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同郷の人

 五十嵐さん、と呼ばれて、侑子は久しく苗字で呼ばれていなかったことに気づいた。

 そういえばこの世界では、誰もが下の名前で呼び合っている。気づいてしまうと、苗字で呼ばれることにやけに違和感を感じてしまって、侑子は紡久に「侑子でいい」と告げたのだった。

 それで侑子の方も、紡久くんと呼ぶことにした。友達になったばかりの異性を名前で「くん」付けして呼ぶのなんて、小学校に入った頃以来ではないだろうか。だけど少しの違和感も恥ずかしさも感じなかったのは、それだけ自分がこの世界に馴染み切っている証拠に思えてならない。


 二人はようやく、お互いのこれまでの経緯を語り合うに至っていた。屋敷のダイニングルームでは事情を知らない人の出入りも激しいので、場所はアミの部屋だった。下宿先が決まるまでの仮住まいということもあり、家具も荷物も必要最低限の彼の部屋は広々としていた。その部屋の中に、侑子と紡久、部屋の主のアミとユウキ、エイマンとリリー、ジロウの七人がいたが、あまりの生活感のなさがそうさせているのか、まるで応接間にでもいるかのような雰囲気だった。


「侑子ちゃんは、どんな風にこちらの世界にやってきたの?」


 紡久の質問に、侑子はあの日のことを久しぶりに説明した。


「終業式だったの。学校が終わって一人で家でお昼を食べたら眠っちゃって。夕方になって着替えなきゃって思って、部屋に行こうとしたの。部屋のドアを開けたら、そこがリリーさんの部屋だった」

「終業式……制服は夏服だったってことは、夏休み前の?」

「うん」

「じゃあ夏から? ずっとこっちにいたんだね」


 もう半年ほど経つのだ。侑子は頷いた。すっかり季節が変わっていた。


「紡久くんは?」

「俺は……」

 

 説明しようと口を開いた紡久は、何を思ったか、一瞬固まったように宙に視線をとどめた。長い前髪が僅かに隠したその瞳が、恐怖によって硬直したように見えて、侑子は首を傾げる。しかしそんな彼の表情は、すぐに見えなくなった。


「学校から帰った後、また外に出ようとしたんだ。玄関を出たら、そこは外じゃなくて建物の中だった」

「……平気?」


 訊ねたのはリリーだった。心配そうな視線の彼女に頷くと、紡久は続けた。


「大丈夫です……玄関のドア、うちは引き戸なんだよ。確かにスライドさせたのは覚えてるんだ。けど、開けたはずのドアは、ドアノブを掴んで押して開けるドアだった。俺は開け戸を開けてたんだ。引き戸を開けたはずなのに。だけどそんなこと考えてる場合じゃなかった。燃えてたんだ。ドアの向こう」

「ああ……」


 青ざめた侑子は、頭を振ってそれ以上の説明を無意識に止めようとした。ジロウから聞いていた説明に繋がることが分かった。

 紡久は火災で燃えた家屋の側で倒れていたのだ。彼の家の玄関は、燃えている部屋に繋がっていたのだろう。


「熱いと思って後ろに戻った……と思うんだよな。よく覚えてないけど。だけどそこにドアがなかった。燃えていたのかもしれない。玄関がないって思って、燃える、まずい。熱いって焦り始めたら、突然誰かに引っ張られたような感じがして――気づいたら外にいたんだ」


 その場の皆の視線が紡久に集まっていた。彼は慎重に思い出しているようだったが、その記憶は彼本人にとっても朧げなものであるらしい。眉間に皺を寄せながら、苦しそうに言葉を絞り出していた。


「……思い出せないんだ。というか、どういうことなのか、よく分からない。燃えるあの部屋の中に誰かがいて、連れ出されたような気もする。けど人の姿なんて見たのか…… 自信がない。すごい力で突き飛ばされた感覚は確かにあった気がするんだ……地面に顔をつけたのだけは覚えてる。死んでないって、心底ほっとしたから」

「とにかく、君が無事で本当に良かった」


 間を空けずに言葉を発したのは、アミだった。


「怪我も残っていないようだね。服も直してもらったの?」

「はい。なんか……あっという間に。びっくりしました。魔法なんですよね」


 紡久の反応に、侑子は心から共感した。


「信じられないよね! 魔法なんて」

「うん……あとこれも」


 紡久は自分の左腕に嵌る、透明のバングルを示した。


「いつの間にかついていて、突然光ったり鳴ったりするし……びっくりした」

「それ、紡久くんの透証?」


 侑子が触れてみると、確かにそのようだった。エイマンが頷く。


「病室でツムグくんが眠っている間に届いたんだよ。とりあえず外れないようにその形で身に付けさせてもらったんだ」


 どうやら既に透証の説明や使い方等は、大まかに説明を受けているらしい。

 アミが言った。


「ここにいる人の連絡先は入れた? 俺のも入れていいかな」

「あ、はい」


 覚えたての操作を確認するようにして、紡久はアミや侑子達と連絡先を交換した。


「ツムグくん、まだ魔法は使えない?」


 そう訊ねたのはユウキだった。侑子はかつての自分を思い出したが、予想外の紡久の返事に驚かされることになるのはすぐだった。


「簡単なものだったら。こんな風に」


 紡久はさながら手品のように、広げた指の中から小さな炎を浮かび上がらせた。それはちょうど侑子の部屋にある行灯の火の玉と同じくらいの大きさで、柔らかく紡久の顔を照らしている。


「……すごい! もうそんなに使いこなしてるんだ。私は魔力を表に出すっていうことがどうしても分からなくて、すごく時間がかかったの。しかも調節も上手くいかなくて。まだまだ練習中」


 小さな火の玉は、紡久が微笑むと僅かに大きくなり、彼が指を閉じると音もなく消えた。


「火は怖くて、これ以上大きくすることができないんだ。他の属性魔法は何となくイメージ通りに使えたんだけど」

「きっとこちらにやってきた時の火災の風景が、ショックすぎたのよ」


 その言葉はリリーだった。彼女は軽くため息をついた。やはり元気がないように見えるのは、侑子だけだろうか。少し前にタクシーで出かけていこうとしていた時よりも顔色が良く感じるが、今日は化粧をしているからかもしれない。


「ユーコちゃんと一緒に練習すればいいさ。相乗効果で二人共上達するんじゃないか?」


 ジロウの笑い声で、その場の空気が一段軽くなる。ちょうどそこへノマから連絡が入ってきて、一同は夕食を共にすることになったのだった。

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