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トコヨノクニ――点検口

 侑子が魔法の世界から舞い戻ってきてから、一ヶ月が過ぎようとしていた。

 侑子は朔也の隣で、クローゼットの奥に大きな身体をねじ込む作業員を見守っていた。そのクローゼットは侑子の部屋のもので、今日はケーブルテレビの設置工事で作業員が訪問しているのだった。アンテナとなる機材を屋根裏につながる点検口に設置する必要があるらしく、その点検口とは、このクローゼットの奥にあったらしい。侑子は初耳だった。


「俺も知らなかったよ。この家の屋根裏が侑子の部屋から繋がってたなんて」


 朔也は身体の大きさに苦労している作業員を横目に、苦笑いした。


「そういえば、どうしてケーブルテレビに変えるの?」

「ああ。お前そういえば帰ってきてから全然テレビを見てないからな。知らないか」


 薄く笑った朔也は、妹にしばらく視線を留めた。


「今うちのテレビの映り、最悪なんだよ。原因は最近周りに建った背の高いマンション。高い建物が周りにあると、電波が遮られちまうんだって。だからケーブルテレビに変えることにしたんだ。母さんがドラマ見れないと辛いって言うしな」

「そうなんだ」


 侑子は納得する。

 自分がいなくなっていた一年の間に、確かに家の周囲の景観は大きく変わっていて驚いた。道路を挟んで向かい側の公園はそのままだったが、家の反対側で建設中だったマンションが完成していた。電波を遮断しているのはこのマンションなのだろう。聞けばそのマンションの隣の土地にも、二年後には更に大きな集合住宅が建設されることに決まっているのだという。


「はい。終わりましたよ。お待たせいたしました」


 肩にかけたタオルで顔から滝の様に流れ出る汗を拭き拭き、作業員がクローゼットから横歩きで出てきた。


「ではテレビの方、ちゃんと映るか確認していただけますか」


 朔也と作業員が部屋を後にした。汗臭く人の体温が残ったような空気が、クローゼットの中に立ち込めている。その場に残った侑子は、クローゼットの扉は閉めず、自分もそっとその中へと入ってみた。普段この中には、たたみ皺をつけたくないブラウスやワンピース、制服や上着などを沢山かけてあるので、奥など見えない。

 作業員が先程までいた場所の天井――侑子でも背伸び無しで届く高さだ――には、確かに小さな四角形の蓋のような物がはめ込まれていた。

 その光景に小さな既視感を感じて、侑子はその取っ手に手をかける。スポン、という蓋が抜ける感触と共に広がった、天井に開いた穴の向こう。そこは茶色の木材に四方を囲まれた空間だった。柱が見える。ここが屋根裏なのだろうか。頭だけ僅かに中に入れて周囲を確認する。そこには先程作業員が設置した、箱型の小さな機器が置かれていた。


――魔石ソケット。そうだ、魔石ソケット。あの場所に似てるんだ


 ユウキがジロウの屋敷に連れてきてくれた晩、屋敷内を案内してくれた時のことを思い出す。

 あの日以来侑子が魔石ソケットを目にする機会はなかったが、物珍しさ故にはっきりと記憶していた。


――不思議。このままジロウさんの家のあの場所に、繋がっていそうな気がする……


 家の壁から伸びる小さな薄暗い空間。家の裏側に広がる普段は立ち入らない場所と、ひっそりと置かれた機器。設置されたアンテナは、チカチカと数カ所の小さなランプを点滅させていた。薄暗い空間の中でその光はくっきりと存在をそこに主張していて、魔石のぼんやりとした輝き方とは全く違うのに、侑子はそんなランプにさえ懐かしさを感じてしまうのだった。

 ズボンのポケットの中を探ると、それはすぐに侑子の指にあたった。取り出すのは銀のブレスレット。紐先の硝子の鱗を撫でる――――切なさからのため息が出た。しかし同時にあることを思いついて、侑子はその空間を閉ざす蓋を元に戻したのだった。



◆◆◆



「お邪魔します」

「愛ちゃん、いらっしゃい」


 愛佳が玄関のドアを開けると、出迎えてくれたのは伯母の依子だった。

 こうやって侑子の家を訪ねて伯母に出迎えられたのは、やたら久しぶりに感じる。この家にいる大人は朔也だけ、という印象がなかなか抜けないのだ。一年前、侑子がいなくなってからすぐに伯母の依子は帰国して、それから伯父の元へ出国することは一度もなかった。しかし愛佳が侑子のいないこの家を訊ねることは、この一年ほどほとんどなかったのだ。


