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青い半魚人  作者: 松下真奈
第一章
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エイマンの父

 ユウキとアオイが久しぶりの再会を楽しんでいた頃、侑子と紡久はエイマンの運転する車の後部座席に並んでいた。助手席にはジロウの姿もある。

 エンジン音のまったくしない車内は静かで、振動もほとんど伝わってこない。侑子がこちらの世界で車に乗るのは初めてではなかったが、何度乗っても走っている感覚が薄く、不思議だった。

「すごく静かだよね」

 王都への長距離移動以来の乗車となる紡久が、素直な感想を口にする。数か月前、侑子も同じような反応をしたことを思い出したのか、エイマンとジロウが笑った。あの時もエイマンが運転し、ジロウが同乗していた。

「こっちの車の動力源って、魔石なんだって。電気自動車みたいなものだよ」

「黄色の魔石か……とんでもなく大量に使いそうだね」

 侑子の簡単な説明だけで納得できたようだった。紡久もだいぶこの世界の常識に馴染んできている。

 侑子ほど外出には興味がないらしく、屋敷から出ることは少ないが、その分読書量はかなりのものだった。一日の大半をスケッチか読書に費やしているのではないだろうか。

「車みたいな大きなものに使う魔石は、一般的なものとは少し違うんだ。手のひらに載るような球体じゃなくて、取り付ける場所に合わせた形に作られている。残量も外から分かるようになっているよ。興味があるなら、後で見せてあげる」

 エイマンが説明を補足すると、紡久は興味深そうに頷き、さらにいくつか質問を重ねた。侑子にはよく分からない自動車の用語が飛び交い始める。

「そういえばユーコちゃん。さっきユウキから連絡があったんだけど、今夜、変身館にハルカたちが全員揃うらしいよ。アオイが帰ってきてるからな。久しぶりに皆で集まるんだって。終わったら変身館に送ってもらおうか?」

 後部座席を振り返ったジロウの言葉に、侑子はぱっと顔を輝かせた。

 アオイ以外のユウキの幼馴染たちとは日常的に会えているが、全員が一堂に会するのは久しぶりだった。

「お願いします」

 前席の二人に頭を下げてから、侑子は紡久にも一緒に行こうと声をかけた。普段あまり変身館へ足を運ばない紡久も、快く頷いた。

「そういうことなら、なるべく長引かないようにするよ」

 エイマンの言葉に、侑子は慌てて首を振った。

「いいんです。ちゃんと聞きたいから。あの……お忙しい人だっていうのは分かってるんですけど、聞けることは、できるだけ聞いておきたいんです」

 紡久はわずかに表情を引き締めた。言葉にしながら、侑子の背筋も自然と伸びている。

 二人とも緊張し始めていた。

 これから向かうのは、エイマンの自宅だった。

 彼の父親に会うためだ。



◆◆◆



――ラウト・ソノダ

 平彩党の幹部を務めるその人の若い頃の写真を、侑子は見たことがあるという。エイマンを少し柔和にした感じだったと聞いていたが、なるほど的確な表現だったらしい。

 今、紡久の前に立つスーツ姿の男は、エイマンと同じ色の髪と瞳を持っていた。息子へそのまま受け継がれたのだと一目で分かる顔立ちをしている。ただ、微笑を浮かべた頬と目尻には細かな笑い皺が刻まれていて、普段からよく笑う人なのだろうと想像できた。淡い水色の瞳も相まって、親しみやすそうな雰囲気をまとっている。

「初めまして。君はスギタ・ツムグくんですね。そして、そちらのお嬢さんがイカラシ・ユーコさん」

 低く深い声だったが、威圧感はない。紡久は頷き、差し出された手を握った。大きな手は暖かく、わずかにかさついていた。

 隣を見ると、侑子も同じような印象を受けたらしい。握手を交わす顔には、愛想笑いとは違う自然な微笑が浮かんでいる。

 政治家、それも与党幹部の自宅と聞いていたので、紡久は堅牢な警備に守られた大豪邸を想像していた。けれど、その予想はあっさり外れた。

 そこは、元の世界で紡久が暮らしていた家と大きさの変わらない、ごく普通の民家だった。

 鹿児島で父と暮らしていたのは、父の会社が借り上げていた古い一戸建てだ。さすがにあの家と同じ3Kという間取りではないだろうが、それにしても拍子抜けするほど普通だった。

 通されたのはラウトの書斎らしい。「うちには応接室がないんだ」と最初に断られたので、おそらくそうなのだろう。

 壁一面には作り付けの書棚があり、一冊分の隙間もないほど本が詰まっていた。ざっと背表紙を眺めた紡久は、そのほとんどが歴史書であることに気づいた。政治に関する本は、見える範囲にはほとんどない。

「狭い部屋だけど、どうぞ寛いで」

 紡久たちにソファを勧め、ラウトは部屋の片隅に置かれた背もたれのない丸椅子へ腰掛けた。傍らにはエイマンが立ち、長方形のローテーブルが親子と紡久たち三人を隔てている。

