動く無機物
侑子は、リリー宅の畑に作務衣姿で立っていた。
ここ最近は練習らしい練習もしていなかったが、もうそうも言っていられない。再び作務衣を着て、この場所で魔法の練習を始めてから、数日が経っていた。
晴れて魔法を使えるようにはなったものの、魔力を身体の外へ放出するときの力加減が、侑子にはまだまったく分からない。そのせいで、魔法が暴発する。
あの満月の夜、侑子が初めて魔法を使った日もそうだった。ウサギのあみぐるみに魔法をかけようとして、自室のガラス戸を突風で吹き飛ばし、派手に破壊してしまった。幸い怪我人は出ず、ウサギも白いクマと同じように動くようになったものの、成功と呼ぶにはあまりにも物騒だった。
侑子は足元の土を一掴みすると、じっと見つめた。乾いた赤茶色の土だ。小さな石も混じっている。
やがて、指先にちりちりと痺れるような感覚が生まれた。
――来た
息を潜める。痺れが広がらないよう意識しながら、両手の中だけを覆う小さな膜を思い描いた。この範囲から外へ出さない。できるだけ鮮明に。
――お願い。爆発しないで。この土だけ。この土だけだから。どうか、どうか
いつの間にか拝み倒すような文言になっていた。それでも気を逸らさない。集中する。
やがて侑子の手の中へ、見慣れた光の粒が集まり始めた。数を増しながら、土を包んでいく。その光景に、侑子がほっと息を吐きかけた、そのときだった。
「だめよっ! ユーコちゃん! まだ気を抜かないっ!」
少し離れたところから、リリーの容赦ない声が飛んできた。
切れかけた集中の糸を、侑子は慌てて引き絞った。歯を食いしばる。
光の粒が、一斉に弾けた。
思わず目を瞑る。爆発は起こらなかった。
恐る恐る目を開くと、両手の中には、先ほどまでの土とは明らかに違う、ずしりとした物体があった。
「やったあ!」
歓声を上げたのはリリーだった。背後から長い腕にぎゅっと抱きしめられ、ふわりと甘い香りに包まれる。
「ユーコちゃん、成功! ほら、見て!」
リリーは侑子の手から球体を受け取ると、高く掲げて青空に透かした。
白く濁った水晶玉のような、半透明の球体だった。いつも目にしている魔石と、ほとんど同じ大きさをしている。けれど、まだ色も光もない。
「これ、成功ですか?」
「成功よ! 爆発もしなかった。突風も竜巻も起きなかった。大きさもばっちり。合格点あげられるわ」
リリーは再び「やったー!」と声を上げ、その場で大きく跳ねた。
そんな彼女も侑子も、全身あちこち土だらけだった。ここまで来る間に、侑子は何度も魔法を暴発させていた。突風に小さな竜巻、さらには土が弾け飛ぶほどの爆発。あらかじめリリーが念入りに防護魔法を重ねておかなければ、笑い事では済まなかっただろう。怪我こそなかったものの、飛び散った土のおかげで二人ともすっかり泥まみれだった。
「どう? コツ、掴めた感じする?」
首にかけた手ぬいでごしごしと顔を拭きながら、侑子は唸った。
「コツと言えるかどうか……。とにかく、最後まで集中を切らさない感覚は分かってきました」
汗で額に張りついた前髪を横へ流し、侑子はリリーが持っている球体を指した。
「これって、まだ空の状態なんですよね」
「そう。これはまだ、魔力を溜められる石の形にしただけ。ここに魔力を注ぎ込めば、いつも使ってる魔石になるの」
リリーは球体を侑子の手へ戻した。
「でも、魔石に魔力を入れるのって結構消耗するから、今はまだやめておいたほうがいいわ。魔法を使い慣れて、自分の限界が分かるようになってからね」
「はい」
「このあとも練習するなら、同じように空っぽの魔石を作るか、それとも……」
リリーが言いかけたところで、侑子の背中に何かが飛びついた。
「わっ」
軽い。けれど、一つではない。二つ。
