凍った月
凍った月
……とある真冬日。
キンと冷え込む窓の向こうに、白々とした月が遠く見える。
地上を見下ろすように淡い光をたたえたその姿が、セレスティーナの紫瞳に映っていた。
書斎机に広げられているのは誰にも見せない個人用のメモ、この世界のイベント仕様一覧だ。
酷使されたそれの表紙の角は、すっかり丸くなっている。
中身は完璧に整っていた。
時系列、条件、発生場所、分岐ルート……抜けも見落としも、ない。
そして今めくっているページには、こう記されている。
《花冠の少女イベント(ヒロイン)
発生条件:夜間、オラトリオ学園北の森にある無名の泉に迷い込むこと
効果:花冠を拾った人物が治癒魔法を得る
出現回数:一度きり。再出現なし》
このイベントは、本来ならリリィが学園に入学したあと、迷子になった際に発生するはずのもの。
花冠は聖女の証。
拾った瞬間に発光して消え、拾った者にだけ治癒魔法の才を与える。
それが後に奇跡の兆しとして、王国中の目を引き、聖女ルートへの布石となる。
──でも。
「べつに、私が拾っても構わないでしょう?」
セレスティーナは、歌うようにそう呟いた。
リリィ・アーヴェルン。
アレが転生者かどうか、未だに確信が持てない。
八歳であの伯爵家に拾われ聖女家系の血筋であることが明かされてから、ずっと注意深く観察してきた。
感情の揺らぎも矛盾もなく、演技なのか天然なのか判断がつかない。
(四年経っても、なお迷わせる。あれがただの子供のわけがないのに……)
だからこそ、安易に殺せない。
今、手を出して正体が「ただの凡人」だったら──リスクしかない。
「でも、可能性なら削れるわ」
花冠イベントは一度きり。
夜に泉へ行きさえすれば、悪役令嬢でも拾えるのだ。
わたくしが拾って使えば、聖女フラグは潰える。
なら、こっちが先に使えばいい。
セレスティーナは静かに筆を置いた。
「──イルマと……そうね、あの護衛を連れていけば充分ね」
呼び鈴を鳴らすと、すぐにイルマが入って来た。
「今夜、出かけるわ」
この時点でリリィとセレスティーナはまだ十二歳。
当然フラグは未発動、奪うならいいタイミングだ。
「ふふ。拾うだけなら、簡単なイベントでしょう?」
セレスティーナは月を見上げた。
姿見の前に立ち静かに白いドレスの裾を軽く持ち上げ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
(お披露目会以来、リリィは目立った動きもしていない……)
時々、茶会で顔を合わせる程度。
貧相だった身体は年相応な健康さを取り戻していたし、まばゆいばかりの美少女なのは設定通りのようだ。
芸術品の人形のように整ったセレスティーナとは、また違うタイプの淑女に仕上がったリリィ。
(ヒロインが貴族籍になるのは、本来なら入学後。庶民的な愛らしさで攻略していくはずなのに、何故アーヴェルンにいるの? 納得いかないわ……)
セレスティーナは直近のリリィの様子を思い返した。
淑女の顔に時折混じる、表情豊かな天真爛漫さ。
あれは計算されているのか、素のリリィなのか。
子息たちは、その庶民的な素直さが珍しいのだろう。
小さな社交界の女王であるセレスティーナを差し置いて、リリィの元に群がる子息も出てきていた。
セレスティーナはイライラと私室を歩き回った。
(気に入らない。本当に、あの女に似ている)
セレスティーナの前世は、特に不幸ではなかった。
幼い頃から神童ともてはやされ──大学だって就職先だって、一流だった。
仕事も人より出来たし順調に出世もした。
たったひとつのトゲを除けば。
セレスティーナの前世の幼馴染み。
顔だけが抜群にかわいくて、常にちやほやされてきた女だ。
自分が不美人だったわけではない。
けれど、いつだって外見を比べられてきた。
ステータスは圧倒的に勝てていたのに。
でも、その女がいる限りいつも二番手扱いなのだ。
可愛さとあざとさだけの女。
自分の何が劣ってるというのか。
社会に出て仕事を始め、評価もされた。
あの女から離れて充実した日々。
そして、職歴、年収、交際相手──あらゆる意味でやっと勝てたと思った瞬間、あの女は勝負の場から降りた。
誰もが羨む好条件の男と、結婚。
決め手はやっぱり顔と性格のあざとさだけ、だったのではないか。
何を妬む必要がある?
自分でもわかってはいたけれど、そのトゲはずっと自分を突き刺し続けた。
リリィのあのあざとさは、その女に良く似ている──。
(わたくしの方が圧倒的に有利。この美貌、家柄。そして頭脳とゲーム知識)
「負ける要素がないわ」
静かな部屋で、紫水晶のような瞳が刃のように煌めいた。




