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謝恩会

 その提案の意味を一度だけ頭の中で反芻してから、侑子は当然の如く首を左右に振っていた。そしてそんな彼女の反応を、まるで少しも予想していなかったように、驚いているユウキがいる。


「え、どうして?」

「どうしてって。いや、無理だよそんな。一緒に歌うなんて」


 侑子は少々非難するような口調になってしまった。しかし首を否定する形に振って、更に意思を強調した。

 次回の噴水広場の舞台で、侑子も一緒に歌わないかと誘いを受けたのだった。


「駄目かなぁ。あみぐるみ達だけじゃ、どうも心許なくて。ユーコちゃんも一緒に歌ってくれたら、素の声だけで歌う勇気出るんだけど」


 ユウキは次の舞台に(マタナ)を使わずに挑むつもりなのだという。おそらく彼にとって、一大決心だったであろう。

 そして先日、広場でも魔法なしのユウキの声で歌ってほしいと言い出したのは、確かに侑子だった。


「……ユウキちゃんの声なら、心配しなくても大丈夫だよ。むしろ私が一緒に歌ったほうが逆効果になるよ……そもそも、なんでそんな事を突然言い出すの」


 ユウキは肩から下げていたギターを鳴らした。先程からこの部屋で弾いていたその旋律には、聞き覚えがある。マザーグースの詩に乗せているメロディだった。


「次はいつもの衣装も腰布だけにして、普段着のままやろうと思ってるんだ。メイクもしない、髪もそのまま。舞もなくしてその分、歌を歌うつもり」


 言いながらギターの音が突然止まり、再び再開した時には、別の旋律になっていた。変身館でユウキが歌っているのを、何度か聴いたことがあった。彼が作った曲だった。


「あみぐるみ達には、そうだな……適当に客寄せでもしてもらおうか。ユーコちゃんと一緒に歌えたら、最高に気持ちいいだろうなと思ってるんだけど」


 侑子がもう一度首を振る前に、ユウキは素早く付け足した。


「ユーコちゃん、歌上手でしょ?」


 目を見開いた侑子を見て、いたずらそうに笑う。


「歌うの好きでしょ? 聴いてたら分かるよ」


 どんどん顔が熱を帯びてくるのを感じながら、侑子は声を絞り出した。


「知ってたの?……私が歌ってること」


 すっかり真っ赤になっている彼女の頬を見て、ユウキは困惑顔になる。


「わざとじゃないよ。たまたま聞こえたことがあったんだ」


 はぁと大きな吐息を吐いて、顔を逸した侑子は唸った。まさか聞かれていたなんて。恥ずかしすぎる。

 連日変身館に足を運んでいて、気に入った歌が頭の中で繰り返し流れ出すのを、止めることはできなかった。一人の時に口ずさむことは、確かによくあった。時には歌っているうちに気分が乗って、声が大きくなることもあったかもしれない。

 侑子は本来、歌うことが好きだった。


「なんでそんなに恥ずかしがるの?」


 ユウキは本気で分からないという顔だ。たまたま耳にした侑子の歌声は、普段の彼女の喋り声よりも少しだけ高かった。意図的に大きさを抑えていたが、正確に音程を捉えていて、音痴でも奇抜な歌い方でもなかったはずだ。恥ずかしがる要素など、どこにもないはずなのに。


