初夏の提案
侑子の生活は穏やかに回っていった。
朝起きて、紡久が日課のスケッチをしている横でギターの練習をする。日中は大人たちに勉強を教えてもらい、たまに変身館でユウキたちと歌を歌う。一日のどこかでユウキと散歩をしながら、日々のことを振り返る。
自分は前の世界からやってきた人間である。その意識は持ちつつも、この魔法の世界に少しずつ溶け込んでいく。侑子はそんな変化を、すっかり受け入れていた。
桜が散り、梅仕事も終わり、花の季節から新緑の季節へと移り変わっていった。
侑子は、十四歳になっていた。
◆◆◆
「ユーコちゃん、また少し背が伸びたんじゃない?」
スズカの言葉に、隣のミツキはそうかなぁと首をかしげる。今日は二人が侑子と紡久の家庭教師だった。
「伸びたよ、絶対。ちょっと前まで私より背低かったはずだもん」
ほらほら、とスズカは侑子と背中合わせに並び、紡久とミツキに比べるよう促した。
「ああ、本当だ。侑子ちゃんの方がちょっとだけ高いね」
「スズカが小柄なのよ。確か妹にも抜かされたって言ってなかったっけ」
「まだ伸びるかなぁ」
侑子は目線を上げ、ユウキの顔がある辺りまで見上げてみた。いつも並んで話している時、ユウキの声は決まって侑子の頭の上から聞こえてくる。背が伸びたら、もう少し顔の近くで聞こえるのだろうか。
「もうすぐユーコちゃんが来てから、一年が経つのか」
ミツキがクッキーをかじりながら呟いた。
「そりゃ背も伸びるわよね。髪も伸びたし、顔つきだって少し変わったもん」
開け放った窓から、初夏の爽やかな風が流れ込んでくる。机に広げたノートのページがぱらぱらとめくれ、それぞれ違う色をした四人の髪も、暖かな陽光の中で揺れた。
「ユーコちゃんが来た日、確か今年は休日だったよ。みんなでお祝いしたいね」
スズカがいいことを思いついた、と大きな瞳を輝かせる。ミツキも「いいかも」とすでに乗り気だ。
「でもついこの間、誕生日パーティ開いてもらったばかりだよ」
「いいのいいの。みんなお祝いという名目で、どんちゃん騒ぎがしたいんだから。機会が多ければ多いほどいいのよ。ツムグくんの時も盛大にやってあげるからね!」
「楽しみにしてます」
ミツキにつられるように笑った紡久は、指先で回していたペンを置いた。膝の上でもぞもぞと動き出したあみぐるみを抱き上げる。先日侑子が新しく作った、大きめのクマだった。ユウキが飾り付けた青い鱗が背中一面を覆い、侑子の魔法で自在に動き回る。先ほどまで紡久の膝で寝息を立てていたクマは、抱き起こされるとそのまま大人しく座っていた。
「そのクマ、ツムグくんに懐いてるよね」
太めの白い糸で編んだクマは、全長五十センチほどあって存在感がある。中身はすべて綿だから重くはないはずなのに、ほかのあみぐるみたちより動きがのっそりしていた。そんな大きなクマは、スズカの言う通り紡久の後をよくついて回る。
「この間、こいつのことスケッチしたんだ。その後からだよ。懐かれたの」
「へえ。よっぽど嬉しかったんだね、描いてもらえたの」
スズカに頭を撫でられ、クマはされるがままになっている。
「紡久くん、可愛く描いてくれるもんね……けど不思議よね。ユーコちゃんのこの魔法って、ユーコちゃんが作ったあみぐるみにしかかからないんでしょ?」
「そうなんです」
侑子は肩をすくめた。これまでにも何度となく試している。あみぐるみ以外のぬいぐるみはもちろん、侑子自身が布を縫い合わせて作ったものにも同じ魔法をかけてみた。それでも、あみぐるみたちのように自分の意思で動き出すものはなかった。
魔法のかかったあみぐるみたちは、侑子の考えとは無関係に動き、それぞれ好みや感情まで持っているようだった。まるで小さな生きものだ。
今では二十体ほどがジロウの屋敷の中で自由気ままに暮らしている。侑子も一体ずつ居場所を把握しているわけではない。それでも、来てほしいと心の中で呼びかければ、どこからともなく足元へわらわらと集まってくる。
