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梅仕事

 側村での謎の現象は謎のまま、日々は過ぎていった。

 その日は快晴で、起きぬけに窓の外を確認した侑子は小さく歓声を上げた。

 洗面を済ませて着替えたのは紺色の作務衣。髪は一つに纏めてしまう。首筋をくすぐる爽やかな朝の風に、自然と笑みがこぼれた。


――今日は梅仕事の日だ


 庭の白梅が実らせた青い梅の実を、今日までの間に収穫してあった。ジロウの庭で収穫した梅の実の活用方法は全てが梅シロップなので、毎年梅の実の表面に毛がなくなり、まん丸の形に整ってきた頃合いを見て全て収穫してしまう。収穫作業に魔法は使われず、剪定ばさみを使って一個一個を枝から切り離していった。作業が面白くて夢中になったせいか、収穫はあっという間に終わってしまった。

 今日はそんな収穫済みの梅の実を、シロップへと加工する日なのだ。この作業のことを梅仕事と呼ぶのは、侑子も知っていた。元いた世界でも毎年行っていたからだ。


「ユーコちゃん手慣れてるね」


 二人並んで竹串でヘタを取り除いていた。ユウキが隣で感心している。


「こんな風に毎年皆で集まってやってたんだよ。いとこの家で」


 侑子は思い出していた。賢一の家での恒例行事になっていた梅仕事の様子。庭先に大きなビニールシートを広げ、タライいっぱいに入れた梅を囲んで皆で作業するのだ。学校のこと、仕事のこと、他愛のない会話をしながら。ふざけあって笑ったりしながら。楽しい時間だった。

 今侑子のいるこの場所には、いとこ達の姿も、兄や叔父叔母の姿はなかった。その代わりにユウキと彼の幼馴染三人、ジロウ、ノマと紡久がいる。

 共に梅の実を囲む人々は変わっても、侑子は去年と変わらず楽しい梅仕事の中に身を投じているのだ。不思議だ、と思う一方で安らぎを感じた。


「ユウキちゃんに初めて会った時に飲んだ梅ジュース、とっても美味しかったな」


 思えばあの日から、侑子のこの不思議な世界での生活は始まったのだった。

 驚異と恐怖で黒ずんだ心を、円やかな甘みで洗い流したあの味は忘れることはないだろう。その味は侑子にとって長年繰り返し味わってきた馴染み深い味と同じだったのだから、尚更だ。


「あの時会った女の子と、まさかこんな風に一緒に梅仕事してるとはね。一年前の俺は想像もしてないだろうな」


 ユウキも慣れた手付きで梅のヘタを取り除いていく。彼にとってもこの作業が慣れ親しんだものであることが伝わってきた。


「無心になりますね、この作業」


 唯一梅仕事が初体験の紡久も、既に梅の実を持ち変える手の動きが早くなっていた。元々器用で覚えも早いのだ。


「毎年の恒例行事なのよ」

「いつからやってたっけ。結構小さい頃から、この季節にはこうやって庭に集まってた気がするけど」

「梅ジュースにして飲むのが、すごく待ち遠しかったよね」


 幼馴染達は思い出話に花を咲かせ始める。今日は四人の仕事休みを合わせたのだ。


「アオイは流石に来れなかったね」


 残念そうにもう一人の幼馴染の名を挙げるスズカに、ハルカは明るく返した。


「あいつこの間来たばっかりじゃないか。作ったシロップ送ってやればいいんだよ」


 どうせだったら持って行ってやろうかな、と言うハルカに、ノマがこんな質問をする。


「ハルカさんはまだお仕事は?」

「してないよ。相変わらずプー太郎」


 自嘲するわけでもなく笑うハルカに、ノマは慌てたように「そんなつもりで訊いたのではありませんよ」と付け足した。


「いいんだよノマさん。だから俺、誰よりも時間に融通がきくだろ。ユーコちゃんとツムグくんの家庭教師しに来るの、とても楽しいんだよ。こういうのを仕事にしてもいいなと思ってる」


 話しながらも手を止めることなく作業を続けてハルカは言った。

 彼は学校を卒業後に就職も進学もしなかった。実家は商売をしているらしく、たまに手伝いをすることもあるそうだが、決まった仕事はなく、自由になる時間で様々なアルバイトを掛け持っているようだった。その理由をハルカ自身は『自分探し』と言ったり『適職を見つけるため』と説明していた。


「ハルカは教師になるの?」


 驚き顔のユウキとは対称的に、侑子は納得していた。


「ハルカくん教えるの上手だもんね。先生になったら、きっと生徒から人気者になると思うな、」

「へえ。そうなの? ちょっと想像つかないなぁ」


 ミツキでも意外だったようだ。スズカも同様だ。友人目線では分からなかったハルカの一面なのかも知れない。


「俺もハルカくんの教え方、良いと思う。向いてるんじゃないかな」


 侑子に同調する紡久の首に腕を回して、ハルカは満更でもなさそうカラカラと笑った。


「持ち上げてくれるじゃないか。ありがとう」


 ヘタを取り終えた梅の実が山積みになってきた。そろそろ次の工程が見えてきそうだ。

 

「ユーコちゃんの家庭教師をやろうって言い出したのは、完全にその場の思いつきだったよ。けど、やってみたら楽しさに気づいちゃった。人に教えるってさ、自分が既に知っていると思い込んでいたことを再確認することなんだよな。特にユーコちゃんやツムグくんみたいに、こことは全く違う常識しかない場所からやってきた人にこの世界のことを教えていると、自分の知っている物事が本当に真理なのかどうか疑いだしちゃうんだ。そうやって考えるのって、なかなか面白いんだ」


