花冠
花冠
──夜の森は、静かだった。
雪こそ降っていないが、地面には薄く雪が積もっており寒さで白くきらめいている。
月明かりに照らされた細道を、三つの影が進んでいた。
セレスティーナは、真珠色のマントの裾を軽く持ち上げながら歩く。
その横に小さなランプを手にしたメイドと、終始無言の護衛。
「冷えるわね」
立ち止まり、セレスティーナは懐から小さな銀色の保温瓶を取り出す。
「ココアよ。少し休みましょう。温かいうちに飲まないと、意味がないもの」
マントの下からどこにでもありそうなカップを三つ取り出す。
それを注ぎ分ける手つきは、優雅そのものである。
「はい、どうぞ。ほら、あなたも」
一番先に渡されたイルマが戸惑う。
「いいのよ、飲みなさいな」
カップを受け取ったイルマが「ありがとうございます」と微笑んで一口。
護衛も黙って白いカップを手に取り、ゴクリと飲み干す。
セレスティーナもカップを口元に運び、イルマが飲み終わったのを見計らい先に進む。
セレスティーナは手袋を外していた。
ココアが一滴付着したからだ。
メイドのイルマは手袋をするよう勧めたけれど、汚れた手袋など、絶対に要らない。
ココアのカップと手袋は護衛が回収した。
セレスティーナはいつだって、清浄である必要があるのだ。
「さ、もうすぐよ」
「はい、お嬢様」
歩き出すメイドの足取りは、少し軽くなったように見えた。
(イルマ。忠実で真面目な子……だけど、もう要らないわ)
◆
──ゲーム購入から七日間『初心者応援パック』というものが安価で販売される。
デフォルトのサポートキャラは固定だけれど、このパックに入っている限定アイテムを使うと、主要キャラではない人物を『サポートキャラ』に設定できる。
ゲーム内の時間で七ヶ月七日目まで使用可能。
メイン効果はサポートキャラへの指名で、説明には【絶対的な味方になってくれる】とある。
効果期間は七年七ヶ月七日。
本来なら、十五歳からのスタートなのでエンディングまで期限切れにはならない。
だが、五歳のセレスティーナは使いにくい伯爵家出身の侍女マイアをクビにした後、繋ぎで据えられたイルマにアイテムを使った。
そのままお気に入り侍女として、手元に置いていたのだ。
(そろそろ、説明にあった期限が来る……切れたらどうなるか、全く予想がつかない。記憶を失うのか拘束力だけが解除されるのか? 不確定要素は要らないわ)
数分後、森の開けた場所へとたどり着き、一行の前に、名もなき泉が現れる。
霧のような靄が水面を撫で、月の光が銀の筋となって揺れている。
中央に浮かぶものはひとつの花冠。
「……ほんとうに、あった」
セレスティーナはため息のようにそう呟き、泉に近づく。
光を帯びたその輪は、こちらの気配に反応するようにわずかにきらめいた。
膝をつき、水に濡れぬよう丁寧に袖をたくしあげ、指先で花冠に触れる。
その瞬間、視界が淡く揺れた。
仄かな光が指先から胸元へと滑り込み、血の中に静かに溶けていく。
やんわりと湯船に身を委ねたような感覚。
それは、ここで一度だけ手に入る奇跡だった。
今この瞬間に使ったことで、この世界には二度と出現しない。
「……これで、リリィには渡らない」
セレスティーナは満足気に微笑み、立ち上がったその時。
「お嬢、さ……」
背後で声がした。
振り返ると、イルマがふらついている。
足がもつれ、膝から崩れそのまま地面に倒れ込む。
月明かりの下でセレスティーナはただ、微笑んだままそれを見ていた。
「ふふ、課金アイテムの睡眠薬って無味無臭なのよ」
驚きも動揺もない。
白いドレスの裾を軽く払って、汚れをよける。
セレスティーナは、潔癖症なのだ。
背後にいた護衛には、振り向くことなく言い放つ。
「いまは、ころしちゃだめよ。服が汚れるもの」
マントの襟を整える。
「……戻るわ。寒いのは嫌いなの」
屋敷に戻ったのは、深夜を回った頃だった。
ひっそりと抜け道から部屋へ入る。
白いマントを脱ぎ、侍女も呼ばずにドレッシングミラーの前に立つ。
鏡にはほんのり寒さで上気した頬の自分が映っている。
少し考え、机の引き出しからナイフを取り出す。
慎重な手付きで指先を傷付けると、細く白い指先にぷくりと血の珠が浮かぶ。
セレスティーナは小さな声で魔力を練り、呪文を唱えた。
指先は何もなかったかのごとく──傷ひとつない。
(これが治癒魔法……)
「ふふ、あの子はもう聖女にはなれないわ」
セレスティーナは微笑んで、くるりとステップを踏んだ。




