アーヴェルン伯爵家
アーヴェルン伯爵家
アーヴェルン伯爵家──。
さほど広大な領地はないが、王都から遠くもないほどよい場所に位置している。
また、希少鉱山を幾つか所有しておりかなり裕福な家でもある。
魔術師家系であり、聖女を輩出し続けている古い家柄の名家。
伯爵位に留まっているのは、聖女家系という特殊な立ち位置の為。
完全な中立というのが王家との盟約があるからだ。
そういった意味で名高いこの伯爵の王都の執務室では、不定期の「孤児院名簿確認会」が行われていた。
といっても、伯爵当主ジルベールが直接関わることはない。
名簿を確認するのは、聖女付きの老侍従・アロンと宗教院から派遣されている事務官である。
表だった名目は、未来ある子供達への配慮。
或いは寄付、成人後の仕事の斡旋。
本当の目的は資質ある子供を見逃さない為、である。
絶対的な中立だからこそ、横やりを入れられず続いてきた慣習でもある。
それはアーヴェルン家に課された、長年の責務でもあった。
「次、修道院南分室。月例報告です」
事務官が、名簿の一冊を差し出す。
アロンは慣れた手つきでページをめくる。
十名ほどの子供たちの名前と、年齢、健康状態、外見、引き取り先の有無。
視線が止まったのは、その最下段だった。
「これは──?」
彼の眉が、わずかに動いた。
名の由来不明、推定年齢六~八歳。
引き取り歴なし。遺族情報なし(母親と死別)
特筆事項の欄に、こう書かれていた。
『髪色:淡紅。瞳:鮮やかな緑(蛍石色)──強い魔力反応あり』
「この瞳の色、覚えがありますな。アーヴェルン・グリーン……」
アロンのつぶやきに、奥で報告を聞いていた女性が顔を上げた。
聖女エレナ──ジルベールの姉であり、リリィの実の伯母にあたる人物だった。
「緑の瞳? あら、それは……珍しいわね」
「この色は、アーヴェルン家系に特有のものです。他家にほぼ見られません。しかもネオングリーンと記されております。蛍石は、エレナ様がかつて聖女選定時に称された色と一致しております」
「名は?」
「リリィという呼び名だけが記載されております。……が、覚え書きがあります」
アロンは静かに、名簿の余白を指でなぞった。
それは、鉛筆書きでこう記されていた。
「母親の名は、アリスかアイリス。本人の記憶は定かでなく、証拠なし」
エレナの動きがぴたりと止まった。
「……アリス、ですって?」
それは、彼女の妹の名だった。
十年ほど前に家を飛び出して、怒り狂った父が名簿から抹消した末娘。
(まさか、アリスに……子供が?)
エレナの心臓が早鐘を打つ。
「アロン。……この子を、伯爵に」
「畏まりました」
◆
鏡の中の自分を、私はまっすぐに見つめていた。
侍女たちに着せられたのは、色味を抑えた淡いラベンダー色のドレス。
派手すぎず質素すぎず、いかにも庶民が背伸びしているといったところだ。
薄幸な印象を演出するための、計算された自己アピールも大事だ。
(よし……首の角度、姿勢、目線、全部OK)
演技に迷いはない。
これは、カーティスが用意した舞台。
伯爵に「拾いたい」と思わせるための、仕掛けられた偶然。
「緊張してる?」
鏡越しに、カーティスの声がかかった。
扉の脇に立つ彼は、相変わらず優雅に見える。
「……ちょっとね。舞台に上がる前の役者の気分ってやつ?」
「上出来じゃない。あなたはもう、この脚本の主役よ」
私は、胸元のペンダントにそっと触れた。
ただの銀の小さな飾り──けれど、母の唯一の形見だし、この世の自分の宝物。
これだけは何があっても手放す気はなかった。
(ペンダント裏にある魔方陣。起動はしてないけれど、父親に関係がある可能性が高い……切り札になる可能性もある)
屋敷の外から、車輪の音が聞こえてくる。
「……来たわね」
「お迎えよ。さて、リリィ嬢。あなたはこれから物語に入っていく。決して巻き込まれる側じゃない。自分の足で、舞台に立つのよ」
「わかってる」
私はもう一度鏡に向き直り、全身をチェックした。
見た目は一級品。
本当に、愛らしい。
素晴らしい美女になることが確約されている、まさに天使だ。
だが、見た目で養女になるのは下策──あくまで、血筋を確信させる。
私は甘い印象にならぬよう、グッと目元を引き締めた。
(ほっといてくれれば、私は物語になにもしなかったのにな)
私は恋愛ゲームに参加する気など、無かったのだ。
(でも売られた喧嘩は買う)
カーティスが傍で囁く。
「さあ、お芝居の始まり。存分に演じなさい。拾われるべき運命の子を」
屋敷の扉が開かれる音。
従者の案内で、伯爵家の使者が中へ入ってくる。
戸惑う素振りは忘れずに、私は一歩、前へ出た。
私は戦うしかないのだ、戦わなければ消されるのだから。




