水面下
ある晴れた良き日。
この日はセレスティーナが特別室で殿下と昼食をとる日だ。
学園の昼休み、セレスティーナはいつもの特別室のテーブルでゆったりと王太子と向かい合っていた。
「殿下、今度の晩餐会では金色のドレスにしようかと思ってますの」
「そうか。君はどんな色でも似合うからね。楽しみにしているよ」
殿下は穏やかに頷き、パンに手を伸ばす。
セレスティーナは、その反応に満足げに微笑んだ。
リリィ・アーヴェルンが先を読めないおバカさんたちにどれほど持ち上げられても、正妃になるのは自分。
そう確信しているから、余裕の笑みが自然に浮かぶ。
(最近、殿下は口数が減っている……周囲を観察するようになった。王としての自覚がでてきた)
「来学期の行事は多いですけれど、殿下とならどれも楽しみですわ」
「……ああ、私もだ」
殿下の返事は短かかった。
手に持ったグラスの水面が陽光を受けてきらめく。
(あと一年。完璧にやり過ごして王妃になる。それだけ)
「最近、母とお茶会をしていないようだね」
一瞬セレスティーナの手が止まり、長いまつげの間からそっとエドワールの顔を確認した。
(いつもと変わらない表情……単なる雑談ね)
「王妃様はお忙しいのでしょう? 侍女が手薄でお困りのようですし、邪魔をしないよう参内は控えてますの」
「そんな話が? いや、先日確かに筆頭侍女が故郷に戻ったとか父上に話していたな」
「お茶会は月に一回ほどにしましょうとご配慮いただけて、今は学業に集中出来てますわ」
「それは重畳」
昼食を終えたセレスティーナは椅子から立ち上がると、スカートの裾を摘んで完璧な礼をして優雅に去っていった。
エドワールは去っていく美しい婚約者の背中を静かに見送った。
やがて僅かに首を振り、溜め息をついて席を立った。
セレスティーナは教室には戻らず、サラを伴って寮の自室に戻った。
袖口に、見てもわからないほどのソースの跳ねがあったからだ。
「全部着替えますわ」
どのみち午後は自習なのだ、少々遅れても問題はない。
王太子の婚約者である自分が汚れた衣装を纏っている方が、大問題だ。
サラが即座に頭を下げ、クローゼットから新しい制服を取り出す。
セレスティーナは乱れひとつない所作でジャケットを脱ぎ、ブラウスの袖口まで替えさせた。
制服のリボンを結び直し、鏡の前で髪の流れを整える。
「やはり、きちんとしていないと落ち着きませんわね」
鏡の中の自分に満足げに頷く。
本当は自習に遅れず出席しなければいけないのは理解している。
だが、汚れた物を身につけているのはどうしても我慢が出来ない。
チャンスが無い時は我慢するが、着替えるまで集中力が削がれるほど嫌なのだ。
常に完璧な姿でいること──それこそがセレスティーナが考える未来の王妃にふさわしい振る舞いだった。
◆
春の陽気が気持ちいい季節。
私はお義父様の執務室に呼び出された。
お茶の用意をしたメイドが静かに退出した後、難しい顔をしたお義父様が重い口を開いた。
「リリィ、色々聞きたいことはあると思うけれど……現在進行形で進んでいることを、君に話せないのはわかってるね?」
「はい、お義父様」
「殿下の結婚式は、予定通り卒業後の十の月に執り行われる」
「はい」
ちくりと胸が痛む。
だが最初からわかっていたことだ。
最初から、決まっていたこと。
私の道は、殿下に繋がっていないのだ。
(わかってる)
「まあ、水面下で色々動いてるから──彼らが幸せかどうかはわからないけどね」
お義父様は、意味深な発言をして微笑んだ。
(言葉通りなら、成婚のことよね?)
大人たちはいったいどのような思惑で、動いているのだろうか。
知らされないということは『なにもするな』と同義。
私は黙っているしか出来ない。
(セレスティーナは、事態が急展開しているのに気付いてないんだろうか)
彼女の舞台は、脆い薄氷になってしまったというのに。
「それから、リリィの婚約者なんだが」
(とうとう婚約者の話が来てしまった ……)
私は唇を噛んで、俯いた。
そんな私を見てお義父様は笑い出した 。
「聖女と話し合った結果、二十五歳くらいにお相手が決まれば良いということになってね。聖女の修行もあることだし」
「え、じゃあ……」
「政情が政情なので、アーヴェルンの次期聖女は暫く婚約者は作らない。これは王家も認めた正式な決定だよ」
(誰かとの結婚まで、七年近く猶予が出来る……私はきちんと殿下を忘れられるんだろうか)




