春の日差し
時は少し遡り──十歳の『リリィ』は、新しく出した白紙のノートに鉛筆を走らせていた。
ページには「好感度75以上」「騎士寮見舞い」「花冠の夜」など──まるで暗号のような言葉が、図と矢印で埋まっている。
書きためた走り書きメモをまとめ直しているのだ。
「ふーん、また変な絵を描いてるのねぇ」
後ろから覗き込む声に、私は手を止めた。
振り返るとカーティスが扇子を片手にこちらを見下ろしている。
「攻略チャートよ。シナリオ構造の確認」
私は鉛筆をくるりと回してから、机にトンと立てた。
「この国で十五歳を迎えるなら──あれをどうするか」
「あれ?……ああ、花冠イベントってやつ?」
カーティスは気怠げにソファに腰を下ろし、ゆるく風を送った。
私は頷き、ノートのページをめくる。
「ゲームだと聖女覚醒イベントなんだけど、あれは演出。……スチルのための見せ場用ね」
「つまり、意味はない?」
「ゲーム内ではそれがきっかけで聖女に覚醒するの。でも、この世界の現在の現実には沿ってない」
私は疲れ始めた目を細め、別のページを開く。
「原作小説には、聖女の資質は血筋で継承されるってあったわ。だからアレはサービス演出じゃないかなって思ってる」
「じゃあ……もしそれを真に受けて」
「──セレスティーナがね」
私の口元がわずかに吊り上がる。
「彼女が花冠を狙う理由はただひとつ。ゲームではヒロインが聖女になれたから。現実でもそうなると信じてるはず」
「でも原作を読んでれば、その前提は──」
「崩れるわね。だから、彼女が回収すれば原作を読んでないか、読んでも理解してないという指針になる。その場合、彼女はフラグを立てれば勝てると信じてるゲーマー脳──それって、隙だらけよね?」
カーティスがクスクスと笑った。
「ふふ。あらやだ、ロジックで人を斬り刻むタイプ? 魂だけじゃなく頭も物騒ねぇ……好きよ、そういうの」
私は静かに目を伏せた。
「……彼女は、本気で私を殺しに来る。それが無理でも社会的に葬り去る気よね」
「理由は、自分が正解をなぞってると信じてるから?聖女に成り代わる?」
「うーん、治癒魔法は授かるんじゃないかな? アイテム特性的に。でも、聖女の力って治癒魔法とは別物なのよ……セレスティーナはゲーム至上主義っぽいからこそ、矛盾が起きた場合に混乱するはず」
「で、その花冠の在り処は?」
「もう分かってる。でも、実際に彼女がそこに行くかどうかは確認したい」
私はカーティスに視線を向けた。
「あなた、対処してくれる?」
「もちろん。あたしの仕事でしょ?」
カーティスは涼しい顔で微笑む。
「暗躍! そういうの、得意なのよ」
◆
──十五歳を目前にした春。
アーヴェルン伯爵家に、入学祝いの品が次々と届き始めた。
陽気なメイドたちが賑やかに報告を上げてくる。
「リリィ様、お祝いの香油やアクセサリーが届いております。王族ならびに王妃様付きの筆頭侍女からだそうですわ」
「こちらは宗教院長からのお手紙です。聖女科でのご活躍を楽しみにしておりますとのことです」
「……あの、わたし。希望は、魔術科なんですけど」
ぽつりと呟いても、誰も聞いてくれない。
最初から、聖女科に進むのが当然と決めつけられている。
(ここまで私の希望が全く反映されないなんて、納得いかない……)
魔術が好きで、理屈を積み上げるのも得意。
けれど聖女の血筋というだけで、進路の選択肢が一つずつ閉ざされていく。
ぽかぽかとした春の陽射しが差し込む書斎で、私は小声で尋ねる。
「ねえ、カーティス。強制力ってどうにかならないのかしらね」
薬壺をいじっていたカーティスが手を止め、扇子をパタパタと振りながら答えた。
「んー、何をもって強制力と判断するかよね」
「今までの自分の行動のせいか、強制力なのか。境目がよくわかんない」
「じゃあ、他国に逃げちゃう?」
「逃げたらセレスティーナの勝ちを認めることになるわ、それはそれで嫌」
もちろん負けてもいいのだ、普通に生きられるなら。
「ま、逃げても無駄でしょうね」
カーティスが嫌そうに顔をしかめ、私はため息をついた。
「間違いなくね」
セレスティーナは殺しに来る、絶対。




