研究塔
カーティスの研究塔
「──ふう」
──私はドレスの裾をつまみながら、屋敷の中をゆっくり歩いていた。
前世でも今世でも、見たことがあるだけの貴族ドレス。
実際に着てみると、子供用ですら結構な重量だ。
おまけに動きにくい。
優雅に動くために必要なのは体幹の安定と、筋力勝負なのだと侍女のミアが言っていた。
それにしてもこの屋敷。
豪奢な廊下に重厚な扉、魔道具で照らされた天井。
すべてが、成金趣味すぎて不安になる。
(どこもかしこも、まるで現実感がない)
私の慎重な歩みに応じて、白いタイルの床が微かに音を立てた。
庭になんとなく出てみると、まるで絵画のように整った芝と薔薇のアーチ。
遠くに見える外壁の上には、魔術的な光がうっすらと漂っている。
「……結界?」
空気が澄みすぎているし、音が少なすぎる。
まるでこの場所だけが、世界から切り離されているようだ。
(ああ、そうか。ここは、セーフゾーンなんだ)
ゲーム時代に何度も見た画面を思い出す。
一定条件を満たすと、敵イベントの発生が一時的に停止する「安全領域」だ。
攻略対象とのイベントが起きず、ランダムエンカウントもなく、プレイヤーの準備期間となる──。
(つまり、ここで私が保護されたってことは。本来なら発生しないイベントがもう起きてしまったか、想定外のバグってこと)
私はまだ八歳。
本編が始まるのは、十五歳の学園編だもの。
しかもカーティスへの接触は十七歳の時だ。
ゲームでは『聖女』がカーティスの呪いを解いて、引きこもり解消なのだけど。
(現実のカーティスは呪われてなくて、ただのインドア男……)
「ねえ、カーティス──」
と、声をかけようとして誰もいないことに気づく。
今は一人だった。
私はもう一度、薔薇のアーチの先に見える外壁を見つめた。
そこを越えれば、王都のどこかに出るはず。
でも今の『リリィ』は、外へ出る手段も身分も持たない。
(この世界は、私をまだ物語に入れたくないのか。それとも、もう誰かが物語を書き換え始めているのか──)
私はドレスの裾をグッと握り直した。
(……なら、こっちから動くしかない。私がシナリオの外側にいるうちに)
そのまま足を向けた塔の入口は、白い蔦のような紋様が浮かぶ木製の扉だった。
重たそうな見た目とは裏腹に、扉は静かに吸い込まれるように開いた。
中はひんやりとして、古い書庫の匂いがする。
壁一面に本が積まれ、天井近くまで届く棚には見慣れない言語で書かれた巻物や、魔道具らしきガラスの球体が並んでいる。
「いらっしゃい、リリィ。お目覚めは順調だったようね」
そう声をかけてきたのは、階段の上から現れたカーティスだった。
相変わらず優雅な身のこなしだが、その手には羽ペンと分厚い帳簿。
「ここは私の遊び場。研究塔──って呼ぶと、なんだか悪の魔術師っぽいでしょ?」
「悪の魔術師、確かに」
私は本棚の間を抜けながら、ふと広げられた地図に目を留めた。
それは王都中心街を示した魔術地図で、魔力の流れがリアルタイムで淡く浮かび上がっている。
(これは──)
一箇所、まるで染みのように魔力の流れが歪んでいる部分があった。
「……ここ、王都の南区画?」
「ええ。最近、あの一帯の魔力と魂の流れが、局所的に狂ってるの」
「人為的に?」
「ええ。干渉の痕跡もあるし、誰かが特定の対象に魔術的な影響を仕掛けてるような気配ね」
カーティスがそう言って、指先を地図に滑らせる。
南側は「逆ザマァルート」の中盤、隠し好感度イベントが連続で発生する攻略の鍵となる場所だ。
「そこ……過去のルート構造で逆ザマァルートの中間イベント拠点。条件を満たすと、悪役令嬢が大逆転の切り札を掴む場所」
「逆ザマァ……?」
「乙女ゲームの追加ルートね。悪役令嬢がヒロインになる代わりに、通常版ヒロインの私が『悪役』として断罪されるの」
「立ち位置が入れ替わるお話になる、と」
「そう。その場合、私はどのルートでもバッドエンドになる」
「今のルートがそっちに傾いていると?」
「わからない。でも、その流れがもう始まってる可能性は否定出来ない」
カーティスは興味深そうに眉を上げた。
「面白いじゃない。未来の知識ってわけね」




