薔薇と黒百合
「このスコーン、花蜜の風味が素敵ですわね」
「南の高原の養蜂園から取り寄せておりますの」
上級生たちの落ち着いたやり取りの合間に、ヴァランシーが新入生へ話題を振る。
「お二人は、同じ特別寮。生活の細かな取り決めは後ほど執務員から説明がありますが、まずはメイド同士の連絡の取り方や、安全管理の手順を確認しておきましょう」
「はい」
私がこくんと頷き、セレスティーナも穏やかに相づちをうった。
「寮内の警備は学園側が担いますが、特別寮は家の格式上、各家から持ち込まれる魔道具が多い。干渉事故を避けるため、メイド同士で一覧の共有を」
「畏まりました」
ユリとサビーヌが、同時に返事を重ねる。
「では、アーヴェルン伯爵家から」
ヴァランシーが促すと、ユリは用意していた革表紙の小冊子を差し出した。
「アーヴェルン側の持ち込み魔道具一覧です。医療系二点、防疫結界一、衣装管理の縮小・防汚具一式、携帯型の緊急連絡灯一。いずれもオルテンシア製で、王都ギルドの検査印つきです。魔力干渉値は最小、詳細は後段の表に」
「丁寧で助かるわ」
ヴァランシーが目を通し、微笑む。
「ヴァレフォール公爵家は?」
「こちらに」
サビーヌが同じく目録を出した。
こちらは豪華な装丁の帳面だ。
ページを繰るヴァランシーの指が一瞬、止まる。
「……治癒補助の聖句触媒。個人用?」
「はい。主の祈祷練習時に用いる、認可品です」
「了解したわ。使用の際は寮務へ事前申請を」
会話は淡々と進む。
私は茶器に手を添えながら、セレスティーナを視界の端でとらえ続けた。
(本当に変わりなく見える……でも全体的に身体が緊張している。新入生だからってタマじゃない──理由はユリ、でビンゴね)
「アーヴェルン嬢は魔術科を志望とのこと。研究テーマは?」
ヴァランシーの問いに、『リリィ』はぱっと表情を明るくする。
「魔力経路の最適化です。儀式魔術よりも、日常使用の安定度向上に興味があって」
「実用派なのね。面白いわ」
「はい! 難しい理屈はちょっと苦手ですけど、手を動かすのは好きで」
「でもあなた、まちがいなく聖女科よ? だってアーヴェルンですもの」
『リリィ』はいかにもしょんぼりして、呟く。
「一応、希望は出したんですよぉ……」
くすり、と穏やかな笑いが広がり、セレスティーナが静かに口を開いた。
「実用はとても大切ですわ。王都でも日々、魔導灯の保守に携わる方々がいてくださるからこそ、皆が安心して暮らせますもの」
「本当にそうですわね」
「セレスティーナ様は聖女科。祈祷の課程は大変だと伺いました」
「ええ、でもやりがいを感じておりますの」
落ち着いた声は美しいが、私の耳は別の音を拾っていた。
セレスティーナがティーカップを受け皿に戻す、陶器の触れ合う微かな音。
いつもなら絶対に鳴らさないはずの小さな音だ。
(それなりに動揺はしてるわね)
顔合わせは滞りなく進み、最後にヴァランシーが締めくくる。
「では今期の特別寮の合言葉と、緊急時の集合手順を──」
短い伝達が終わり、解散の空気がほどける。
そのとき、ユリが一歩進み礼儀正しく口を開いた。
「メイフィールド様。共有事項につき、侍女同士で直接確認したい件が一つございます。よろしければこの場で」
「ええ、構わないわ」
「寮内の消灯後、夜間巡回の経路なのですが。当家はお嬢様の体調で突発的にイレギュラーが発生する可能性があるため──巡回と導線が重ならぬようにと考えております」
セレスティーナは鷹揚に頷いた。
「良い配慮ね。どう、サビーヌ?」
「承知しました。ヴァレフォール家も手順を合わせます」
笑顔の仮面は一分の隙もない。
「他には?」
「以上です。お手数をおかけいたしました」
ユリが三歩さがって主の背へ戻る。
リリィは小首をかしげ、可憐に見える角度でユリへ視線を投げた。
ユリはまばたき一つで「想定内」と返す。
(見せたわ、イルマがここにいるって)
◆
散会後。
セレスティーナはサロンを出て、ゆっくり歩き出す。
特別寮の廊下はひんやりとしていた。
窓外の並木が、風にわずかに揺れて音を立てた。
「セレスティーナ様……?」
後ろから呼びかける声はサビーヌ。
少しいつもと違う主をみたサビーヌは、身体が冷えたのだと判断した。
入学シーズンである九の月は、思いがけず身体が冷えてしまうことが多いからだ。
「……問題ありませんわ」
セレスティーナは歩みを止めずに答えた。
(ユリ・ノワールですって!?──名で遊ぶなんて、誰の入れ知恵)
あれは処分したはずのメイド。
自分が見間違えるはずがない。
(イルマ──黒百合、黒百合!)
喉の奥に、熱い金属片が貼りつくような感覚。
セレスティーナは胸元のタイを整え、小さく息を吐き呼吸を整えた。
(処分……あの命令は履行されたはず。齟齬はない。──ないはずなのに)
「お身体が冷えます。部屋へお戻りを」
何も知らないただの優秀な侍女のサビーヌの声が、遠く響く。
セレスティーナは短く頷き、足早に部屋へと向かった。