「ゆうちゃんは部屋?」

「うん。集中して机に向かってたけど、愛ちゃんなら入っていいと思うわ」


 後でお菓子持っていくね、という伯母の声を背中で聞きながら、愛佳は二階へと向かった。

 侑子の部屋の前でドアをノックしようとしたら、ちょうどそこが開いて愛佳は目を丸くした。目の前の侑子も一瞬だけ同じ表情を浮かべたが、すぐに可笑しそうに笑い声を上げた。


「びっくりしたぁ。愛ちゃん、遊びに来てくれたの? ちょっと部屋で待ってて。すぐ戻ってくるからね」

「うん」


 愛佳も笑い返したが、階下へ降りていく従姉妹を見送りながら、すぐにその顔は戸惑い気味な表情に変わってしまった。


――やっぱり変わった。ゆうちゃん、なんだか違う人みたいになった


 失踪する前の侑子は、あんなふうに大きな声で顔いっぱいに笑う女の子だっただろうか。確かに侑子であることは間違いない。一年間の記憶がおかしい他は、どこにも問題がなかったと賢一から聞いている。だけど……


――一年間側にいなかったから? 私の気の所為なの?


 久しぶりに再会した従姉妹と一緒にいる時間は、やはり楽しい。優しい性格はそのまま、侑子は愛佳にとって大好きな従姉妹のままだ。

 しかし、前よりもよく笑うようになった気がする。そして何よりも愛佳を驚かせたのは、歌を口ずさんでいる姿を見た時だ。これに関しては、愛佳だけでなく他の家族も驚いていた。決して人前で歌を歌わない姿勢を貫いていた侑子が、恥じらう素振りもなく歌うようになったのだから。

 従姉妹の部屋に入ると、勉強机の上に置かれた封筒が目に入った。桜色をして動物のシルエット模様が描かれたそれは、愛佳にも見覚えがある。交換日記代わりの手紙のやりとりを二人でしていたことがあり、その際に侑子が使っていたのだ。愛佳の部屋のどこかにも、侑子から送られたあの封筒に入った手紙があるはずだった。


――ゆうちゃん、手紙を書いてたの? 私にかな


 何となく侑子が手紙を書きそうな相手として思いつくのは、自分か、彼女の両親くらいしかいない。決して友達が少ないわけでもないが、交友関係が広いわけでもない。大人しくて内気で表に出るのが苦手――そんな風に愛佳が把握していた従姉妹の性格は、外れていないはずだ。一年前までは。


――え、誰? 知らない名前だ


 勝手に見てはいけないと分かっていても、目が封筒の上に記された宛名を読んでしまった。そこに侑子の筆跡で書かれた名前は、愛佳の知らない人物の名前だった。漢字からして、男性の名前だろうか。


――手塚、勇輝……誰だろう


 もう一度、もう一度と宛名に繰り返し目を走らせる。そこには名前の他に住所と郵便番号のような数字の羅列が書かれていたが、愛佳が知っている日本の住所ではなさそうだった。 

 すっかり無心になって封筒を見つめていると、ドアが空いて侑子が戻ってきた。はっとして愛佳は目線を上げる。


「あっ。ごめん、ゆうちゃん……」


 勝手に見ていたことに罪悪感が溢れる。しかし声が小さくなる愛佳を見ても、侑子は笑って首を振るだけだった。


「別に大丈夫だよ。その手紙に貼る切手を取りに行ってたの」

「切手」

「そう。必要か分からないけど、きっとないよりあったほうがいいんだろうなと思って」


 侑子は困惑顔の愛佳をよそに、指でつまんだ切手を台紙から剥がすと、封筒の右上に貼り付けた。


「それ、どこに出すの?」


 質問する愛佳の声は震える。侑子は従姉妹の様子に困ったように微笑んだだけだ。


「……今からしようと思ってること、愛ちゃんには話すよ。私のこと、いよいよおかしくなったって思うかも知れないけど」


 聞いてくれる? と問いかけられて、愛佳は迷わず頷いた。侑子の口調はしっかりしているし、まっすぐ自分のことを見ている。

 一年前より随分堂々とした様子の従姉妹に驚異を感じる一方で、愛佳はそんな侑子に強く惹かれているのだ。

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