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青い半魚人  作者: 松下真奈
第一章
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君の色

「ユウキ!」

 楽屋のドアを開けるなり、大声で幼馴染の名前を呼んだのは、もじゃもじゃ頭の男だった。

「アオイ。こっち戻ってきてたのか」

 顔を上げたユウキは、久しぶりに見る友人へ笑顔を向けた。

 央里から車で数時間かかる大学へ進学したアオイは、幼馴染の中でも最も会う機会の減った一人だった。画像通話で連絡を取り合うことはあったが、実際に顔を合わせるのは謝恩会以来だ。

「来週、親戚の結婚式があるんだよ。ちょっと早めに帰ってきた」

 こっちで会いたい人もたくさんいるしな、と言いながら、アオイはユウキの隣へ腰を下ろした。

「ユウキはほぼ毎日ここで歌ってるんだろ? すごいな。すっかり売れっ子だ」

「ありがたいことにね。楽しく歌わせてもらってるよ」

 今日も数時間後には舞台に立つ。アオイが来たのなら、他の幼馴染にも声をかけてみよう。そう考えて透証からメッセージを送るユウキを、アオイはどこかにやついた顔で眺めていた。

「なんだよ。変な顔して」

 このもじゃもじゃ頭がこんな笑い方をしている時は、大抵ろくなことを考えていない。分かりやすい男である。

「ここに来る前にさ、ジロウさんの家に寄ってきたんだよ。ユーコちゃんに挨拶してきた。あと、ツムグくんにも会ってきた」

「そっか。アオイはツムグくんに会うの、初めてだったな」

 他の幼馴染たちは相変わらず侑子の家庭教師を務めている。侑子と一緒に屋敷で勉強している紡久とも、自然と顔を合わせる機会が多かった。

「うん。でもさ、ぱっと見ても分からなかったよ。黒髪じゃなかったし。元々あの子の髪も黒かったんだろ? ユーコちゃんと同じで」

「そうだけど」

「お前が染めてやったんだって?」

「そうだけど?」

「それってさぁ」

「なんだよ。何が言いたい」

 アオイの言いたいことは薄々予想がついた。ユウキはあらかじめ呆れた顔を作って、続きを促した。

「やっぱりユーコちゃんとツムグくんが、同じ髪色で並んでるのが気に入らなかったんじゃないのぉ?」

「バカ」

 素っ気なく一言で切り捨て、ユウキは大晦日の夜に紡久の髪を染めた経緯を簡単に説明した。それでもアオイは、いまひとつ納得していない顔をしている。

「でもさ、結果的には髪色変えといて良かったんじゃないか? だってあの二人、顔は全然似てないし。そっくり同じ黒髪で並んでたら、傍目には恋人にしか見えな……」

「アオイ」

 ユウキは差し入れのドーナツを一つ取り、友人の目の前に差し出した。

「食う?」

「……話を逸らそうとしてるだろ」

「食わないなら俺が食うけど」

「食うよ。食うけどさ」

 アオイはドーナツを受け取り、ひと口かじった。それでもまだ、何か言いたそうな顔をしている。

 ヒノクニでは、恋人や夫婦が自分の髪の一部を相手の髪色に染めることは、広く知られた愛情表現だった。互いの想いを強く示すため、二人の髪をすっかり同じ色に染める者もいる。ただ、個々の好みを尊重する風潮の強いこの国では、そこまでする者は多くない。

「お前さ、ユーコちゃんのこと好きだろ? ユーコちゃんだって、お前のこと大好きじゃないか。俺、何か間違ったこと言ってる?」

 ドーナツを片手に、アオイはなおも食い下がった。

「好きだよ。多分、誰のことよりも」

 ユウキはゆっくり答えた。

 嘘をつく必要はない。それは紛れもない本心だった。

 ただし、目の前のもじゃもじゃ頭が期待しているものとは、少し意味が違う。

「恋じゃないけどな」

「はぁ?」

 あからさまに不満そうな顔をするアオイを見て、とうとうユウキは吹き出した。

「何だよそれ。どういう感情なわけ。あれか? ユーコちゃんがまだ十三歳だから? まあ、今はそういう話じゃないか。お前があの子を特別に思ってるのは、見てりゃ分かるけどな」

「はは。お前、よく喋るな」

 ユウキは立ち上がると、指についた砂糖を払い落とした。

「俺がユーコちゃんのことを、そういう目で見ることはないよ。歳が離れてるからとか、そういう話じゃないんだ」

 アオイから視線を外し、鏡を見る。

 灰色の髪の男がこちらを見つめていた。褐色の肌に緑の瞳。今日の服には青も紫も紺もない。夢の中の半魚人を思わせるものは、今の自分のどこにもなかった。

 これが本来の自分だ。

 それでも侑子が自分を見つめる目は、夢の中と少しも変わらない。

 ぼんやりとしか見えなかったはずの夢の中の景色は、侑子と出会ってから、記憶そのものが書き換えられたかのように鮮明になっていた。

「ユーコちゃんには笑っていてほしい。悲しませたくないし、楽しい気持ちで一緒に歌っていてほしい。そう思うだけだ」

「彼女に好きな男ができて、そいつと結婚したいとか言い出したとしても? 笑顔で応援できるわけ?」

 ドーナツを飲み込んだアオイが尋ねた。口の端には砂糖がついている。ユウキはちり紙の箱を彼のほうへ滑らせた。

「結婚って。何年先の話だよ……」

 そこで一度、言葉が止まった。

「まあ、できると思うよ。ユーコちゃんが幸せになれるって分かったら」

 口にしてから、なぜ一瞬考えたのか自分でも分からなかった。

 アオイから視線を外したままだったので、その時どんな顔をしていたのかは見えない。口元を乱雑に拭ったちり紙が、屑籠へ放り込まれる音がした。

「頑なだな。まあいいや。分かったよ。とりあえず今(・)は(・)そういうことで納得しといてやろう」

「何様だよ」

「アオイ様だ」

 大きく宣言して胸を張り、アオイは声を上げて笑った。

 こういう時に見えるアオイの魔力は、彼自身の人柄をそのまま色にしたようだとユウキは思う。底抜けに明るく、暑苦しいほど情熱的に燃える赤。ユウキはそんなアオイの色が好きだった。自分には決して似合わない色だからこそ、無意識に惹かれるのかもしれない。

「でもな。やっぱり最後の悪あがきで、アオイ様が予言しといてやるよ」

 アオイは人差し指を真っ直ぐユウキへ突きつけた。

「何年かしたら、お前、絶対さっき言ったこと撤回したくなるからな。恋じゃないとか、そういう目で見てないとか、ユーコちゃんの恋を笑顔で応援できるとか!」

 言い切ると、水差しから注いだ水を一気に飲み干す。最後に妙な音を立てて息を吐いた。

 ユウキは水差しを見た。

 入っているのは酒ではなく、水だったはずだ。

 

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