「上手じゃないか。声だって綺麗だし。それに、夢の中ではよく歌っていたよね?」 


 しれっと口にしたその言葉にも、侑子は目を丸くした。


「夢の中では、聞こえてなかったんじゃなかったの?」

「全く無音なわけじゃないよ。ユーコちゃんの歌声は、なぜかよく聞こえてたし。良い声だなって、いつも思ってた。あの夢が楽しみな理由の一つだったんだよ」


 ふわりと微笑んだその顔に、侑子は再び顔が熱くなるのを感じたのだった。しかし今度は顔は逸らさずに、言い訳するように短い説明を繰り出した。


「歌は好き…………でも人前で歌うのが苦手なの」


 たった一言だったが、言い終えるまでを長く感じた。侑子は口を噤んでうつむいた。情けない気持ちが湧いてきて、過去の苦い思い出が脳裏によぎる。

 しばらく二人共無言のまま、ゆったりとしたテンポのギターだけが、部屋に響いていた。侑子は俯いたまま、弦を抑えるユウキの指先をぼんやり眺めていた。

 そのうちに侑子もよく知っている曲が終わり、止まった音を引き継ぐように、ユウキの静かな声が耳に入る。


「ねえ、ユーコちゃん。俺たち二人共、歌うことについて乗り越えるべき課題があるみたいだね」


 二つの視線がぶつかり、ユウキは目を細めた。


「一緒に挑戦してみない? 君と二人だったら、自信があるんだけど」


 身体の前に差し出されたのは、初めてこの世界に来た日に、侑子を救ってくれた手だった。

 一瞬だけ躊躇して、再びその人の顔を見ると、穏やかに光る緑の瞳があった。


――挑戦……? 私が……? できるだろうか


 疑心暗鬼な感情は、そう簡単に拭い去れなかった。しかし、差し出された彼の手を拒絶することもできないと直感で分かっている。

 侑子は結局、褐色のその手を取ったのだった。



◆◆◆



 次の噴水広場での演奏まで、半月ほど時間が空いた。いつもなら一週間に一、二度の頻度だったのがそこまで間が空いた理由は、ユウキの卒業が挟まったからだった。


「おめでとう!」


 ジロウと共に校門の側で待機していた侑子は、ユウキといつもの友人四人の姿を見つけるやいなや、駆け寄って祝福の言葉を彼らにかけた。ジロウと二人、一人一人に小さなブーケを手渡していく。庭で今朝摘んだばかりのサルビアと秋桜(コスモス)が、仄かな緑の芳香を放つ。ノマが整えてリボンで束ねてくれたものだった。

 制服のない魔法の世界の卒業式とは、どんなものなのだろうと、侑子は密かに興味を持っていた。ところがその光景は、彼女を拍子抜けさせるものだった。女子生徒達は振り袖袴姿が多く、そうではない者はかっちりとしたスーツ姿だった。男子生徒も同じようなもので、スーツが多い。中に時折紋付袴姿の者がいる。侑子のいた世界の卒業式の風景と、大差のないものだったのだ。ただ違うのは、色柄が派手で色鮮やかである点だけだ。


「もう明日からは社会人なのね。あー、もっと青春しとけばよかったなぁ」


 髪の色と合わせたのだろうか、山吹色の明るい振り袖を揺らして、ミツキが空を仰ぎ見た。


「まあ、がんばってくれよ公務員。俺はまだまだ学生の時間を楽しむからさ」


 ニヤニヤしながらそう告げたアオイは、ミツキに壮大な蹴りを入れられた。そんな彼は就職組ではなく、大学に進んで研究職を目指すのだという。


「卒業したら、すぐに新生活が始まるんだね」


 侑子には馴染みのない、十月卒業という仕組みだった。

 この世界では満七歳の年から学生となり、そのまま小中高という区切りなく、約十二年間の学生生活を送るのだという。能力に合わせて飛び級や留年の仕組みもあるが、大体の者は十八歳の年の十月、もしくは翌年の四月に卒業となる。義務教育期間が終わった後は、各々就職するか、更に高度な教育機関や職業専門校に進学するのだ。


「私達は頑張って勉強しなきゃね」


 からかうアオイを嗜めているスズカも進学組だ。どういう分野の学校に行くのかは聞いていたが、魔法に関する学問だったので、侑子はよく理解できなかった。しかし変身館の運営に活かすことができる分野らしく、大学に通いながらジロウの元でアルバイトもするという。


「よーし。そろそろ変身館行こうぜ。ユーコちゃんも行くんだろ?」


 ハルカの言葉に、侑子は緊張気味に頷く。

 これから変身館で始まろうとしているのは、彼らの謝恩会だった。侑子は配膳の手伝いをジロウから頼まれていた。

 そしてもう一つ、重大な仕事が控えていたのだった。


――はぁ……


 ぞろぞろと連れ立って変身館へ向かい出しながら、項垂れる侑子の肩を、ユウキが軽く叩いた。その顔は満面の笑みである。


「大丈夫。一緒だから、ね」



◆◆◆



 変身館のホールは明るく照らされ、その中は卒業生と教員たちで賑わっていた。既に乾杯を済ませてから時間は経ち、立食形式での飲食を楽しむ人々の会話は、途切れることなく続いている。

