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 侑子はいつもの噴水広場で、舞い歌うユウキを見守っていた。

 この世界に来てから、既に何度もこの広場での彼の曲芸を観客として観てきたが、今日は初めて観た時のように少々緊張していた――――それには理由がある。

 いつもユウキが操っているマリオネットの姿はそこにない。代わりに台の上で彼の歌声に呼応して踊るのは、あみぐるみたちだった。

 青、黄、白の色違いの三匹のクマたちは、それぞれ身体の異なる部位にユウキの衣装とお揃いの鱗を煌めかせ、トコトコとステップを踏み、くるりとターンを決めていく。

  いつもなら(マタナ)により別人の声に次々変わるユウキの歌に夢中になる観客たちの目は、今日は漏れなく三体のクマに注がれていた。


「なんだあれ……? ロボット?」

「ただのぬいぐるみに見えるけど……」


 訝しげに呟く声が、度々耳に入る。

 侑子ははらはらしていたが、対照的にユウキはいつもより楽しげだった。マリオネットを操作棒で操る手間がないからだろうか。手振りも加え、自らも踊るようにして歌っていた。

 やはり声は次々と老若男女様々な他人のものに変わっていく。

 侑子はあみぐるみの様子に気を取られつつ、今日も歌うユウキの表情を確認していた。やはり変身館で歌う彼とは、別人のように見えた。



◆◆◆



 やがて歓声と拍手で、その場が騒がしくなる。ユウキが観客たちに深く頭を垂れて、最後の口上を述べているのが見えた。

 三体のクマたちは、そんな彼を真似るようにお辞儀をしている。真ん中の一体が頭の重さに耐えられずに前方に倒れた。観客たちから明るい笑い声が漏れた。


「素敵な助手さんたちね」


 最前列に立っていた年若い女性が、ユウキに声をかけた。


「やっぱり魔法なの? それとも何か仕掛けが?」


 予想通りの質問である。ユウキと侑子の視線が、一瞬だけ絡み合う。


「企業秘密です、お嬢さん」


 とびきり甘い営業スマイルと共に、長いまつ毛を主張させるようにウインクを決めながら、ユウキは彼女に答えた。女性はぱっと顔を赤面させると、頷いた。


「楽しんでいただけたでしょうか?」

「もちろん。また観に来るわ」


 ユウキはまた新たな常連客を獲得した。侑子はふぅと安堵の息をついた。

 客に手を振ったり握手をしたりと、存分に愛想を振りまいているクマたち。それぞれ場所は違うが、お揃いの小さなボタンが縫い付けられているのを、侑子は遠目で確認した。予想よりも激しく動いていたので、外れないか少し心配だったが、問題なさそうだ。

 一般的なシャツボタンと同じ大きさの、黒い四ツ穴ボタン。それは防視効果が付与されたものだった。そのおかげであみぐるみが帯びている侑子の魔力の気配は、少しも見えなくなっていた。



◆◆◆



(マタナ)を使って歌う時は、お母さんの声は聞こえてこないの?」


 唐突な問に、片付けの手が止まった。組み立て式の台の脚を外し、ベルトで纏めているところだった。

 ユウキは顔を上げ、隣で自転車の荷台にボストンバッグを固定している少女に視線を合わせる。

 麻生地のシンプルなブラウスと白いスカート姿の彼女は、今日は長い黒髪を下ろしていた。いつもより更に大人びて見える。問を投げかけたその表情に、言葉以上の他意は読み取れなかった。全体的な彼女の印象とは対象的に、ユウキの瞳にはその顔はひどく無邪気に映った。


「聞こえてこないな。声を変えてるからね」


 再びロープを巻く手を動かしながら答えた。先程より速度が早くなっている気がするのは、気の所為だろう。


「私はやっぱり、ユウキちゃんの声が好き」


 作業が終わった侑子が、間を開けずに言葉を繋いだ。二台並んだ自転車の、隣のベンチに腰掛ける。


「曲芸もユウキちゃんの歌声で全部聞けたらいいのにって思った」


 再び顔を上げたユウキと目を合わせ、更に続ける。


「もちろんお客さんの中には、ユウキちゃんの(マタナ)を楽しみにしてる人も多いってことは、分かってるよ。でも魔法を使わなくてもあんなに凄い歌声を持ってるのに勿体ないなって思うのと、それと……単純にユウキちゃんの声だけでここで歌ったら、どんな風に歌が聞こえるのか知りたくて」


 ユウキは隣に腰を下ろした。

 メイクを取り除き、高く結い上げた髪を下ろす。胸を覆い隠す程長さのある水色に染まった髪は、侑子の黒髪よりも長かった。

 いつもの短髪に戻すのは後回しにして、ユウキは顔にかかる長髪を片方の耳にかけた。覗き込むようにして少女の顔を見ると、彼女のこげ茶の瞳が、まっすぐにこちらを向いているのが分かった。


「自分の歌声だけで認められる歌い手になること」


 薄い微笑みが自然と浮かんだ。


「それが目標だから、いずれそうしたいとは思ってた」


 見守るように、次のユウキの言葉を期待している。見つめる侑子の視線は、迷いなく真っ直ぐ注がれてきた。

 ユウキの心に、自嘲的な影が差し込んだ。


「否定したいのに、結局(マタナ)に甘えてる。魔法を使えば簡単に客を集めて、簡単に楽しませることができるって、味を占めてるんだ」


 長い髪をぐっと掴んだ。

 魔法で色を変えた毛髪は、強く引っ張ると頭皮に痛みを伝えた。間違いなく自分の身体の一部だが、どこか偽っている気分は拭えない。


「厚化粧の下に素顔を隠すのも、髪の長さも色も変えているのも、声を別人と変わってもらうのも、俺にとっては鎧なんだよ。情けない話だけど、怖いんだ。ちゃんと自分の実力だけでやっていくことが。魔法を使えば何もかも早いし、簡単だ。おまけに自尊心を守ってくれる。何て便利な鎧だろうね」


 元の灰色の短髪に戻すと、侑子の瞳に映り込む、いつもの見慣れた自分の姿が目に入った。


「ユーコちゃんが言うのなら……いや、違うな。ユーコちゃんと会えた今だから、捨て時なのかも知れないな」


 侑子に語りかけるというよりも、自分だけにつぶやいたように聞こえた。

 瞼を閉じて、数秒そのままゆっくりと呼吸を整える。侑子の指先が遠慮がちに背中に触れてくるのを感じた。心配しているのだろう。


「ありがとう、ユーコちゃん。君が言ってくれなかったら、いつまでも踏ん切りがつかなかった」


 侑子の手を包み込みように握ると、ユウキは目を開けて、再び彼女に向き直った。

 きっとうまくいくという確信が浮かんだのは、侑子がほっとしたように笑ったからかもしれないし、決意を固めた自分の心が、思いの外揺れていないと感じたからかもしれない。

 ぴぃぴぃぷぅぷぅという間の抜けた音が耳に入ってきて、ユウキは大きく破顔した。


「案外お前達のおかげかもな」


 三匹を膝の上にのせてやると、クマたちは満更でもなさそうに、代わる代わる頷いた。 

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