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 侑子がホールに入った時、ちょうど曲の最中だった。観客たちは大いに盛り上がり、楽器と人々の歌声が作り出す音の渦の中に、全身はあっという間に飲み込まれていく。

 一緒にその場所に入ってきた紡久が、爆音に僅かに肩を竦めたのが見えた。彼はこの場所に慣れていない。

 ホールで踊る大勢の人々の背に隠されて、後方の出入り口からはステージに立つ人の姿はよく見えなかった。ただ聴き慣れた歌声と曲の旋律、叩きつけるリズムが振動と共に伝ってくる。


「紡久くん、大丈夫?」


 後方の壁ぎりぎりの場所に空間を見つけた侑子は、紡久をそこまで導くと、大声を張り上げて問いかけた。紡久は恥ずかしそうな笑みを浮かべて頷いた。

 薄暗い室内だったが、紡久の明るい緋色の髪は照明に照らされて浮かび上がるように輝いていた。

 曲が終わり、顔を近づければ会話ができる程度にホールの音は一旦落ち着いた。そのタイミングを待っていたのだろう。紡久がすかさず口を開いた。


「良いね。頭の中が音楽だけでいっぱいになる。没入感っていうのかな。余計なこと考えなくなる」


 ステージに目を向けた紡久は、他意のない素直な笑顔だ。侑子は頷く。自分も紡久と同じ場所に顔を向けたが、侑子の背ではやはりその場所に立っているはずの人の姿は見えなかった。


「ユーコちゃん」


 大きな声と共に肩に手が置かれた。


「ミツキちゃん」


 人々の間を縫って来たのだろう。乱れた髪を片手で整えていた。ミツキは紡久とも軽く挨拶を交わすと、他の幼馴染たちがホール内のどの辺りにいるのか教えてくれた。


「ユウキ達を見に来るお客さんの数、毎回増えてる気がする。すごいわね。ちょっと場所移動しようとするだけで大変だもん。二人はこのままここで観てるの?」

「そうする。多分、もうすぐ終わるよね」


 時計を確認すれば、墓参り前にユウキにメッセージを送った時間から大分経っていた。体感した時間はもっと長かったような気もするが。


「じゃあ私も二人と一緒にここにいようっと」


 ニコニコと楽しげな顔をしながら、ミツキは侑子の手を握った。ちょうど次の曲が始まり、ホールは再び音の嵐に飲み込まれる。ミツキに握られた手の感触に少しばかり驚きつつ、侑子はその疑問を口にすることはなかった。




◆◆◆




「何かあったのかなぁと思って」


 相変わらずつないだままだった侑子の手を、ミツキはきゅっと力強く握り直した。

 演奏は終わり、既にステージには誰もいなかった。観客たちが少しずつ出口に意識を向け始めている。


「ツムグくんもね。二人共ぼんやり顔だよ」

「そうですか?」

「私、敏いんだって。仕事にできるくらいにね」


 ミツキは笑っていたけれど、彼女が心配していることは侑子は分かっていた。手を繋いでくれていたのも、そういう理由からだったのだろう。侑子は無意識にミツキの手の温かさに縋り付きたくなっていたことに気づいた。


「……悲しいの」

「そうだね」


 同意する紡久と目線を合わせると、鏡の前で見た映像が蘇る。まるで自分が体験した出来事のように、生々しい苦しみと悲しみと、そして果てしない愛おしさが体中を突き抜けていくのだ。その感情の全ては侑子が感じたことのない類の物で、どう扱ったら良いのか分からない。


「ユウキ達のところへ行こう。終わったら楽屋に集まろうって話なの」


 明るい声と共に腕を引っ張られて、侑子はホールを後にした。




◆◆◆




 なぜ苛立ちを感じるのか、ユウキにはよく分からない。

 幼馴染たちとの時間は楽しく過ぎていった。しかし侑子と紡久、そしてバンドメンバー達を加えた面子での夕食会がお開きになった後、帰宅した侑子は足早に自室へ引っ込んでしまった。

 懸念していた墓参りで何があったのかは、帰り道で聞き出すことができたものの、気の利いた言葉は何もかけてやれない。予想外の出来事過ぎて、受け取った情報を整理するので精一杯だったのだ。

 侑子が今までの人生を生きてきた世界は、自分には決して訪れることのかなわない場所だった。だから侑子が感じる恐怖の根を、自分には真に理解してやることはできない。その恐怖の背景にあるのは、ユウキの知らないトコヨノクニなのだから。 


――分かっていたはずなのに


 侑子との間にある超えられない壁を感じて、ユウキは酷く暗い気分に陥るのだった。 

 侑子と紡久が語った墓参りでの体験は、ユウキの知識を超えるものだった。死者の肉体が細かく分解された先に、目視できない粒子として意識や感情が残ることは知っている。しかしその粒子が生きている人間に対して働きかけるなんて現象は、聞いたことがなかった。

 しかもその現象は、かなり鮮明な記憶として侑子達の中に流れ込み、彼女たち曰く『二人の行動を追体験している』ようだったという。大人二人分の死際の感情をそのまま受け入れることは、心身にどれだけの負担をかけるのだろう。


――もどかしい。もどかしい


 魔法で化粧を一瞬で消し去るように、心配事や恐怖心も拭ってやることができればいいのに。 

 自室へと去る侑子の横顔に、知らない女性の面影が重なる幻覚を見た気がして、ユウキは声をかけることができなかった。


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