君の色
「ユウキ!」
楽屋のドアを開けるなり、大声で幼馴染の名前を呼んだのは、もじゃもじゃ頭の男だった。
「アオイ。こっち戻ってきてたのか」
顔を上げたユウキは、久しぶりに見る友人へ笑顔を向けた。
央里から車で数時間かかる大学へ進学したアオイは、幼馴染の中でも最も会う機会の減った一人だった。画像通話で連絡を取り合うことはあったが、実際に顔を合わせるのは謝恩会以来だ。
「来週、親戚の結婚式があるんだよ。ちょっと早めに帰ってきた」
こっちで会いたい人もたくさんいるしな、と言いながら、アオイはユウキの隣へ腰を下ろした。
「ユウキはほぼ毎日ここで歌ってるんだろ? すごいな。すっかり売れっ子だ」
「ありがたいことにね。楽しく歌わせてもらってるよ」
今日も数時間後には舞台に立つ。アオイが来たのなら、他の幼馴染にも声をかけてみよう。そう考えて透証からメッセージを送るユウキを、アオイはどこかにやついた顔で眺めていた。
「なんだよ。変な顔して」
このもじゃもじゃ頭がこんな笑い方をしている時は、大抵ろくなことを考えていない。分かりやすい男である。
「ここに来る前にさ、ジロウさんの家に寄ってきたんだよ。ユーコちゃんに挨拶してきた。あと、ツムグくんにも会ってきた」
「そっか。アオイはツムグくんに会うの、初めてだったな」
他の幼馴染たちは相変わらず侑子の家庭教師を務めている。侑子と一緒に屋敷で勉強している紡久とも、自然と顔を合わせる機会が多かった。
「うん。でもさ、ぱっと見ても分からなかったよ。黒髪じゃなかったし。元々あの子の髪も黒かったんだろ? ユーコちゃんと同じで」
「そうだけど」
「お前が染めてやったんだって?」
「そうだけど?」
「それってさぁ」
「なんだよ。何が言いたい」
アオイの言いたいことは薄々予想がついた。ユウキはあらかじめ呆れた顔を作って、続きを促した。
「やっぱりユーコちゃんとツムグくんが、同じ髪色で並んでるのが気に入らなかったんじゃないのぉ?」
「バカ」
素っ気なく一言で切り捨て、ユウキは大晦日の夜に紡久の髪を染めた経緯を簡単に説明した。それでもアオイは、いまひとつ納得していない顔をしている。
「でもさ、結果的には髪色変えといて良かったんじゃないか? だってあの二人、顔は全然似てないし。そっくり同じ黒髪で並んでたら、傍目には恋人にしか見えな……」
「アオイ」
ユウキは差し入れのドーナツを一つ取り、友人の目の前に差し出した。
「食う?」
「……話を逸らそうとしてるだろ」
「食わないなら俺が食うけど」
「食うよ。食うけどさ」
アオイはドーナツを受け取り、ひと口かじった。それでもまだ、何か言いたそうな顔をしている。
ヒノクニでは、恋人や夫婦が自分の髪の一部を相手の髪色に染めることは、広く知られた愛情表現だった。互いの想いを強く示すため、二人の髪をすっかり同じ色に染める者もいる。ただ、個々の好みを尊重する風潮の強いこの国では、そこまでする者は多くない。
「お前さ、ユーコちゃんのこと好きだろ? ユーコちゃんだって、お前のこと大好きじゃないか。俺、何か間違ったこと言ってる?」
ドーナツを片手に、アオイはなおも食い下がった。
「好きだよ。多分、誰のことよりも」
ユウキはゆっくり答えた。
嘘をつく必要はない。それは紛れもない本心だった。
ただし、目の前のもじゃもじゃ頭が期待しているものとは、少し意味が違う。
「恋じゃないけどな」
「はぁ?」
あからさまに不満そうな顔をするアオイを見て、とうとうユウキは吹き出した。
「何だよそれ。どういう感情なわけ。あれか? ユーコちゃんがまだ十三歳だから? まあ、今はそういう話じゃないか。お前があの子を特別に思ってるのは、見てりゃ分かるけどな」
「はは。お前、よく喋るな」
ユウキは立ち上がると、指についた砂糖を払い落とした。
「俺がユーコちゃんのことを、そういう目で見ることはないよ。歳が離れてるからとか、そういう話じゃないんだ」
アオイから視線を外し、鏡を見る。
灰色の髪の男がこちらを見つめていた。褐色の肌に緑の瞳。今日の服には青も紫も紺もない。夢の中の半魚人を思わせるものは、今の自分のどこにもなかった。
これが本来の自分だ。
それでも侑子が自分を見つめる目は、夢の中と少しも変わらない。
ぼんやりとしか見えなかったはずの夢の中の景色は、侑子と出会ってから、記憶そのものが書き換えられたかのように鮮明になっていた。
「ユーコちゃんには笑っていてほしい。悲しませたくないし、楽しい気持ちで一緒に歌っていてほしい。そう思うだけだ」
「彼女に好きな男ができて、そいつと結婚したいとか言い出したとしても? 笑顔で応援できるわけ?」
ドーナツを飲み込んだアオイが尋ねた。口の端には砂糖がついている。ユウキはちり紙の箱を彼のほうへ滑らせた。
「結婚って。何年先の話だよ……」
そこで一度、言葉が止まった。
「まあ、できると思うよ。ユーコちゃんが幸せになれるって分かったら」
口にしてから、なぜ一瞬考えたのか自分でも分からなかった。
アオイから視線を外したままだったので、その時どんな顔をしていたのかは見えない。口元を乱雑に拭ったちり紙が、屑籠へ放り込まれる音がした。
「頑なだな。まあいいや。分かったよ。とりあえず今はそういうことで納得しといてやろう」
「何様だよ」
「アオイ様だ」
大きく宣言して胸を張り、アオイは声を上げて笑った。
こういう時に見えるアオイの魔力は、彼自身の人柄をそのまま色にしたようだとユウキは思う。底抜けに明るく、暑苦しいほど情熱的に燃える赤。ユウキはそんなアオイの色が好きだった。自分には決して似合わない色だからこそ、無意識に惹かれるのかもしれない。
「でもな。やっぱり最後の悪あがきで、アオイ様が予言しといてやるよ」
アオイは人差し指を真っ直ぐユウキへ突きつけた。
「何年かしたら、お前、絶対さっき言ったこと撤回したくなるからな。恋じゃないとか、そういう目で見てないとか、ユーコちゃんの恋を笑顔で応援できるとか!」
言い切ると、水差しから注いだ水を一気に飲み干す。最後に妙な音を立てて息を吐いた。
ユウキは水差しを見た。
入っているのは酒ではなく、水だったはずだ。