侑子が魔法で動くようにした、白いクマと桃色のウサギだった。二体は器用に背中をよじ登り、侑子の両肩からひょっこり顔を出した。
「そうね。その子たちの仲間を増やしてみるとか。ちょうどいいんじゃないかしら」
くすくす笑いながら、リリーは白いクマを抱き上げる。
「君たちも、お友達が動いたほうが楽しいわよね」
白いクマは両腕を勢いよく上げた。
「ぴぃぴぃ」
どうやら、賛成らしい。
◆◆◆
リリーの家の風呂を借り、汗と泥を洗い流して清潔な服に着替えると、どっと疲れが押し寄せてきた。
「ちょっと野暮用があるの」
そう言ってリリーは外出してしまった。大きな屋敷の留守番を任された侑子は、広い畳の部屋でばたりとうつ伏せになった。このまま眠ってしまいそうだ。
そんな侑子の身体の上では、十体のあみぐるみたちが飛んだり跳ねたりしていた。ぴぃぴぃ、ぷぅぷぅと楽しげな音が聞こえる。どうやら遊び場にされているらしい。
「わあ。増えたね」
頭上から可笑しそうな声がして、侑子は顔を上げた。ユウキと、四人の幼馴染たちが戸口に立っていた。
「あ、おかえりなさい」
侑子が慌てて起き上がる。
「ぴぃー!」
背中に掴まり損ねた数体のあみぐるみが、畳の上へばらばらと落ちた。
「なにこれ! 可愛いー!」
転がりながら不満げに「ぷぅ」と鳴く青いクマを抱き上げ、ミツキが歓声を上げる。
「動いてる……ぬいぐるみが……」
「どういう仕組みだ?」
ハルカとアオイは、畳の上を自分からころころ転がっていく丸いペンギンを目で追っている。
「これ、ユーコちゃんが魔法で?」
スズカは足元まで近づいてきたネコを手のひらに乗せ、鼻先を撫でながら訊ねた。
侑子が頷くと、ぱっと笑顔になる。
「おめでとう、ユーコちゃん。すごいね!」
「ありがとう」
素直に嬉しかった。顔を赤くして笑いながら、自分が本当に魔法を使えるようになったのだという実感が、ようやく少しずつ湧いてくる。
「疲れてそうだね。ちょっとそれ、外してみて」
ユウキが侑子の左腕を指した。
言われた通り、防視のブレスレットを外す。ユウキはしばらく侑子を見つめ、それから困ったように笑った。
「すごく頑張ったのが分かるよ。もうほとんど魔力が残ってない。今日はもう、魔法は使わないほうがいいね」
そこで侑子は、ふとあることを思い出した。ユウキを見つめ返す。
「あ」
「どうしたの?」
「ユウキちゃんの魔力、とっても爽やかな色なんだね」
見ようと意識すると、分かった。
ユウキの身体から立ち上る魔力は、淡い空色だった。岩にぶつかって飛沫を上げる、渓流の水のような瑞々しさを侑子は感じた。
けれど、本当に目で色を見ているのかと問われれば、よく分からない。視覚で捉えているというより、目を向けたものを頭の中で「青」と認識しているような、不思議な感覚だった。もし単なる色彩として見えているだけなら、こんなふうに渓流の景色まで思い浮かべたりはしない気がする。
――これが、魔力を見るってことなんだ
初めての感覚に、胸が少し高鳴った。
「見えるようになったんだね」
ユウキは目を細めて笑った。
「どんな感じ? 『見える』と『感じる』の間みたいな感覚じゃない?」
「うん。その言い方、すごくぴったり」
侑子は同じように、そこにいる四人へ意識を向けてみた。
ハルカは、向日葵を思わせる明るい黄色。アオイは、焚き火の炎を思わせる鮮やかな赤。ミツキは、赤や橙が混ざった明るく暖かな色。スズカは、深い森を思わせる滲んだ緑。
「一人一人、全然違うんだね。同じような色でも、感じ方まで違う」
「そうなんだ」
アオイが頷いた。
「色だけで全部が決まるわけじゃないよ。魔力って、同じ系統に見えても人によって結構違うから」
「なんだか面白いね。でも、ちょっと恥ずかしいかも」