「今、家内がお茶の準備をしているから、それまで簡単に自己紹介をさせてもらっても構わないかな」

 にこやかに微笑む様子には不自然なところがなく、紡久の中にわずかに残っていた警戒心も少しずつ薄れていった。

「ラウト・ソノダ。エイマンの父です。いつも息子がお世話になっていますね。私は現在、政権与党の平彩党で仕事をしています」

 自分の仕事について簡単に説明した後、ラウトは一冊の小さな冊子をテーブルへ置いた。

「あ、これ」

 侑子が声を漏らす。見覚えがあるらしい。

「二十年前……いや、もう年が明けたから二十一年前になるのか。昔の私の日記のようなものです。貼ってある写真に写っているのは、君たちと同じ世界から来た人々ですよ」

 見て構わない、と紡久に手に取るよう促してから、ラウトは侑子へ顔を向けた。

「エイマンから、詳しいことはもう聞いているそうですね」

「はい。教えてもらいました。研究施設でのこと。オゴセ・マサヒコさんとチエミさんのこと。それから、来訪者を逃がそうとした人たちが施設を襲った事件のことも」

 侑子の声がわずかに震えた瞬間を、紡久は聞き逃さなかった。

 オゴセ・マサヒコ。そしてチエミ。

 二人は夫婦で、ともに来訪者だった。紡久や侑子と同じ世界からヒノクニへやってきて、二十一年前に相次いで亡くなった。その二人のことも、研究施設で起きた襲撃事件のことも、紡久はすでに聞かされていた。

 手に取った冊子をめくると、いくつもの写真が目に入った。カードほどの小さな写真だったが、画質はよく、二十一年前のものとは思えないほど鮮明だ。侑子が話していた通り、そこに写る人々は皆、金色のバッジを身につけていた。

「マサヒコとチーちゃん……チエミさんの名前もご存知でしたか」

「チーちゃんって呼んでいたんですね」

 微笑んだ侑子に、ラウトも砕けた笑みを返した。

「彼女が言い出したんですよ。チエミさんって呼ばれるのは、あまり慣れていないとか言って。明るくて元気な女性でした。私が彼女と知り合った頃、まだチーちゃんはこちらへ来て間もなかったけれど、魔法にもこの国の暮らしにも、驚くほど早く馴染んでいました。魔法が使えるなんて夢みたいだと、よく笑っていてね」

 ラウトは紡久が開いていた冊子の一枚を指した。

「彼女がチーちゃんだよ」

 写真の中では、若い女性がこちらへ大きな笑顔を向けていた。華やかな桜色の髪も、きっと魔法で染めたのだろう。

「マサヒコは、きっとあっという間に彼女に恋したんだと思う。会うたびに、チーちゃんの気をどうやって引いたらいいだろうとか、どんな言葉なら女性は喜ぶだろうとか、そんな相談ばかりされましたから」

 昔を振り返りながら、ラウトは楽しそうに笑った。

 話し方は息子のエイマンよりずっと柔らかい。政治家という仕事で身についたものなのか、それとも元々こういう人なのか、紡久には分からなかった。

「二人は王都で出会ったんですか? 研究施設で働く前に?」

 侑子の質問に、ラウトは首を振った。

「研究施設です。私とマサヒコが知り合ったのも、あの施設でした。私が彼の働いている現場を見学したことがきっかけです。年齢が同じで気も合ったから、すぐに仲良くなりました。チーちゃんがやってきたのは、私とマサヒコが知り合って一年ほど経った頃でした」

 ラウトは書棚の片隅から薄い本を一冊抜き出した。開かれたページには、日本列島とよく似たヒノクニの地図が描かれている。

 その一点を、ラウトの指が示した。

 紡久が暮らしていた鹿児島の町と、そう遠くない辺りだった。

「チーちゃんはこちらの地域からやってきたそうです。彼女がヒノクニへ来た頃には、すでに研究施設が稼働していました。当時政権を握っていた空彩党は、各地で暮らしていた来訪者たちを、秘密裏に王都の研究施設へ集めていた。チーちゃんも、来て間もなく王都へ連れて来られたんですよ」

 侑子も初めて聞く話らしく、目を見開いて質問を重ねている。

 けれど紡久の意識は、別のところへ向いていた。

――鹿児島

 写真の中の女性が、急に少しだけ近い存在になった気がした。

 二十一年以上も前、自分と同じ世界の、同じ地方からこちらへ来た人がいた。

 写真のチエミは眩しいほど明るく笑っている。魔法が使えることを夢みたいだと喜び、この世界の暮らしにもすぐ馴染んだのだという。

 自分が鹿児島で暮らしたのは、たった九か月ほどだ。それでも、あの町から逃げるように飛び出した先でこの世界へ来た。そして二十一年以上も前にも、同じ土地の近くからここへ来た人がいる。

 ただの偶然なのだろう。それでも紡久は、しばらく写真から目を離せなかった。

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