鎧
侑子はいつもの噴水広場で、舞い歌うユウキを見守っていた。
この世界に来てから、すでに何度もこの広場で彼の曲芸を観てきた。それなのに今日は、初めて観たときのように少し緊張している。理由は、ユウキの足元にあった。
いつもなら彼が操っているマリオネットの姿がない。代わりに台の上で歌声に合わせて踊っているのは、侑子のあみぐるみたちだった。
青、黄、白。色違いの三体のクマが、それぞれ身体の異なる場所にユウキの衣装とお揃いの青い硝子の鱗を煌めかせ、トコトコとステップを踏んでは、くるりとターンを決めていく。
いつもなら、才によって次々と別人のものへ変わっていくユウキの歌声に夢中になる観客たちも、今日は揃って三体のクマへ目を奪われていた。
「なんだ、あれ……? ロボット?」
「ただのぬいぐるみに見えるけど……」
訝しげな声が、たびたび侑子の耳にも入ってくる。
侑子は内心はらはらしていたが、対照的にユウキはいつもより楽しげだった。マリオネットを操作棒で操る必要がないからだろうか。空いた両手で身振りを加え、自らも踊るようにして歌っている。
その声は、今日も老若男女さまざまな他人のものへと次々に変わっていく。
侑子はあみぐるみたちの様子を気にしながらも、ときおりユウキの表情を見た。
やはり、変身館で自分の声を響かせていた彼とは、どこか別人のように見えた。
やがて歌が終わり、広場が歓声と拍手に包まれた。
ユウキが観客たちに深く頭を下げ、最後の口上を述べる。三体のクマも、そんな彼を真似るように一斉にお辞儀をした。
ところが真ん中の一体だけは、頭の重さに耐えられなかったらしい。そのままころんと前へ倒れた。
観客から明るい笑い声が上がった。
「素敵な助手さんたちね」
最前列にいた若い女性が、ユウキへ声をかけた。
「やっぱり魔法なの? それとも何か仕掛けがあるの?」
予想していた質問だった。
ユウキと侑子の視線が、一瞬だけ絡み合う。
「企業秘密です、お嬢さん」
とびきり甘い営業用の笑顔を浮かべ、長いまつ毛を見せつけるようにウインクをする。
女性はぱっと頬を赤くした。
「楽しんでいただけたでしょうか?」
「もちろん。また観に来るわ」
どうやら、また一人常連客を獲得したらしい。
侑子はようやく、ほっと息を吐いた。
三体のクマは、客に手を振ったり、差し出された指を握ったりと、思い思いに愛想を振りまいている。
それぞれ場所は違うが、身体にはお揃いの小さな黒いボタンが縫いつけられていた。一般的なシャツのボタンほどの大きさで、四つ穴のものだ。
あのボタンには、防視の効果が付与されている。
そのおかげで、あみぐるみたちが帯びている侑子の魔力は、観客からは見えない。
思っていたより激しく動いているので、侑子はボタンが外れないか少し心配になった。
けれど三体とも、しっかり身体についたままだった。
◆◆◆
「才を使って歌うときは、お母さんの声は聞こえてこないの?」
唐突な問いに、ユウキの手が止まった。
組み立て式の台から外した脚を、ベルトでまとめているところだった。
顔を上げると、隣では侑子が自転車の荷台にボストンバッグを固定している。麻生地のシンプルなブラウスに白いスカート。今日は長い黒髪を下ろしているせいか、いつもより少し大人びて見えた。
けれど、こちらへ向けられたこげ茶色の瞳はひどく無邪気だった。問いかけにも、それ以上の意図はなさそうに見える。
「聞こえてこないな。声を変えてるからね」
ユウキは再び手元へ目を落とし、ベルトを締めた。先ほどより少し手の動きが速くなった気がした。
「私はやっぱり、ユウキちゃんの声が好き」
侑子は間を置かずに言った。
荷物を固定し終えると、二台並んだ自転車のそばにあるベンチへ腰を下ろす。
「曲芸も、全部ユウキちゃんの歌声で聴けたらいいのにって思った」
ユウキはもう一度顔を上げた。
「もちろん、お客さんの中にはユウキちゃんの才を楽しみにしてる人も多いって分かってるよ。でも、魔法を使わなくてもあんなにすごい歌声を持ってるのに、もったいないなって思うのと……それに」
侑子は少し考えてから続けた。
「ユウキちゃんの声だけでここで歌ったら、どんなふうに聴こえるのか、私が知りたい」
ユウキは侑子の隣へ腰を下ろした。
化粧を落とし、高く結い上げていた髪をほどく。胸元まで届くほど長く、水色に変えた髪は、侑子の黒髪よりも長かった。
短く戻すのは後回しにして、顔にかかった髪を片方の耳へかける。
侑子を覗き込むと、こげ茶色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。
「自分の歌声だけで認められる歌い手になること」
自然と、薄い笑みが浮かんだ。
「それが目標だから。いつかは、そうしたいと思ってた」
侑子は何も言わず、次の言葉を待っている。
その視線を受けているうちに、ユウキの笑みに自嘲が混じった。
「否定したいのに、結局、才に甘えてるんだよ。魔法を使えば簡単に客を集められる。簡単に楽しませられる。それを知っちゃったから、手放せなくなった」
ユウキは長い水色の髪を掴んだ。
魔法で色も長さも変えた髪を強く引けば、当然、頭皮に痛みが走る。間違いなく自分の身体の一部なのに、どこか自分ではないものを身につけているような感覚があった。
「厚化粧で素顔を隠すのも、髪の長さや色を変えるのも、声を別人のものに変えるのも、俺にとっては鎧なんだよ」
侑子は黙って聞いていた。
「情けないけど、怖いんだ。何も隠さないで、自分の実力だけでやっていくのが。魔法を使えば早いし、簡単だ。それに、失敗しても『本当の俺』が否定されたわけじゃないって思える」
自分で口にして、ユウキは小さく息を吐いた。
「ほんと、便利な鎧だよ」
長い髪へ手を当てる。
色が水色から灰色へ戻り、胸まであった髪がするすると短くなっていった。
やがて侑子の瞳の中に、いつもの自分が映った。
「でも、ずっと着てたら……いつまで経っても、本当の自分の声だけでは立てないよな」
ユウキは自分の短くなった髪を撫でた。
「ユーコちゃんに言われたから、じゃない」
一度言葉を切る。
「俺も、そろそろ脱ぎたいと思ってたんだと思う。ユーコちゃんと会って、俺の声が好きだって言ってもらって……やっと、脱いでもいいって思えるようになった」
瞼を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えた。
背中へ、遠慮がちな指先が触れる。
侑子だった。
ユウキは目を開けた。
「ありがとう、ユーコちゃん。君が言ってくれなかったら、まだしばらく踏ん切りがつかなかったと思う」
侑子の手を包むように握り、向き直る。
侑子が、ほっとしたように笑った。
その顔を見た瞬間、不思議なくらい心が静かになった。
怖くないわけではない。
けれど、もう決めたことを取り消したいとは思わなかった。
そこへ、ぴぃぴぃ、ぷぅぷぅと、なんとも間の抜けた音が聞こえてきた。
ユウキは吹き出した。
「案外、お前たちのおかげもあるのかもな」
三体のクマを膝へ乗せる。
クマたちは満更でもなさそうに、代わる代わる頷いた。




