直す。
魔鉱銀の薄板を削り、補助骨格として噛ませる。
大型伝導線を切り詰め、仮設安定環から胸部流路へ繋ぐ。
黒銀合金の微細片を接点に重ね、拍動の揺れを逃がす。
これまでは、壊れた橋を糸で繋ぐような修理だった。
今となっては違う。
見えていたのに触れられなかった構造へ、ようやく道具と手が届く。
『中枢結晶、拍動安定。左前脚、駆動補助復旧』
「立てる?」
『試行可能』
ルクスがゆっくりと四肢を伸ばした。
金属の軋む音は、以前よりずっと小さい。
傷だらけの左前脚が地面を踏み、右後脚がそれを支える。
黒い機械獣は、月明かりの下で初めて安定して立ち上がった。
リネアは息を呑んだ。
まだ完全ではないにせよ、もう倒れかけの残骸ではなかった。
『リネア』
「うん」
『修復進行を確認』
「まだ途中だよ。でも、ここからもっと直せる」
その声は震えていた。それは疲れではなく、恐怖でもない。
胸の奥に、ずっと押し込めていたものが、ようやく形を持ち始めている喜びだ。
ヴィオラは少し離れた場所で、その光景を見ていた。
「素晴らしいわ」
リネアは彼女を振り返る。
「……見世物じゃありません」
「ええ。だからこそ、投資した価値がある」
ヴィオラは黒い手袋を直し、静かに微笑む。
「明日の夜、迎えを出すわ」
「どこへ行くんですか」
「灰貨商会の地下競売」
リネアの表情が強張る。
「競売……?」
「そこに出るのよ。あなたのルクスと同じ星紋を持つ部品が」
ヴィオラは店の外へ歩き出しながら、最後に振り返った。
「本当に修理したいなら、表の市場だけ見ていては足りないわ」
黒い馬車は、来た時と同じように音もなく夜へ消えていった。
リネアは裏庭に残された資材と、立ち上がったルクスを見上げる。
秘密は、もうただ隠すだけのものではなくなった。
それは資本を呼び、危険を呼び、次の扉を開こうとしている。
碧い単眼が、夜の中で静かに光を湛えていた。
有力なパトロンきちゃあぁぁぁぁ!しかもちょっと憂いと陰がある美女!ミステリアスぅ。さぁてどこまで知っているのやら。




