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桑畑

 そろそろ十八時を回る頃。

 リリーは寝間着姿のまま、赤茶の土の上に立っていた。

 今日はライブハウスの仕事の予定もなく、侑子も別の用事があると訪れることはなかった。そのため昨晩のステージの後に、友人や音楽仲間たちと、夜通し飲み明かしたのだった。

 帰宅したのは朝方だ。酒には強いが流石に怠くなった身体を、なんとか湯船に沈め布団に倒れ込み、泥のように眠った。自室から出たのはつい先程。途中でエイマンから何度か連絡が来て応対はできたが、呂律がちゃんと回っていたかは定かではない。『もう少し自重しろ』とため息と共に嗜める彼の声が、耳の中に残っている。

 サンダルをつっかけた足元に目をやれば、ここのところ侑子の魔法の爆発や竜巻やらで、図らずも耕された土があった。しゃがみ込んで指先で土に触れた。


――やわらかい


 六年前まで、この場所には桑畑が広がっていた。

 黄昏時の空の下、リリーは物思いに耽った。


―――もう六年。何の音沙汰もなし


 考えないようにするのも、広い屋敷での一人暮らしにも、すっかり慣れた。慣れたはずだった。

 しかしこうやって日中長く眠り、夕刻にぼんやりと時を過ごしていると、考えずにはいられなかった。


 リリーの家族は六年前に彼女一人をこの屋敷に残し、突如失踪した。

 桑畑は根も残さず燃やし尽くされ、飼っていた蚕も繭玉一つ残らず消え去っていた。桑畑は焼け落ちたが、家屋は何事もなかったようにそのままで、家の中はきちんと片付けられた状態だった。両親と兄の衣類と旅行鞄がなくなっていたので、意図的に家を出ていったことがすぐに分かった。

 当時リリーは二十一歳の学生だった。彼女が帰宅するまで、付近の住人も異変には気づかなかった。

 それ以降、リリーも含め誰も両親と兄の姿を見ることはなくなったのだった。


「ここにいたのか」


 背中から声をかけられ、振り向いた。呆れたような表情を浮かべた、スーツ姿の男が手を差し伸べる。


「表の戸締まりくらいしておけよ。物騒だろう」


 差し出された手につかまって、立ち上がった。リリーは笑った。


「こんな町外れで、玄関の鍵をかけとく家なんてないわ」


 それで、と彼女は続ける。これ以上小さなお説教を聞かされるつもりはなかった。この男は昔からリリーの生活態度に、事あるごとに小言を挟むのが上手いのだ。


「ユーコちゃん、何か知ってた?」


 リリーの言葉に、エイマンは片手に持った紙袋の中から、黄色くかさついた植物を取り出した。細長い茎の先に円筒状のブラシのような物がつく、不思議な形状の植物だった。ブラシを形作っているのは、よく見ると小さな種の集まりで、どことなく稲に似ているように見えなくもない。

 しかしリリーもエイマンも知らないものだった。

 この詳細不明の植物は、先日リリーがこの畑で見つけたものだ。日課にしている見回りを兼ねた敷地内の散歩をしていた際に、半分土に埋まった形で目に入ったのだ。

 一見毛虫のように見えてぎょっとしたが、傍らの細い茎を見つけると、それが見覚えのない植物であることが分かった。


「エネコログサ、というらしい」


 リリーは目を見開いた。虹が浮かぶ大きな瞳の色は、月によく似ていた。


「やっぱり―――トコヨノクニ(向こう)からやってきた植物なのね」

「ねこじゃらし、とも呼ぶらしいぞ。猫の玩具になるそうだ」


 エイマンは指先でブラシ状の先端をつつきながら、説明を続けた。


「向こうではそこら中に生えている雑草らしいな。こちらの世界には存在しないと言ったら、ひどく驚いていたよ。それからとても興味深いことも話してくれた」


 二人は屋敷へと歩を進め始めた。


「ユーコさんがこちらへやってきた日の朝、彼女は自宅前の道路で突如消滅するこの草を、目撃したそうだ」

「消滅?」


 エイマンの不穏な表現に、リリーは首をかしげた。その反応にうなずきながらエイマンは続ける。


「自宅前の公園で草刈りをしたばかりだったそうだよ。その処理済みの草の束から風に飛ばされたエネコログサが、突然消えたらしい。その時は気の所為で済ませたらしいが、その数時間後に彼女はこちらの世界にやってきた」


 リリーは思わず足を止めた。

 目の前の見慣れた自宅を見上げる。そしてすぐ隣の男が手に持つ植物に視線を移した。


「この場所が、あちらの世界からの出口になっているのかしら……」


 家の中に表れることはなかったが、庭や畑では数本のエネコログサとその葉の断片が見つかっていた。


「俺はそう考えている」


 エイマンが静かに頷いた。


「サユリ」


 彼がリリーをその名で呼ぶ時、それはとても個人的な話をする時か、真剣な話をするときかのどちらかだ。

 リリーは無意識に背筋が伸びるのを感じた。


「やっぱり心当たりはないか。何でも良い。君の家族に縁のある場所、いなくなる前に君に話したことで、ひっかかること」


 首を振ったリリーの唇から、小さな吐息が吐き出される。


「前から話してあること意外、もう何もないわ。父は代々この土地で農家をやってきた家の長男で、央里の外に親しくしてきた親戚はいないはず。母の実家は以前伝えた通りよ。あなたのことだもの、もう調べ尽くしたんでしょう?」

「ああ。おばさんの実家にも音沙汰なしだった。訪れた跡もなかった」

「あの日の朝、何もかもいつも通りだったはずよ。父さんが思い詰めた様子だったのなんて、あの頃はいつものことだったし。母さんもいつも通りお弁当を作ってくれていて、お兄ちゃんはいい加減自分の弁当くらい自分で作れるようになれよって、まるであんたみたいな小言言って笑ってて……」


 肩を抱きよせられ、言葉を止めた。几帳面にきちんと整えられたネクタイの結び目に、額が押し付けられる。自分を抱きしめる力強い腕に、リリーはされるがままにして呟いた。


「皆、どこに行っちゃったんだろうね」

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