性格まで丸裸になるわけではない。それでも、普段は隠れている自分の何かを他人に覗かれているような気がする。防視効果のある魔道具に需要があるのも、分かる気がした。
「そう思う人も結構いるよ。だから、こういうものが売られてるんだしね」
ユウキは侑子が外していた銀のブレスレットを手に取る。そのまま左腕へ通してくれた。紐端についた青い硝子の鱗が触れ合い、涼やかな音を立てる。
「それに、ちょっと物騒な話だけど、珍しい魔力を持ってる人や、珍しい才を持ってる人が狙われることもあるんだ。だから、防犯のために子供に防視の魔道具を持たせる家もあるよ」
「えぇ……そうなんだ」
「才といえば」
床を転がっていたペンギンを拾い上げ、ハルカが口を挟んだ。ぱたぱたと翼を動かすあみぐるみをしばらく観察してから、侑子を見る。
「ユーコちゃんのこれも、才なんじゃないか?」
今日は翡翠色の髪を一つに括っている。耳元の銀のピアスが、きらりと光った。
「無機物を魔法で動かすこと自体はできる。でも、こんなふうに勝手に考えてるみたいに動かすのは、少なくとも俺は見たことない」
ハルカが人差し指で、ペンギンの嘴をつつく。するとペンギンは、その指を翼でぺしりと叩いた。
「痛っ」
そのままハルカの手から転がり落ち、逃げていく。
「ほら、こういうの。こいつらに『こう動け』って、ずっと念じてるの?」
「まさか」
侑子は首を振った。十体のあみぐるみは、それぞれ好き勝手に動き回っている。侑子の思い通りに動くどころか、予想もしないことばかりしていた。
「それに、あみぐるみが動くたびにユーコちゃんの魔力が減ってるわけでもないみたいなんだよね」
ユウキも興味深そうにあみぐるみを眺めた。
「最初に魔法をかけるときには魔力を使ってる。でも、そのあと動いてる間ずっとユーコちゃんから魔力を受け取り続けてる感じはしない」
「だったら余計に、そのブレスレットは外さないほうがよさそうだな」
ハルカの言葉に、侑子はこくこくと頷いた。
「まるで、命を与える魔法みたいね」
ミツキが胸に抱いたウサギを優しく撫でながら呟いた。ウサギは彼女の身体にぴったりと寄り添い、時折長い耳をぴくりと動かしている。
「こうして触ってると、本当に生きてるみたい。ほら」
ミツキが侑子の手を取り、ウサギの身体へ触れさせた。ほんのわずかに、規則正しい動きが指先へ伝わってくる。
「……動いてる」
「鼓動みたいでしょう?」
「綿しか入れてないはずなんだけどね」
どういう仕組みなのか、侑子にもさっぱり分からない。だからといって、糸を解いて中を確かめる気にはなれなかった。
「無機物を動かせるなら、ぬいぐるみ以外でもできるのかな」
アオイが訊ねた。
「あ、それは私も気になって、試してみたんだけど」
侑子はすでに試したものを挙げた。畑の小石、コップ、鉛筆、リリーの屋敷の玄関に飾ってあった木彫りの人形。どれも、あみぐるみに魔法をかけたときと同じように念じてみたが、何一つ動かなかった。
「なんでもいいってわけじゃないのか」
アオイの狐色の瞳が、興味深そうに細められた。
「何が違うんだろうな。素材? 形? それとも作り方……」
「分かんない」
侑子は畳の上を走っていくあみぐるみたちを眺めた。
「でも、魔法ってそもそも、不思議なものだと思うよ」
少し前まで、魔法など存在しない世界で暮らしていた。そんな侑子には、説明のつかない何かが残っているからこそ、魔法なのではないかと思える。
「そうね」
スズカが頷いた。
「理由や仕組みがまだ分からなくても、目の前で起きてることまで嘘になるわけじゃないものね。私は、ユーコちゃんのこの魔法、とっても好きだな」
スズカは足元までやってきたあみぐるみの頭を撫でた。
「ぷぅ」
嬉しそうな、高い音が返ってきた。




