大好きな色
宴の始まりにはあれほど賑やかだったのに、日付が変わる瞬間、大広間はしんと静まり返っていた。
眠気に耐えきれなくなった子供たちは、すでに部屋へ戻って眠っている。広間に残っているのは大人たちばかりだった。
除夜の鐘がこちらの世界にもあるのか侑子は知らなかったが、それらしい音も聞こえてこない。ただ人々は口をつぐみ、わずかに目線を下げてじっとしている。完全に瞼を閉じ、静かに唇を動かしている人もいた。
声に出さず、祈りの言葉を唱えているのかもしれない。
午前零時をまたぐわずかな時間、去っていく年神と新たに迎える年神へ祈りを捧げる。それが歳納と曙祝をつなぐ祈りの儀だった。誰かが取り仕切るわけではない。侑子も事前にアミから教えてもらった通り、周囲と同じように静かにその時を過ごした。
侑子は、この一年のことを思い返していた。
一年前の大晦日は、帰国した父も揃って家族四人で過ごした。毎年お決まりのテレビ番組を何となく眺めながら、スーパーで注文しておいたオードブルを囲んだ。元旦には愛佳たちと初詣へ出かけ、間もなく始まる中学校生活が荒波立たず平和であることを必死に祈った。
卒業式を終え、入学式の日に初めて袖を通したセーラー服のぱりぱりした感触に、妙に緊張したことも覚えている。その制服も夏服に替わり、生地がすっかり身体に馴染んだ頃、侑子はヒノクニへやってきた。
――とても怖かった。もしかしたら、自覚してないだけで死んだのかと思った。もう戻れないと思うと、やっぱり悲しい。でも
侑子はそっと隣を見た。
目を閉じたユウキの横顔がある。長い睫毛が頬に影を落としていた。
――ユウキちゃんに会えてよかった。ジロウさんにも、ノマさんにも、リリーさんにも。それから……
こちらの世界へ来てから出会った人々の顔が、次々に浮かんだ。
――ここへ来たことを、絶望なんてしていない
ここで誰かと出会ったことを、後悔したことは一度もなかった。
魔法のこと。二つの世界のこと。ヒノクニのこと。分からないことは、まだたくさんある。これから先、打ちのめされるほど辛いことが起こるかもしれない。かつて自分と同じ世界からやってきた人々が辿った悲惨な運命が、自分の身に起こらない保証もない。
考えれば、やはり怖かった。
それでも侑子が漠然と「大丈夫」と思えるのは、あの夢があったからだ。ユウキと二人で共有してきた、あの美しい夢。
――あの半魚人と、現実で会うことができた
今でも信じられない。
けれど、その事実が魔法という奇跡さえ超えて自分の中に存在し続ける限り、どんな絶望の中にも希望は残る。侑子は、そんな気がしていた。
◆◆◆
「あけましておめでとう」
――新年の挨拶は同じなんだな
新しい発見とともに隣を見ると、今度はまっすぐこちらへ注がれる緑の瞳があった。
さっきまで真っ白だったユウキのスーツは、上品な光沢のある黒へ変わっていた。ところどころにラメのような細かな白い光が瞬いている。ネクタイはいつもの硝子の鱗で覆われていて、結び目がどうなっているのか侑子は少しだけ気になった。
「全然違うスーツになってる」
侑子が笑うと、ユウキは周囲を見るよう促した。
大広間は、万華鏡を覗き込んだような色彩で溢れていた。
人々の服に宿っているのは、単なる色だけではない。宝石を細かく砕いて散らしたように輝くものもあれば、身体が動くたびにゆらゆらと色を変えるものもある。先ほどまで白一色だった広間が、一瞬で別の場所になったようだった。
「……きれい」
ぽろりとこぼれた言葉に、ユウキが頷いた。
「すごく華やかでしょ? 美しいものを見ると魔力にもいいし、年末年始はみんな遠慮なく、自分が綺麗だと思うものを形にするんだよ」
そういえば、ユウキと出会った日に教えてもらった。
『美しいものを見ると魔力は上がる。だから人は、美しいと思うものを側に置きたいと思う』
「一年の一番最初に身につけるのは、その人の大好きな色なんだね」
「そう。それに、新しい年をどんな一年にしたいかとか。そういう思いも色に出るんだよ」
見回してみれば、鮮やかで明るい色が多い。明るい気持ちで一年を過ごしたいという願いが、そのまま色になって広間を満たしているようだった。
「ユーコちゃんは……よっぽど俺のこと好きだってことだね。嬉しいよ」
からかうように言われ、侑子は改めて自分のワンピースを見下ろした。
白かったはずの生地を覆っているのは、硝子質の小さな青い鱗だった。形こそ違うものの、先ほどまでステージで着ていた衣装とよく似ている。
「本当だ。こうなるように念じたわけじゃないのに。でも私が一番綺麗だと思うのは、やっぱりこの色だからかな」
侑子には、それが少しも不思議には思えなかった。
昔から、美しいものを思い浮かべる時にはこの鱗があった。夢の中でも、現実でも。
きっぱりと言い切った侑子を、ユウキは少し驚いたように見つめ、それから笑った。
「それで、その薔薇はもしかして水かきになったの?」
ユウキは侑子の右耳の上から、薔薇のコサージュをそっと抜き取った。
白一色だった花弁は、すべて磨りガラスのような半透明へ変わっていた。触れれば布の柔らかさが残っているのに、見た目は夢の中で見た半魚人の水かきによく似ている。
「すごい。これも何も考えてなかったんだよ」
侑子は驚きながら薔薇を天井へ掲げた。鋭い照明の光が半透明の花弁を通り抜け、柔らかくなって目に届く。
「夢の中と同じだ。ほら」
ユウキにも見せたくて、薔薇を掲げたまま隣へ寄った。嬉しくて声が弾む。
これも自分の魔法が起こした変化なのだとしたら、なんて素敵なのだろう。自分が使えるようになった魔法を、初めて少し誇らしく思えた。
「確かに。凄い再現度だね。さっきの水かきより、もっと自然かも」
頭の上からユウキの声がした。
満足して視線を戻すと、向かい側にいる紡久が、こちらをまじまじと見ていることに気づいた。
「あ、あけましておめでとう。侑子ちゃん、ユウキさん」
「あけましておめでとう」
「新年早々こんなこと訊くのもどうかと思ったんだけど……二人って、付き合ってるの?」
「え?」
問いの意味を理解するのに、一瞬かかった。
隣でユウキが吹き出す。
「いつも一緒にいるし、仲もなんだか……特別良さそうだから」
なぜか質問した紡久の方が赤くなっている。その様子をひとしきり笑ってから、ユウキが答えた。
「そりゃユーコちゃんと俺は仲良しだよ。でもツムグくんが言う『付き合う』って、恋人って意味だろう?」
「ええっ?」
侑子は先ほどよりさらに大きな声を上げた。
「え、違うの?」
紡久はすっかり意外そうな顔をして、二人を交互に見る。
侑子がぶんぶんと首を横に振る横で、ユウキはまだ笑っていた。
「違うな。恋人じゃないし、兄妹みたいなものとも違う。お互いに恩人同士ってところか……いや、これも少し違うか」
「ううん。ユウキちゃんが私の恩人っていうのは、本当にその通りなの」
「だったら、俺の恩人がユーコちゃんなのも確かだよ」
ユウキは穏やかに笑うと、半透明の薔薇を侑子の髪へ戻した。
その一部始終を眺めていた紡久が、小さく唸る。
「ますます分からない」




