消えた侑子
朔也がその電話に出たのは、ちょうど車のエンジンをかけたところだった。
朝から駐車していた車内には、サウナのような熱気が籠もっている。窓を全開にして熱を逃がす傍ら、エアコンが轟音を立てていた。
電話の向こうの叔父の声は、ひどく焦っていた。
「ゆうちゃんがいない」
「え?」
「どこか行きそうな場所に、心当たりは?」
「……どういうこと?」
朔也は前髪をかき上げた。考え込むときや落ち着かないときに、無意識にとる仕草だった。
エアコンを弱めると、代わりにセミの鳴き声が聞こえてきた。
午後八時半。侑子は七時を過ぎて外出することはない。必要があれば必ず兄か叔父叔母に連絡を入れるよう言い聞かせていたし、今まで約束を破ったこともなかった。
「いなくなったって、家にいないってこと? 賢ちゃんちにも? 行き違いになったってことは?」
「チャイム鳴らしても、スマホ鳴らしても、気配がなかったから合鍵で家に入ったんだ。エアコンもリビングの電気もついてた。スマホもあった。けど、ゆうちゃんはいなかった。お前んちとうちを何度も往復したけど、見つからない。それに……」
賢一が声を潜めた。
「多分ゆうちゃんは、自分では家から出てない。靴があるんだ。おそらく全部。お前の革靴以外は。見落としがあるかもしれないから、帰って確かめてほしい」
――自分では家を出てない。自分では
朔也は背筋が冷えるのを感じた。
「わかった。すぐ帰る」
通話を切り、ハンドルを握りしめた。
「ごめん、今日は」
助手席の恋人が顔を覗き込む。
「何かあったの?」
「……妹がいなくなった」
◆◆◆
「ゆうちゃん……?」
大好きな従姉の部屋には、電気が灯っていなかった。
愛佳が窓から外を見下ろすと、パトカーが停まっていた。その隣で警察官が父や朔也と話をしている。近所の人たちも集まっていた。
いつもなら母に寝るよう急かされる時刻を過ぎているのに、今日はまだ風呂にすら入っていない。家族は皆、時間を忘れて侑子を捜していた。
愛佳はそっとカーテンを閉めた。
数時間前、父と合鍵で家に入ったとき、この部屋のドアは大きく開いていた。けれど、そこには誰もいなかった。
ほんの数日前、ここで侑子と遊んだ。
『ゆうちゃん、セーラー服似合うよね』
『セーラー服に似合うとか似合わないとかあるの?』
『三つ編みにセーラー服ってめちゃくちゃ合うじゃない! いいなぁ、私も同じ中学だったら絶対三つ編みにするのに』
侑子の通う中学の制服は、この辺では珍しいセーラー服だった。愛佳が来年入学する中学はブレザーで、夏服は白シャツに灰色のスカートだ。
何もかかっていないハンガーを見つめながら、愛佳はあの日の会話を思い出した。
自分では三つ編みができないと言うと、侑子が結い方を教えてくれた。試しに編んでくれた指がくすぐったくて、笑い転げた。
自分でも編めるようになったのが嬉しくて、ここ数日はずっとおさげにしている。侑子と同じ髪型だった。
「ゆうちゃん、どこ行っちゃったの……」
ついさっきまで侑子がそこにいたような気がした。
けれど、どこを見ても姿はない。
愛佳はぎゅっと指を握り込んだ。
◆◆◆
「嘘だろ」
「……」
「花火買ってきたのに」
「……」
「奮発したんだぞ」
「……」
「千五百円もしたのに」
「……遼」
「ゆうちゃん、へび花火好きだから、喜ぶと思って……バラも買ってきたのに」
「……」
「暗かったら見えないから、そしたら明日やればいいと思って買ってきたんだ。きっと今日も夕飯食べたあと泊まってくんだろうし、朝にやっても楽しいだろうなって……」
「遼」
「……どこ行ったんだよ!」
◆◆◆
侑子の行方は分からなかった。
賢一の言う通り、彼女の靴は一足もなくなっていなかった。身につけていたと思われる中学の制服以外、衣服も持ち物も失われていない。
自分の意思で外出したのなら、裸足だったか、誰かが外で用意した靴を履いた可能性がある。しかし、侑子が家を出る姿も、付近を制服姿で歩く姿も、誰一人目撃していなかった。
連れ去られた可能性も否定できなかったが、室内に争った形跡はない。不審者や見慣れない車の目撃情報もなかった。
まるで神隠しにでも遭ったかのように、ただ侑子の身体一つが、忽然と消えてしまったのだった。