ノックの音がした。四人と大きなクマの顔が、一斉にドアへ向けられた。
「やあ。勉強中だったよね。ちょっといいかな」
エイマンが立っていた。
◆◆◆
「墓参り、ですか」
エイマンからの提案に、侑子と紡久は顔を見合わせた。数か月前の側村の夜が思い出された。
「来訪者解放事件って、ずっと後の平空政争にもつながっていった事件のことですよね。あの時の犠牲者のお墓ですか」
スズカがおずおずと尋ねた。
「そう。あの事件で亡くなった来訪者たちの中で、父が埋葬場所を突き止めることができた十人。彼らの墓だよ」
「やっぱり側村の中にあるんですよね」
「マサヒコさんたちの側村とは別の場所だけどね。央里から少し離れているから移動には時間がかかるけれど、日帰りはできる」
紡久の問いに答えたエイマンは、少し間を置いて声を落とした。
「……マサヒコさんとチエミさんの墓で、君たち二人に起こったこと。もしかすると、十人の墓でも同じことが起こるかもしれないと、父と私は考えている」
風がレースカーテンを揺らす。雲が太陽を隠し、室内がふっと暗くなった。
「もし同じことが起これば、来訪者解放事件の詳細や、あの研究施設で何が行われていたのかを知る手がかりになるかもしれない」
「エイマンさん、ちょっと待って。それってすごく酷じゃない?」
ミツキは思わず椅子から立ち上がった。隣にいる侑子へちらりと目を向ける。
「死んだ時の記憶をそのまま体験するんでしょ? 来訪者解放事件で亡くなったってことは、もしかしたら殺された時の記憶かもしれないじゃない。そんな恐ろしい体験を、この子たちにしろってこと?」
鏡の間で侑子と紡久が正彦たちの記憶を見た話は、ミツキもスズカも知っていた。特にミツキは、あの日の二人を実際に見ている。正彦とちえみの感情を追体験した二人が、どれほど深く傷ついていたのかも。
「もちろん分かっている。強制はしない。ユーコさんとツムグくんが少しでも気乗りしないなら、断ってくれて構わない」
エイマンはすぐに首を振った。
「すまない。ただ、あの研究施設で何が行われていたのか、今も分からないことが多い。少しでも手がかりが得られればと思ったんだ」
申し訳なさそうなエイマンを見ているうちに、侑子は何だかいたたまれなくなった。
「役に立ちますか」
声に出した瞬間、自分が何を訊きたかったのか分かった。
この世界で、自分という一人の人間にできることがある。それは侑子にとって、怖いことではなかった。むしろ、そうでありたいと願っていた。
「もしその人たちの記憶が見えたら、エイマンさんやラウトさん、この国のために役に立ちますか?」
「今まで分からなかったことを知る、大きな手がかりにはなると思う」
エイマンは真剣な眼差しで頷いた。しかし、すぐに続けた。
「ただ、それを理由に君が引き受ける必要はない。何かが分かることと、君たちが傷ついていいことは別だ」
碧眼が光を映した。雲を抜けた太陽が、再び部屋の中へ差し込んでいる。
「ユーコちゃん」
控えめな声が聞こえた。スズカが、机の上に置かれた侑子の手へ自分の手を重ねていた。
「少し考えさせてもらっていいですか」
そう答えたのは紡久だった。それまでエイマンをまっすぐ見ていた目が、迷うように宙を泳ぐ。膝に抱いたクマが、どこか物言いたげに紡久を見上げていた。
「できればお役に立ちたいけど、やっぱりあれは……あまり気分のいいものではなかったから」
「もちろん。すぐに答えてもらわなくて構わない。断ったとしても、気に病まないでほしい。……こんな提案をしておいて勝手だが、ひとまず今日はこれで失礼するよ。返事はいつでもいいからね」
エイマンは最後にもう一度「すまない」と告げ、頭を下げてから去っていった。




