トコヨノクニ――筆跡
帰宅して「ただいま!」とリビングに向かって声だけかけると、侑子はまっすぐ自室へ向かった。
通学鞄を床に置き、クローゼットの扉を開く。かかっていた衣類をすべて反対側へぎゅうぎゅうに寄せると、できあがった空間に身体を滑り込ませた。
――確かめよう。もう少ししっかりと
天井の蓋を開け、ライトをつけたスマートフォンをその中へ差し込む。ケーブルテレビの機器の隣に、ライトを上向きにしたスマートフォンを置こうと腕を伸ばした。
――ない
数日前に侑子がこの場所へ置いた手紙。それはやはり、なくなっていた。
蓋を開けて手を伸ばせば届く位置に置いたはずだ。記憶違いではない。
侑子は背伸びをして、その空間へ頭を出した。
「あれ……?」
気落ちした声が漏れた。
四角い黒色の機器の向こう側。光が届かない屋根裏の闇の中に、白っぽい角ばったものが見えたのだ。
――やっぱり気のせいだったの?
それが自分の置いた手紙なのだと思って、侑子は落胆した。置いた位置を勘違いしていたのか、それとも蓋を閉めた時の振動で、封筒が少し奥へずれたのだろうか。
ため息とともに腕を伸ばし、封筒の端を指でつまむ。引っ張り出して、つま先立ちになっていた足を床へ戻した。
そして、何気なく封筒へ目を落とす。
「え……?」
息を呑んだ。
そこには、見覚えのない宛名が書かれていた。
◆◆◆
いや、その筆跡には見覚えがあった。
勉強を教えてくれる時。
歌詞を書いてくれる時。
褐色の長い指が紙の上を滑り、その美しい文字を生み出していく様を、侑子は何度も見ていた。
封筒には侑子の名が記され、その下に「様」の一文字が添えられている。この封書を受け取るべき人物が、自分であることを示していた。
そして右上には、一枚の切手が貼られている。
破線で縁取られた小さな紙片は、一目で切手だと分かった。けれど、よく見ればそこに「日本国」の文字はない。
代わりに小さく記されていたのは、『日之國』の三文字だった。
震える手で封書を裏返す。
侑子はその時、悲しいとは思っていなかった。
ではこれは、嬉し泣きというものなのだろうか。
自分でもよく分からない。
ただ一筋の涙がこぼれ落ちて、頬の上を優しく撫でるように滑っていく。
そのくすぐったさを感じた時、ようやく実感した。
――届いたんだ
自分の手紙は、本当にあの世界へ届いたのだ。
◆◆◆
制服を着替えることすら忘れて、侑子は机に向かい、ひたすらペンを走らせた。誤字の上に修正テープを引く時間すらもどかしい。伝えたいことが、たくさんあった。
この世界へ戻ってきてから一か月と少し、どんな毎日を過ごしてきたか。
今日は新学期初日だったこと。新しい学校で軽音同好会に入ったこと。友達に恵まれそうなこと。ギターの練習を続けられそうなこと。相変わらず毎日歌っていること。そして、その歌の多くがユウキと一緒に歌ったものだということ。
途中で便箋を使い尽くすと、侑子は通学鞄の中からルーズリーフの束を引っ張り出した。
――届いた……
ユウキの筆跡が並ぶ便箋を手に取り、もう一方の手でスカートのポケットから銀のブレスレットを取り出す。
――これは魔法? 分からない。だけど届いた。ちゃんとユウキちゃんに届いた。届いたんだ……!
失われたと思っていたヒノクニとのつながりは、完全に途切れていたわけではなかった。
理屈も仕組みも、ちっとも見当がつかない。
けれど今は、そんなことはどうでもよかった。
ただ、次の一通を送りたかった。
ユウキから届いた手紙への返事を書きたい。一秒でも早く届けたい。
文字は乱れ、行も真っ直ぐではなくなっている。それでも構わなかった。
前回と同じ桜色の封筒に紙の束を入れ、封をする。机の引き出しを開けると、切手シートが目に入った。そこから新たに一枚をはがし、封筒の右上に貼りつける。
銀のブレスレットを握りしめながら、侑子は再びクローゼットの中へ入り込んだ。