 侑子は使用済みの食器を厨房に運び、新しい皿やグラスをホールに運ぶという仕事を、延々とこなしていた。ジロウやスタッフたちからは、合間に食事をつついていいと度々声をかけられたが、今はこうやって無心に働いていたほうが良いのだった。


「腹減らないの?」


 何度目かの往復の後、新しいグラスを綺麗に並べ終えた侑子に声をかけてきたのは、ハルカだった。花束を渡した時には束ねていた翡翠色の髪はほどかれ、やや乱れた様子で頬にかかっている。顔がほんのり赤くなっているので、飲酒したのだろう。この世界では学校を卒業し、学生の身分ではなくなった日から成人とみなされ、飲酒を始めとする様々な規制が解禁されるのだ。卒業式後の謝恩会の席で、卒業生達に酒が振る舞われるのは恒例なのだという。


「減らない」


 首を振る侑子にハルカは薄く笑って、液体が満たされたグラスを持たせた。


「せめて飲み物くらい飲みな。ユウキも心配してたよ。あ、それジュースだからね」


 林檎の風味がついた炭酸水だった。強めの炭酸だったが、侑子はほぼ一気飲みした。自覚はなかったが、喉はカラカラだったらしい。


「緊張してる?」


 ハルカはいつも行動を共にすることの多い幼馴染の中で、唯一既に()()()()も知っている一人であった。


「怖くて仕方ない」


 強がる余裕は、元からなかった。侑子は縋るような視線をハルカに向ける。


「ねえ、やっぱり駄目かな。今からユウキちゃん一人で……ってことには」

「無理だろうなあ」


 可笑しそうに吹き出したハルカは、「往生際が悪いぞ」と珍しく侑子を嗜める言葉を放った。


「会場まで来ちゃったんだから、覚悟を決めな。こういうことはなるようになるのさ。始まってしまえば、今気を揉んでいるのがアホらしく思えるほどあっさり終わるよ」


 普段はおちゃらけた雰囲気を放つハルカだったが、彼に家庭教師として勉強やこの世界のことを教えてもらう時間を過ごしてきた侑子は知っている。語り聞かせる姿勢になった時、ハルカは意外と説得力のある話し方をするのだった。教師の素質があるんじゃないかと侑子は思う。


「それに俺にはどうも、理解できないんだけど」


 腕を組んでしばらく侑子を見つめたハルカが、疑問を口にする。


「なんでそんなに人前で歌うのが怖いんだ?」


 つい数日前のことだ。ハルカが屋敷を訪ねた時、ちょうどいいからお前も聴けと、ギターを構えたユウキとその隣で固まる侑子の前に座らされたのだった。その場にはジロウとノマの二人もいて、ハルカがそこに加わると、突然音楽は始まった。


「歌、すごく上手かったじゃないか。あのユウキの横で歌って、声量も全然負けてなかった。練習したんだろうけど、それだけじゃないんだろ? 元々上手かったんだ」


 なのになぜ、こんなに自信なさげにするのだろう。元々人前で怖じ気ずく経験が少ない性格のハルカには、本当に想像の及ばない心理だった。


「ありがとう。褒めてくれるのは嬉しい。だけどこんなに大勢の前で歌うなんて、初めてなんだよ……」


 空になったグラスをぎゅっと両手で掴みこんで、侑子はうつむいた。

少し先の未来のことを想像すると、自然と身体が強張った。


――なんでユウキちゃんは、よりによってこんな大舞台を指定したの


 いくら恩人と言えど、恨めしくも思う。

 この日ユウキたちの謝恩会の席で、侑子は歌を披露することになっていたのだった――なぜこんなことになったのか。それはユウキからの提案だった。

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