 ハルカの手から竹串は落ち、完全に作業を放棄していたが誰も気にしなかった。


「ハルカってそんなに哲学者みたいなこと考えるやつだったっけ?」


 隣に座るミツキが翡翠色の髪の男を凝視した。数秒の後に彼女は首を振る。


「適当なこと言ってるわけじゃなさそうだし、本心ね。驚いた。あんたがそんな風に深く考えたりするなんて」

「どんだけ俺のことちゃらんぽらんだと思ってたんだ」

「あんただって私のこと恋愛脳って思ってたくせに」


 大きく笑ったミツキとハルカの声が重なった。スズカは嬉しそうにそんな二人を見守っている。


「じゃあハルカ、教員学校に進学するの?」


 ヒノクニで教師になるには、日本と同様資格取得が必要になるらしい。しかし入学時期は日本のように固定されているわけではなく、試験も必要ではない。義務教育が修了していれば進学できるのだ。


「うん、まあとりあえずね。資格は取っておこうかなと思ってるけど。卒業はゆっくりでいいや。ここに家庭教師で来る時間を減らすのは嫌だしな」


 そう告げたハルカは、立ち上がって山積みになった梅を傍らのバケツに小分けにして持ち上げた。


「――もう全部ヘタ取り終わったな。洗いに行こうぜ」



◆◆◆



 水洗いした大量の梅の実を、一つ一つ清潔な布巾で拭いて水分を取り除いていく。

 ヘタのくぼみに僅かな水分すら残さないように丁寧に、まるで宝石を優しく磨くように。


「魔法で乾かさないんですね」


 風呂上がりの濡れ髪を一瞬で乾かしたり、うっかり汚してしまった衣類を着たまま洗って乾燥させたりと、魔法はとても便利である。

 この梅仕事においても魔法の力を借りれば、一連の作業を終えるのに一時間もかからないだろう。しかし誰も魔法は使おうとはしなかったし、それに対して疑問や不満を持つ様子も見えなかった。


「使わない方が楽しいからな」


 ジロウが答える。


「魔法は一瞬で何事も完結させてくれるが、楽しみまで完結させちゃうところがあるから。時と場合を考えて賢く使わないと。こういう時は魔法の出番がない方がいいんだよ。だって、楽しいだろその方が」

「わかります」


 侑子は笑顔で頷いた。水分を吸い取った布巾は少しずつ重たくなる。新しいものに取り替えて、また新しい梅の実を手に取った。


「飲み会の席で話すのとも、向かい合ってじっくり話すのとも違うのよね。作業しながら話すのって」


 スズカは思い出すようにしてゆっくり言葉を紡いだ。


「毎年同じ時期に同じ様にしてるからかな。恒例行事みたいな感じでもあるよね。こうやって皆で話をしながら、大抵は普段と変わらない話題が多いけど、たまに驚くようなことがあったり――さっきのハルカの話みたいに。出来上がった梅シロップのジュースを飲んだらその時のことを思い出して、楽しかったなぁとか振り返ったりしてさ」


 そうですね、とノマが頷く。


「魔法で一瞬で済んでいたら、そうはいきませんね。記憶には残らないし、出来上がったシロップもただのシロップでしかない。魔法が介入しないことは、その分付加価値がつくものなのかもしれないですね。他のものに代えることが出来ない物に仕上がるんですよね」

「なるほど」


 紡久は神妙な面持ちだった。


「魔法の世界って、何だか想像していたのと違うな。便利な魔法が尊重されているんだと思ってたけど、そういうわけじゃないんですね。むしろ魔法を使わないことに価値を置くんだ」

「私達の世界じゃ、魔法は憧れの対象だったよね」


 侑子は紡久に対して同意の相槌を打った。


「人間はきっと、自分が持っていない物に対して、憧れや価値を見出しがちなんだな」


 そう呟いたのはユウキの声で、その声はいつも通り侑子の耳に心地よく響いた。



◆◆◆



 大きなガラス瓶に、梅と氷砂糖を交互に層状に詰め込む。

 青々とした緑と白のコントラストが侑子は好きだ。食材の下ごしらえをしているというよりも、芸術作品を手掛けているような感覚になる。

 梅仕事の中で一番好きな工程だった。


「終わったぁー‼ すっごい達成感!」


 一人一瓶ずつ、合計で八個分の梅シロップの仕込みが全て完成した。

 大瓶が並ぶ光景は圧巻だった。歓声を上げたハルカの気持ちに侑子は強く共感した。


「今年も無事仕込み終わりましたね」

「一ヶ月くらいで、シロップ完成記念パーティが開けるな」

「楽しみですね」


 言葉を交わすノマとジロウの声も、心なしか弾んでいる。毎年のことのはずなのに、何年繰り返してもこの時感じる愉楽の大きさは変わらない。二人はどちらともなく、傍らの若者たちに視線を移した。六人とも晴れやかな表情をして笑っていた。ジロウがそんな様子の六人を眺めながら呟く。


「一番年下のユーコちゃんが成人するのが、あと四年後か」


 楽しい思いつきをした時、ジロウはニヤリと笑う。ノマはその仕草がどことなくユウキに受け継がれているような気がするのだった。血は繋がっていないのに不思議なものである。一緒に暮らしてきた時間がそうさせるのだろうか。


「四年後の梅仕事では、梅酒も作ってみようか。そうしよう、ノマさん」


 既に決定事項のようだ。ノマも異論はない。


「楽しみですね。きっと美味しい梅酒が飲めますよ」

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